7話 ティナとエレン(ティナ)
早く書きたかった話です。
・・そんなに長くないですね。
その日の夜会で、わたしはレオン様を除けば、一人と踊っただけだった。
次のお誘いがある前に、レオン様に連れ戻されたからだ。
すごく自然な動作で、レオン様は会場の人気のない場所に誘導していく。
これは本当に何かあったなと思った。
壁に寄って談笑している風を装って、レオン様は耳元で呟いた。
「ティリル嬢が来ている」
わたしは驚いて会場内に目を向けてしまった。
彼女が夜会に出席しているという話は聞いていたけど、避けられているのか、わたしはしばらく顔を見ていなかった。
不自然にならないように、目線をさまよわせていると、見つけた。
エレン様はテラス側に一人ででポツンと立っている。以前目にしていたような、取り巻きの少女たちや、ダンスに誘おうとする男性がいない。
彼女は目線は下がっているものの、背筋はピンと伸びていて、侮られないように気を張りつつも、疲れが出てきているといった風だった。
その時、エレン様がふと視線を上げて、わたしと目がしっかり合った。
わたしはどきっとしたけれど、彼女は驚いていないようで、そのままじっと見つめられた。
気づいていたのだ、わたしたちがいることに。
「ティナ」
レオン様に呼ばれてはっとした。
いけない。注目され始めている。
「どうする? 本来ならば彼女が退出するべきだが、しそうにない。お前が嫌ならもう帰ろう」
あまりないことだけど、同席すると気まずい貴族などがいる場合、格下の者がまず退出するのが常識だ。
エレン様が帰らないからといって、王子であるレオン様が引き下がるのはよくない。今回はわたしを気遣ってのことだと思われるだろうけど。
わたしはちらりとレオン様の顔を伺った。
怒られるだろうか。
「なんだ?」
「レオン様、わたしエレン様と二人で話がしたいです」
わたしが言うと、レオン様は驚いてから、心配そうな顔をした。
「大丈夫です。話をするだけです」
再度お願いすると、仕方なさそうにしながらも、あっさりと頷いてくれた。
「部屋を用意してもらおう」
わたしに一緒に来るように促して、大広間を出た。
この館の使用人に、空いている部屋を貸してもらえるようにお願いすると、すぐに部屋に案内してくれる。
レオン様はわたしに中で待っているように言うと出て行った。
しばらくぼんやり待っていると、扉がノックされる。
「どうぞ」
返事をしながら、わたしはエレン様がどんな顔で入ってくるだろうかと考えていた。
怒っているだろうか、それとも澄ましているだろうか。
カチャリと扉が開いた。
━━━ああ、やっぱり怒っている。
エレン様は目をつり上げてわたしを見ていた。恨んでいるという表現が一番しっくりくるだろう。
「なんの用?」
わたしが立ち上がって、来てくれたことの礼をいうよりも前に、攻撃的な言葉を口にする。
挨拶くらいしましょうよ。
うーん、どうしようかな。ここははっきり言った方がいいかもしれない。
今はほぼ対等な立場であっても、近い将来、わたしにこんな態度を取っていて困るのは彼女だ。
「無作法ですわ、エレン様。挨拶くらいは致しましょう」
丁寧に言ったつもりだったけど、嫌味だと捉えられたらしい。
更に目つきが悪くなった。
「どうしてわたくしがあなたに挨拶なんかしなくてはいけないのよ?」
「わたしが伯爵家の娘で、あなたも伯爵家の娘だからですわ。侯爵の娘であったころのように振る舞うのは、身の程知らずです」
淡々と告げると、エレン様は怒りで顔を真っ赤にした。
「あなた、やっぱりわたくしを馬鹿にするために呼んだのね!」
「いいえ?」
「嘘おっしゃい! わたくしが伯爵家に落ちぶれたのを見て、笑っているんだわ」
わたしはちょっと呆れた。
「わたしも伯爵家ですよ。だいたい伯爵家では落ちぶれたとは言いません。あなたは下級貴族や平民を何だと思っているんですか」
エレン様は馬鹿にするように鼻で笑った。
「あなたがそれを言うの? そんなに高そうな宝石やドレスを身につけておいて。わたくしよりも高い場所にいるくせに、下々の民の気持ちがわかるとでも言うのでしょう、あなたは。わたくしそんな人間が大嫌いだわ」
「わかるわけがないでしょう、平民たちの気持ちなんて、なったことがないんですから。わたしはただ、侯爵家から伯爵家になったくらいで、そのような言い方をするのは、下級貴族たちに失礼だと言いたかっただけです」
あと高いドレスを着ているのにも、ちゃんとした理由があるんだけど、それについては今はどうでもいい。
「ほら、やっぱりあなたは弱い者たちの味方だって言うんだわ。わたくしから何もかも奪っておいて、澄ました顔をしている偽善者のくせに」
「わたしがエレン様からレオン様を奪ったと思っていらっしゃるの? それは事実を捏造してらっしゃるわ。わたしが、あなたから奪ったものなんて、ひとつもありません」
そこははっきりと否定させていただきます。略奪愛疑惑はやめてほしい。
