第一章 ボーイミーツガール? 参
最近、この界隈は物騒だ。
炎導家と金城家の息の掛かる場所故に平穏だったのが、最近強気な妖魔が住み着いたおかげで事件が相次いでいる。
(クラスは魔鬼か……いや、魔王の方がありえるな)
妖魔と呼ばれる者のクラスは六つに分けられる。
まずは成り立て、もしくは生まれて間もない妖魔である幼獣クラス。
これは雑魚。術士でない人間でも、武器があれば十分勝てるくらいだ。
次に魔獣クラス。魔力もそこそこあって見た目以上に厄介な連中が大半だ。
まあ、これも軍が動けば倒せなくはないレベルである。
術者なら、高位の術士が一人居ればどうとでも捌ける手合いだ。
危険なのはこの後からだ。その代表格が魔鬼クラス。
術者では無い人間が勝つにはかなり難しい。
屈強な軍でも戦域を限定しなければまず歯が立たない。
細菌兵器? ミサイル? 何それ強いの? みたいな連中だ。
術を発揮する類の武装なら或いは? と、思われるかもしれないが──。
この世界では上位常識圧という現象により、例え生まれたての術士のような未熟者が使って一撃で世界を消滅出来るような剣があったとしても、上位物質を扱えない者では自身の剣技で鉄を切るのがせいぜいとなる。
術を使えない者には、術の恩恵が一すら与えられないのだ。
知能レベルも高く、人語を解する魔鬼。
術者でも、高位の術士でもない者が単独で挑めば敗北は必至だ。
最低でも高位の術士が二人は欲しい。出来れば三人。
そんな人間側の事情に反して、魔鬼クラスは意外と多い。
因みに、軍には基本的に術士はいない。
術士の敵はあくまで妖魔であって、人間ではないという建前が存在するからである。
話を戻して、人間にとって一番の難敵が魔王クラスに類する者たちだ。
誓も二年前に数年振りにやりあったことがあるが、正直侮っていたために痛い目を見た。
誓の叔父であり、炎導家の現当主に次ぐ実力者でもある大悟と、金城家現当主の要がいなければ、今頃誓と拓真、美姫もあの世を謳歌していただろう。
ああ、生きているって素晴らしい、まる。
詰まる所、何が言いたいかと言えば、魔王クラスとやりあうくらいなら現実逃避したいと、まあそういうことだ。
術者の家系に生を受けた者でさえこの有様なのだから、それ以上の存在のことなど考えたくも無い。
いっそ忘れられたらどんなに楽か。
(大体、魔王などと大層な名前を貰っておきながら一番強くないってどうよ?)
反則にも程がある、と誓は思う。
心の底から思う。
だが、実際には魔王クラスをも凌ぐ、とんでも妖魔が存在する。
それが魔神クラスであり、魔帝クラスだ。
何故二つ同時紹介なのか。
それはこの二つのクラスに、力においての厳密な差がないからである。
なら何がこの二つを魔神たらしめ、また魔帝たらしめるのか。
その区切りは、世界征服を目論むかそうでないか──だ。
もっと分かり易く言うと、魔神クラスは人間や他の妖魔に対して、積極的に害を与えるようなことはしない妖魔を指す。
一方、魔帝クラスは『人間? 邪魔だ死ね』という具合で、自分に従わない妖魔にも大概容赦がない。
まあ、魔神クラスも『人間? 邪魔だ失せろ。さもないと実力で排除する』と、概ねそんな感じだが人間にも確認を取ってくれるだけマシだ。
話し合いに応じてくれる者だっている。
今までの話で伺えるように、妖魔の全てが人間に牙を向ける訳ではない。
人間側と危険の少ない妖魔との架け橋となるのも、妖精術士の立派な役目の一つだ。
実際、人間を食う妖魔は全体のおよそ半分と少なくないが、生存するために人の捕食を必須とするのはその内の一割もいないとされている。
中には、軟水を流し続ける観光名所として人間に守られている一風変わった魔神もいるし、何らかの恩恵をもたらすとして昔から奉られている妖魔も多い。
だからこそ、美姫のようなポッと出の術者を、場合によっては引き取ってまで世話するのだ。
術者の家系でない者が術に目覚めた場合、弱い妖魔相手なら分別なく殺してしまう可能性が高い。
その妖魔が人間に敵意や悪意を持っていたならラッキーだが、そうでなかった場合、運が悪ければ一気に戦争ものだ。
その妖魔に繋がりのある妖魔たちが一斉に報復に出かねない。
その術者だけで止まればいいが、そうでない場合が多いから困るのだ。
仮に妖魔たちの代表が話し合いに応じたとしても、殆どの場合、きっかけとなった術者の殺害が前提となる。
妖魔相手に現代の法律は意味をなさない。
目には目と歯を。現代に蘇ったハンムラビ法典強化版だ。
事実、力を得ていい気になった術士たちが、海外旅行中にあろうことか五大魔神の第一位と繋がりのある妖魔を殺害したために、国が一つ滅んだ。
その時、世界規模で制裁に出ようとした人間たちを、件の魔神は制裁を殊更に主張していた人物に対魔神用に用意されていた核弾頭やその他最新兵器を全てぶち込むことで黙らせた。
その人物を中心とした直径十メートル以外を何ら侵すことなく──。
結果、この地球に未だ開くことのない、開けてはいけない禁断の球を創り出した。
当然、滅んだ国は現在立ち入り不可能になり、妖魔の治める領土と化している。
事件の後、暫くは議論が繰り返されたが、結局は静観することで意見がまとまった。
そもそも、目下戦争中の二大魔帝がちょっかいを掛けた場合に、相手に漁夫の利を狙われるとして接触を避けた程の齢千年を超える魔神である。
