第七章 竜飛の影光 捌
「何を────ッ!?」
例え深手を負っても、回復できる由紀がいる限り、致命傷さえ避ければ最悪の事態は回避可能と考えた誓の思考がシィロメルトの意図に気付き──
「由紀! 逃げ──」
「遅い!」
漆黒の魔法陣が遠方にいた由紀の頭上へと浮かび、物理的圧力と化した地獄の雄叫びが、溶岩流にも似た泥炎と共に一緒に地獄へ堕ちよと、下へ下へ向けて一気に雪崩れ込む。
それは術の発動に気付くも回避までは至らなかった由紀を、完全に呑み込む。
「グーグッグッグゥ!!」
最後まで耳に障る嗤い声を上げながら、シィロメルトが焼失する。
「クッ。由紀ぃいいー!!」
命を顧みずに行使された呪いで強化された魔術は外からの介入を拒み、霊質の密度の上がった誓の炎やガ・ジャルグをもってしても入り込めず、術の効力切れを待つのみとなってしまう。
時間にすれば僅か四・五秒程度だったろう。
しかし、その僅か数秒で、その場から何もかもが消失していた。
「そんな──」
誓のブーストで研ぎ澄まされた感覚が、嫌という程に現実を知らせて来る。
「由紀……嘘、だろ」
誓の膝から力が抜ける。
まるで目の前の光景のように、ポッカリと心に穴が開いてしまったかのようだ。
心に、乾いた風が吹き抜ける。
全てを拒絶するかのように、火の妖精や精霊による探知を断ち切った。
(俺は、また失ってしまったのか)
周囲の者たちも、どう反応していいのか分からず、動きが止まっていた。
「……ぁの、すみません」
「!?」
「えぇ?」
気付けば、誓の目の前には白・紅・紫を基調とした衣に身を包んだ天女もかくやという美女が、茎の先が見えない蓮の葉の上で所在なさげに佇んでいた。
「心配をお掛けしました誓様。皆様。大丈夫です。誓様のお蔭ですね」
「……そうか、泉白鶴」
魔王の命懸けの魔術も、五大魔神の一柱が編んだ至高の一品を前にしては、歯は立っても食い破るには至らなかったらしい。
由紀が妖精術士であることも幸いしたのだろう。
神力が殆ど残ってなかった由紀は、妖力で泉白鶴の各種機能を支え、窮地を突破したに違いない。
由紀の妖力を糧に、泉白鶴が微かに残る傷跡を再生する様子が見られる。
由紀の首から上は勿論、その長い黒髪まで守備範囲とは、実に女性の魔神らしい配慮と言えるだろう。
「誓の衝動買いが役に立った。流石の先見の明。で、数年前の魔王複数討伐で世界予算から十数億入った炎導誓さん、全財産残り幾ら?」
「あーはいはい、どうせもう一千万もありませんよ」
美姫のからかいも、由紀が無事と分かった今となっては凹むようなものではない。
「女に貢いだせいで魔王を少人数で複数倒しておきながら一千万もない貧困術士生活とは、全く夢のない。全世界の一流術士が聞いたら抱腹絶倒で泣く。一応脈ありなだけ、まだマシだけど」
美姫の吐く毒など気にせず、蓮の葉から飛び移ろうとする由紀に手を貸そうとして踏み出した誓だったが、上手く膝に力を入れられずに下へ広がる虚空へと倒れ込む。
「誓様!」
蓮の茎が曲がり、何とか誓を受け止める由紀だったが、こちらも体力はそれ程残っておらず、結局一緒に蓮の葉の中で倒れ込んでしまった。
みんなからは見えない位置で由紀と添い寝する形になってしまった誓は、丁度いいかとその存在を確かめるように抱きしめる。
「せ、誓様?」
「ゴメン。暫くこのままで」
「ぁ……、はい」
恥ずかしさで頬を染めながらも、由紀は身を委ねる。
「本当にごめん。それとありがとう、生きていてくれて」
抱きしめたまま、由紀の額に囁く。
「そんな。私は、その……、誓様の嫁候補ですから。誓様を置いて死んだりしません」
「由紀。ありがとう。ずっと生きて俺の傍にいてくれ」
「──っ。はい。誓様。由紀はずっとあなたの傍に」
誓を見上げて告げる由紀の瞳と唇がとても艶やかで、誓は引き寄せられる心と身体を止められなかった。
誓と由紀が地表へ出ると、拓真とフィリエーナたちが集まって言葉を交わそうか交わすまいか悩んでいるような所だった。
美姫やクーガーはその辺に頓着するタイプでもないだろうに、その上役的な立ち位置の二人が険悪ムードなものだから、どうにも口を開けないでいるようである。
結は疲れているのだろう。
珍しくフラウが頭に乗らずに、地面へと腰を下ろしている結の傍でタレている。
一人やや離れた位置にいる、環の前を通る誓。
その時──
「お楽しみだったわね誓くん」
からかうようでもあり責めるようでもある環の声音が、誓の耳にだけ届いた。
無言ながらも、軽く染まった頬で答えてしまった誓は、それでも拓真たちの所へ着く数秒で平静を取り戻す。
「……ハハ。全く、開いた口が塞がらないよ。完全にのせられてしまった」
誓が来たことで、 場の均衡が動いたと感じたのかクーガーが口を開いた。
「本当にね。そもそも、あんな攻撃出来るなら最初から──」
