第六章 炎導の─── 第一婚約者 伍
上位次元が当たり前に存在するこの世界において、不死の相手を殺すというのは、実のところ理論上は簡単である。
要は相手の不死性を含めて、まるまる殺してしまえばいいのだ。
消し去る、潰してしまうでも何でもいい。
しかしながら、それはあくまで理論上の話。
相手がどんなものであろうと殺す矛と、相手がどんなものであろうと殺されない盾。
その矛盾がかち合えば、勝つのは強い側、或いは数を揃えた側となる。
その方面を得意とする魔王や魔帝相手に、この矛盾勝負で勝利せよ、というのは酷く困難を極める。
だがしかし、魔術や陰陽術の家系に属する使い手であれば、その辺が幾分マシとなる。
研鑽。
妖精術士や精霊術士は、特性や特異能力の違いもあり、どうしても術の研鑽の大部分は個人にのしかかる。
特に、特殊型や希少型は顕著だ。
特殊型は術士の10人に1人。そして、その特殊型は全部で5種類。
特殊型の術士から見ると、自分以外に50人術士がいれば、同じ特性の術士が1人いるかなという具合なのである。
それなりの大家でなければ、同じ特性、方向性の似た戦術の先達がいないというのはザラにある。
一方、魔術や陰陽術の家系であれば、術の研鑽は先人からある程度引き継げる。
家によって秘匿される部分や、個人の資質も関係して来るので、1から10まで全部とはいかないが、それでも代々の積み重ねが活きるのだ。
さて、そんな代々の積み重ねであるが、殺せない──倒せない相手を想定した場合、陰陽術では封印関係の術が多い。
リスクもあるが、封印は意外と理に適っている。
殺した相手がその場で復活する類ならいいが、違う場所で復活する場合、下手に殺すよりは封じて管理する方がいい。これが1つ。
封印しておけば、仮に破られても往々にして弱った状態で現れる。2つ。
今は無理でも、後世では殺しきることが可能となるかもしれない。3つ。
かなり低いが、激昂状態だったのが落ち着いて話をできるようになるかもしれない。4つ。
場合によっては、使役できるようになるかもしれない。5つ。
エトセトラエトセトラと、こんな具合である。
由紀は戦闘を継続しつつ、幾つかある手の内から、どれが有効そうか狙いを定めていく。
ゼルメスの体長はおよそ10メートル。体重は10トンほど。
雷撃や振動の魔術への対策もいるだろう。
質量もあり、徐々にであっても凍らせるといった手段は難しそうに見える。
(封印するにも弱体化は必須。ですが、そちらも短時間でというのは少し無理がありますか)
『我を相手にここまで食い下がるか』
ゼルメスは感心していた。
ここまで互いに傷らしい傷はなく、せいぜい攻撃の余波が掠めた程度。
水中でという条件なら、ゼルメスと五分に渡り合えるのはそれこそエミニガくらいのものだった。
『よい、よいぞ娘。気が変わった。どうやら海の係累の力を宿している様子。主を屈伏させて我の仔を孕ませるとしよう』
──瞬間。
そういう目で見ないでとか気持ち悪いとか種族が違うとかあり得ないとか──。
そういった意識を追い越して、由紀の中にある怒りと怒り──2つの怒りが我先にと暴発した。
由紀の澄んだ紫紺の瞳が、金色へと変わり、瞳孔が縦に長く──そう、まるでリヴァイアサンのそれに倣うかのように変化する。
──コイツハ今、ナニヲ言ッタ?
──私ヲ孕マセルト言ッタノカ? 誓様ダケノ物デアルコノ身ヲ孕マセルト。
始まりの神海獣は神獣である。
番との仲を引き裂けたのは神だからこそ。
神意だからこそ、かつてその身と心を無いものとされるのを受け入れたのだ。
例外は、認められない。
始まりの神海獣、リヴァイアサンの鱗鏡を宿す由紀を依り代として、リヴァイアサンの神霊が降りる。
降霊術。
とは言え、その神霊は神の手によって召し上げられたもの。
実態は別として、形式上は綺麗さっぱり成仏されたことになっている。
では、そのソフトの抜けたハードのスペックだけが降ろされたならどうなるかと言うと──
動けない。
何せハードを動かすソフトが抜けているのだから。
しかし、由紀の中にはリヴァイアサンの鱗鏡があり、そしてそのリヴァイアサンの本来の名の意味は、集まって壁をなすもの。
由紀の中で増えたソフトの欠片が集い、既にハードを動かすに足るものとなっていた。
結果、そこに在るのは、人の形をして、人の意思を持った神海獣。
由来持ちの古の武装や雄のリヴァイアサンと比べたら、神に消された雌のリヴァイアサンには経年による歴史的、概念的、抽象的な上積みは殆どない。
最大神力値という観点から見れば、そのスペックはロートルもいいところ。
だとしても──。
集まって壁をなす、武器や呪術を通さないという特異性は、非常に強力だ。
そしてそれを降ろしているのは、陰陽術の才高き由紀。
由紀は最大神力値に秀でており、特に最大神容値が抜群に高い。
何かと他者の力を借り受ける陰陽術において、この最大神容値は殊更に重要となる。
そして火付け役、基礎エネルギーとなる神力。
陰陽術ではこの2つの才が共に高くあることが望ましいとされている。
その由紀に、リヴァイアサンのスペックがプラス。
「君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ。
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ。
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ。
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ。
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ。
君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ。
君がため 君がため──、リアライズ。無限影想 光孝天皇」
柔らかなイメージを含んだ言葉が並び、全体から清らかなイメージ溢れる、とても細やかな心遣いを描いた歌。
詠み手の汚れを知らない純粋無垢な心が、垣間見えるよう。
それが繰り返され、繰り返され、繰り返されることで、ああこんなにも変わってしまう。
純粋な光が幾重にも降り積もり、昏い凍りの枷となる。
そして世界は閉ざされた。




