第六章 炎導の─── 第一婚約者 参
「この符は布都御魂となりて、豊布都神に感謝と共に贈り返さん。危きに臨めば平常なし能わざるところのものを為し能う。之を天祐という。響け鳴神、其は剣神へ誘う天鵞絨を欺く程の光の導。リアライズ。二重影想 建御雷之男神 夏目漱石!」
以前、氷堂家で防衛した際に落とした神雷。
それを今度は授けられた剣と共に本来の持ち主の元へ返すことで、事が成る結果への強制力を高める。
更に自身の魔王に臨む現状と重ねることで、言葉にも事象にも相互作用を与え、格段に効果を高めた。
神雷を帯びた剣が、引き連れると同時に誘われるように魔王の張った固有結界に干渉──貫き破壊して、中の異空間は秒とかからず現実世界へと戻る。
二重影想により、攻撃の標的を魔王に絞れていたので、その秒もない間に水中を奔った神雷は中の人間には害を与えず、僅かながら魔王の行動を束縛する弊害となる──筈だった。
『愚かな……。外から我に一撃を与えたのは見事。しかし、同族まで攻撃してしまうとはな』
しかし、神雷はミルフィレッタの結界をも破壊し、その余波はクーガーたちリートリエルの術士をも襲った。
「君、は……」
「速く、態勢立て直さない、と……」
「痺れが、出られたのは、いいがマズ……」
その間に、青龍が由紀と魔王を挟んで対極の位置に移動すると、由紀は静かに、そして儚げに微笑んだ。
「ご安心ください」
その蔑みや懐疑に成功を確信して、リートリエルの術士たちに強く印象づくように。
「私がお引き受け致しますから」
ゆっくりと、魔王のもとへ歩みを進める。
リートリエルの面々に背を向けるように。
「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに。リアライズ。二重輝想 喜撰法師 小野小町」
心静かに住んでいるのに、皆さんは私が人々との付き合いが面倒だと思って、そんなところに住んでいると言っているようですね。
桜の花の色が、春の長雨にあたって、随分と色あせてしまったのね。その花の色と同じように、私の美しさも衰えてしまったわ。恋愛や世間の悩みなどに思い悩んでいるうちに。
「しか(然)」は、「このように(心静かに)」の意味。一説では、山奥なので「鹿」に掛けたとも言われる。
「うぢ」は「宇治」と「憂し」の掛詞。
「花」とだけ書かれている場合、古典では「桜」を意味する。「桜の花の色」という意味、ここでは「女性の若さ・美しさ」も暗示。
「世」は「世代」という意味と「男女の仲」という二重の意味が掛けてある掛詞。
「ふる」も「降る(雨が降る)」と「経る(経過する)」が掛けてあり、「ずっと降り続く雨」と「年をとっていく私」の二重の意味が含まれている。
「眺め」は「物思い」という意味と「長雨」の掛詞で、「物思いにふけっている間に」と「長雨がしている間に」という、こちらも二重の意味。
そして「たつみ」は東南の方向で、昔の日本では方角を十二支で表していた。東南は辰と巳の方角の中間にあたる。
リヴァイアサンは鰐とも鯨とも海蛇とも言われる存在。
更にまだ、神雷の効果である天鵞絨を欺く程の光の導は残っている。
輝想によって本来の意味を一部逆転させた術が、二重を重ねに重ね、更にこの空間にいる相手の言の葉を言霊とすることで効力を増大。
皆さんの蔑みや懐疑の言葉を言霊として力に変え、色あせる前の姿へと戻す。疑念や痺れなどで思い悩んでいるうちに。
故に構築されるのは、不可避の固有結界。
本来ゼルメスのものだったその破壊された結界は、由紀の術によって逆再生されながら由紀の術として、青龍と由紀の中間にいるゼルメスを中心に再構築される。
その水で満たされた固有結界内にいるのは、ゼルメスとリンクの切れた由紀に召喚された十二天将のみ。
由紀は攻撃を失敗してなどいない。
由紀は最初からリートリエルには外れて貰うつもりだった。
魔王討伐。
欲しいのは、単独でそれをなしたという証。
その機会を狙っていた。
早期救援、或いは救出が好ましい状況。
結界を破壊するために大出力が必要であり、多少中に影響が及んでも致し方ないこの状況は言い訳も可能で、とても都合がよかった。
魔帝や魔神の単独撃破などは、あり得ないと言っていい。
であるならば、3人で一日の魔王討伐数世界最高を誇る夫を持つ妻として、魔王単独討伐を成しておけばこれ以上ない強みになる。
結も確かに強いが、魔王を討伐できるまでの強さとなると仲間ありきの感は否めない。
単独での魔王討伐は今後も厳しいだろう。
術士として、やはり単独での強さも見られるのは避けられない。
だからこそ、第一婚約者、正妻としての地位は確実で盤石なものとなる。
そして何より、魔王を単独で討伐できる程に優秀な遺伝子を、愛する誓に捧げられる。
誰よりも、由紀が誓にとって一番最適な母体となれる。
(ああ誓様。由紀は早くあなた様によりご満足頂けるこの身、この想いを捧げとう存じます)
無論、相手は魔王、単独討伐を成すのは困難を極める。
だがゼルメスは固有結界を張り、環境を有利にした上で戦うタイプ。
そこを潰せれば、地力は他の魔王ほどにはないと、由紀は判断した。
仄暗い水底で、ゼルメスと対峙する由紀。
水中でも空中でも自在に動ける魔王相手に独り挑む少女。
狂気の沙汰とも思える戦いが始まる──。