「バカかテメエ。野郎はスピードもずば抜けてたんだ。虚を突くか受けさせるかする状況構築なしじゃ、こっちの手の内晒して無駄に面倒を増やすだけだろうが」
「バカ拓にバカ扱いされるリートリエル。ぷくく。大丈夫、バカ正直のバカですね。分かります」
ぴき。
(コイツらぁああ)
フィリエーナの我慢の糸が切れた音が、誓にも聞こえた。
「ちょっとそこに直りなさいよカネシロに性悪女! あとタマキ!」
あろうことか『金星 比翼連理』を突き付けて、フィリエーナが三人を挑発する。
「上等だコラ。やんのか、あぁあ!」
全員の予想通りに即効で釣れる拓真。
反対に、環は構ってられないと携帯を弄りだす。
「バカはバカ二人だけでどうぞ」
美姫はというと、バカ二人に構ってられないというポーズで、鬼畜な方向から構いまくる。
「「バカって言うな!」」
「「っ、この……」」
見事に連続でハモッた二人が睨み合い、間を置かず『金星 比翼連理』と『壊拳 鎌鼬信玄』がぶつかり合う。
「あー、とりあえず協力して魔王も倒せたんだしさ。お互い、傷が後に残らないようにな」
聞いているのかいないのか、とりあえず仲裁は後回しにしようと誓は思った。
「にゃはは。元気だな~。それにしても予定と逆になっちゃった。まさかこっちが先に助けられるなんて驚いちゃったよぉ。もぅびっくり」
誓と視線の合った結が力なく笑う。
「結先輩。よかった、本当に。また……、また間に合わないんじゃないかって、俺──」
あんな思いは二度とごめんだと、胸の内が苦しくなり、言葉が詰まる。
「誓」
結の視線の先で、痛みと安堵を宿した水滴が一筋、流れ落ちる。
「あれ? 変だな。すみません。そんなつもりじゃ──」
自分にその気もないのに溢れる弱さが、何故か止まらない。
「もう、しょうがないなぁ」
座っていた結が立ち上がり、フラウを土台にして誓の顔を両の腕の中へと抱える。
「結先輩──」
「よしよし、大丈夫だよ。ここにいるから」
(温かい……)
あの日、強くならねばと拒んだ母の温もりは、もしかしたらこんな感じでなんら恥ずべきものではなかったのかもしれない。
家族なのだからと、誓は母や妹たちの顔を思い浮かべた。
「なにせ私はボッチの先輩だもんね。ボッチでありながらボッチを越えている二人の絆は永遠なのだ」
「なんですかそれ」
こんな状況でも相変わらずな結に、誓は苦笑するも──
「にゃははー、変だね。でもね……、うん。独りじゃないよ」
「……はい」
結のその言葉に、自分のやらなければいけないことを思い出す。
「失礼します誓様。生き残りの方々の場所は分かってますが、どうなさいますか?」
「ああ。いや、気にしなくていい。ありがとう。要さんに連絡したらすぐにでも向かおうか」
実にいいタイミングで声を掛けてくれた由紀に感謝して結の腕を抜け、携帯を取り出そうとした誓だったが──。
(そう言えばお陀仏だった)
誓が気落ちしながら、せめてメモリーだけでもと淡い期待を持って携帯の残骸の飛んだ方へ目を向けると──
タイミングを見計らったように、着信を知らせる表示がいつの間にか直っている携帯の画面へと現れた。
「!?」
(マロンさん? 速いな。明日かと思ってたけど……)
「もしもし誓です」
危機は去ったし、急を要する案件でもないかと、炎導金城で待機してくれている筈の要への連絡を後回しにして電話に出る。
「ども~、あなたの頼れる情報屋、棚から牡丹栗よ。要求された情報は集まったわ。タイミング料と修理代込みで、三本でいいわよ」
ややテンションの高い声が、自信満々で商品を売り込んできた。
(三本……三百万か。ちょっと想定より高いけど、マロンさんの言うタイミング料がキモかな。今買っておくべきか。携帯も直して貰ったみたいだし)
「オーケー。ありがとう。お金を送るから確認してくれ」
一旦通話を切って、お金を送ると、すぐに携帯が着信を知らせる。
「入金を確認したわ。それじゃ、頑張りなさい男の子」
(?)
疑問を抱いた誓の手元へ、一冊のクリアファイルが魔術によって召喚される。
今時紙媒体かと思わせるが、中は魔術による精密な複写、そして自筆や魔筆による解説付きで、何処か女の子のメモ帳っぽさを残しながらも非常に分かり易くなっている。
しかも依頼者以外には開けられないという、無駄に高性能な魔術まで施してある。
(ッ。これは──)
未だに騒いでいる二人の仲裁も本拠への連絡も忘れ、ページに急いで目を通すことに没頭する誓。
「誓。竜飛の人たちの所へは私が行くから──」
「俺はボッチの後輩です」
クリアファイルを閉じて、誓が結へと言葉を紡ぐ。
「え?」
「独りじゃないですよ。行きましょう」
即座に要に連絡を入れ、ヒートアップしている拓真の鎮圧を美姫に任せる。
また、美姫の鬼畜的奇襲を受けて突如鎮圧される拓真に驚き、一時的に動きを止めるだろうフィリエーナの宥め役をクーガーに頼み、その間に由紀へあるものの運び役を頼んだ。




