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Piece of arcadia  作者: 上原久介
chapter.1
3/35

《奴ら》

「はぁ……、ちょっと、休憩しようぜ」

 森に入ってしばらく。ヴィルたちは見通しのいい広い場所を見つけたので、そこで休むことにした。

 かなり大きな(少なくともヴィルの身長の倍くらいあった)カエル型の魔物が襲ってきて、ようやくそいつを撒いたところだった。シェスカのほうを見やると、彼女も疲れているようだ。ぺたんと地面に座り込んでいる。

「……なぁ、きみ。……なんで剣、使え、ないの……?」

 乱れた息を整えながら言う。

 あのデカガエルは別に倒せない程強いわけではない。このあたりの他の魔物に比べると、図体がでかいだけでむしろ弱い分類だ。

 逃げてきたのはヴィルの実力云々ではなく、彼女のそれであった。

「……なによ、悪い……?」

「そんな剣士みたいな格好してるから、てっきり使えるもんだと……」

「誰も、剣士だなんて言ってないじゃない……」

「そういうの、先に、言ってくれよ……」

 デカガエルに遭遇したときのシェスカといったら、それはそれはひどいものだった。狭い場所でぶんぶんとでたらめに剣を振り回すわ、振り回した剣が木に当たり枝が折れ、その折れた枝がヴィルの顔に向かって飛んでくるわ。

 とりあえず、彼が持っていた自作の痺れ薬をカエルにかけて、なんとか難を脱したのだ。

「やっぱついてきて正解だったな……」

 こんなシェスカが一人で森に入っていたらと思うと、ぞっとする。

「ちょっ、何その顔!? 足手まといだって言いたいわけ!?」

「いや、別に」

「確かに剣とか使えないけどっ、それは専門外なだけなんだから!」

「じゃあ何ならできるんだよ?」

 その時、


 ばきばきばき!!!


 と、近くで何かが折れる大きな音と共に、まだ昼過ぎだというのに、急に辺りが暗くなった。

「なんだ!?」

「何してるの! 上よ!」

 シェスカに怒鳴られて見上げると、ヴィルたちの頭上に白い何かが落ちてくるのが見えた。

 それがさっきのデカガエルの腹だと理解するまで数瞬。

――――潰される!!

 そう直感したヴィルは次にくるであろう衝撃に備えてぎゅっと目を閉じた。

『堅牢なる光の盾!! 我らを守護せよ!!』


 バキィィィィィィィィィィィン!!


 シェスカの声と何かが弾かれるような音が同時に聞こえた。

 おそるおそる目を開けると、宙に剣を突き出している彼女の姿があった。そして、その剣の先には、何かに吹っ飛ばされたようにひっくり返っているデカガエル。

「え、え?」

 いまいち状況が掴めないでいると、

「ヴィル! 時間稼いで! あいつまだ動くわよッ!!」

「あ、ああ!」

 シェスカに言われるまま、腰のホルダーから剣を引き抜く。

 そうしている間にデカガエルは体勢を立て直したようで、長くて先の丸い舌でべろりと舐めずっている。

「出来る限り私に近付かせないで! 合図したらそいつから離れて! いい!?」

「わ、わかったよ」

 シェスカの言う通りに、ヴィルはデカガエルに向かって走り出した。できるだけ低く姿勢を保ちつつ、そいつの足を狙う。

 が、あのカエルはそんなことお見通しだと言わんばかりに、その長い舌で彼を捕まえようとするため、なかなか近づけない。

――ちょっ……! こいつ早い……!? もう薬が切れたのか!?

 舌が彼の左をかすめた。粘度の高い唾液が飛び散る。ヴィルの顔にびしゃりと唾液がついた。独特の水臭さが鼻を突く。そのことに一瞬気を取られていると、

「っ、がッ!?」

 デカガエルの手がヴィルを地面に思い切り叩き付けたのだ。その衝撃で、右手から剣を放してしまう。

 しまった……! そいつの舌を躱すことに集中しすぎて、手の存在を忘れきっていた。

 デカガエルの湿った皮膚がじんわりと、ヴィルの服を濡らしていく。何とも言えない不快感から抜け出そうと、彼は身をよじった。しかし、思いのほか力が強い……!

 シェスカの方を見ると、彼女は先程の場所から動いておらず、瞳を閉じて何かをぼそぼそと呟いているようだ。デカガエルの方は、ヴィルを捕まえて満足したのか、次の獲物であるシェスカを、その長い舌が捉えている。

――シェスカはまだ、それに気付いていない……?!

