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Piece of arcadia  作者: 上原久介
chapter.1
4/35

闖入者たち



「二重詠唱……ですか。油断しました」

 立ちこめる霧の中、あいつの声が聞こえた。これっぽっちも焦った様子がないのに腹が立つ。

「私だって、ただあんたたちから逃げてるわけじゃないんだから」

 だからシェスカも、挑発するように言ってやった。彼女がここでこいつを引き留めないと、こいつはきっとヴィルを始末しに行くだろう。それだけはダメだ。

 彼は私とは無関係だもの。これ以上巻き込むわけにはいかない。パルウァエの人たちもそう。

 これ以上、私のせいで誰かが傷つくのはごめんだ。

――じゃあ、あいつらの言いなりになればいいじゃない

 一瞬浮かんだ考えを、唇をかんで押さえ込んだ。じわりと口内に広がる血の味。

 あいつらに捕まるわけにはいかない。そうだ。捕まってはいけない。彼女の何かが、ずっとそう告げている。

 シェスカは剣を構えた。さっき唱えた体を軽くする補助魔術の効果が切れる前に、ここから離れなければ。それから、ヴィルの逃げる時間も稼がなくてはいけない。……できるだろうか。いや、やるしかない。いままでだってずっとそうしてきた。

「いつまで考え事に没頭する気です?」

 唐突に、後ろからあいつの声が聞こえた。しかも、すぐ近く…!!

 視界の端に映るのは、あの矢印みたいな大剣の先。

「っ!!」

 ぎぃぃん! と鈍い音を立てて、何とかあいつの大剣を弾く。しかし、あまりに重いその一撃に、剣を握っていた左手がじんじんと麻痺している。

「見つけた」

 あいつは愉快そうに言う。

 そのまま横薙ぎの一閃がシェスカに向かってきた。このままじゃ防御が間に合わない……!

 瞬間、イメージする。堅くて斬撃を通さないもの!

『盾よ!』

 言葉に出した刹那、まぶしい光の盾が彼女を包んだ。けれど、あいつの斬撃を受けた盾は粉々に砕け、シェスカはその衝撃で一気に吹っ飛ばされる。途中、石かなにかにぶつけたらしく、肩が熱を持ったように熱く、皮が裂けてどくどくと脈を打っていた。

「おや、見えなくなりましたね。なるほど。術者の近くには霧がないんですか。まぁ、もう関係ありませんね。位置は把握しました」

「なによ、あんた『同行』とか言ってたくせに、殺す気満々じゃない」

「生きてさえいれば『同行』になります。例え四肢を切断しようと、生皮を全部剥がして汚い醜い物体に成り果てても、呼吸しその心臓が鼓動するのならば、生きていると言えるでしょう?」

 じゃり、じゃり、と濡れた地面を鳴らしながら、そいつはシェスカのほうへ近付いてくる。シェスカは慌てて剣を構え、意識を集中させる。

『大気に満つる空気よ……!』

「詠唱させないって言ったじゃないですか」

 あいつはシェスカへ一気に距離を詰めると、その禍々しい形の大剣を思い切り突き出した。

 間一髪でなんとか躱す。しかし、あいつは躱された剣を地面に突き立て、それを軸にふわりと方向を変える。その勢いのまま彼女の顔めがけて鋭い蹴りを叩き込んだ。マントの下から覗いた刺々しい鎧が、シェスカの頬の皮膚を切り裂いて鮮血が飛び散る。

 シェスカはまた派手に吹っ飛ばされて、地面に転がされた。跳ねた泥が肩の裂傷にかかり、激痛が襲う。

「ああ、でも鬱陶しいですね、この霧。払うことにしましょう。『劫火よ、我が元に集まりなさい』」

「っ、させないわよ……!」

 そいつの周りに魔力が集中していく。シェスカは痛みに耐えて立ち上がると、詠唱を阻止するため、剣を構える。『劫火』とあいつは言った。つまり、あいつは火の魔術を使う気だ。なら、水の魔術で相殺するのみだ。

