第五章 四面楚歌 肆
次の日、同じく魔王の手先に風の精霊術士の家が一つ半壊──上手く逃げたため人的被害はそれなりに免れたが所有地が壊滅的被害──に追い込まれる。
その風術士の家は御三家の介入もあって敷地を取り戻すことに成功したにも係わらず、余計な種を蒔いてくれた。
『御三家がわざと敵を泳がせ、窮地に陥った精霊術士たちを助けて支配力を強めようとしている』
自分たちの敵前逃亡の悪評を抑えようと、あろうことか根はなくとも葉はある実に巧妙な噂をでっち上げたのである。
たった一日で、その事実無根の噂は一気に広がった。
「炎導誓だな。ちょっと面貸せよ」
そのせいで、こうした厄介事に巻き込まれる。
今日は結とぼっち同士で食堂を利用しようという話だったのに、結界まで作られては行くのが遅れそうだった。
「予定があるので、ご用件があるなら放課後にして下さい」
それでも、至って冷静に再訪問を促す誓。
「てめえ。何スカしてやがる。この状況分かってんのか?」
複数に囲まれても余裕を崩さない誓の態度に、上級生が苛立つ。
「上級生が七人、いや、見えないとこも含めるならもっとかな。で、下級生一人を取り囲んでるようですが、それが何か?」
近場の火事は結界内の五人。
誓にしてみればこの程度、先日の贋作親父一体より危機感を煽らない路傍の小石に過ぎない。
過ぎないが──。
不知火のブーストには時間制限があり、そのブースト後にも充填時間を必要とする。
救援か敵の潜伏先が判明して動員される可能性がある以上、三度目は勿論、出来れば二度目も避けたいというのが本音だった。
最悪、妖精術を使うという手もあるが、この精霊術の学び舎ではそれも避けたい。
(厳しいな)
誓の助っ人に入ろうと思えば、先ずこの結界による隔たりを抜ける必要がある訳だが、誰も彼もが術士故に見えているだろうこの状況に介入しようとしていない。
複数相手ということもあるだろうが、難癖を付けられているのが炎導という理由が一番なのは、周囲の冷めた視線を見れば一目瞭然だった。
「く、くくく、それが何か? じゃねーよ!」
「強がってる所悪いけどネタは挙がってんだからね。あんたの守護精霊を狙わずに直接ぶち込むくらい、この状況なら楽に──」
「こちらも子どもの癇癪に付き合ってる余裕ないんで、程度の低い八つ当たりならさっさとしてくれませんか?」
聞くだけ時間の無駄だと、誓は溜め息を吐いて指先をちょいちょいと動かし、さっさと掛かって来いよと挑発する。
少なくとも、この学園の生徒会まではこの状況を見過ごさないだろうと、誓は時間内を耐え切る方針に決めた。
「っざけんな」
「調子乗ってんじゃないわよ!」
上級生たちが臨戦態勢へと移行したその時──
ドゴンッ。
鈍い衝撃と共に結界の一部に穴が開き、そこから小柄な体躯の少女が躍り出た。
「な」
「全くね。悪戯にしては、度が過ぎてるんじゃない?」
この中の誰より低い身長でありながら、威風堂々とした振る舞いで相手を見遣る。
「最大の道化」
「結先輩」
誓と目の合った結は、にゃはっと安心させるように破顔した。
誓の心が温まる。
周囲の冷えた視線など、もうどうでも良かった。
「邪魔するなよ道化。こっちは友人が殺されたり重傷だったりで今気が立ってんだ。まとめてぶち殺すぞ」
義は我にありと、殺気を滾らせる上級生たち。
「どっちが道化なんだか。大体さぁ、その道化相手に模擬戦で一度も勝てたことのない人たちがどうやるのかなぁ? 興味あるよぉ?」
周囲の殺気をさらりと受け流しながら、結はなるべく自身に注意を惹き付けようと相手を煽る。
