白い夢
――白い景色。いつもの夢だ。
狭い路地。降り続く雪。大通りでは、温かそうな格好をした、足早に歩く大人たち。
ヴィルは腹に溜まった重たい気分を吐き出すように、はあ、と息を吐いた。白いそれは、あっという間に霧散して消えていく。 夢なんだからここまでリアルにしなくていいじゃないかと文句の一つも言いたくなる。どうせなら吐き出した息が綿菓子になって飛んでいくとか、そういうのがいい。オレはここから動けないんだから、そのくらいの文句くらい言ったっていいだろう。
そう、動けないのだ。オレは、ずっとここから動けない。
ちょうど、路地と大通りの間、その境界線。オレの足はそこで杭でも刺されてるかのように固定されていて、一歩も動けない。
理由もなんとなくわかっている。『オレ』が動けないからだ。
まだ動かせる首を回して、路地のほうへと目を向ける。オレの隣のすぐ足元に、オレによく似た小さい子どもが、膝を抱えてうずくまっている。寒いというのに、着ているものは薄手のシャツに薄手のパンツ、歳に不釣り合いな革靴。どれも大人用らしくサイズがあっていないのか、ぶかぶかだ。ずっと動いていないようで、髪にも、腕にも、膝にも、かなり雪が積もっている。瞳は虚ろで、何の光も写していない。動けないから、止まったままの小さな子ども。
間違いなく、ヘカテ師匠と会う前の、オレ自身の姿だった。
「さむっ」
ぶるりと身震いしながら、少しくらいはマシになってくれるだろうとフードを被る。寒さまで再現しなくていいっての。
ヴィルはとにかく、この夢が嫌いだった。
あと一歩動けたなら、幼い自分に自らの上着をかけてやることができたかもしれない。
あと一歩動けたなら、大通りに出て、助けを求めることができたかもしれない。
けれど、この足は動かない。
だから待つしかない。誰かがきっと救ってくれると。救ってくれたその人物の登場をただ待ち望むしかない。
そうじゃない。オレは待つほうじゃなくて、手を差し伸べるほうになりたいのだ。いつかこうしてうずくまっていたオレに、手を差し伸べてくれた、彼のように。
ヴィルは嫌に鮮明なこの夢が、早く醒めてくれないかと思いながら、ただぼんやりと、幼い自分と一緒に変わらない大通りの風景を眺めていた。
「……あ、れ?」
足早に歩く大人たち、それから幸せそうに寄り添う恋人たちや家族。それらがせわしなく行きかっている中、さっきまではそこにいなかった見慣れない姿がある。
人混みに流されることもなく、ただ、立ち止まり前を向いている。その人物の顔を見て、ヴィルは驚きの声を上げた。
「シェスカ……!?」
そう声に出した後、いいや違うと、ヴィルは頭を振った。彼女は確かに、シェスカによく似ていた。ただ、髪や瞳の色、纏う雰囲気が全く違う。
雪に溶けてしまいそうな、真っ白な髪と、真っ白なワンピース。身体中に金の蔦のようなものや、白い花が絡みついている。
それだけでも別人であることがわかるのだが、より決定的なのはその瞳だった。真っ赤で、まるで人形のように無機質で。強い意志を秘めたシェスカの瞳とは、似てもにつかない。
シェスカによく似た人物は、ふとこちらを振り返った。ビー玉のような瞳が、ヴィルを写す。
彼女の唇が動く。短い言葉を発している。ただ、その声は聞こえない。
何度も、何度も、彼女はその言葉を繰り返す。ヴィルはそれをどうにかして聞き取ろうと、読み取ろうと、彼女の動きを凝視する。
「……コ……ワ……?」
彼女の言葉を掴もうとすればするほど、視界がどんどん白く染まっていく。見えない。読めない。彼女は何度もその言葉を繰り返す。大切なことかもしれないのに。
「……セ」
最後の一文字を口に出した途端。その夢はぶつりと、千切れるように途切れた。
******
ハッと目が覚めた。勢い良く体を起こす。
「…………壊せ?」
目が覚めたにも関わらずとても鮮明に覚えている、夢。
シェスカによく似た人物は、ずっと「壊せ」と繰り返していた。あの無機質な赤い瞳を思い出す。こっちを見ているのに、何も見ていない、そんな虚ろな瞳。薄気味が悪かった。
「なんだったんだ……? ってか、ここどこだ?」
意識がよりはっきりとしていくうちに、ヴィルは自分が見知らぬ部屋にいることに気付いた。白く塗られた天井や壁。少しだけ開いた窓から入ってくる風で、これまた白いカーテンがなびいている。
かれこれ数年そういった所に厄介になっていないとはいえ、さすがになんとなく察する。ここはおそらく、病院だ。
どうしてオレは病院なんかで寝かされてたんだろうか。記憶を辿ってみる。
確か、シェスカを助けようとして、その途中でセレーネと呼ばれていた少女と出会った。うん、ここまでは大丈夫だ。
そしてアリスやらリーナとかいう二人組を倒して、シェスカやジェイクィズと合流した。そうしたら、パルウァエに来た鎧の男と、やたらやかましい女の子三人組がやって来て、アリスたちを連れて行って、それから――
ぞくり、と背筋に氷水を流し込まれたような錯覚に陥る。
そうだ。思い出した。その後オレは、後ろから何かに思い切り腹を貫かれたんだ。ぼんやりとおぼろげだが、太い木の幹だったような……。
次第に感覚が鮮明になっていく。何かがぶつかる鈍い衝撃、気が遠くなるような痛みと熱。生温かい血がどくどくと流れていく気持ち悪さ。何故だか呼吸できなくて、わけのわからない声になって。脈打つと同時にどんどん体温がなくなっていくあの感じ。
おそるおそる震える手で自らの腹に触れてみる。そこには何もない、平坦な感触。――平坦?
「あれ、オレ、確かに……!?」
ぺたぺたとぶち抜かれたはずの腹を触る。シャツをめくってさらに確認する。もう少し鍛えておけばかっこいいのに、といつも思うあまり筋肉のついていない腹。どこにも傷なんてない。強いて言うなら数年前にうっかり薬品を零してできた、小さなやけど跡があるだけだ。
「夢、だったのか?」
こんなにも、はっきり覚えているのに。あんなに痛かったのに。なんだか納得できないが、
「はぁ、夢でよかった……」
それと同時にものすごく安堵している自分がいた。
しかし、だとすればどこからが現実で、どこからが夢なのだろうか。頭を捻って考えるが、明確な答えは出ない。
「……とにかく外に出るか! これオレの服じゃないよなぁ」
考えても答えの出ない問題は一度放っておくに限る。そう結論付けて、ヴィルは辺りを見渡した。ベッド脇のチェストに置いてあるカゴに、自分の服を見つけた。いつも着替える時の要領で服を広げる。
「おっ、あったあった――――」
いつもの自分の服。しかし、その状態はいつも通りではなかった。そこには。
「――――夢、じゃ……ない」
べったりと血のついた、腹部に大きな穴が穿たれている、自分の服とよく似た、見慣れない服があった。




