第四章 宣戦布告 肆
「あと必要なものは、リートリエルとの交渉材料か」
(戦力でどうこう出来る問題じゃないし、これが一番ネックかもな)
資料を結に渡し、考え込む誓。
「スルーザクラウドルの手持ちを当てにするのは避けたい所ね」
コーヒーを飲みながら環も難しそうな顔をする。
「日数も経っています。下手に時間を掛ける訳にもいきません」
日本を出てもうかれこれ一週間程。
時間的猶予はない。
「懐厳しいけど、一応、あそこにも聞いてみるか」
藁にも縋る思いで携帯を取る。
「はい。どのようなご用件でしょう?」
気の強そうな凛とした女性の声が、誓の鼓膜を震わせた。
普通はあるだろう、こちらは誰それといった文句を省いた対応。
ここで見当違いなことを言えば、そこで通話は終わってしまう。
「マロンさん。ちょっと聞きたいんだけど、アメリカのリートリエル家に一つ要求を飲ませられる情報なんて依頼できたりするのかな?」
だからこちらがそちらを知っていることと、仕事の依頼について尋ねた。
情報屋 棚から牡丹栗。通称マロン。
ぼったくりを思わせる名前に違わず高い金を取るが、仕事は棚から牡丹餅的なプラスαまでしてくれる凄腕の情報屋だ。
電話口に出るのはいつもこの女性──誓はマロンさんと呼んでいる──だが、経営は一応複数人によるものであるらしい。
「……」
(やっぱり、日本を拠点としている筈だから、アメリカについては守備範囲外かな)
珍しく返答に間があるので、そんなことを考える誓。
「日本国外についても時間さえ貰えるなら調べてあげるけど、この時期にリートリエルということは急を要する案件だったりしないかしら?」
だが予想に反して、二重の驚きが誓を襲った。
「流石だ。ああ、出来れば急ぎで、明後日の昼までには受け取る形でお願いしたいんだけど、やっぱり厳しいかな?」
「そうね。一日二日でとなると……有効な情報として不確定でもいいっていうなら手を打てないこともないけど」
「今は少しでも有利な情報が欲しいし、この際贅沢は言わないよ」
(というか、言えない)
誓は内心悪い気しつつ、あまり下手に出過ぎて物足りない情報を渡されても困るので加減に気を遣う。
「オッケー。情報屋としては少し問題だけど、そういうことならとりあえず一人貸すから、取得予定の情報料込みで今日から三日間日給一本でどう?」
(一人、貸す? 情報屋 棚から牡丹栗の社員か実行部隊員か知らないけど、そんな凄腕をレンタル出来るなんて。三日の内、二日は半日みたいなものだから実質二日で三百万円だけど、マロンさん側の人間を知れるのは大きいか?)
「……分かった。それじゃ、いつものトコに前金を送るから」
そうして一度通話を切り、前金の五十万をサクッと送金する誓。
間を置かずに掛かって来た電話を取る。
「入金を確認したわ。それじゃ、後は彼──スピードベイビーに言って」
そうしてあっさりと通話を切られた。
「え、スピードベイビーに言ってって連絡先は!?」
思わず切られた電話に向けて声を大にしてしまう誓。
「連絡なら君が声に出してくれればこっちで勝手に拾うから、悪いけど連絡先の交換は出来ない」
「「「「!?」」」」
唐突に部屋の中に現れた、ランニング姿のようなハーフパンツにパーカーといった格好の少年。
「コイツ。いつの間に」
特に動きは見せないものの、拓真が青年をしっかりと睨みつける。
「初めまして。内藤翔だ。仲間内ではショウかスピードベイビーって呼ばれてる。ショウでもスピードベイビーでも好きな呼び方でいいよ」
幾種もの視線に晒されながら、翔が気さくに自己紹介をする。
「空間転移。魔術士ね」