「笑わせるなよ。この人数差でなら負ける訳ないだろ。いつも逃げながらひょろい弾幕かまして判定勝ちを拾うような道化相手によ」
「最大霊力値が一年の最終測定で学内トップだったからって、無闇矢鱈と首突っ込まないでよ最大。私たちはあなたの悪戯と違って本気なんだから」
「おバカさんねー。それなら、尚更引けないじゃない。生徒会や学園の許可を取らない本気の私闘は校則い・は・ん」
「がぅ~」
余裕のない者たちと余裕のある者たち。
「校則違反の常習犯がッ。殊勝なことほざくな!」
「邪魔するなら容赦しないわ!」
その温度差が、遂に場の均衡を崩した。
先制攻撃を仕掛ける二人の風術士と、逃げ道を塞ぐように二段目となる攻撃を放つ三人の水術士。
(焦り過ぎだ)
「結先輩。俺は万能型です。リンクを──」
わざとその場に止まって二人とその守護精霊である白い梟と白馬を迎え撃ち、軽減させた先制攻撃を受けつつ結に呼びかける。
「! にゃはは。いいねぇ。ちょっと試そっか」
その提案に一瞬驚いた表情を覗かせた結は、軌道修正を強いられた三人の攻撃を華麗に捌きながら嬉しそうに頬を緩めた。
「はい。光り導け。不知火!」
「フラウ!」
ぼっちの後輩と先輩が結んだ絆が、紅緋の輝きとなって世界に具現した。
「微々たるブーストで凌げるかよ!」
既にリンクによる紫紺の輝きを放つ三人の水術士の一人が、前も後ろも頭の海蛇らしき守護精霊を纏わせながら突貫してくる。
「にゅふふ。それはどぅかな~。いっくよぉ。炎浄なる団結!」
相手の氷で固めた拳と、そこから伸びる鞭のような咬みつきをきっちりかわし、結が特異能力を発揮した。
「!?」
「最大の特異能力? 嘘でしょ。そんなの知らないって」
「一旦離れろ!」
入学以来、一度も見たことも聞いたこともない最大の道化の特異能力発動宣言に、過剰なくらいの動揺が広がる。
「そりゃねぇ。なんたって本邦初公開だもん」
にゅふふと得意気に笑い、如何にも何かありますよといった雰囲気を醸し出す結。
(これは……)
「く、効果の分かんねえものを警戒しても仕方ねえ。とりあえず防御固めて攻撃だ!」
誓がその効果に気付くと同時、上級生たちは再度距離を詰めて来る。
「誓こっち!」
「おわ」
狙われた誓の腕を結が引っ張り、炎の軌跡を描いて宙を疾走した。
(おお~。空中に火の足場を作って跳ぶのでもなく、噴射を利用するのでもなく、火走りによる空中疾走とは。超高等技術を用いながらこの安定感。結先輩カッケ~)
結の技術に感心しつつ、誓は気を引き締める。
炎導家にいる補助型や陰陽型でも、これを攻防と上手く併用する術士は二十代後半以降まで経験を積んだ猛者ばかり。
いくら学内最大霊力値と言えど、十代半ばの結では移動とひょろい弾幕で精一杯だろうと推測できた。
「この、相変わらずちょこまかひょろひょろと、ウザったい!」
十八番を奪われる形となった風術士が、感情に任せて風の刃による範囲攻撃を繰り出した。
待っていましたと、そこへ誓が不知火を滑り込ませる。
「しまっ──」
「蘇れ。不知火ッ」
逃げ道の確保と自身の強化を同時に為し、もう大丈夫と結と離れる。
「焦らないで! まだ霊力値も適正値も半分。注意すればどうとでも──」
「なりませんよ」
この状態でも単騎で蒼衣を攻め落とせた実力に加え、今は補助値と召還値で高い値を誇る結のサポートも望める。
しかも、結の特異能力である炎浄なる団結により、霊力の密度が若干増している。
それでも希少型を除けば防御、武装、基地型などの、高防御値を誇る相手を落とすのは難しい。
特殊型は術士のおよそ十人に一人。
