第二話 君の本音(こえ)が聞きたくて 第一章 ボーイメットガール?
目が覚めるとそこは──、夢の中だった。
(たまにあるんだよな。夢から覚めたと思ったらそこも夢の中だったってこと)
本格的に目を覚ます前にそれを自覚するのは珍しいと思いながら、誓は新たに始まった夢の続きを見る。
「一つの視点しか持てない最強は、他の視点で最弱になり易いから」
だから自分は下位次元の技術をも必死に練習するのだと、砂を被ったような灰色の髪の少女が言った。
それで他の術士の子どもたちから笑われ、蔑まれ、苛められようとも、最後に笑っているのは自分であると。
苛める多数側に入らず、苛められる少数側を助けてくれた、この辺で見たことのない珍しい少年へ意志を示した。
(あの少年は、昔の俺か)
純粋さは、時に残酷さへと姿を変える。
精霊術士の家系に生を受ければ、早くて三・四歳、遅くても五・六歳には精霊術士としての才に目覚める。
それは彼らにとっては当たり前だが、稀有の一歩手前くらいに位置する力だ。
人口比はおよそ千対一。
非術者と術者の割合である。
言うまでもないが、術を用いない戦闘技術においては、非術者の高みにある者の方が優れている。
洗練されたその技術は、芸術的ですらある。
しかしながら、術士の多くは術で強化した上で肉体を扱うため、少なくともそういう下位次元の技術を洗練することは稀である。
洗練などしなくとも、強化された肉体や六感により、やろうと思えば洗練された下位次元の技術と同等かそれ以上に力を発揮できるからだ。
結論、下位次元の技術を洗練する必要はない。
その上で、灰被りの少女は言ったのだ。
「ふーん、面白いこと考えるんだな。なら、いつか俺と組もう」
「組む?」
「リンクだよリンク。一つの視点じゃダメなんだろ? なら一人より二人、二人より三人、多い方がいいじゃん」
「数だけ多くても、結局見れる方向が一つなら意味なんて──」
「だから君と組むんだろ? それに俺もよく珍しいって言われるから多分みんなと視点違うし、もう一人入れたらそれで三つの視点だ。三つの視点を持つ最強が揃えば、もう敵なしだな!」
純粋な温かさを感じさせる少年の笑顔に、灰被りの少女は鳩が豆鉄砲をくらったように目を見張った。
「俺は誓」
「……まき」
「? マキちゃんか。俺、親の都合で二・三日こっちにいるんだ。よろしく」
……。
差し出した手を取ろうとした少女の姿が、いつの間にか鮮血に染まる。
否、それは既に少女ではなく、かつて死を見取った男性となっていた。
「後は……、お前に任せるぜ。誓」
気がつけば、誓は真っ暗な葬儀場で独りポツンと立っている。
そこにあの人は勿論、父もいない。
そうして知った。
幾ら才能のある人間でも、この世界で戦うにはただただ力不足。
一頭のライオンの率いる羊たちでは限界があると──。
力がいる。
幾多の猛獣を動かせるだけの王の力。
何も自分がそこに君臨する必要はない。
それでも、王だろうと猛獣だろうと、その内の一頭になる必要はある。
この世界で、守りたいものを守るために……。
小鳥の囀りの中、誓の意識が再度浮き上がる。
(珍しい夢を見たな)
見慣れない天井から視線を下へと移し、今度こそ現実世界で起き上がった。
今日はGW最後の日。
昨日、誓は希や鈴木と共に、クラスメイトで友人でもある慧の招待に応じた。
以前、魔王の手先たちに襲われた慧の家。
そこへ助太刀したお礼でもある。
慧はその時に力を貸してくれた全員を招待したかったが……。
フィリエーナやクーガーは、アメリカにあるリートリエル家へ一時帰宅中。
由紀も栃木にある実家の児玉家に行ったままで、帰りは今日の夕方頃になる予定だった。
因みに、誓も由紀の婚約者として、一昨日とその前の日は児玉家にいた。
児玉家では、人によって随分と温度差のある歓待を受けたが、まあ予想の範囲内だったと言えよう。
手持ちの荷物から私服を取り出し、寝間着を着替える。
朝食にはまだ早いが、朝練には丁度いい時間帯。