「シェスカ! 危ない!」

 ヴィルがそう言うのとほぼ同時に、彼女はカッと目を見開いた。それと同時に、シェスカの周りに旋風が巻き起こる。

『切り裂きなさい! 《スパイラルウェント》!!』

 シェスカがそう言うと、彼女の剣が竜巻のような風で包まれた。

 その風は螺旋を描きながら縦横無尽に伸び、辺りの木をも蹂躙していく。

 彼女を狙っていたあのデカガエルの舌でさえ、幾重にも引き裂かれ、傷口からは赤ともつかない体液が溢れ出している。

 シェスカは、デカガエルによって地面に釘付けになっているヴィルの姿を確認すると、

「伏せて!!」

「伏せろったって……って、おわっ!?」

 シェスカの風の一部が、ヴィルの上に乗っかっていた手を吹き飛ばした。

 おいおい、あともうちょっと体が起き上がってたらオレもそうなってたじゃねーか!!

 舌と片手を失ったデカガエルは甲高い鳴き声を上げ、その苦痛にごろごろと身悶えしていた。

「うへぇ、じわってしてるよ服……気持ち悪……」

 カエルの手の残骸から脱出し、落とした剣を拾うと、シェスカがヴィルに駆け寄ってきた。

「大丈夫!?」

「あ、ああ。平気だよ」

「そう、よかった……」

「シェスカも平気?」

「あなたよりずっとね」

 シェスカは未だ地面に這いつくばっているデカガエルの方を見やると、

「もうこいつ、襲って来ないと思うけど……どうする?」

「どうするって?」

「とどめ」

 シェスカは短く告げる。ずん、と胸に何か落ちてきたような感覚に陥る。嫌な感覚だ。

 今まで、たくさん魔物を倒してきた。時には、その命を奪いさえした。当たり前のことだ。魔物は人間に危害を加えるのだから。

 けれど改めて問われると、何故こんなにも気が重くなるのだろうか。ヴィルはゆっくりと首を横に振った。

「……もう充分だよ。この傷じゃ、どのみち生きていけないさ。行こうぜ」

「そう、ね。そうしましょう」

 シェスカは目元を和らげてそう言った。彼女もまた、自分と同じ考えだったのだろう。何の確証もないけれど、そう思った。

 空を見上げると、先程までの青はどこかに消え去っており、重たい灰色が広がっている。もうすぐ雨が降りそうだ。

 そうして、彼らがデカガエルを背に、当初の目的であった遺跡へ向かおうとした。その時だった。


 びくん! びくん!


 カエルの手の残骸が、舌の肉片が、びくびくと脈打ち、デカガエル本体の方へずるずると引きずりながら集まり始めたのだ。

「なっ……!? 何だこれ!?」

 デカガエルの方へ集まった肉片たちは、元の場所に戻るかのようにそいつの体にへばりつき、しばらくすると歪ながらも片手と舌は完全に修復されていた。

「ど、どうなってんだよ、これ!?」

 わけがわからなくてシェスカの方を見てみると、彼女はヴィルとは違う驚きの表情を浮かべていた。恐怖のような、絶望のような、そんな顔だった。

「……うそ……もう、追いつかれたの……?」

「……シェスカ?」

 そんな顔も、ヴィルが名前を呼ぶ頃には消え去っていて、彼女は気の強そうなそのアッシュグレイの瞳で、歪に復活したデカガエルを睨みつけていた。

「前言撤回よ。こいつは完全に殺さないと、何度でも復活するわ」

「! こいつのこと知ってるのか!?」

「ええ。でも話は後! 急がないと……!」


「急がないと、何ですか?」


 唐突に。ヴィルのものでも、シェスカのものでもない声が聞こえてきた。

 その姿を探して周りを見渡しても、誰も見つからない。

「誰だ!?」

 そう問いかけても、何も反応しない。代わりにぽつり、と雫が落ちてきた。落ちてくる雫の間隔はあっという間に短くなり、気付けば雨になっていた。

 長い沈黙の後、ようやく雨の音以外の音が聞こえた。ぴしゃり、ぴしゃり。その音は、あのデカガエルの方から聞こえている。

「よい、雨の音ですね」

 その声とともにデカガエルの頭の上に現れたのは、フード付きのマントを被った小柄な人物だった。声色から察すると、女性のようだ。だが、その涼やかな声とは裏腹に、何とも言えない禍々しさを感じて、ヴィルはぶるりと身震いした。

