交換条件
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「……賢者の石!?」
その名前に、ヴィルは思わず前のめりになりながら立ち上がった。
「ってなに?」
隣のシェスカが首を傾げる。
「錬金術最高の物質、究極の魔石だよ! 卑金属を金属に変え、不老不死をもたらし、あらゆる魔法を授ける。そう言われてる!」
そう興奮気味に早口で彼女に説明する。
賢者の石、賢者の石。ずっと創り出したいと思っていたものの名前だ。存在すら本当にあるのかどうか、それすらわからないようなものが、確かにあると、そう言われたのだ。一錬金術師として、心が躍らないわけがない。
「はいはい、気持ちはわかるけど落ち着いてねヴィルくん」
ルシフェルは苦笑いを浮かべながら、座るように仕草で促した。熱くなりすぎたな……と反省しつつ大人しくそれに従う。
「彼女の中にあるのが本物とは限らない。レプリカだって作られてるからね。本物かどうか確かめる術をおれは知らない」
ジブリールの局長は、そう言いながら肩を竦めた。そんな彼に、シェスカが確認するように唇を開く。
「その魔族って奴に狙われてる理由は、……納得はできないけどわかったわ。私の中に『賢者の石』とかいうトンデモなモノが入ってて、それを狙ってる……んですよね?」
「そういうことだね」
「じゃあ『鍵』は? 一体何の鍵なんですか?」
彼女がそれについて尋ねると、ルシフェルは先程まで饒舌にしていたのが嘘のように、急に歯切れが悪くなった。
「あー……『鍵』、『鍵』ね。その『器』を開ける鍵さ。それについては、大昔のことすぎてあんまり覚えてないんだよね。ちょーっと思い出す時間ちょうだい?」
申し訳なさそうに彼は眉を下げる。が、やはりその顔からは笑みは消えていない。
「なんだそりゃ」とジェイクィズの呆れた声が漏れた。シェスカが何か抗議でもしようと、口を開こうとしたその時、
「あーでもアレ。アレ持ってきてくれたらすぐに思い出せそうかもなぁ」
と、ルシフェルは大仰に天を仰いだ。
「本当ですか!?」
「うんうん。もーバッチリ思い出せそう」
彼はヴィルの問い掛けに満面の笑みで返す。……正直かなり胡散臭そうだが、この話に乗らないならもう教えてあげない、と言われている気がした。
「アレってなんですか?」
そう尋ねると、ルシフェルは待ってましたと言わんばかりに立ち上がる。
「こないだの騒ぎで大魔石が盗まれたのは知ってるよね? このまま大魔石がないと、ジブリールの運営に支障が出ちゃうの」
くるくると、はためくマントを指先で弄びながら、彼はデスク周りを往復した。シェスカの頭の片隅に、先程ジブリール隊員たちが話していた内容が浮かぶ。
「それは困るんだよねぇ。なんてったってジブリール今やは世界中の戦争の抑止力。それが弱まったとなると、どっかバカな国が戦争始めちゃうし、すでにその準備は始まっている」
「……つまり新しく、大魔石に代わるものを用意しろってこと?」
シェスカがそう言うと、彼は一瞬の沈黙の後、一層にっこりと笑みを深くした。
「ピンポンピンポーン! 正解!」
そう言うと同時に懐からびろっと地図を引っ張り出した。そのままヴィルたちの目の前のテーブルへと広げる。かなり乱暴に置いたので、二人は咄嗟に紅茶のカップが割れないようにそれを持ち上げた。
改めて見るとかなり大きな地図だ。大まかな地形だけでなく、街の名前や遺跡の位置なども描き込まれている。…………どこにそんなものしまってたんだろうか。頭に浮かんだ疑問を気にしている素振りを見せていたのはヴィルひとりだったようで、ヴィルは大人しくルシフェルの話に耳を傾けることにした。
「リエン北にルドニークって街があるんだけど、その奥、さらに山へ行ったところにドワーフ族の都がある」
ルシフェルの指が地図の上のアメリから、海を越え、リエンへ、ルドニーク、そして北の山脈をなぞる。ぴたりと止まったそこには、マハル=ドゥームと書かれていた。
「そこへ行って魔石の代わりを貰ってきてほしいんだ。そしたらおれも思い出したこと教えてあげてもいいよ」
「……交換条件、っていうわけね」
「別に行きたくないなら行かなくていいよ? ただおれも忙しいからね〜。『鍵』のことなんて思い出すことすら忘れちゃうかもな〜」
ルシフェルの言葉は挑発しているように聞こえる。シェスカが頷かなければ、彼はその言葉通り、思い出す努力すらしないのだろう。