 幸い、雨が降っているし、私たちの周りは霧で覆われている。原素の宝庫だ。これを使わない手はない。

 私は瞳を閉じてイメージする。水だ。それも大量のもの。思い浮かんだのは、増水した川だ。全てを飲み込む、奔流。

『天地に渡りて流れる水よ……』

 あと少し、魔力を練り込めば発動できる。一方、あいつの詠唱はまだ続いている。これなら……! そう思ったときだった。

 何かに足を掴まれたのだ。驚いて足を見ると、歪でねっとりしたものがシェスカのそれに絡み付いていた。

「っ!? 何これ!?」

 そうだ、これはあのデカガエルの舌だ。そう気付いた時にはもう遅く、そのまま強い力に引っ張られ、あっけなく宙づり状態になってしまう。

 先程まで練られていた魔力は、シェスカの集中が切れたことによって霧散してしまった。なんとか脱出しようと剣で何度も斬りつける。何度も何度も……!

 そうこうしている間にも、あいつの周りの魔力はどんどんと高まり続けている。

 ようやくカエルの舌がぶつり、と千切れ、解放されたシェスカは重力に従って地面に叩き付けられた。まだ詠唱を続けている声が聞こえる。つまり、今唱えているのは上級魔術だ。

 シェスカは急いで立ち上がり、蘇生しようとするカエルに背を向け走り出した。今少しでも集中を切ってしまえば、魔術は失敗するはずだ。少女の周囲の魔力は最大限まで練り込まれ、圧縮されている。森もろとも燃やしてしまうつもりなのだろう。今から相殺魔術の詠唱をしても間に合わない。シェスカは直接少女の邪魔をするしかないのだ。

 彼女は自ら生み出した霧が、こんなにも邪魔なのかと後悔した。霧のせいで魔力が拡散されているし、なによりあいつの姿が見えない。

――――このままでは、あいつの魔術が発動してしまう……!

『紅蓮は雨と化し、全てを焼き払う……!?』

「うわぁぁああぁぁぁあぁ!! どいてくれぇぇぇええぇぇぇぇ!!」

 突然近くから聞こえた聞き覚えのある声。しかもついさっき別れたばかりの。

「まさか、ヴィル……?」

 脳裏に浮かんだのは、お人好しなゴーグルの少年の顔だった。


******


「お、すげー! これ! めちゃくちゃ速いじゃん!」

 ヴィルは森の木々を躱しながら、来た道を引き返していた。あのまま完全に道に迷った状態で、むやみに町への帰り道を探しても無駄だと思ったからだ。とにかく足を動かす。その度に加速していくのがわかり、ヴィルは思わず感動していた。

 しばらくすると、木々は少しずつまばらになっていき、あの広場が近付いていることがわかった。

 ヴィルはさらに足を速く動かした。何回か肩が木にぶつかったりもしたが、気にしない。

 そういえば先程のフードが言っていた、大量の魔物を見かけない。それを疑問に思った時だ。

 一気に視界が白へと変わり、ぼんやりとシェスカらしき人影が見えたのだ。それも、真っ正面に。

「うわぁぁああぁぁぁあぁ!! どいてくれぇぇぇええぇぇぇぇ!!」

 急ブレーキをかけようとしても、足は止まってくれない。調子に乗ってスピードを出しすぎたようだ。そのまま全速力で思いっきりぶつかってしまう。

 ぶつかった相手は思いのほか軽く、ヴィルもろとも地面にダイブすることになってしまった。

「……いててて…………」

 体を起こそうとすると、誰かが自分の下敷きになっていた。

 泥だらけになった朱茶の髪に、意志の強そうなアッシュグレイの瞳。そして額に浮かぶ……青筋。

 どこからどうみてもシェスカ・イーリアスその人であった。

「あ、……ごめん! 大丈夫か?」

「あなたほんっとバカ!? 何で戻ってきてるのよ!?」

「えっと、町がどっちかわかんなくって……あはは」

 ヴィルがへらっと苦笑いを浮かべてみせると、シェスカは呆れたようにがっくりと肩を落とした。

「…バカじゃないわね。さらに上。大バカ」

「なっ!? それひどくないか!? ってそうじゃなかった。さっきのヤツは?」

「……変ね。魔術が発動してない」

 立ち上がったシェスカはくるりと周りを見渡した。すると、燃えるような赤がぼんやりと濃い霧の向こうから現れた。その赤は徐々に人の形になっていき、彼らにもはっきり見えるようになるころには、赤い髪をした若い女性の姿になっていた。

