第一話 日溜まりの笑顔 第三章 異端
「…………。……様…………さい」
「ん……。紗希? 悪ぃもぅ少し……」
昨日は色々あったせいでまだ眠い誓は、自室のベッドの上で寝惚けながら睡眠の延長を妹に申告する。
割と凶暴な愚妹で、少なくない頻度で暴力を受けるが仲は好い方だと思う。
未だにお兄様と呼んでくれる辺りも照れくさい反面、少しは尊敬されていると感じられて嬉しくもあった。
「……、はい」
珍しく聞き分けの良い妹は、そう返事をすると静かに誓の部屋の中を動きながら、誓が学校へ登校するための準備を整えていく。
半ば眠りながら、火の術士としてその心地よい熱を感じる誓。
側に居る者に緊張感を持たせない柔らかな足取りに、朝の穏やかで清々しい気を乱すことのない静かな動き。
隠蔽しつつ少量の妖精を召還していたのか、枕元に舞い降りた花弁からは、安眠を誘うかのように僅かに香るアロマ。
あの多少の可愛さに活発という言葉だけがぴったりな妹も、いつの間にか成長したものだと次第に晴れて来る頭で考える。
その成長を眺めるのも一興かと、寝惚け眼を薄く開けばそこにはいつもとは違う綺麗な長い黒髪を世界に流し、不思議と惹き込まれる澄んだ紫紺の瞳の先の、十段階も成長した色気溢れる胸元で今日必要な書類を整え、適度な肉付きが柔らかそうで、この目線からだと張りと艶のある白い太ももまで真新しい高校の制服のスカートから覗かせ、活動的な妹とは似ても似つかないお淑やかでたおやかな深窓の美少女が──
「って、由紀!? 何してるんだ!?」
途端にばっちり目も頭も覚めた誓。
誓の部屋で甲斐甲斐しく努めてくれていたのは妹ではなく、炎導家とは先々代の頃より関係を深めている児玉家からの客人であり、児玉家直系の娘でもある児玉由紀その人だった。
真新しい制服の胸元のリボンが豊かな隆起に沿って上を向き、腰近くまで流れる二本の足の部分はボディラインに沿わずにひらひらと揺れている。
ぶっちゃけ、その部分にコンプレックスを抱く女性たちに恨まれそうな色気を醸し出しており、誓の視線も一度はそこを意識的に通過してしまうのを避けられなかった。
(召還技術と香りの時点で気づけよ俺)
香りは木の妖精術士が得意とする分野である。
火の妖精術士でも全く使えないということはないだろうが、断じて凶暴な妹ではあり得ない。
「おはようございます誓様。もうそろそろ朝食の時間ですから身支度の方をお願いします。登校に必要な書類の方はお鞄に入れてありますので」
「あ、ああ。おはようと、ありがとう」
心を洗われるような微笑と共に向けられた爽やかな挨拶と気遣いに、つられて返してしまう誓。
「じゃなくてだな」
「紗希ちゃんでしたら希吾ちゃんと一緒に今日はもう美容院の方へ出かけていますよ」
「そう言えばそうだったか……ってそれもそうなんだが、そうではなくて……」
妹たちが生徒会役員として入学式へ臨むために美容院に行く話を思い出しながら、誓は話題の軌道修正を図ろうとする。
「ぁ……。その、何か至らぬ所がありましたか?」
不安の吐息を漏らし、脅えた表情で上目遣いに問い掛ける由紀。
「いやいや、由紀は至らぬ所を探す方が難しいから気にしないで。単に俺が勘違いして恥ずかしかっただけだから」
(つーか、片手を胸の上に置いた由紀の上目遣いは反則級だから止めてくれ)
「そんな、誓様にそこまで言って頂ける程では。でも嬉しいです。もし誓様に嫁ぐことになっても恥ずかしくないよう、これからも尽力しますね」
「っ」
華やぐような由紀の笑顔が、誓には痛々しく感じられた。
由紀の婚姻話は政治的なものが多分に含まれる。
俗に言う、二流落ちとなった由紀。
本来、妖精術士は長い鍛錬の結果として妖精具を創ることで、二流の仲間入りを果たす。
だが、実力的にはそのラインに到達していないにも係わらず、命の危機に瀕した場合などの緊急時に、予期しない妖精具を創ってしまう場合がままある。
そうした実力不足で妖精具を創ってしまった術士は、二流に上がったという意味ではなく、落ちた所が二流だったという意味で、二流落ちと呼ばれる。
こういった現象は、主に術士の家系でない者に多い。
基本的に、一人の術士が創れる妖精具は一つだけ。
自分の特性に合わない妖精具を創ってしまったとしても、変えることは出来ない。
それでも、由紀が攻撃型などのシンプルな特性であれば、特に問題はなかった。
だが、由紀の特性は特異型。
攻撃・防御共に適性値40%という、特異能力を活かせなければおよそ戦闘には向かない特性である。
本家の人間でありながら分家に戦闘で明らかに劣るようになった由紀は、妖精術士として本家での立場が無くなってしまう。
由紀にとって救いだったのは、児玉家が妖精術だけではなく陰陽術をも扱う点だった。
とは言え、メインはやはり妖精術。
どうしても立場の悪さは否めずに、心無い者たちからの誹謗中傷を受ける日々が続く。
なまじ、陰陽術の才能が特出していただけに、唯一の欠点とも言える妖精術への批判がより強まった。
そんな由紀を心配した兄が、由紀を児玉家から外へと解放するべく動き出す。
結果として、それは半分叶えられ、半分叶わなかった。
本家の直系として陰陽術の扱いにも長けた由紀は、表向きはサポート要員として炎導家に身を寄せる。
だがその実は、現状の実力はともかく妖精術士として高い潜在能力を持つために、誓の嫁候補として本家に推された形だった。
木生火。
二流落ちと悪く言われるが、妖精具がその後も役に立つ場面が少ないだけで、それだけセンスは高いということである。
現在の最大妖力値も晩成型である木の属性としては高く、将来的には十分。
総合的に考えれば高い潜在能力を持つ木の妖精術士である由紀は、火の妖精術士を産む母体として最適であると。
既に伴侶をもう一人得ることを、公的に許されている誓の下へ。
だから、誓は由紀の行為を素直に受け取れない。
これは由紀自身が選んだものではなく、選ばざるを得なかった故のものであると分かっているから。
「……ああ。その時は、俺も由紀を幸せに出来るよう力を尽くすよ」
そしてだからこそ、二人の関係が決してそれだけにはならないようにと願う。
恥ずかしくはあったが、少なからず小さな時から面識があった相手でもあるし、ここは少しくらいプライドを張ってもいいだろう。
術士としては誓にも一丁前の自負があるが、男性としてとなるとまだまだ半人前もいいとこ。
その点、妖精術士としては落第の烙印を捺された由紀だが、女性としては合格の判が目白押しになること間違いなし。
なので、年頃の男の子としては、せめて気持ちだけでも強く示しておきたかったのである。
「ぁ……、はい。嬉しいです誓様」
先程とは違い、幸せそうな吐息を漏らし、蕾が花開くように微笑んだ由紀。
この子を幸せにしたいと、誓は素直に思えた。