備え付けの小さな冷蔵庫から、水の入ったペットボトルを取り出して二口含み、喉と身体、思考を潤す。
「よし」
朝の清々しい空気の中、昨日教えて貰った練習場へと足を運ぶ。
朝陽に照らされる氷堂家の敷地は、全体的に白っぽい土と石を基盤としており、そこへ植物と小川、噴水に池といった如何にもマイナスイオン出てますという感じのアクセントが施されている。
水術士の家系なだけあって爽やかな瑞々しさを感じさせるそれらは、小鳥の囀りの中、視覚的にもキラキラとして誓を楽しませた。
少し前にあった魔王の手先たちとの戦闘痕は、もうすっかり修復されている。
(今日もいい一日になりそうだ)
この時は、確かにそう思っていた。
夕方近くになって、自分の家へと帰ってきた誓。
その誓を待っていたのは、『お兄様お願い』という名のパシリだった。
(何で俺が)
そう思いつつも、馴染みの女性下着専門店へと入る。
……大事なことなのでもう一度言うが、女性・下着・専門店へと入る。
脇目も振らず、レジへと一直線に進む誓。
「いつもの」
これだけで伝わる恐ろしさ。
そうして、誓は店員に苦笑されながら妹の注文した二袋分もある下着を受け取り、踵を返す。
店員は分かっているからいいが、客から怪しそうに視線を向けられるのは避けられない。
誰が察してくれるだろう。
一向に成長しないある部分を恥ずかしく思う思春期真っ只中の妹が、そのサイズの下着を自分で受け取るのを恥ずかしがって兄に頼んでいるなど。
同じ境遇にない同性に頼むのも嫌で、母や双子の妹ではなく兄に頼んでいるなど。
ここにいるのが、女物の下着を買い漁る変態ではなく泣けるほどに優しい兄であるなどと──、いったい誰が察してくれるだろう。
だから、早々に店を出ようとする誓だったが──。
出入り口への最短距離には他のお客さんがいたので、試着室の前を通るルートへの変更を余儀なくされる。
足早にそちらを通ろうとする誓の前で試着室のカーテンが開き、見知った顔の美少女と目が合った。
「誓、くん?」
白と黒、計四つの意匠の凝った下着を手にしている環と対面した誓は、足を動かすことも出来ずに凍りついた。
同時、以前見た私服とは違い、上は白のフリル袖シースルーブラウスに、下はホットパンツと縞模様のニーハイという清純的で活動的な環のコーディネートに、多少なりとも目を奪われる。
スカートで隠していた投げナイフは、やや重厚なカジュアルブーツにでも場所を移しているのかなと、残った一部の冷静な頭で場違いに考えた。
「いや、これは……」
(これは違うんだ。妹の罠なんだ。俺は変態じゃないんだー!)
心の叫びを声にする訳にもいかず、次の行動を取れずに固まる誓。
そんな誓ににっこりと微笑んだ環は──
「はいこれ。口止め料ね」
「え──」
戸惑う誓に構わず四つの下着を押し付け、レジへと向かう。
袋に入っていない商品を抱えて立ち尽くす訳にもいかず、誓は泣く泣くその後を追って支払いを済ませる。
(厄日だ)
環に続いて、店を出る誓の表情は暗かった。
女ものの下着は男のそれと比べて値段の桁が違う。
全体から見れば大した額でもないが、誓の考えていた今月の生活費は早々に変更を余儀なくされた。
得意の転移魔法を使って下着をしまった環の後を、誓は成り行きで着いていく。
(気まずい)
自分から何か言っても墓穴を掘りそうなので、環の出方を伺う誓。
「ねえ誓くん」
「はいっ。何でしょうか環さん!」
直立不動となった誓は、思わず敬語で返した。
「ふふ、そんな緊張しないでよ。それともまさか自分用に買ったの?」
「いぃい、いや、詳細は本人のためにも言えないが、これは身内のとある女性に頼まれたからで、邪な意思の介在は微塵もなく……」
「ふーん、へー、そうなんだー」
(クッ。弄ばれている気はするが、形勢が悪過ぎて何も言えない)
「まあいいわ。それより、誓くんて御三家の人間でしょ。何処か若くてもいいから魔術士を雇ってくれそうな所の心当たりとかない?」
「? そういった仕事の請負なら、素直に赤口家の窓口を頼った方が変ないざこざは起きないと思うけど。……何か急な要り様なら俺が出そうか?」
