第七章 竜飛の影光 伍
奇しくも、誓の父親である境悟と同じ詠唱文句であるため、誓たちの前では遠慮して言葉にしていなかった由紀。
だが、由紀は陰陽師でもある。
言霊に宿る力を、軽視はしない。
故に、この結を助ける場面での効果は、確かに発揮される。
「誓剣 愛火。我が誓いに応え、汝が力を揮え。雷公鞭!」
誓たちの想いを乗せた無数の雷火が、結に掛かっている悪意へと音速を超えて次々に迸る。
「アァあアー!!」
悲痛を全て曝け出すような叫び声が上がり、結の身体が糸の切れた人形のように地面へと倒れ込む。
「結先輩!」
その力の抜けた小さな身体を、地面に衝突する前に跳び込んで受け止める誓。
その拍子に黒のアイガードが外れ、もう耐久力が限界だったのか地面に落ちた衝撃で二つに割れる。
「……似合わないなぁ」
どちらに対しての言葉なのか、うっすらと目を開けた結が呟いた。
「誓ったら何カッコよく救出しちゃってるのよ。でもありがと。にゃはは……」
「ガウ~」
弱々しく笑む結を抱える腕があまりにも軽くて、誓は無性に泣きそうになる涙腺との決闘に大変である。
「そのまま、じっとして下さい」
由紀が二人の傍に寄り、『護湖 聖楯』と木神青龍、水神天后の合わせ技の回復を用いながら、更に何枚かの符を取り出す。
「みそぎする ならの小川の 川風に いのりぞわたる 下に絶えじと。
夏山の ならの葉そよぐ 夕ぐれは ことしも秋の ここちこそすれ。
風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける。リアライズ。影想 従二位家隆!」
八代女王と源頼綱の二首を踏まえた本歌取りによる構成を引用した、清めの効果を強めた歌で罪や穢れを祓い清めながらの回復をも同時に行う由紀。
もう大丈夫ですと目配せする由紀に頷き、自身の腕から結を青龍の風の布団へと移した誓は、魔王に睨みを利かせている拓真の隣へと移動する。
「拓真。向こうはどうなったんだ?」
多少今更だが、状況の確認に入る。
幾ら拓真でも、移動も考えたら到着が速過ぎた。
「ああ。ちょっと予想外の大物がわんさか来てな。こっちを頼まれた」
「まさか──」
拓真は金城の現当主の息子だ。
故に、父親である要のことを大物だなどとは口が裂けても言わない。
つまり──
「火の国内ランキングのトップ2に金の第九位、おまけに風の栄誉大老様御一行。腹に据えかねていたのは息子だけじゃなかったというある意味当然の帰結」
誓の予想が当たり、思わず表情が柔らかくなる。
「そうか。そう、だよな」
炎導の現当主である母、前当主である父の弟にその伴侶、そして炎導と手を結ぶ決断をした元上位ランカーたちで、第一線を退きながらも未だに全員ランクインしている鈴風の前当主とその戦友たち。
仮に魔帝を相手にしようと、負けはなさそうな面子である。
「ここまでだ。覚悟は出来てるだろうな? 魔王シィロメルト」
剣に戻った『誓剣 愛火』の切っ先を向ける誓。
「ククククク。何の覚悟かな? よもや、追い詰めたなどと、思い上がっているのではあるまいな?」
誓たちを威圧する魔王の圧力は、確かに健在である。
「テメエこそ、まさか追い詰められてないとでも思ってんのかよクソ魔王」
それでも、拓真は強気な態度を崩さない。
気迫負けの及ぼす悪影響を、経験と体感で知っているからだ。
「小僧如きが吠えよる。我は魔王シィロメルト。偉大なる屍皇帝エミニガ様の一柱にして、悪魔のアルカナぞ。本気を出せば人間の小僧や小娘が何人来ようと物の数ではないわ」
「魔王如きが吠えるぜ。俺と誓は国内ランカー。しかも、俺たちは一日の魔王討伐数世界ナンバー1チームだ。本気なんて出さなくても魔王一体くらい楽勝過ぎて欠伸が出るぜ」
互いに余裕の態度でありながら、その間では余裕のよの字も入り込む隙のない口撃が見えない火花を散らす。
「どうやら本気で死にたいらしいな。ならば冥土の土産に見せてやろう。ふぅんッ!!」