 ケバケバしい、毒々しい色をした毛虫が背中を這い回っているような、そんな感じだった。

「なんなんだ、あんたは……?」

「ようやく追いつきました。まったく、山狩りするのは骨が折れましたよ。……駒が何個使い物にならなくなったか……やれやれです」

 そいつはヴィルの問いかけを全く無視で話し続ける。

 フードで目元が見えないが、そいつが見下ろしているのはただひとり――シェスカだけだった。

「しかし、そこまでです。早く『鍵』の在処を教えて頂けませんか?」

「知らないって言ってるでしょう」

 シェスカは嫌悪をあらわにして、そう低く返した。剣を握っているその手は、小刻みに震えている。剣に付けられた鎖が、カチカチと音を立てていた。

「ならば、我々と同行してください。うろちょろされると、とても迷惑なのです」

「だから、それも断るって何度も言ってるじゃない! なんなの、あんたたちは!? 私を追いかけ回して、何がしたいのよ!?」

「先程も申し上げた通り、『鍵』の所在と『器』の同行です。こちらこそ、何度申し上げたらご理解頂けます?」

「私は『器』でもないし、『鍵』が何の鍵かも知らない!」

「自分が『器』でないと、どうしてわかるんですか?


 ……自分の名すら知らないくせに?」

 そう言われると、シェスカは唇をぎゅっと噛み締めた。怒りと、悔しさのようなものがないまぜになっているような、そんな表情だ。

 二人が会話する一方で、オレはとりあえず状況を整理しようとしていた。

 パルウァエで食い逃げした少女――シェスカ・イーリアス。

 彼女に出会ってからまだ一日も経っていないのに、色んなことが起こりすぎて頭が混乱する。体が再生する魔物やら、シェスカを追う謎の人物やら。

 シェスカもシェスカで謎だらけだ。どうして遺跡に? 『器』って? 名前を知らない?

(ああもう、わけがわからない……!)