妖魔の中にあって奇才と畏れられるその能力は、魔神の名に恥じず魔的に神がかっている。
しかもフィクションなどで登場する長寿の種族にありがちな、成長する意欲や速度の欠如といった弱点もない。
寧ろ、この魔神に至ってはあろうことか修行好きの研究好きという話で、もう手が付けられないぐらいだ。
だからこその五大魔神第一位、なのかもしれないが。
下手に牙を向けたが最後、ひ弱な人類などひとたまりもない。
(認定地域くらい確認しとけよな)
魔神というからには、積極的に人間と敵対せず害をなさないと判別がついている妖魔だ。
対象の主な活動地域内における妖魔の討伐は、例外も存在するが基本的に厳禁である。
その代わり、それ以外の地域で討伐された場合は文句なし──、というのが現状の規定となっている。
人間で言えばお住まいの地域以外への外出を禁じられるようなものだが、そも魔神を遭遇戦で倒せるような術士はいない。
無論、傘下の妖魔たちは別だが、外出する場合は護衛をつけて人目につかないように行動して下さいという話になっている。
先の魔神に対する唯一の対処法が、もう既にあるのだ。
そう──、触らぬ神に祟りなし。
「今日も冷えるな」
季節は春。
だが、ここ最近相次いだ事件のせいか、街に以前程の活気は見られない。
(冷えているのは俺の心の方か、それとも街の方か。──或いは両方か)
──まだ境悟小父様のことで悩んでるなんて、ホントヘタレ野郎ね。
美姫の言葉で余計なこと──妖魔のクラス他──を考えてしまった。
当然だ。誓の父親である炎導境悟は、五年前に世界を震撼させた魔帝と相打ったのだから。
何故父だったのか?
それは日本を代表する火の妖精術士の家系、炎導の当主にして、およそ千年の歴史を持つ炎導家において、始祖を超えたとまで言われた実力者だったからだ。
大き過ぎる力があった。だから白羽の矢が立った。
大き過ぎる力がなければ、父は今でも誓の隣に居たのではないか。
いつものように朝の挨拶を交わし、いつものように笑って、いつものように鍛え合い、いつものように温かい食卓を囲み、いつものように夢を語り合って。
そんな何でも無い、けれど穏やかな毎日があった筈なのに。
(机上の空論だ。イフにも程がある)
それでも──。
そんな思いが誓の胸を締め付けて放さない。
しわ寄せは、いつだって社会の上と下に居る者たちに多く振り分けられる。
一番いいのは中の上くらいの位置に居ることだ。
旨みも多くないが、その分しわ寄せも少なくて済む。
比較的波風が立たない毎日を送りたい者にとっては、いいポジションになること間違いなし。
平凡上等。老後は縁側でお茶を楽しむ生活万歳。
そんなことを美姫に言えば、間違い無く『精神年齢過剰』などと返されるだろう。
本来であれば、誓は妖魔に対して負の念を抱いてもおかしくないのかもしれない。
だが、その念を抱くには、誓にとって父の死はあまりにも大き過ぎて、同時に遠過ぎた。
その上、憎むべき相手は父がその命と引き換えに既に倒している。
誓が術士として責任を知る立場にいたことも災いした。
誓がただの野良術士であれば、全ての妖魔相手に見境なく挑み掛かっていただろう。
「全く、やってくれるぜ父さん」
だから、完全な負の感情ではなく、正負入り混じりつつもある方向に気力を向けることで、自分の復讐心を満たすことに決めた。
無論、迷いが完全に晴れている訳ではなく、そこを美姫に見抜かれもしたが、ずっとその場で足を止めているよりはマシというものだろう。
朱色に染まった、どこまでも遠く見える空を見上げる。
綺麗な空だ。
ここ最近の事件などなかったかのように、遥か彼方まで澄み渡っている。
火の精霊たちも同じ感情を抱いているのか、誓の周囲をせわしなく浮遊し空を眺めて──
──待て。
(火の精霊が、何故ここにいる?)
どうやら深い思考の波を漂っていたせいか、周囲の異変に気付くのが遅れたようだ。
(失態だ)
良く見ると、精霊が眺めているのは空ではなく誓だ。
どうやら、召還されて使役されたものの、あぶれた精霊が誓に引き寄せられたらしい。
遅まきながら、誓は火の精霊による結界を感知した。
(術が荒い。結界を張った奴は二流だな……。あっちは公園か)
実際の視界より広範囲を見られる術士としての視界で進行方向を伺いつつ、見つからないように隠蔽効果のある術を組んで駆けつける。
(ん?)
術士としての感覚が、誓とは逆に公園の方から走り去る小柄な黒い影を捉えた。
顔の目から上の素肌と耳から上の髪以外を覆った、東洋の忍者と西洋の騎士を足して二で割ったような全身黒ずくめの軽装に黒のアイガード。
如何にも怪しい格好だが、不思議と思考のピースが噛み合った。
人前で素顔を晒すことのない、水の精霊術士の家系の出身でありながら火を扱って国内指折りとなっている異端の炎術士。
(火の術士国内ランキング第九位。竜飛影斎)
少なくとも今代においては、その実績が複数の人間によるものでないと術式統括庁によって確認されているが、それでも何か臭う。
気にはなったが、互いに隠行して動いている術士同士、下手に接触することもないだろうと共に術的視覚で隠行状態を捉えられている感覚を覚えながら、実際の視覚には入れもしないで通り過ぎる。
その先で誓が見たものは──獰猛そうな野獣と鬩ぎ合う、朱金に輝く二体の天使だった。