第六章 炎導の─── 陸
最強の生物と言えば何を思い浮かべるだろう──。
二次元を含めるなら、龍や高位次元存在などがお馴染みだろうか。
それらの中でもより高位の者は得てして、人間の形に変化することが多い。
これには物語的な都合もあるだろう。
しかし、その根底には人間が優れているという無意識の驕りがある──。
──そう、魔王ゼルメスは思っている。
だからと言って、ゼルメスは何も人型を否定している訳ではない。
表面上、地球の大部分で覇権を握っているのは人間だ。
これには幾つか理由があるが、一番はやはり、多くの魔帝にとっては広い土地を支配することへの興味が薄いという点だろう。
何せ彼らは生物の格付けで最上級に位置する存在。
欲しいと思ったら、そこが誰の土地であろうと強引に奪える。
つまり、要所は別として、日頃から広い範囲を支配しておく必要性を感じていないのだ。
魔帝クラスにもなれば、空間魔術である程度好きに弄れることもそれに拍車をかける。
結果としてだが、地球上の多くを支配しているように見える生物は人間となり、相応に優越感を得ることは何もおかしくない。
だがそれは、ゼルメス自身に敵対するという事態に当たっては酷く──、嘆きたくなる程に酷く滑稽で無様に映る。
『脆い、あまりに脆い。人の器は弱点が多過ぎる。海を渡り、空を飛び、星の彼方へ飛び出そうとその身は脆弱なまま。だからこうなる』
水中を漂う幾つもの骸。
人は、特に水中では、別途酸素を用意していないと生きられない。
術士であれば一般人よりその辺は強いが、大前提は変わっていない。
しかも酸素は火にとっても重要なファクター。
故に、もし世界が水中に没したとすれば、途端に世界は一般人のみならず炎術士へも牙を向く。
逆に、もし世界から水が消えたとすれば、途端に世界は海洋生物へと牙を向けるだろう。
ゼルメスの魔術はそうした両極端の世界を創り上げる。
所謂固有結界というものだ。
突如、水中に没した世界。
シャチの姿であるゼルメスは、その中を正に水を得た魚のように泳ぎ回る。
かと言って、固有結界を解けば陸に上がった河童になることもない。
空中だろうと問題なく泳げる。水中であればその動きがより顕著となるだけ。
詰まる所、ゼルメスは陸海空──より正確に言うなら海空だが──に対応した存在なのだ。
それ故、ゼルメスの敵は少ない。
殆どの相手は戦場を水中か空中にしただけで、勝手に自滅する。
両方で自在に動き回れる存在がまずいない。
尤も、ゼルメスの固有結界では地面は変わらずあるので、水陸両用であれば空中がダメでも戦闘は可能だ。
ところで、リートリエルの術士たちは人間である。
事前準備もなく突如水中での戦闘行動を余儀なくされては、活動は数分が限度。
結界を得意とする者が創った空間を頼りに、何とか緊急避難と継続戦闘を可能にしても、その空間──多少意味が異なるが以後橋頭堡と呼ぶ──を守ることで手一杯でとても現状の打開には繋がらない。
突然世界が水中へと切り替わる事態に、橋頭堡へと辿り着く前に倒された者も少なくない。
水上から水中の敵へ攻撃を仕掛けるならともかく、水中から攻撃を仕掛ける状況は完全に想定外。
力を十全に発揮することは叶わず、劣勢も劣勢、ゼルメスがその気になれば今にも消えてしまいそうな灯たち。
(これは流石にチェックメイトか。割と悪くない配属だと思ったのにな)
そんな中に、クーガーはいた。
フィリエーナたちと離され、別のチームでサポートに徹していたクーガー。
周りはお家騒動には我関せずな者や、どっちつかずな者が多い納得の人選で、雰囲気はそこまで悪くなかった。
「やっ、クーガー、君も焙り出されたクチ?」
「酷いな。俺ほど任務を忠実にこなして来た奴も、そういないと思うよ」
馴染みの術者と、そんな軽口も行われていた。
それが今や、状況は最悪。
運よく橋頭堡に辿り着けはしたが、酷く劣勢なのは火を見るより明らかである。
「やっ、クーガー、君は早くも諦めたクチ?」
「……酷いな。俺ほど任務を忠実にこなして来た奴も、そういないと思うよ」
状況は確かに最悪。
だが、まだ終わっていない。
終わっていなければ、逆転の目はある。
ここはリートリエルの本拠地、周囲は所属勢力に目を瞑ればクーガーにとって味方だらけだ。
冷静にこの橋頭堡を築いてくれた馴染みの術者である彼女──ミルフィレッタをサポートし、事態の打開を待つ。
(ちょっと格好悪いかな。でもこれは戦闘だ。自分一人で全てこなす必要はない。少なくとも、そんなクレイジーな役割は俺の担当じゃないさ)
戦線を支えるのも立派な役割。
「グローリー。行くよ、その名を掴むために」
水中を泳ぎ暗い影を差す魔王ゼルメス。
水底に沈むのが先か、光が射すのが先か──。
今にも恐怖と絶望、そして諦念に溺れてしまいたくなる防衛戦が、魔王の結界内で始まった。




