第三章 一石二鳥 肆
頭上からカランカランと小気味好い音が導くように木霊する中、術を解いた誓と由紀は店の中に足を踏み入れる。
「少し冷えますね」
「そう、だな。前はもう少し暖かかった気がしたけ、ど──」
前回との違いに警戒を強めながら前方を窺った誓は、そこに見えたものに動きが止まった。
「誓様?」
「あら、いらっしゃーい」
その誓にかけられる二つの声。
「あの、椿さん? つかぬ事をお聞きしますが何をしていらっしゃるのでしょうか?」
未だ事態を受け止めきれないでいる誓は、事実確認を取るように尋ねた。
「? 何って、見て分からない? 炬燵に入ってテレビ見ながらぐだーっと気を抜いているのだけど」
明らかに店の外見を超えてドーム状に広がる内部を、本棚がこれでもかと埋め尽くしているその中心。
そこに置かれた大き目の炬燵に、東北や北海道の冬に見るような、温かそうな寝間着を羽織って入り、ぬくぬくと陣取っている女性。
テーブルの上に頭を乗せる形で上半身を預けてポケ~っと、一冊の浮いた本の上に更に浮いたまま何故か動いているテレビの映像を眺める幾分日常的な光景。
一体、誰が信じられるだろう。
この女性こそが、五大魔神第二位を冠する紅雪の椿姫などと。
「返せ、俺の緊張を! 前回の如何にもな威厳は何処行った。これじゃただの昼下がりの主婦じゃないか!」
「主婦だけど?」
ニッコリ笑顔と共に、誓を中心として急速に冷え込む気温。
「そ、そうですね。申し訳ありませんでした」
炎術士である誓をして骨まで凍る程の寒気に、すぐに頭を下げる。
その対応に満足したのか、それとも最初からすぐやめるつもりだったのか、周囲の空気が元に戻った。
「初めまして碧の御方様。児玉由紀と申します。先日は泉白鶴のおかげで命拾いしました。本当にありがとうございます」
まだ少し冷気から抜け切れていない誓をあんじ、周囲の気温以外に影響のなかった由紀が挨拶を行う。
「どういたしまして。あら? ……あなた、残ってるわね」
「? 残ってる、ですか」
「いいえ、気に留めてもいいけど、別に気に病むようなことじゃないわ。まだ時じゃないのでしょう。可愛いお嫁さんね。気兼ねなく椿さんと呼んでくれていいのよ。何でもありな所だけど、ゆっくりしていって」
由紀の挨拶に気をよくしたのか、上機嫌で二人を炬燵に招く紅雪の椿姫。
椿が空いている片手を振ると、テレビが本の中にしまわれ飛翔して、勝手に本棚へと収納された。
にっこりと微笑む五大魔神第二位に、誓は何でもありってっと心の中でツッコミを入れながら、お言葉に甘えることにする。
由紀も碧き光夜の奥方を前面に出して対応することで場を取りなすつもりが、可愛いお嫁さん発言で逆に絡め取られてしまった。
赤く染まった頬を隠すように俯かせて、誓の後に続く。
三人で炬燵に入り、何処からともなく出された緑茶を啜る。
(美味い。普通に考えたら妖魔の出したお茶なんて飲めないけど、実力があまりに隔絶しているせいで変な危惧を抱かなくて済むな。あったけー、五臓六腑に染み渡るな)
「それで、今日は何を探してるのかしら?」
煎餅や焼き菓子、王道の蜜柑を囲いながら、世間話に興じる気軽さで椿が口を開く。
「ええと、そんなに高性能じゃなくていいので、手頃な値段で情報収集に適したものがあれば有り難いのですが」
「情報収集ねぇ。幾ら性能がイマイチでも千里眼系を男性に渡すのは躊躇われるから……。それ以外で高性能じゃないもの、高性能じゃないもの……。そうね、こんなのでどうかしら?」
椿が右手の手のひらを上にすると、そこへ一冊の本が飛んで来る。
本は手のひらの上で浮いたまま勝手にページが開き、そこから黒のアイガードが出て来て宙へと浮かび上がった。
「死炎のアイガード。効力は単純に時間停止活動のみだけど、その辺の術士じゃ対策らしい対策もしてないでしょう。時間操作系は一般的な術とは格が違うから少しくらいの無効化も何のそのよ。大喰らいという欠点はあるけど、使える者ならお手軽で扱い易い筈だわ。発動時限定だけど、自分が手を触れた相手にも術が共有可能だから、潜入や情報収集には持って来いでしょう?」
「…………それは、いいですね」
(え? これで高性能じゃないの? 俺の感覚がおかしいのか?)