妖精術士と精霊術士は基本的に仲が悪い。
妖精術の大御所である御三家の窓口よりは、火の精霊術でトップの赤口家の窓口で請ける方が、精霊術士兼魔術士である環の力を発揮出来るだろう。
環は赤口家に所属しているし、赤口家のお嬢様の護衛にも選ばれている。
何か赤口家で請けたくない事情があるにせよ、御三家の仕事を任せるのは後々心配だ。
そう考えた誓は、友人相手に即日返金出来ないような金の貸し借りは持ち込みたくないので、くれてやる気持ちでそう返す。
空間転移という便利な魔術を得意とする環とのパイプを太くするためならば、ある程度の出費や投資はありという腹積もりも少しあった。
「誓くん太っ腹~。でも、流石に生活丸ごと面倒見て貰うのはねえ。愛人冥利に尽きそうではあるけど、誓くんの女としてのプライドは捨てたくないし」
「は? いや、ちょっと待って。色々ツッコミどころ満載だけど、今、生活丸ごとって言ったのか? 赤口家は?」
確認するが、環は火の精霊術で日本一と言われている赤口家に所属している術士だ。
少なくとも誓の認識では、その筈だった。
「追い出されちゃった。アハ」
「アハ……で済む問題じゃないだろ。どうして? まさかこの間の魔王戦が──」
おどける環とは対照的に、誓は真剣そのものだ。
少し前、この辺りで問題を起こしていた魔王との戦いにおいて、環は誓の危機を察して得意の空間転移魔法で救援に入った。
その時の行動のせいで──、妖精術士の友人である誓を助けたせいで精霊術士の家を追い出されたのだとしたら、他人事で済ませられる筈もなかった。
「うーん、それも少しあるんだけど。決定的なのはその前なのよね」
「その前?」
「ほら。赤口家から術式統括庁経由で御三家に救援要請が入ったでしょ」
「ああ。俺たちが助けに行ったあれだね」
魔王が思い出したくもない手先の性能を測るために、術士や術士の家を潰して回っていた時のことだ。
悲運にも、赤口家は術士個人から術士の家単位に切り替わった際の最初のターゲットに選ばれてしまい、かなりの損害を被った。
誓たちが救援に駆けつけなければ、壊滅は免れなかっただろう。
「誓くんは変に思わなかった?」
「変にって……、他の精霊術士たちじゃ手に負えそうにないからだろう? 別に何処もおかしくは────いや、そうか」
そこで気付く。
火の精霊術でトップの赤口家が、妖精術士の家にまで応援を求めている異常さに。
妖精術士と精霊術士は世界的に犬猿の仲、日本とてこれに漏れない。つまり──
「“最初からおかしかったから”気がつかなかった。あれは君が回したんだね」
「ご明察。精霊術士たちじゃ無理そうだったから、赤口家の救援要請にちょっと細工したの。そのお蔭でそれなりに助かったのに、ホント困るわ」
やれやれと、風に飛ばされて当たりそうになる木の葉を視線で燃やし、環が悪態を吐く。
「実家は? 火の精霊術士として赤口家に所属していたとは言え、君は土の愛埜家の人間だろう。精霊術は同属性としかリンク出来ないから立場は悪いだろうけど、空間転移魔術はそれを補って余りある魅力だ。言い方はちょっと悪いけど、使い道は幾らでも──」
「妖精術士に頼った上に肩入れまでして、火の精霊術で日本一の家に追い出された術士を拾うと思う? 所詮は土でトップ下三役止まりの家よ、愛埜は」
強気に苦笑いする環の貌が、誓には何処か淋しげに見えた。
「でも家族だ。実際に会って話をすれば──」
「実際に会って話をしたの。誓くんの家族像を壊すようで悪いけど、そういう家族だっているのよ」
「何だよそれ。そんな、そんなのって──」
他人が家のことに口を挿まないでとのたまう人間に度々感じる、だったらちゃんと家族らしい行動をしろよといった、憤りと寂寥感が誓を襲う。
そう、寂しいのだ。
その人に──、人間に係わりたいのに、家という壁を持ち出して人同士の係わりを断とうとする人間が、どうしようもなく寂しく感じてしまう。
(今の俺も、それを理由にしていないか?)