「正確には君と同じく精霊術士兼魔術士だ。尤も、精霊術の属性は風だし守護精霊も持ててない三流だから、魔術がメインで精霊術はサブのサブもいいとこだけどね。それと、空間転移が可能イコール魔術士というのは些か早計だよ。まあ僕については当たってるけど」
最近由紀にお株を奪われた環が押し黙る。
消費や速度を考えると、完全に上を行かれた訳ではない。
普段の使い道で考えても、環の方が需要は高いだろう。
しかしそれでも、唯一でなくなったのは結構な痛手だ。
(誓くんへのアピールポイントが。ホントやってくれるわ)
「三流の風使いだからスピードベイビー?」
環が由紀に対抗心を燃やしている中、結が顎に人差し指を当てつつ首を傾げて尋ねる。
「まさか。これでも速さにはそれなりの自負がある。身体強化魔術に時の魔術、空間魔術に概念魔術を併用することでね」
「何となく想像は出来ますが、具体的にどういうものか聞いても?」
「構わないよ。身体強化魔術で己の速度を上げる。時の魔術で所要時間を操作する。空間魔術で対象との距離を操作すると同時に場合によって足場を作成。概念魔術で他人や事象などの他よりも己の行動を優先する。速さってのは距離と時間で求められ、何かと比較されるのが常だからね。その四つを掌握することで圧倒的な速さを作っているのが僕の魔術だ。一応、相手の思考力を鈍らせる魔術なんかも同時に使えるけど、好きじゃないからあまり使わない。これら一つ一つの練度はそこまで高くないし、無効化魔術や対無効化魔術も一枚か二枚張れる程度だからね。それでベイビー」
由紀の問い掛けに隠すことなく手の内を晒す翔。
「は? アンタ、何言ってるか分かってるの? そんな超難度の併用魔術、他に出来る人間なんて世界中探したっていないわよ。ベイビーどころの話じゃ……」
「ベイビーさ。力の発現する方向自体は僕のものでも、この力の殆どは借り物だからね」
環がやや疑念を込めた目で見るも、翔はあっさりとした自虐で返す。
「借り物?」
「そこは企業秘密。ともかく、今回はあくまで君たちの情報集めのお手伝いだから、仕事以外の荒事は避けさせて貰うよ。まあ、先の七つの魔術を併用すれば、戦闘行為は大概避けられるだろうけど。短期間でいい情報が見つかるかは運かな。あっと、手は抜かないからそこは信用して。僕としてもリーダーには怒られたくないしね」
気になって折角だしと踏み込んだ誓だったが、そこは流石に伏せられた。
「それだけ使えるのに怒られるのが怖いって?」
そんな中、ごく自然体で挑発的な言葉を放つ拓真。
「そりゃね」
(こういう時は使えるバカ拓)
翔が口を開いたのを見て、心の中で美姫が毒を吐く。
依頼者に手の内を晒しつつも大事な所は伏せて警戒する中、拓真のような探る気のない素の反応は何かと引き出しやすい。
「幅広く使えるリーダーより尖った僕の方がまだ魔術の腕は上だろう。だけど、リーダーにはヤバい術に関してのアンチマジックが軒並み施されてる。時の魔術や攻撃的な空間魔術なんかは魔力を無駄に消費して不発するのがオチさ。その上、リーダーは陰陽術の才能もそちらのお嬢さん程じゃないけどあるからね。術強化することでかなりの力を発揮する妖魔も一体、ペット扱いで従えてるし。最悪意識を逸らそうにも、術的な精神・記憶操作の類さえ無力化してしまうリーダーの前じゃ火に油を注ぐだけ。そして何より─―」
「何より?」
急に深刻な表情となる翔に、真剣な面持ちで促す誓。
「リーダーの妖精具は鞭だ」
「……え?」
聞き間違いかなと誓は疑問で返した。
「気の強い女性に言葉巧みに罵られながら鞭で叩かれてみろ。その気がなくてもそっち方面に目覚めかねない。いや、僕は見たんだ。実際に目覚めて馬車馬の如く使われながら、それでも叩かれて恍惚としてしまってるいい歳した大人たちを。男女共にだぞ! 僕はあんな未来絵図は絶対に、絶対にゴメンだ!」
