第三章 異端 参
「リートリエルか。向こうじゃ日本と違って精霊術が主だから、実質火のトップってことよね。実力足りなくて左遷でもされたのかしら?」
「どうだろう」
フィリエーナの火の精霊術士としての腕前は見ている。
時間があって一対一なら、魔鬼相手でも勝てるだろう実力。
誓はクラス全員の実力をまるで知らないが、それでも間違いなくこのクラスで五指に入るだろうと断言出来る。
しかし、実力的にではなく家内での権力的な問題で左遷ということもあり得る。
(まさか日本の学校で再会することになるなんて。こちらからは近づかない方がいいかな)
先日のことに加え、誓は男だ。
現状、全員がそれとなく気にしている人物、それも女子だけに囲まれている人物に対してアクションを起こして悪目立ちしたくはない。
ここが平等に決められたクラスなら、そういった行動をする野郎の一人や二人はいてもおかしくないし、周囲も馬鹿やっているなぁ程度の反応で済ませるのだろうが、生憎とここはエリートクラス。
下手な行動は要らぬ軋轢を生みかねない。
なんだか将来的な実力がどうのこうのという話で、実戦経験の豊富なフィリエーナが魔帝を倒すのは無理という当たり前のことを言って、対人戦では優秀な女子たちの反感を買っていて雲行きが怪しいが──
入学早々、悪目立ちはしたくはない。
(全く、本当にどうかしてる。まさか、将来は自分たちでも魔帝を倒せると思ってるなんて)
誓の父親が命と引き換えに魔帝を倒したという実績は、確かにある。
妖精術士が命と引き換えに魔帝を倒したのだから、自分たち精霊術士は生きて魔帝を倒すという意気込みは分からなくもない。
(あの人の存在は公表されていないからな)
だが、神炎二人に黄金一人、間接的なものまで含めれば更に神炎一人に神風一人の顔触れでも、戦士タイプの魔帝相手に軽視出来る筈もない痛手を被ったのだ。
死に幾重も保険を掛けているような術士タイプの魔帝相手では、骨折り損どころか骨埋め損になりかねない。
魔神や魔帝の中には過去に倒されているのに転生という形で蘇ったり、時の魔術で死ぬ前に時間を巻き戻したり、生前に予め用意していたスペアに移ったり、そもそも死という概念や事象に対して何がしかの上書きを図っていたりなど、ソンナノアリ? という不公平のオンパレードである。
(言いたくないけど、神領域に至った父さんたちでさえ相手がよかったから倒せたんだ)
一方の人間側の術士はと言うと──、神領域に達するのは、一つの属性でおよそ二十年に一人と言われている。
人間が単純に百歳までに寿命を迎えるとすれば、一つの属性に四名。
妖精術五つ、精霊術四つで、計九つの属性があるから、神領域の術士は世界に三十六名存在する概算になる。
三十六分の二を、何れ補填の利くものと低く見るかどうかは人それぞれだろうが、その二人が尊敬する父と恩人である誓にしてみれば、到底無理な話であった。
(アメリカの炎術士の双頭、煌炎のリートリエルか。いい意味でも悪い意味でも注目されてるな)
本当に、入学早々から悪目立ちはしたくないものである。
ダンッ!