 ヴィルは必死で順応力の限界と戦っていた。

「ヴィル」

 ヴィルを思考の世界から現実に戻したのは、シェスカの彼を呼ぶ声だった。

 彼女は少女を見上げたまま、小声で続ける。

「今から何とかして隙をつくるわ。その間に逃げて」

「え……?」

「あいつらは、目撃者を逃がしたりしないわ……。絶対に殺される……」

「殺されるって……」

 そんなバカな。そう言おうとした。しかし、前を見据えるシェスカの瞳は真剣そのものだ。

「……シェスカだって危険じゃないのか?」

「あいつらの狙いは私だもの。怪我はしても死にはしないわ」

「でも……!」

「いいから。言う通りにして。お願い」

「…………わかった」

 ヴィルが小さくうなずくと、シェスカは嬉しそうに、けれどどこか寂しそうに、笑った。

「話し合いは終わりました?」

 それまでずっと黙っていたフードの少女は、飽き飽きとした様子で口を開いく。どこまでも冷えきった声だ。

「逃げる算段でも練っていたなら無駄ですよ? この森には、」

 一旦言葉を区切ると、ぺちぺちと踵でデカガエルを小突き、いやらしい笑いとともに両手を広げてみせた。

「この子のような魔物をたっくさん! 放っておきましたから。とぉってもお腹が空いている子ばかりです。きっと、町にも行くでしょうね。ヒトを求めて」

「なっ……!」

「最低」

「ほら、もうここも囲まれてますよ?」

 ヴィルはその言葉に弾かれたように周りを見渡す。木、木…目に入るものはそればかりで、それらしい魔物の姿はよく見えない。

 しかしシェスカはそうではないらしく、改めて剣を構えていた。

「だから何?『目覚めよ! 汝は風に近くなる』!」

「おや、詠唱させると思ってるんですか」

 少女は素早く背中に手をやると、そのマントの向こうから身の丈程の大剣を取り出した。まるで矢印のような形をした、禍々しい装飾の施された剣だ。

 そいつはそれを振りかぶって、デカガエルの上からヴィルたちの方へと飛び降りた。

『否! 風より速く!』

「ぅわッ!?」

 シェスカがそう唱えるとふわり、と体が浮いた。その感覚は、シェスカがヴィルの上着の首根っこを掴んで後ろへと跳躍したものだった。

 それと同時に、さっきまで彼らのいた地面を深々と抉る禍々しい剣。

「なっ!?」

 少女は驚愕を隠さずに声を上げる。体勢を立て直したシェスカは再び構えると、

『満ちよ、包め深く! 何者も阻むこと敵わぬ濃霧! 《イエリオンミスト》!!』

 その声と共に、視界が一気に白く包まれた。少し離れているシェスカははっきりと見えるのに、それ以外はぼんやりとしか見えない。

「これ……霧か? 雨が降ってるのに……」

「今のうちに逃げて!」

「シェスカ!?」

「体、軽いでしょ! 早く!! 町に魔物が行くかもしれないのよ!? 走ってッ!!」

 ヴィルはシェスカに言われるがままに走り出した。彼女がそうしてほしいと頼んだことだが、ずきり、と胸が痛んだ。このままシェスカを見捨てるのなんて、絶対に嫌だ。

 何か……そうだ、師匠やローに言えば、きっと手を貸してくれる……! 町へ向かうだろう魔物も、あの二人なら…!

 彼は走る足に力を込めると、もっと速く。そう念じながら足を動かし続けた。ふいに、ついさっきまでとは体の感覚が全然違うことに気が付いた。しっかりと地面を踏みしめる感覚はあるのに、ほとんど体重を感じない。シェスカが言っていた「体が軽い」というのは、こういうことか。

 そうして木にぶつかりそうになりながらある程度走ると、濃かった霧は次第に雨で掻き消されていった。改めて周囲を確認する。

 森にいるから当然のことなのだが、周りを見渡す限り、一面の木、木、木…………。

「って、どっちが町なんだよちくしょぉぉぉぉ!!」

 ヴィルのその叫びは、雨の音に吸い込まれてむなしく消えていった。


******


「ヴィル、遅いなぁ」

 パルウァエにある道具屋『アルキュミア』の中。そのカウンターに頬杖をついて、ローランドは独り言のようにそう言った。

 彼の弟分であるヴィルは、とにかくお人好しだ。困っている人を見ると、ついお節介を掛けたくなる性分らしい。それも少し、いやかなり病的なレベルで。

 先程も一度帰ってきたと思ったら、大事に貯めていた研究費を持ってまた出て行った。

 不思議に思って尋ねると、「ちょっと人助け」と言って走り去っていったのだ。

 そんな大金使う人助けがあるかとツッコミを入れたのだが、ヴィルは聞く耳を持ってくれなかった。

「はっ! まさか何かあったんじゃ……!? 先生!! どうしましょう!?」

 もしや変なのに騙されて大変なことに巻き込まれてるんじゃ……!?

 ローランドはその事態を想像して、おろおろと自分の師であるヘカテに助けを求めた。そのヘカテはというと、またかと言った様子で呆れ果てている。

 彼女は商品の手入れをする手を止めて、やれやれと肩をすくめた。

「あいつをいくつだと思ってんのよ。もうそこまで心配する程のガキでもないでしょーに」

「心配ですよ、家族なんですから! 先生だってそうでしょ!?」

「いや、別に」

 ヘカテは心底どうでもよさそうだ。

 ローランドはとびきり深い溜め息を吐くと、近くに掛けてある上着を手に取った。

 うん、まぁ、先生がそういう人だって知ってたけども。

 彼女は知ったことではないと言う風に窓の外を眺めていたが、ふいに何かに弾かれたように店の奥へと足早に姿を消した。

「ちょ、先生。どうしたんです?」

 その急な行動に驚いたローランドが店の奥を覗くと、師は水晶玉のようなものに向かって何かを話しているようだった。そんな奇妙な光景に、彼は小首を傾げながら、彼女の方へ近付いていった。