シェスカはというと、彼を見つめて考え込んでいるようだった。疑い。きっと彼女が抱いているのはそれだ。本当に彼の言葉が正しいのか、否か。ヘカテの言葉通りここまでやってきたが、その言葉すら、彼女には信用ならないものなのかもしれない。
「さ、どうする?」
「………………」
重い沈黙が続く。ヴィルは小さく、誰にも聞こえないほど小さく、よし、と呟くと、その沈黙を破るべく口を開いた。
「……あのさ!」
思った以上に大きな声が出てしまった。自分でも軽く驚いた。一気に視線が自分へ集まる。
「て、提案なんだけど、オレがそれ取りに行っても、ルシフェルさんは『鍵』の話、思い出してくれますか?」
「え?」
シェスカがぽかんとした顔でこちらを見つめる。その後ろのジェイクィズや、サキでさえ少し驚いた表情を浮かべていた。
「シェスカは狙われてて危ないんだろ? だったらオレがそれ取りに行く。その間、ここでシェスカを匿ってもらう……っていうのはダメ……ですかね……」
言えば言うほど馬鹿なことを言っている気がして、どんどん言葉が尻すぼみになっていく。
「何言ってるのよ」
がっ、と肩を掴まれる感触。シェスカの手だ。彼女の表情は俯いて見えないが、胸ぐらでも掴みかかってきそうな勢いだった。
「これは私の問題なの! あなたは関係ないわ!」
「ここまできたら、もう関係なくないって。シェスカもジブリールも困ってるんだろ? だったらこの方法が一番……」
「よくないわよ!」
「別におれは構わないよ」
熱くなっていくシェスカに水を差すように、ルシフェルはさらっとそう言った。
「確かに、彼女にうろつかれて、うっかり魔族に捕まるなんて面倒だしね。レプリカの可能性もあるけど、賢者の石の『器』なわけだし。
ちゃ〜んとヴィルくんが大魔石を持ち帰ってくれるなら、おれも『鍵』のこと、ちゃ〜んと思い出すよ」
どうどう、と手で落ち着くように示す。
「まぁ、それも君が納得すれば、だけどね?」
彼は笑みを崩さずに、シェスカを見つめる。まるで値踏みするように、試すように、じっと。それと同時に、彼はわかっているようだった。次にシェスカが口を開いたとき、なんと言うか。
「納得なんて、するわけない」
小さく、しかしはっきりと、シェスカが言葉を紡ぐ。
「これは、私の問題だもの。私が行かなきゃいけない」
その言葉を待っていた、とそう言わんばかりに、
「行くわ。ルドニークだろうがドワーフの都だろうがどこへでも」
ルシフェル・セラーフは今までで一番の満面の笑みを浮かべたのだった。
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「——っと、いうのが任務の概要なんだけど、何か質問は?」
と、満面の笑みのまま、ルシフェルはサキとジェイクィズの顔を見る。
「はァ?」
明らかに訳がわかっていないジェイクィズ。
「………………特には」
それに対して、面倒くさそうに溜息をつくサキ。
状況がわからないヴィルとシェスカは、首を傾げながら互いに顔を見合わせた。そうこうしてるうちにジェイクィズは答えを見つけたらしく、ぱちん、と指を鳴らした。
「ああ、関係あるハナシってそーゆーことね。ここで繋げてくるかぁ……」
「そ。そーゆーことなのです」
呆れるように苦笑いを浮かべるジェイクィズに、何故か得意げにルシフェルが頷く。
「え? えっと? どういうことですか?」
「『器』は狙われているから危ないよ〜って話はさっきした通り。ここまではオーケー?」
その問いに、ヴィルとシェスカは同時に首を縦に降る。
「つまり、そんなカワイイカワイイ女の子を一人でホイホイ出歩かせるわけにはいかない、というわけですヨ」
ジェイクィズがそう言いながらシェスカの髪をひとすくいすると、そこにそっとキスを落とす。彼女はうんざりした様子でそれを軽く払いのけた。
「そういうこと。サキくんとジェイクィズくんの二人には『器』の護衛任務に就いてもらう。しっかり守ってね」
こほん、と軽く咳払いをして、ルシフェルが話をまとめる。
「一応行きは船を用意してるから、それを使ってね。帰りの経路は状況によりけり、かな。任せるよ」
「了解しました」
サキは表情を変えず、短く返す。そしてヴィルをちらりと一瞥すると、「彼はどうしますか?」と、ルシフェルに問うた。
「本人の意思を尊重するよ。ヴィルくんは巻き込まれた被害者みたいなものだしね」
「オレは……」
再び視線がヴィルに集まる。
そうか。シェスカもルシフェルに会えたし、一先ずの目的は果たした。パルウァエへ帰っても、きっとヘカテにどやされることはない。平穏な、ローランドとヘカテとの、いつもの日常に戻ることができるのだ。