「バカにしていますの!?」
本当の本当にしたくはなかったが──、状況がそれを許してくれないこともままある。
「ちょっと不味いね。彼女、日本一の火の家系である赤口家のお嬢様だ。君も火の術士だろう。今は係わらない方がいいよ」
近くにいた眼鏡の似合う線の細い生徒が、身体の向きを変えて一歩踏み出した誓に忠告するように小さく音を零した。
確か水使いだったなと、記憶した彼に誓が視線を向ける。
まだ制服に着られている感のある誓と違って、彼は男子の制服を初日から違和感なく颯爽と着こなしていた。
「サンキュ」
お礼を言いながらも、誓は再度足を踏み出す。
はあ……と、希がわざとらしくため息をついたのも気にしないことにした。
「そこまでだ。Sクラスの花である君たちが、大勢でよってたかって一人を責めるなんて、折角の美しさを損なうと思わないか?」
「まあ」
「……」
「ブフゥ」
少々気取った言いようで、その場の主導権を引き寄せる誓。
希がわざとらしく噴いたのは気にしないことにした。
「遠藤くん、でしたわね。火の術士の。あなたの心遣いには応えたい所ですが、こちらも引けない領分がありますの」
「どうしても?」
「どうしても、ですわ。あなたの方こそ、この辺でお引きなさいな。私としましても、男気のあるクラスメイトに強制したくありませんの」
「買って貰ってありがたいけど、残念なことにそういう性分でね」
「そう、残念ですわね。仕方ありませんわ」
残念と言いながらも、その実そんな誓の態度をこそ称賛するかのように少女は薄く笑むが──
「……引きなさい火の精霊術士。私は赤口蒼衣。日本の火でトップの家系、赤口家の次期当主候補の命令ですわよ」
次の瞬間には表情の色合いを寒色へ変え、真実、上から目線で絶対とも言える言葉を吐いた。
「卑怯ね。嫌いじゃないけど」
実戦という名のなんでもありに重きを置く環が、小さく呟く。
火の精霊術士である以上、将来的には赤口家の息のかかった仕事につく可能性が高い。
しかも、術士として上に行けば行く程、そうなる率は高まるだろう。
その赤口家の次期当主の命令とは、即ち将来勤める所のトップの命令とも言える。
ここで逆らえば今に止まらず、将来まで除け者にされてしまいかねない。
「悪いけど聞けないな。赤口蒼衣さん」
だが、そんなことに誓が構う筈もなく──
「言っただろう? 俺は火の精霊術士の家系じゃないんでね。将来の働き口でも別に君たちのご機嫌取りに終始するつもりはないし、火の“精霊術でトップ”の家系の“次期当主候補”の命令を聞く理由はないよ。まあ、“どうしても”という頼み事なら“俺の方は”吝かでもないけど」
「な!?」
「セイ──」
「無礼な! 貴様、蒼衣様に向かって何たる言い草をッ」
蒼衣の周囲にいた取り巻きたちが戦闘態勢に移行する。
「その辺で止めときなさいよ」
「!? 鈴風の。あなたに口出しされる用件ではありませんわよ」
色々と含む所もあるだろうが、それでも日本一の風の家系である鈴風家の一人娘と後ろに控える護衛の鈴木の両名を前に、蒼衣は気持ち丁寧に横槍を拒む。
家名や実力で劣るとは考えていないが、それでも楽に御せるとも考えていないのだ。
「そうもいかないのよねぇ。何せほら? 協力関係にある家の“次期当主候補様”の危機だから」
「? 何を言って……」
「おい、のぞ──」
「まあ、ぶっちゃけ本気の勝負じゃ負ける訳ないけど、本気じゃない勝負じゃ負けが濃厚だし。ね? 誓。いっそ、何処が本当の日本一の火の家系か、ここで教えてあげるのもありなんじゃない?」
「本当の日本一の火の家系……。鈴風と協力関係で遠藤って、まさか──」
場に静寂が舞い降りる。
「御三家の一つ、炎導家」
「え、炎導誓って、確か術式統括庁の日本の火の術士ランキングで三位の──」
「数年前に三人で一日に魔王討伐数三十三体という脅威の記録を達成したっていう──」
「いや流石に人違いだろ。だって十代でランキングに入るなんて、しかも数年前に魔王を複数討伐? いくらなんでもあり得ない。あり得ない、よな?」
妖力値や霊力値の成長は四十代でほぼ頭打ちとなるが、二十代で十代の約半分、三十代では更に半分と成長と呼べるものは三十代まで続く。
そのため、術士のトップ10は軒並み二十代後半から上の年代の術士が占める。
残念ながら、術式統括庁のホームページでは名前と所属に主な実績しか載っていないので、年齢の方は情報規制される側の余人には確かめようもない。
現代ではネットにアクセス出来る端末には個々に情報制限が設けられており、電話はともかくメール内容や書き込みでは一度NGワードがないか確認されてから送られている。
当然、その端末同士で許可されていないNGワードがあれば、送信先へは届かず自分に返って来る。
とりわけ、日本の対妖魔の柱とも言える炎導家を含む御三家に関する情報は、かなり制限の高い部類に入る。