「「……」」
この世の終わりとばかりに翔が叫ぶ。
ギャラリーは置いてけぼりである。
「ふぅ、すまない。僕としたことがあまりの恐怖に取り乱してしまった。明のように冷めた表情で動じないようにしないと……いや、戒さんのように異質な状況でも朗らかに対応出来るのが理想か。っと、これはまたすまない。それじゃ、僕は早速仕事に入らせて貰うよ。幸運を」
言って、これから使うとばかりに誓たちの目の前で魔力を見せ、忽然と姿を消す翔。
「なんつーか……」
「言うな拓真。彼があまりにも不憫だ」
(それにしても魔術に陰陽術、そして妖精術の複合術士か。妖精術は分からないけど、魔術や陰陽術の腕はかなりのものだろう。先天的な才能という意味ではここにいる面子も結構なものだけど、恐ろしいな)
妖精術と精霊術の2つを使う誓。
同じく妖精術と精霊術の2つを使い、しかも希少型のセラフィ。
妖精術のみだが、二連妖精具使い、所謂ダブルキャスターの拓真。
精霊術でダブルキャスターの素質を持っていた、希少型の結。
精霊術と魔術の2つを使う環。
妖精術と陰陽術の2つを使う由紀。
何れも粒揃いの中、マロンは3つである。
一応、翔の精霊術のように、妖精術の才能が低い可能性もあるが。
(とは言え、俺たちとそう変わらないだろう年齢で妖精具を具現化しているということは、凄く低いなんてこともないだろうし。参ったな。日本なんて小さな島国もいいとこなのに、俺たちとそんな変わらない歳で、まだそんな凄腕がいるなんて)
「かい……、戒?」
「何だよ美姫。知ってんのか?」
美姫の呟きに、一番近くにいた拓真が反応する。
「ん。呼び名がかいなんて割とあるから違うかもだけど、確か少し前に魔神側に寝返った20代の土の国内ランカーがそんな名前だった。お家に使い潰されるとこを、そっち側の術士に助けられて引き抜かれたとか。日本で魔神って言ったらあの二人だし。他に出来る人間なんて世界中探したっていない超難度の併用魔術を可能にする程の力を貸せる存在なんて、他には考えにくい」
「……確かにな」
美姫の話に頷く誓。
実際、由紀も紅雪の椿姫の力を借りることで、複数人の遠距離空間転移を可能としている。
「碧き光夜、ね。ま、今は考えなくていいんじゃない。そもそも魔神なら、味方じゃないけど敵対してる訳でもないでしょ」
「そうだな」
答えながら、誓は以前、マロンに依頼しようとした時の会話を思い出していた。
『私が教えられる範囲でなら教えてあげる。──士とは、両方の術を行使できる術士ではなく、実際は両方を一つのものとして扱うことの出来る者の呼称。それ故、妖精術の優劣関係を精霊術に反映させることや、逆に精霊術の優劣関係のない特性を妖精術に反映させることが出来る。そして、妖精術士に妖精具、精霊術士に守護精霊があるように、──士には創世があるわ。情報料? いらないわよ。知ったからって、どうにか出来る問題じゃないもの。それ程までに、人間側でまだ誰も到達できていない程に、一般の術とは次元が違うのよ。でもね、あなたは幸運にも、そこへ至るための切符を持って生まれた。その幸運を、決して手放さないで』
(人間側で……か。妖魔側からもアレに関する情報なんて聞いたことがない。まあ、マロンさんの言うように次元が違うのなら、それこそ魔帝や魔神クラスの話になるんだろうし、おかしくはないかもだけど。でも、だとすれば人間に絞った情報を売るマロンさんが何故知っているのかという疑問はあった。マロンさんが碧き光夜と紅雪の椿姫に近しい間柄なら辻褄は合うけど、考えたくないな)
とにかくこれで後は勝つだけと、誓は顔を上げ、頼もしい仲間たちと明日のリヴェンジに臨む。