小僧の態度に余裕を崩したシィロメルトが、その力を全開にする。
ダボッたいマントに隠れていた二本の腕と二本の足を出し、更に多大な魔力の放出と共に筋肉が隆々と盛り上がる。
「わー、きしょーい、すてきー、ガチ無恥ー」
美姫が棒読みで貶しつつ、手をパチパチと叩く。
「ふざけてる場合じゃないわ。まさか、こっちが本体だなんて。しかもこのプレッシャー」
フィリエーナが顔を顰めながら、結との戦闘で疲弊した身体で、負けずと大地を踏みしめる。
「ぐっぐっぐ。魔術士タイプと侮ったな? どうだ。この程度の純粋な力がなくば、屍皇帝エミニガ様の一柱などなれぬのだ。そしてぇえ」
頭上に描かれた大小五つの魔法陣が、シィロメルトを包み込むように大地へと消える。
「これで貴様らお得意の妖精術に精霊術の効果はほぼ無効。ランキングなど無意味も同然よ。すぐに捻り潰してくれる」
「吹きやがる。本当かどうか、試してやるぜ! 拓け。神器 千槍鉄槌!」
四人リンクと固有スキルにより攻撃値165%となった拓真が『神器 千槍鉄槌』を降らせる。
その数二百。更に二百。更に更に二百。
およそ七十メートル四方を穿つ凶器の雨が、鋼鉄の檻となってドドドドドッと地中すら削って長く降り注ぐ。
「……嘘でしょ」
「ぐーぐっぐっぐ。効かん効かん。所詮は児戯よ」
フィリエーナの理解を超えた現象が立て続けに起こり、半ば呆然とする。
金の攻撃型である自分でも、とても真似出来ないだろう大質量の広範囲連続攻撃。
その間違いなく戦略級の攻撃手段を、掠り傷程度で受け切った相手。
「フム。どうやら言うだけのことはあるらしい。まさかバカ拓のアレを真正面から受けて損害軽微なんて──間抜け脳筋魔王。でもちょっとは面倒か。誓」
その規格外攻防を冷静に見て取った美姫が、同じく仕組みを見切っただろう誓へと視線をやる。
「ああ。みんな、相手の防御魔術はどうやら下位次元は無効化出来ても、上位次元はそうはいかないみたいだ」
その視線に応え、誓は情報を共有させるべく、シィロメルトを攻撃している拓真に炎で援護を送りながら話す。
「厳しいわね。それじゃ、こちらの攻撃は通ってせいぜい一割から二割。それで魔王本来の防壁を抜くなんて──」
即座に思考を切り替えたフィリエーナが、現状の劣勢を受け止め、打開策を探ろうとするが──
「いや──、俺のガ・ジャルグなら相手の魔力を無効化出来る。無効化には無効化で対抗だ」
既にその答えを見出していた誓が、早くも指針を示した。
「なるほどね。確かにアレなら」
どうせ殆ど効かないならと、得意の手数勝負で加勢するクーガー。
いつかの狼男を容易く貫いたのはそういうことかと納得し、フィリエーナと頷き合ってこの状況でも有効な手段を持つ誓のサポートに入る。
拓真が『神器 千槍鉄槌』で頭上から牽制し、美姫が地面を倍速エスカレーターのように動かして誓とシィロメルトを中心に全員の立ち位置の調整を行う。
しかし、シィロメルトは四足による脚力で直線的ではあるものの亜音速をも上回る速さで動き回る。
その上、シィロメルトの魔力でコーティングした豪腕による直接攻撃は、例の魔術の影響か妖精術や精霊術をほぼ無効化するため、この上なく厄介な代物となっている。
防ぐという選択肢は、殆ど放棄せざるを得ない。
不幸中の幸いは、例の魔術も神力は対象外であることだろう。
結を回復中の由紀だったが、念のためかシィロメルトはそこから一定の距離を置いていた。
それでも、シィロメルトの優勢は揺るがない。
「ッ」
何度目かの手傷を負う誓。
術的な視界と肉体強化に加え、不知火による上空援護によって何とか喰らいついてはいるものの、動きが速過ぎて常に後手を踏んでしまっていた。
誓と不知火も亜音速──マッハ数が0.3程度以上で、かつ1.0未満──の中では速い動きを可能としているが、遷音速──マッハ数0.8から1.3程度──の動きを可能とするシィロメルトの前では遅い。