 水晶玉の内側から淡い光が灯る度、若い男の声が聞こえてきた。

「ええ。《アレ》かもしれないわ。近くにいる奴を寄越して頂戴」

『もう向かってるよ。スタイナー隊が二人ほど。まったく、彼の嗅覚はおそろしいね』

「あら、優秀な部下じゃない」

『優秀すぎて扱いに困るよ、ほんと』

「で、今その二人はどの辺り?」

『ちょっと待ってね。確認するから…………そっか。今オルエアの森に入ったらしいよ』

「そう、ありがとう。もし《アレ》だったら連絡するわね」

『うん、待ってるよ』

 そう言い終わると、水晶玉からフッと光が消えた。

 ヘカテはそれを適当な場所に転がすと、そのまますたすたと店の外へ出て行ってしまった。

「先生! 待ってください! 今のなんですか!?」

 ローランドはすぐに追いかけると、彼女の腕を掴んで引き留める。

「ああ、あの水晶? あれはね、同じものを持っていたら相手と会話が出来る術式が刻んである特殊な魔石で……」

「それも気になりますけど、そうじゃなくて!」

「じゃあ何」

「オルエアって、ヴィルが向かった遺跡のある、あの森ですよね? それにスタイナー隊ってジブリールじゃないですか! 何故彼らがそんな場所に……!?」

「そんなことより」

「先生ッ!!」

 ヘカテはローランドの手を振り払うと、鋭い眼光で彼を見下ろした。その威圧感にローランドは思わず閉口する。

「ロー、あんたはこれ持って遺跡の近くで待ってなさい」

 ぽいっと放られたのは、ずっしりと中身の入った道具袋だった。開けてみると、食料に傷薬、ロープにテントまで入っている。

「いつの間にこんなものを……」

「じゃ、そういうことだから」

「何がそういうことなんですか!!」

 ローランドの疑問に一切答える気はないらしく、ヘカテは彼に背を向けて走り出した。ローランドも慌てて追いかけたが、森に入った瞬間彼女の姿は全く見えなくなっていた。

「……どうなってんですか、一体?」

 彼がそう問いかけるも、答えてくれる人物はいない。

 ローランドはまた深い溜め息を吐くと、

「とりあえずヴィルを探して、先生が言ってた遺跡に行くしかない……か」

 ぽつり、と脳天に何かが落ちてきた。その冷たさに思わず変な声を上げそうになったが、何とか踏みとどまる。

 雨だ。それは次第に強くなってきている。

 彼は抱えた道具袋を濡らさないように、急いで森の中へと入っていった。


******


「目標、見失いました。民間人に魔術師がいたようで、その魔術のせいかと」

 もうもうと立ちこめる霧の中、木陰に隠れている人物がいた。燃えるような赤い髪をした、若い女性だ。

 彼女はオリーブ色の軍服に身を包み、この木陰で先程からずっと様子を伺っていたのだ。

『魔物はどうだ』

 彼女がつけているピアスから、男の声が聞こえた。彼女は耳元を押さえ、それに魔力を送り込む。こうしないと声が送れないからだ。

「あらかた片付けました。現在レオンが対応しています。ですが、数が多いため町に被害が出る可能性があります」

『わかった。対応しておこう。引き続き目標の監視を頼む』

「了解しました」

『民間人がいると言ったな。その保護を最優先だ。俺達の仕事を忘れるな』

「わかっています」

 ぷつん、と通信が切れる音がした。彼女はそれを確認すると、周りを見渡した。

 探していた人物は、突如発生した白い霧に呑まれて今はその姿が見えなくなっている。

「雨に霧……最悪ね」

 彼女がそう独りごちた直後、がさがさ! と草が揺れる音がした。瞬時に槍を構える。

「いたたた……アシュリーさん、ここにいたんですか?」

 現れたのは彼女と同じ軍服を着た気弱げな青年だった。淡い金髪とブルーの瞳が、さらにそれを強調しているように見える。

 彼女――アシュリーは、敵でなかったことで一瞬安堵の表情を浮かべたが、すぐに眦をつり上げて、彼の頭を思い切りひっぱたいた。

「馬鹿! 静かになさい!」

「い、今の叩いた音のほうがうるさかった気がします…………」

 ずきずきと痛む頭を押さえて彼はアシュリーの隣まで来ると、彼は彼女と同じように身を潜め、霧の奥へと目をやった。

「魔物はどう、レオン?」

「ここを囲んでいたやつはとりあえず。…霧がひどすぎて見えませんね」

「いい迷惑だわ。このままじゃ踏み込めない」

「隊長はなんて……?」

「保護を最優先、だそうよ」

「えぇ……まだ戦うんですか? アシュリーさんだって消耗してるでしょ?」

 青年――レオンは、眉をハの字にしながら溜め息を吐いた。もう魔物退治でへとへとになってきているのだ。

「僕らはスタイナー隊じゃないですか。隊長やガジェッド隊を待ちましょうよ」

「駄目よ。何のための私たちなの」

 二人がそのまま再び様子を伺っていると、近くから金属のぶつかる鈍い音。それも数回だ。二人の間に緊張が走る。

「行くわよレオン」

「え、でも真っ白ですよ!?」

「それでも行くの!」

 アシュリーは愛用の槍をしっかりと握りしめると、白に溶けて消えていく。レオンも慌てて、それに続いていったのだった。


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