「貴方たち! 平気!?」

 そう駆けつけたのは、オリーブ色の軍服に身を包んだ女性だ。手には長い槍を手にしている。おそらくあのデカガエルのものであろう血がその鋭い刃先を伝っていた。

 シェスカはとっさに身構える。

「あなた、何者?」

「ジブリール第一分隊所属、アシュリー・ガーランドよ。あのフードの人物を追っていたの」

「ジブリール?」

「えっと、第一分隊だから、警邏隊みたいなものだよ。知らない?」

 ヴィルの問いかけに、シェスカはふるふると首を横に振った。

「でもどうしてその警邏隊が、あいつらを追ってるの?」

「ごめんなさい、守秘義務よ。とにかく、彼らは私達でなんとかするわ。今のうちにここから離れて」

 女性――アシュリーがそう言うとほぼ同時に、近くで金属と金属のぶつかり合う激しい音が響いた。ばしゃばしゃと泥を跳ねて、音のしたほうの地面から誰かの剣が転がってきた。それを見たアシュリーは、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをすると、ヴィルらを庇うように槍を突き出した。

「何!?」

「いい? 早くここから離れるの」

 突然、濃かった霧が、次第に薄くなっていった。魔術の効力が切れてきたようだ。徐々に視界がクリアになり、目の前の景色が見えるようになる。そこにいたのは、例のフードの少女と、彼女に腕を踏み潰されている、アシュリーと同じ軍服を着た青年だった。

「レオン!」

「見つけた!」

 少女はシェスカを捉えると、レオンと呼ばれた青年の腹に思い切り蹴りを入れてから、その禍々しい大剣を振りかざしながらまっすぐにこちらへ向かってくる。

「早くッ!」

 アシュリーはヴィル達に短くそう言うと、フードの少女に向かって走り出す。彼女は八の字を描くようにすばやく槍を振り回しながら、少女を牽制した。しかし、少女のほうが一枚上手のようだ。あっさり躱すと、大剣によるパワーで押し切ってくる。

 それでもアシュリーは何度も少女に向かっていった。体制を立て直したレオンもそれに加わる。

 シェスカはぐっと唇を強く噛み締め、ヴィルに向き直った。

「ヴィル、行くわよ」

「でも、あの人達……!」

 ガッ、と強くシェスカに肩を掴まれた。俯いているので表情はわからない。けれど、ヴィルの肩を掴むその手は震えていた。

「……わかった。行こう」

 ヴィルはその震える手を握ると、しっかりと頷いた。


「おっと、そーゆーわけにはいかないなァ」


 背後から声が聞こえる。今度は若い男だ。ヴィルはとっさに振り返った。あのフードの少女と同じデザインのものを羽織った、長身の男だ。

 男はにやりと笑うと、一言。

「バイバイ」

 首元に異様な冷気を感じてそちらに目を向けた。少女が持っていた、あの禍々しい大剣によく似たそれが、鎌だとわかるまで数瞬。

「ヴィ……ッ!!」

 シェスカの息を飲む声が聞こえる。

 ヴィルの首に刃が食い込もうとした。


 その時。


「邪魔よ雑魚!」

 

