第六章 炎導の双術士 拾悟
「後は……、お前に任せるぜ。誓」
懐かしい声を聞いたような気がして、夜の海に沈んでいた誓の意識は僅かに浮上した。
『──誓、お前は父さんより強くなれる。何せお前は炎導の──士。俺の自慢の息子だ』
『私が教えられる範囲でなら教えてあげる。──士とは、両方の術を行使出来る術士ではなく、実際は両方を一つのものとして扱うことの出来る者の呼称。それ故、妖精術の優劣関係を精霊術に反映させることや、逆に精霊術の優劣関係のない特性を妖精術に反映させることが出来る。そして、妖精術士に妖精具、精霊術士に守護精霊があるように、──士には創世があるわ。情報料? いらないわよ。知ったからって、どうにか出来る問題じゃないもの。それ程までに、人間側でまだ誰も到達出来ていない程に、一般の術とは次元が違うのよ。でもね、あなたは幸運にも、そこへ至るための切符を持って生まれた。その幸運を、決して手放さないで』
(俺は……死んだ、のか? いや、死にかけているのかもな)
何も見えない。
なのに術士だからか、周りが視えている。
(由紀、すまない。一時でも君との絆を忘れてしまうなんて)
(ごめん結先輩、また助けが欲しいとちゃんと言えなかった。俺、思ったよりプライド高かったのかな?)
(泣かないでくれよマキちゃん、頼むから)
(本当に……分かり易い窮地だな。嫌になる)
誓は、よくある主人公覚醒で逆転勝利という物語の展開が嫌いだ。
その程度で生きられる程──、弱者が覚醒したくらいで強者を抜ける程──
──1つの不条理を得たくらいで切り抜けられる程、ここは易しい世界じゃない。
だから必死に努力した。
他人より優れた才能があると言われながらも、それに胡坐を掻くような鍛錬はして来なかった。
求めるのは、到達するべくして成った揺るぎ無い強者。
特別な唯一人ではなく、鍛え抜いた少数精鋭。
(ああだけど、最期くらいなら、関係なく願ってもいいよな。怒ってもいいよな)
「強く、なり、たぃ。もっと、強く……ッ」
それは、純粋な願い。
異常な程に正常となった少年が終ぞ抱くことのなかった、努力や修練といった積み重ねを対価としない、心の奥底へ沈められていたもう1つの本音。
否、今までも思うことや口にすることはあった。
だがしかし、それらは努力や修練といった積み重ねを対価にすることが前提の、願いと言うよりは単に進むべき道でしかなかった。
それが今──
「殺、す。絶対、にッ」
それは、怒りの発露。
異常な程に正常となった少年が戦闘中故に終ぞ表すことのなかった、抑えに抑えていた強い感情、心の奥底で煮え滾っていた狂おしいまでの情動。
育まれた母娘の──フィリエーナとセリフィーヌさんの縁を切る?
大切な婚約者との──由紀と俺の縁を切るだって?
ふざけるな!! ああふざけるなよ!!!
赦される筈がない!! 否、他の誰が赦そうと、決して俺が──
炎導誓が赦さない!!!
そう、実に簡単なことだ。
感情が戦闘の邪魔になるというのなら、感情を出したまま御すればいい。
そうして漸く──、全てが揃った。
正と負、光と闇、表と裏。
少年があまりに正しいという、人間として異常な状態だったが故に欠けていたピース。
ドクンッっと、誓の心音が身体に、靄の掛かった脳に響く。
朦朧としているのかクリアなのか、冷めているのか煮えているのか、どちらでもあってどちらでもない意識の中──
出来上がる、世界が──
気付けば、誓は地面へと立っていた。
「どこまでも邪魔を。本っ当に忌々しいですね。カーネスト=ヴィルフレム」
赤熱皇帝アポロニガの討伐が炎導境悟に託されるまで、何度も邪魔をしてくれた神炎の精霊術士。
いや、妖精術士に託され殆どの精霊術士が手を引いた中、誓や拓真と共に父の配下である多くの魔王を屠ってくれた、エミニガにとっては実に忌々しい者の名だ。
「ですが、もう興味はありません」
立つには立った誓だが、傷が全快している訳ではない。
それはそうだろう。
エミニガの傷を死なせず残す不死系概念魔術は勿論、カーネスト=ヴィルフレムは神炎ではあるが天地型。
その特異値は堂々のワースト1位。僅かに10%。
全適正値が2倍となる神炎でも20%に過ぎない。
トリックを使って死者蘇生を可能にしたにせよ、吹けば飛ぶような死に体だ。
「これで──」
「俺………の……士。…を、任………。この……は………、手…さ……」
「? 何を言って……」
先のはっきりとしたカーネストのものと思える言葉ではなく、観察対象だった誓の不明瞭な言葉だっただけに、エミニガは耳を傾けてしまった。
「俺は、炎導の、…術士。後を、任された。この幸運は、仲間はッ、決して手放さない!」
焦点の合ってなかった誓の瞳が、言葉と共にエミニガを中心に定まっていく。
「創世。我は流転する不変、三つの最強の視炎なり」
誓が意図していないにも係わらず、まるで新緑が息吹くように、傷が見る見る癒えていく。
何もおかしくはない。
世界には自浄作用があり、そしてそれが人間個人の規模に納まっていれば、この程度の害毒は時間の問題だ。
「炎導誓。あなた、まさか──」
戦場の只中にも関わらず、誓は瞳を閉じる。
されどその視界は、今まで視たことがない程ぼんやりとこの世界を隠していた。
(これが──、この領域こそが──)
「「双術士」」
眼を開いた誓とエミニガの呟きが重なり、偶然にも静かに、強く響き渡った。