せっかくの『ガ・ジャルグ』も、掠り傷程度にしか当てられていない現状に歯噛みする。
土台、人間と妖魔では身体能力の限界域に差があり過ぎる。
誓がいくら術で身体を強化しようと、術的に似たレベルの妖魔相手では、強化前の反応速度や筋力といった人間の地力が足を引っ張ってしまう。
(今のままじゃ向こうは怖いもの知らずで動きたい放題だ。一度の攻撃でもう少しダメージを与えられれば駆け引きも出来るんだが)
数の上では有利だが、攻撃をまともに防げない以上、身体を張って相手の動きを妨害することは下策。
雷公鞭なら速さで上回れるが、無効化魔術の影響でまともなダメージを与えられない。
結果、シィロメルトは『ガ・ジャルグ』にさえ気をつければよく、フェイントも何もなく動きも遅れている現状では、その『ガ・ジャルグ』で有効打を与えるのは難しい。
ラッキーパンチがある可能性も無きにしも非ずだが、動体視力も恐らく人間の百倍近くある相手では期待も薄い。
ブーストによる高火力で神炎とすら渡り合えた誓の炎も、当てられなければ宝の持ち腐れである。
無論、炎であるが故に必ずしも当てる必要はない訳だが……。
それでも──、地を埋め尽くすかのような灼熱の牢獄でさえ、仲間の姿をシィロメルトに捉え難くする程度の効果しか発揮できていなかった。
(不味いな。倒せる手はあっても、その手を当てるための手がない)
誓がやられれば、シィロメルトのスピードと対抗できそうなのは拓真だけ。
しかし、その拓真の攻撃は誓と違って敵だろうと仲間だろうと無差別である。
つまり、どう足掻いた所で誓が倒されれば、シィロメルトのスピードと攻撃力の前に全滅は必至。
幕切れは、何れ訪れる。
(まだ届かないのか)
火の部門での国内ランキング第三位。
周りに強いと評されることも多くなったが、誓自身は自分が中途半端であることを知っていた。
妖精術は、リンク数によって力を増す仕様の、みんなで力を合わせる強さ。
精霊術は、条件を満たすことで力を増す仕様の、独りでも力を出せる強さ。
一見、噛み合っているように見えるが……。
術士の家系の者にとって、何かしらの能力を特化させた方が強いことは周知の事実だ。
つまり、みんなで力を合わせるか、独りでも力を出せるかのどちらかに絞った方が強い。
だが、拓真の『神器 千槍鉄槌』と同様、誓の不知火もまた広義における二流落ちで創ってしまった。
互いを補えるため、悪くはないが──。
(前の魔王討伐は要さんに大悟叔父さんがいた。その前の複数討伐の時はあの人がいた。だけど今は、俺と拓真がみんなを勝利へ導かないと)
劣勢においても異常に正常な精神で勝利を目指し、誓は勝ち目の見えない勝負の果てへと突き進んでいく。
恐らく、全員がそのままでいけたなら勝利の女神を振り向かせることも可能だったろうが──。
誓の機械で出来た鬼神の如き戦闘振りに、集中切れでついていけなくなった者たちが、シィロメルトの攻撃の余波に捕捉されてしまう。
「くぅ」
「がっ」
数々の補助もあって直撃こそ避けたフィリエーナとクーガー、二人の足が止まる。
近くで動きが鈍いならという理由で、シィロメルトは二人へと一時的に目標を変える。
そうして放たれた攻撃を、真正面から受ける誓。
「──ッ」
炎の障壁を張り、それを砕いて勢いの落ちた攻撃を『ガ・ジャルグ』で受けたはいいが──。
誓の上着が衝撃と風圧で若干の鮮血と共に破れ飛び、ポケットに入っていた携帯電話もまた砕けて飛び散った。
不覚にも、誓は飛び散る携帯を視線で追ってしまう。
氷堂慧。
愛埜環。
俺の結。
たった三つだけだが、それでも大切な三人との、新たに増えたアドレスの思い出が走馬灯のように誓の脳裏を駆け巡る。
「セイ!」
故に現実は容赦なく──、フィリエーナの声が後ろから聞こえた時には、シィロメルトの追撃が反応の遅れた誓の目前に迫っていた。