 ヴィルの視界に入ったのは、サンダル履きの足が、男を思いっきり蹴っ飛ばす瞬間だった。

 ぺたんと腰を抜かしたヴィルはその姿を確認すると、思わず目を見開いた。

「し、師匠!?」

 その足の持ち主は他でもない、ヴィルの育ての親であり、錬金術の師――ヘカテ・ミーミルのものだった。

「何へたりこんでんの。なっさけない」

「師匠、何でここに!?」

 ヘカテはヴィルの問いかけなどさらりと無視して、フードの少女を見た。

 突然の闖入者に少女はにやりと笑みを深めると、斬り結んでいたアシュリーを薙ぎ払う。

「今日は邪魔が多いですね。ジブリールだけでなく、ヘカテ・ミーミル……まさかあなたまでとは」

 少女はゆっくりとヘカテに歩み寄る。アシュリーとレオンも、新たな来訪者が何者かと注目していた。

「と、いうことは、この『器』は本物のようですね」

「あら、何のこと? 私は馬鹿弟子が死にそうになってるのを助けただけよ?」

 やれやれとヘカテは肩をすくめた。彼女は未だ地面にへたりこんでいるヴィルの腕を掴んで立たせると、ひらひらと少女に手を振った。

「じゃ、そういうことだから行くわよ、ヴィル。と、ついでにそこの娘も」

「え? え?」

 あまりの唐突展開にヴィルの頭上にはクエスチョンマークが乱舞している。それはシェスカも同じようだ。しかし、ヘカテは全く説明しようとせず、すたすたと森の奥のほうへ歩いている。

 ヘカテは首だけ少女に向けて、

「あーそうそう。もうすぐジブリールんとこの隊長が来るらしいから、あんたたち退いたら?」

「っ! 止めなさいヴァラキア!!」

 少女は声を荒らげた。呆気にとられていたらしいフードの片割れの男は、その声で我に返ったようだ。大鎌を構え直すと、ヘカテらに向かって一気に斬り掛かる。

 ヘカテは怜悧な瞳でそれを確認すると、ヴィルとシェスカの腕を掴んで自らのほうへ引き寄せた。


 ガキィイイィィイイィイン!!!


 甲高い音が響く。男の鎌は、確かにヘカテらに届いていた。しかしそれは、突如現れた赤く透明な壁によって阻まれていた。

「っ、これ結界か!?」

「嘘……詠唱もなしに……?」

 ヴィルとシェスカは驚愕の声を上げる。シェスカに至っては、信じられないものを見たような顔でヘカテを見上げている。

「何やってるんですかこの無能ッ!! ゴミクズッ!!」

 フードの少女はぎり、と歯を噛み締めると、今度は自ら大剣を振りかぶって結界を叩き破ろうとするが、結界に何度も弾かれてしまう。

 ヘカテはその様子を見て、嘲笑うかのようににっこりと微笑んだ。

「じゃあね」

 その一言とともに、結界の中に無数の魔方陣が展開された。それらはヘカテらの足下に収束すると、目も開けられないほどの眩しい光に包まれ、そして、

「こッの……! 莫迦にして……ッ!!」

 少女の大剣が、ぶぉん! と空を切る。剣によって起こされた剣圧で大気が揺れる。



 結界のあった場所には、もう誰もいなくなっていた。



******



「ルインロス様、きっと奴ら、遺跡か町に向かったはずです。追いましょう。また見失ったりしたら……」

 男は少女に小声で耳打ちした。ルインロスと呼ばれた少女は彼に向かって一度微笑んでみせると、その刺々しい鎧に包まれた拳で、思い切り男の顔を殴りつけた。何度も何度も、皮膚が裂け、血が出ていても何度も、何度も。

「誰に向かって指図しているんですか? 誰のせいで逃がしたと? この無能ッ!」

 顔がぼろぼろになっても男が抵抗しないので、ルインロスは興ざめしたように殴るのをやめた。

 そして、後ろを振り返る。ジブリールの二人組が、武器を構えてこちらを警戒していた。

「ジブリールの隊長が来ると言ってましたね。あの隊長が来られると面倒です。退くとしましょう。ヴァラキア、あなたは『器』を探しなさい」

 ルインロスはにやり、と見ているものを不快にさせるような、そんな笑みを浮かべた。

 男――ヴァラキアは唱えていた治癒魔術を中断すると、「あなたは?」と尋ねた。


「ジブリールの隊長に、部下の死体の置き土産でもと思いまして」


 雨は、どんどん激しさを増していた。


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