けど、と。ヴィルはぎゅっと自分の拳を握った。
『賢者の石』。小さい頃から、その存在を夢見て、ずっと研究してきた。けれど、いまいち何も掴めなかった。それが今、きっととても近いところにある。
シェスカと一緒にいれば、何か掴めるだろうか。自分の求める真理を。しかし、シェスカはそれを嫌がるのだろう。彼女は、誰かが危険な目に遭うのを恐れている。自分のせいで、自分のせいでと。
「ルシフェルさん、リエン、ってことはメエリタに行くんですよね。途中パルウァエに行くっていうのはできるかしら?」
皆がヴィルへ意識を向けている中、凛とした声が響いた。シェスカの声だ。驚いて彼女を見る。
「そういう経路を取りたければご自由に」
話を振られたジブリールの局長は、相変わらず微笑みを崩さずそう返す。
「シェスカ……いいのか?」
「どうせ、帰るまではついていくって言うつもりだったんでしょ? 私としても、あなたを無事にパルウァエに送り届けないと気が済まないしね」
シェスカは肩を竦めながら答えた。最後には小さく笑顔も見せて。その表情に、思わずヴィルの顔にも笑みがこぼれる。
「じゃ、しばらくは四人旅だな〜。シェスカちゃんがいてよかった〜!! 隊長殿とゴーグルくんとなんてむさ苦しくて窒息するとこだったぜぇ〜」
気の抜けたようにそう言いながらジェイクィズはシェスカに抱きついた。彼女は最早慣れたようにそれを振り払う。
「私もジェイクィズと二人っきりとかにならなくてよかったわ」
「あれっ、シェスカちゃん酷くない?」
「信用できないもの。忘れたわけじゃないわよ。あんた私を騙してたじゃない。ヴィルにはケガさせたし」
その言葉にヴィルは、あの時か、と思い出す。アメリの街へ入る前、シェスカたちと離れる前の出来事だ。
そういえばナイフか何かで切られたっけ。確か首筋のあたりだったが、そこまで深く切られたわけではなかった気がする。そんなことを思いながら首筋をさする。今は傷なんてなく、ただ肌の感触があるだけだ。
「ごめんって〜! 許してよこのとーり!」
ジェイクィズはぱんっ、と手を合わせてシェスカへと軽く頭を下げた。彼女はそんなジェイクィズを冷ややかな瞳で見つめる。
「ていうか、どうしてジェイクィズも一緒なわけ?」
「そりゃオレ様がちょー有能な傭兵だから、ジブリールが助けて〜って泣きついてきてるのよ。な、隊長」
「使い勝手がいいから呼んだだけなんだがな」
「そうそう頑丈だし」
「ひどっ」
話を振られたサキは溜息をつきながら、ルシフェルは笑顔でないないと手を振る。
「そんなに信用ならない? オレ様って」
「今までの行いのせいよ」
がっくりと肩を落とすジェイクィズに、シェスカの鋭い言葉がトドメを刺した。「あー、はいはい。どーせオレはそーゆー役回りですよーだ」と大の大人がいじけ始めている。残念だ。すごく残念な光景だ。
ヴィルは苦笑しながら、確認するように問いかけた。
「でも、これからは信用していいんだよな?」
「ん、まーな。契約なら守るさ」
前は仕事だったから自分達を裏切ったわけで、彼はちゃんと受けた仕事を守っていただけだ。そのジェイクィズが逆にこちらの護衛の仕事を受けたということは、つまりそういうことである。と、ヴィルは頭の中でそう結論付けた。なんだかんだ言ってそれなりにいい奴(それ以上に余計なことをするのが多くはあるが)なのは、短い旅の間にすでにわかっている。
「よろしく、ジェイク」
ヴィルの言葉が意外だったのか、ジェイクィズは一瞬だけ目を丸くした。
が、次の瞬間には思い切り眉間に皺を寄せて、
「オレ様は契約は守るが、ヤローは守らねえぞ」
と、ヴィルに差し出された手を軽快な音を立てて叩いた。音に対してあまり痛くはない。……これは任せとけ、という彼なりの返事なのだろうか。ジェイクィズは不機嫌そうにそっぽを向いている。
シェスカを見ると、あなたがいいならいいわよ。とでも言いたげに肩をすくめていた。
サキのほうも見てみる。あまり関心がないのか、目を閉じたまま壁にもたれかかっていた。隣のベルシエルがそんな彼の服の袖をちょこん、と摘んでいる。
そんな中、ぱん、ぱん、と乾いた音が響いた。ルシフェルが掌を軽く叩いた音だった。全員の視線が自然と彼に集まる。
「話はまとまったかい? じゃ、さっそく準備しておいで」
色々手配はこっちでしておくから、と優雅にポットから紅茶を自分のカップに注ぎながら、彼は一際にっこりと微笑む。
「期待、してるからね」
ぐらり、と。紅茶の湯気で彼の姿が歪んだ気がした。