「ごめんなさい誓くん。心配しないで。この間の魔王討伐金は赤口家に違反料金として横取りされちゃったけど、お金なら当面暮らせるだけはあるし。ほら、下着だって買おうとしてたでしょ」
「っ。学校は?」
時間が欲しい。
あと少し、もう少しでこの壁をどうにか打ち壊してみせるから──。
「今年はもう授業料払ってるから問題ないけど、来年はどうかしら。ちょっと分からないわね」
「……」
立ち竦む。
どうやって声を掛ければいい?
どうやって足を踏み出すのが正解だ?
光の見えない暗闇の中──
『助けが欲しい時はちゃんと言うの』
小さな先輩の、あの日溜まりの笑顔が、頭に浮かんだ。
問答無用で差し伸べられた温かい手。
「私、もう行くわ。それじゃ──」
「──ッ」
誓とは反対方向に足を踏み出そうとする環の手首へと、気がつけば手が伸びていた。
「ぇ?」
驚いて振り返る環と目が合う。
「俺は、将来神炎使いになる」
「誓、くん?」
「最近よく言われるんだ。一度に婚約者を二人もなんて、お前はあーだこーだってね」
あの笑顔を思い出す。
「こうなったら、二人も三人も同じだと思わないか?」
そして自分も、あの笑顔を作れていることを願った。
「でも私は──」
それでも現実にはそう上手く行かず、環が目を逸らし、誓の手をもう片方の手で解こうとする。
「結先輩が!」
ならばもう、あの温かな強引さに賭けるしかないと、環が伸ばした手の甲の上から、もう一つの手で包み込む誓。
環ともう一度目が合う。
「結先輩が楽しそうに笑っているのを見るとそんなのどーだっていいって思える。一緒に楽しく笑い合える。俺の判断は間違ってなかったって、そう心の底から思えるんだ」
至近距離で、想いも交錯させる。
「あの時、竜飛家に結先輩を渡していたらきっと後悔してた。今だってそうだ。今だって、マキちゃんをここで離したらきっと後悔する。マキちゃんの笑顔を見ても、素直に笑えなくなってしまう」
届いて欲しい。
例え誰に笑われようと、この想いの真剣さは、自分が誰より知っているから。
「俺には、君の視点が必要だ。マキちゃん。俺の三人目の婚約者になってくれ。暫くはそれこそ愛人みたいになるかもしれないけど、必ず君を娶るから」
「!?」
瞬時に環の顔が熱を帯びるも、すぐに能力によって打ち消された。
「もぅ、誓くんたら。三人目の婚約者になってくれなんてプロポーズ、初めて聞いたわ。しかも当面は愛人で我慢しろだなんて。殴られても文句言えないわよ」
表情こそ冷静そのものとなった環だったが、怒気と羞恥と歓喜が絡み合い、複雑な態度として表れる。
「いや、その、ゴメン」
「ふふ、でもキュンってしちゃった。今日から環は誓くんの三人目の婚約者、愛人になってあげる。誓くんだから、特別・ね」
ね、と言うのと同時、環の人差し指が誓の顎に当てられる。
「マキちゃ──んんっ」
その指が下に入ったかと思うと同時に顎を上げられ、突如唇を奪われた。
「ん、んぅ。ちゅ、ちゅる、はぁ……」
きっちり口内へ侵入した捕食者の舌が、名残惜しそうに粘液を引いて離れる。
「フフ、覚悟してね誓くん。私、凄く愛されたいタイプだから。誓くんを虜にするくらい尽くして、私が虜になるくらい尽くさせてあげる」
「それは嬉しいような怖いような……」
艶かしい環の気配に、誓は若干引き腰になる。
「本当はこのまま誓くんを邪魔の入らない二人っきりの場所へ運んでから、押し倒して無理矢理既成事実作っちゃってもいいんだけど」
「いやいやよくねーよ」
「ふふ、分かってる。安心して。二人目の婚約者である結お姉様との関係がはっきりするまでは待ってあげる。二人目が結お姉様だから、特別・ね」
今度は自身の顎へと人差し指を当て、にっこりと微笑む環。
(早まったかな、俺)
だがそれでも、返した苦笑は素直な自分の反応だということに、安堵を抱いた。