そう思って隣にいる由紀の顔色を窺う誓。
その由紀の顔のみならず動作までもが、完全に凍り付いていた。
(ああやっぱり俺がおかしいんじゃなくて椿さんがおかしいんだな。よかった……じゃねええええ!! 共有可能な時間停止が高性能じゃないお手軽扱いって、誰か嘘だと言ってくれ)
「でしょう。ただ、人間だとほぼほぼ共有可能数が二人までに限定されてしまう点。それと一定の霊質が溜まっていると、自分以外の時間操作系の幾つかにも自動で反応してしまうのが難点と言えば難点ね。でも時間操作のビギナーには有効な筈よ」
前回訪れた際は、最早定番のオチとも言えたデメリット。
そのデメリットも、誓たちビギナーにとってはメリットでしかなく、高性能振りに拍車を掛けるだけであった。
「椿様。参考までに、時間操作で高性能なものを見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
硬直を解いた由紀が、椿の手札を窺う伺いを立てる。
「あら? そっちに興味あるの? フフ、いいわよ。そうねぇ、これなんてどうかしら?」
死炎のアイガードを浮かばせる本を炬燵の少し上空へと追いやり、新たな本を呼ぶ椿。
そこから浮かび上がったのは、禍々しくも清廉で、見た者にこの世の全てを斬り裂くのではと思わせるような凄みを持つ、神々しい程の鎌剣だった。
「時流転神殺。時間の停止、倍速、減速、追加、移動、消去。これ一本で一通りこなせちゃう便利道具よ」
その神話級の武器を便利道具扱いで、空中でクルクル回して見せる主婦。
包丁の実演販売をするが如く、持ち上げた蜜柑の皮をゆっくりと、されどどう見てもコマ落としや早業に見える形で剝いていく。
尤も、得物は空中で回っているので、剝いているのは素手だが。
その蜜柑が一つ剝き終わったと思ったら、いつの間にか、誓たちの目の前にも一つずつの剝き終わった蜜柑が置いてあった。
そう気づいた次の瞬間には、隣に半分に切り分けられた蜜柑の大福。
炬燵の上の蜜柑の数が減っているということは、これも今しがた作ったのだろう。
「ありがとうございます」
その気になれば、誓たちをも同じように料理できる現状に、さしもの誓も肝が冷えた。
「ただ、過去や未来への移動や消去に関しては、私や私の旦那様は勿論、二大魔帝もそれなりに対策を講じてあるから使おうとしても使えないでしょうけど、それ以外は特に問題なく使えるわ。どうしてその他が制限されていないかは大体理解できるでしょうけど、一応説明しておくわね」
コホンと、椿が長くなるから飲み食いしながらでいいわよ、と間を入れてくれる。
口に入れた蜜柑の大福が美味い。
「少なくとも私なら、例えあなたたちがその能力を使ってもそれ以上の効力を発揮すれば無意味にできるから。つまり、力ずくで抑えられる以上、制限するのではなく日常的に利用可能にすることで、利便性を高めているの。今この時間が延びたらと思うことは誰でもあるでしょう? 仮に一日に2日分の鍛錬を積めれば、それだけ強くなれるものね。単純に成長を時間進行によるものと考えた場合、一日の鍛錬時間を減速及び追加、自身の成長速度を倍化、成長効力切れまでの時間を停止及び減速、更に追加したとしましょう。それら全てが2倍だった場合、一日で普段の64倍の成長を可能にできる。勿論、あくまで理論上、計算上の話よ。知っての通り、妖精術や精霊術には一日での成長限界、年齢限界が定められているわ。つまり、その前提を先に覆しておかないと、いくら成長効果を上げようと無意味になる訳ね」
そこで察しの悪い生徒に気付かせるように、意味ありげな視線を誓へと送る椿。
バレバレかと、図らずも以前懐いた疑問の答えを示された誓は、頭を下げた。