画像や動画の類ならと思わなくも無いが、ライヴ映像を流せるのは国から許可を貰った法人だけで、個人による画像や動画のNG確認は現状週単位待ち。
当然、その端末同士で許可されていないNGがあれば、以下略である。
生命線とも言える術士のことを人々が広く知っていないのは不味いとする声もあるが、上位の妖魔は高い知性を持つので下手に晒して狙われるのも不味い。
尤も、一番の理由は妖魔たちのせいで単純にネットワークの構築と維持費用がバカ高く、制限しないとただでさえ心許無いサーバーがダウンしてしまうからだが。
「…………」
第三位かそうでないか。
確証がない今、なまじエリート集団だけに下手は打てず、沈黙が続く。
そう、妖精術士を敵視して腕を磨いているが故に、自分たちよりも強い大人たちですら未だ覆せない第三位に喧嘩を売ったなら、勝てる筈もないことなど嫌でも分かっているのだ。
妖精術と被る火、水、土の術士ランキングでランクインしている精霊術の家系に属する術士は、三十人中たった三人だけ。
火においては、表立って言わないものの、精霊術士たちでさえその存在を怪しんでいる第九位が最高なのだから。
「で、どうかな? 別に競い合う機会ならこれからいくらでもあるんだ。今火花を散らす必要はないだろう?」
「……いいですわ。今はひいてあげます。ですが、いいですこと、鈴風希さん。フィリエーナ=リートリエルさん。そして炎導誓さん。近い内に三人とも私の前に跪かせて差し上げますわ」
そしてだからこそ、蒼衣は強気に受ける。
もし仮に誓がそうであったなら、そうなるための道筋か、或いはそれ故の弱点が必ずあると推察出来たから。
まだ精神は幼いが、蒼衣とてとびきりの英才教育を受けて来た才女である。
それ故の視野狭窄になり易いという悪癖こそあるものの、頭の回転そのものは悪くない。
蒼衣が希たちの方へ一瞥をくれてから取り巻きを連れて引き上げると、フィリエーナの周りから一気に人がいなくなった。
「いるかもとは思ったけど、まさかここにいるとは思わなかったわ」
「まぁ、ね。そこは術式統括庁が特に優秀だったってことで納得してくれ」
「特異能力。その状態下にあって尚、本来の霊力値を読み取ったってこと? ちょっと悔しいわね」
自分は気づけなかったのにと、フィリエーナは詮無いことと思いつつも軽くムカついた。
「……驚かないんだな」
「妖精術士の家系とは思ってたから。それに、私と肩を並べたのだから有名でも不思議じゃないでしょう?」
自信たっぷりに、少し自慢げに笑んでそんなことをのたまうフィリエーナ。
「いい洞察力だよ。本当に」
やれやれと、肩を竦めて同意を示す誓だった。
「誓」
「希。いきなりバラすなよな。もうちょっと友好を築いてからじゃないと、俺の高校生活が……」
悪びれも無く傍へ来る幼馴染に誓が文句を述べるも。
「何言ってるのよ。言えない秘密を抱えたミステリアスな男性像なんて、誓には似合わないでしょ」
「あのな──」
「と・こ・ろ・で」
更に言い募ろうとする誓を颯爽と無視って、希の身体と意識がフィリエーナへと向く。
(相変わらず自由だなおい)
「?」
「フィリエーナさんも、良かったら一緒にお茶して帰らない?」
「……ええ。いいわ」
希の誘いに、フィリエーナは誓を一瞥してから応えた。
「やた。ぃよっし、なら五人で──」
「ごめんなさい」
「環さん?」
急に悪びれもなく謝った環に、誓が嫌な予感と不安を募らせながら名前を呼ぶ。
一番最初に出来た友達と、炎導だからという理由でその縁を切られたくはなかった。
「そんな顔しないで誓くん。別に誓くんが炎導の人間でも私は構わないわ。ただ、私の周囲はそうもいかないから」
「周囲?」
「ええ。これでも私、赤口家傘下の術士だから。立場的にはそっちの鈴木さんと似たようなものよ。尤も、蒼衣様の護衛役は私だけじゃないし、私の魔術は設置型だからある程度距離も置けるけど。護衛役の一番の実力者が長いこと抜けたまま御三家とお茶してましたじゃ体裁も悪いじゃない? だから、また今度。蒼衣様や赤口家に見咎められないような状況で誘って」
所属する家を蔑ろにするような言動。
「本当に立場的には……、ですね」
鈴木の零した言葉には、少しばかり剣呑なものが混じっていた。
即ち、この蝙蝠は危険だと。
「構わないさ。それじゃまた明日」
だが誓は、環と鈴木の二人に答える形でそれを許容する。
愛埜と言えば、土の精霊術でトップ下三役に挙げられる家系である。
もし今の所属が環にとって仮初の宿にすぎないのなら、別段問題視するようなことでもないと──、誓は判断した。
「ええ。また明日ね」
そんな誓の対応に満足したらしい環は、蟲惑的な笑顔を残して教室を去る。
「しょうがない。なら四人で──」
「良かったら、もう一人加えてくれないかな?」