でもそれまで勢いよく言い返していたエレン様が、ぐっと言葉に詰まった。傷ついたように、顔を歪ませる。
しまった。言い過ぎた。気が強いから加減を間違えてしまったみたいだ。
「そうね。皆が言っているように、わたくしたちが加害者で、あなたが被害者なんだわ。可哀想なのはあなたのほう」
エレン様は口でそう言いながらも、そんなことは認めたくないと顔で言っていた。
彼女はそう言われつづけたのだろうか。今日のような夜会で、貴族たちに。
だけどそれは違う。わたしが可哀想だったことなんてない。
レオン様との誤解が解けた後、わたしは気づいたのだ。
自分がとても幸福な場所にいることに。
「わたしは被害者でも可哀想でもありませんよ」
そんな風に言えるわけがない。
「わたしはとてつもなく幸せな人間です。苦労らしい苦労なんてしたこともなくて、本気で誰かに傷つけられたこともありません。大切な人たちに囲まれながら、望まれて好きな人のもとへ行ける、幸せな人間なんです」
苦労なんて、彼女の父親の取り巻きたちに嫌味を言われ続けたという、苦労と呼ぶにはおこがましいようなものばかりだし、十歳からの厳しい教育も、嫌々やったことはない。レオン様は第二王子だから、将来王妃になるという重圧もない。
わたしはぬるま湯の中にいる。でも、
「それでもわたしにはわたしの信念があります。それを馬鹿にする権利は誰にもありません」
エレン様の目をじっと見て、挑むように言った。
「わたしは必ずレオン様と結婚します。その価値があるのだと証明してみせます。わたしはこれから幸せな場所にいたからこそ得られたものを利用して、国に尽くす王族になります」
「なにそれ・・・」
エレン様は泣きそうな顔をした。
「わたくしよりもあなたの方が相応しいとでも言うの? たまたまレオン様に気に入られただけのくせに」
「それでもわたしは努力しました。ただ言われるがまま勉強していただけですけど、努力をしたんです」
自分の方が相応しいと言いながら、何の努力もしなかった人にとやかく言われたくはない。
「なんで・・あなたはそんなことを言うのよ」
もう本当に泣き出しそうだ。
「なんで皆わたくしばかりを責めるのよ。わたくしが何をしたというの? イグナス男爵たちが言ったのよ。わたくしの方が相応しいって。レオン様の伴侶になるのはわたくしじゃないとおかしいって、ただ自分たちがそうさせたかっただけのくせに。わたくしは何も悪いことなんてしていないわ」
「ええ、その通りです」
全く悪くないわけではないけれど、わたしは即答した。
彼女はなぜかきょとんとして、こちらを見る。
わたしはほっとしていた。
よかった。エレン様は気づいたんだ。自分が利用されていたことに。
「ねえ、エレン様。まさかこのままでは終わりませんよね」
「え? なんのはなし・・」
「わたしこれでもかなり怒っているんです」
にっこり笑って言うと、エレン様は後ずさった。いいえ、あなたにではないですよ。
「あなたのお父様とイグナス男爵たちに。とても腹が立っています」
そう。わたしは何よりも彼らに怒りを覚えている。
エレン様のことを欠片も考えずに、間違った思考を植え付けたイグナス男爵たちや、ただ娘のわがままを聞き入れるだけで、現実を見せようとしなかったティリル伯爵に。
「エレン様、あなたは幸せになるべきです。そして彼らを見返してやりましょう」
エレン様はわたしの提案に動揺した。
「なによそれ・・・金持ちで地位の高い男性でも捕まえろと言うの?」
「いいえ、そんな彼らの枠に嵌まった幸せではないです。そうではなくて、エレン様自身を好きになってくれて、そしてエレン様が結婚したいと思えるような男性と結婚することです」
力説するわたしに、エレン様は信じられないものを見る眼差しをむけた。
「あなたは本当に何を言っているの? そんなの無理に決まっているじゃないの。結婚相手を見つけることですら、難しくなってしまったのに。早く家から出たくて、夜会に参加しても、もう誰もわたくしをダンスに誘ったりしないわ。以前は熱い眼差しを向けてきた人でさえ」
「大丈夫ですよ。エレン様は女性なんですから、嫁いでしまえば生家との関わりをほとんどなくさせることができます。エレン様が夜会で、わたしやレオン様と一緒にいれば、ティリル伯爵が王家を怒らせて侯爵位剥奪になっていても、娘は無関係だって思わせることができますよ」
わたしの提案にエレン様は心を動かされたようだ。
否定の言葉が出ずに、視線をさまよわせている。
「家から出たいのでしょう? わたしの手を取ったところで、損はしませんよ」
誘惑すると、これまたなぜか睨まれた。
しばらく葛藤するように手を握りしめて震えていたけれど、やがて決意したのか、高飛車に言い放った。
「結構ですわ。あなたのお話に乗ってさしあげます」
「・・・・・・それはよかったわ」
まずはその態度を直さなくてはいけないようですね。
高慢な態度は身分の高い女性がしてこそ、ぐっとくるものです。