つまり武装型や基地型である可能性は術士一人辺りたった五十分の二の可能性となる。
目の前の相手が五人なら、特殊型がいる可能性は低い。
そして同じく五人なら、防御型もその中に一人いるかどうかだろう。
とまあ、相手を知らない状況なら、こういう計算と見た感じで相手を選んでいただろうが──
「かはっ」
逃げながら教えて貰った結の持つ情報によって、攻めるべき相手を予め定めていた誓は、即座に一人を撃沈する。
これで、二人リンクが二組。
補助値と召還値が高く、学内最大霊力値を誇る結がいる条件下。
時間内を逃げ切るには、十分な戦力差だ。
「そこまでだ!」
「生徒会だ。双方、大人しく戦闘体勢を解除しろ!」
だが誓の読みより早く、騒ぎを聞いて生徒会役員が駆けつけた。
途中で何人か別れたのだろう、こちらにはたった三名の援軍だが、それで十分。
人的、或いは物的被害が及ぶ懸念の強い場合、生徒会役員三名の同意宣言があれば、生徒会側について術を行使して暴れてもお咎めを受けないという校則がある。
事実上の対全校生徒勧告である。
無論、それに応じるか否かは人によるし場所も影響するが、生徒会役員の強さもあって参戦者は多くなる傾向にある。
だから、ことを起こす場合はただただ迅速か、今回彼らが取ったように仲間を各所に配置して生徒会の行動を妨害するかという話になるのだが──。
「またお前か道化──と言いたい所だが、戦闘に至った経緯は大体把握している。今回はよくやったと言っておこう」
時間切れで大人しくなった生徒たちを尻目に、情報提供者のお蔭で迅速に行動を起こせた、結と同じく竜飛家の二大分家出身である庭涼介が含みつつも労いの言葉を述べる。
「トゲあるなぁ。素直に褒めなさいよ」
「ふん。その足りない頭で日頃の行いを少しは考えてから発言するんだな」
「むっかぁ。ベーッだ」
そんなやり取りを傍目に、情報提供者が誓へと近づく。
「セイ。大丈夫?」
「フィリエーナ。君が伝えてくれたのか?」
「ええ。まあ一応ね」
何処か素っ気無い対応のフィリエーナ。
フィリエーナなら相手が誓でなくてもこういうのは見逃せないだろうし、そういうことだろうと誓は踏んだ。
「にゃはは。突入する時も助かったよぉ。私だけじゃ結界破れなかったもん」
旧知との言い合いを終えた結が会話に加わる。
「それはお互い様です。私も先輩に隠行をサポートして貰わなければ、多少危ない橋を渡る可能性がありましたから」
攻撃に長けたフィリエーナと補助に長けた結。
急を要した案件とは言え、二人が即座に手を取り合ったことに誓は僅かな疑問を抱いた。
多少茶目っ気はあるが裏を感じさせない生真面目なフィリエーナと、根は思い遣りに溢れているものの表面上自由奔放な結では性格も合わなそうに思えたからである。
しかし、そんな誓の疑問はフィリエーナや結にとっては些細なもので、互いに相手の名を零して目が合っただけで十分だった。
「ムフフ、誓ってば意外と想われてるじゃない。しかもこんな綺麗どころに。憎いぞこのこのぉ」
結がニヨニヨしながら誓を軽く片肘で小突いてからかう。
「取り込み中に申し訳ありませんが、あなた方にも少しお話を聞かせて頂きます」
そんな誓たちの下へ、落ち着いた雰囲気の黒髪の少女──生徒会役員が話し掛ける。
結の口が、条件反射的に開いた。
「たっぴぃ」
「明日香様だろう道化。学内とは言え分家の立場を弁えろ」
涼介が、結の口の利き方を即座に注意する。
(竜飛家のご令嬢か)
今日は食堂行けないかもなと思いながら、誓はフィリエーナや結と一緒に生徒会メンバーに同行し、生徒会室内への初訪問を果たしたのだった。
(腹、減ったなぁ)




