第二章 婚約騒動 陸
誓たちの期待に反して、次の日も、そのまた次の日もフェリエーナは家庭の事情で登校してこなかった。
翌日、案の定登校して来なかったフィリエーナの空席に痺れを切らした誓たちは、昼休みに集まると担任の蘭華に何か聞いていないかと職員室で詰め寄る。
「う~む、学校側として個人情報を漏らすのは良くないのだが、友人が心配して聞いて来たのでは教職者として教えない訳にもいくまい」
気が進まないといった風体で、されど何処か待ってましたと食い気味に椅子に座ったまま身体の向きを変える蘭華。
「実はだな。フィリエーナは向こう、つまりアメリカの学校に学籍を移す準備中なのだ」
「そんな。フィリエーナさん転校しちゃうの? 本当に?」
「本人はなんと言っていましたか?」
フィリエーナはどう考えているのか知りたいと思った誓が尋ねる。
「それが本人とは話せてなくてな。私も担任として本人の意思を確認したかったのだが、どうやら向こう側はそうさせたくないようだ」
困ったものだと蘭華が愚痴る。
「向こう側、フィリエーナの両親ですか?」
まさかそこまでとは思っていなかった誓は、徐々に高まり積もっていく嫌な確信の壁の全容を知るため、それでも言葉を重ねる。
「だったら私もまだ納得出来たのだがな。残念ながら私が会話出来たのは両親ですらない。リートリエル家という保護者代理人だよ。全く、私の生徒を政治の道具扱いとは。ムカついたからフィリエーナの学籍は出来る限り長く残すつもりだ。まあ私に出来るのは書類のやりとりを期限ぎりぎりまで遅らせることくらいだがな」
「政治の道具?」
「な~んか嫌な予感しかしない響きね」
「まあ大方結婚や婚約でしょう。相手は?」
希の予感を鈴木が推測に変え、半ば確信しながら先を促す。
「土のケイオストロの者だそうだ。最近、水のシャリオットと風のキエウセルカが同盟を結んだことは知っているか? それでリートリエルも焦っているのだろう。しかし、そこはアメリカの名家同士。今回の婚約では魔王討伐メンバーである実績以外に、相応の場所に通っている者という条件まで必要らしい。随分と見下してくれたものだ」
「魔王討伐メンバー」
「ああ、向こうの相手はそれ程大した者ではないぞ。私は少し調べただけだが、魔王討伐の際の主要三チーム、そのサポートチーム六つ、それらを指揮したチームメンバーの一人……と言えば聞こえはいいが、指揮した場所は戦闘区域から遠く離れた安全地帯で、詰まる所、ゴーサインを出して後は吉報待ちだった当主の傍にいただけだからな」
「何それ。詐欺じゃないの?」
そういう裏事情には疎い慧が、素直な疑問を零す。
「場合によっては後方での連絡役が重要な時もある。だから向こうがメンバーの一人と言えばそれまでだ」
「先生。その期限というのはいつなんですか?」
「ふむ。まだこっちの送った書類がやっとアメリカに渡り始めた頃だろうから、それが返って来てもう一度送ってとなると……、後八日から十日くらいか。向こうが急かさなければ二週間はいけるかもしれないが、何かしたいなら八日を目安にするべきだろう」
「八日」
誓たちは礼を言って職員室を後にする。
「どうする誓?」
慧が不安を隠しきれない様子で質問を投げた。
「明日学校が終わったらアメリカに行こうと思う」
「にゃふ。いいねいいね。みんなで会いに行こう!」
「う、ボクパスポート持ってない」
ガックリと慧が肩を落とす。その隣でフフンと勝ち誇るようにパスを見せる環。
「私は一応持っていますが……」
「いやぁ、以前嬉しくて海外をフラフラ飛び回ってたら取り上げられちった。テヘ」
心苦しそうに告げる鈴木となんの悪びれもなく告げる希。
「なので、ご同行は出来ません」
そして護衛である鈴木の不参加も決まった。
「うん、知ってた。となると、俺と結先輩にマキちゃん、後は由紀にも頼んでみるとして……。う~ん、希たちがいないのは痛いな」
(拓真と美姫も来てくれたら頼もしいけど、目的が目的だしな)
そういう意味では由紀も同じだが、未来の夫である誓とその第二婚約者の結、更に第三婚約者の環まで学校行事でもないのに揃って外泊となれば、誘いに乗らない筈もない。
(結先輩だけならともかく、マキちゃんもいるしなぁ)
あの日、『結お姉様との関係がはっきりするまでは待ってあげる』と言っておきながら、家では何かと仕掛けて来る環。
本人曰く、『別に一線越えるつもりはないわよ。で・も、その過程で誓くんがその気になってしまって、実際そうなったとしても、それは仕方のないことよね。うん、仕方ないわ』とのこと。
もう、襲われるというか襲わせる気満々である。誘い受けも甚だしい。
それで昨晩は、既に本決まりとなっている由紀の部屋にお邪魔することになった誓。
こちらもこちらで薄めの白絹の寝間着姿と、清廉でありながら飾らない色気を持つ姿にドキドキではあるが、断じて襲わせるために襲って来るようなことはない。
誓の気疲れを察した由紀は、労わるように招き入れ、香を焚いて安眠を誘う。本当に出来た娘である。
遮音する軽めの結界と式を放つことで、誓の第一婚約者であり児玉家からの客人でもある由紀の部屋のある一角は、炎導金城両家の殆どの者にとって手出し無用の領域になる。
誓が現状、公的に娶ることを認められている妻は2人まで。
炎導の現当主に婚約者と認められてはいても、そこから外れる第三婚約者予定止まりである環では、言わずもがな。手出しは許されない。
早朝、目を覚ました誓は傍で横向きに寝ている由紀の穏やかで可愛い寝顔と、艶めかしく覗く白く深い谷間に幾分思考を奪われつつ、ゆっくりと眠ることが出来た幸せにほっと一息つくのであった。
「まあ実際、炎術士ばかりじゃ情報収集はちょっとねぇ。そういう特異能力持ちでもないし。由紀なら多方面をカバー出来るでしょうけど陰陽師だから神力に限りがある。何より、アメリカでは日本以上に重要視されていない陰陽術はなるべく温存したいわ。囚われのお姫様救出となれば、大なり小なり鉄火場になると相場は決まってるもの」
「そうだねぇ。私と誓とマキちゃんが揃ってるから大概の相手はどうにかなるだろうけど、なんたって精霊術の本場だし。精霊術じゃ一枚上手と思ってた方がいいかも」
放課後は各自準備するということに決め、午後の授業へと向かう。
『やり直しなら、次でも出来るさ。そうだろ?』
『全く。いいわ。絶対よ』
過日、空港でフィリエーナと交わした約束を、繋がれた手の温もりを思い出す。
「ああ。絶対だ」
確かに叶えるため、あの時の約束を握りしめた。




