5話 隣国の王女(ティナ)
4話で侍女の名前を間違えて表記していました。
誤メイサ→正マリー
大変失礼しました。
わたしはかなり落ち込んでいた。
カチュア様に余計なことを言って、励ますどころか更なる心配事を増やしてしまったせいだ。
おまけにお兄様がレオン様付きになって、気分は急降下の一直線だ。
最近はレオン様も優しいし、話もたくさんできるようになって、浮かれていたから、誰かに鉄槌を喰らわされた気になる。
浮かれていてすみません。誰にともなく心の中で謝った。
しかしお兄様のことはどうでもいい。
あの人に精神を削られている場合ではない。
それよりもカチュア様をなんとかしなくてはいけない。
わたしなんかより余程難しい立場にいるのだから、彼女の力になれなくてどうするというのだ。
「クリスティナ様、お顔が険しいですわ」
正面に座っているセーラが声を掛けてきた。
お説教かと思ったが、彼女は二人しかいない馬車の中でまで、こんな細かいことを言ったりしない。
セーラは気遣わしげな顔で、こちらを見ていた。
「最近あまり寝られていないのではないですか?」
確かに結婚準備やら夜会やらで忙しい上に、勉強時間も増やしているので、自然と睡眠時間が削られてはいるけれど。
「大丈夫よ。寝ていないせいじゃないわ」
頑丈にできているのか、わたしは睡眠時間が少ないことくらい、どうってことはない。本来ならピンピンしている。
「ただカチュア様をどう励ましたらいいのか考えていただけ」
今まさにそのカチュア様のところへ向かっている途中である。
セーラはああ、と納得した。
彼女はカチュア様の部屋でも、わたしの背後に控えているので、事情がわかるのだ。
「しかしあれは王太子殿下にはげんでいただくしか・・」
「はげむ? ・・はげむの?」
わたしはエルウィン様が励ますではなく、はげんでいただくと言った意味がわからず聞き返した。
「いえ、これはクリスティナ様にはもう少ししてから、お伝えしなくてはいけないことですので、聞き流してください」
「今教えてくれないの?」
不満を全面に出してみたけれど、セーラはきっぱり駄目だと言った。
「王太子妃殿下を励ましになるには、関係ないことです。それよりもクリスティナ様が、妃殿下の味方であることを、しっかりとお伝えすればいいのではないですか?」
関係ないことはないと思うんだけど、これは粘っても教えてくれなさそうだ。夫婦間のあれこれというやつだろう。
「そうなのよね。カチュア様がこちらに嫁いでから、まだ三年だもの。異国にいるという感覚がまだあるから不安なんだわ」
そもそも我が国クロードルとカチュア様の祖国ウィルダムは、表面上は対等であるものの、内実はちょっと違う。
ウィルダムの方が立場が弱いのだ。
それには七年前の災害が影響している。ウィルダムに大規模な大雨が降ったことにより、耐久性のない建物は崩れ落ち、川は氾濫して、作物は流されて、飢饉に見まわれたのだ。
ウィルダムはクロードルに援助を求めた。
だけど生半可な量の物資や金額では、ウィルダムは救えない。
貴族の寄付金では足らず、税金をつぎ込まなければいけなかった。
でもそれにはクロードルの国民が納得できる理由がなくてはいけない。平民には隣国の惨状などわかるわけもないし、話に聞いたとしても、遠い世界の出来事だっただろう。
ウィルダムの世情がこれ以上荒れれば、クロードルにも大きな打撃があるということも、影響が出ていない段階では実感しずらい。
クロードルはまず、国境付近で多発していた、強盗事件を引き起こした盗賊たちの引き渡しを求めた。
でもこれはかなり重要なことではあったけれど、国民がこれで納得するはずもなかった。彼らにしてみれば、犯罪者なんて捕まって当然だからだ。
そしてクロードルの国民が納得する、わかりやすい形として、ウィルダムの王女カチュア様が差し出された。
このおかげでウィルダムへの援助金が、相当な額だったにも関わらず、不満が噴出することはなかった。
そうして当時十五歳のクロードルの王太子と、十二歳のウィルダムの王女が婚約し、三年後に婚儀が行われたのだ。
カチュア様がクロードルに輿入れしたときは、まだ十五歳だったし、三年経った今でもまだ十八歳だ。不安な気持ちがまだ残っているのは当然だし、わたしがそれを少しでも取り除ければ。
先日の帰り際には、いくらか気分が浮上していたはずのカチュア様が、頭上に暗雲を漂わせていた。
「どうかなさったんですか?」
わたしはこっそりとカチュア様の侍女に尋ねた。
「昨日エルウィン様とほとんどお顔を合わせられなかったんです」
なるほど。構ってもらえるようになったと思ったら、ほったらかしにされたので、落ち込んでいらっしゃるわけですね。
わたしはカチュア様の前に回り込んで、顔を覗き込んだ。
「カチュア様、昨日はレオン様も何か事情があったみたいで、忙しくしていらっしゃったもの。きっとエルウィン様も同じですわ」
カチュア様は暗い眼差しをわたしに向けた。
「ティナは知っているのね。事情があったということを」
ええ、カチュア様はこれくらいで、励まされてはくれません。わかっていますよ。
「た、ま、た、ま、訪問していましたから」
わたしは偶然、訪問日であったことを、かなり強調した。
しかし効かなかった。
「ティナとレオン殿下はまだ結婚していないのに、よく会っているし、会話もしているわよね。わたくしたちと違って」
「今は結婚準備がありますもの。それに毎日会っているわけではありませんわ」
「でもあなたたちは仲がいいって、皆が噂しているわ。女性にそっけないレオン殿下が、あなたには優しいって」
うっ。今ここで、それを言いますか。
いけない。恥ずかしがったらいけない。
「カチュア様、エルウィン様に言いましょうよ。お話したいって。そうすれば叶えてくださいますわ」
エルウィン様は優しいのだから、断ることなんてないはず。
「でもお忙しいのに、そんなことを言ってはご迷惑だわ」
「エルウィン様のお仕事は、必ずエルウィン様がこなさなくてはいけないものばかりではありません。レオン様がそう仰っていたとお伝えしたでしょう?」
カチュア様はわたしをじっと見た。泣きそうな顔だ。
もしかしてまた余計なことを言ってしまったのだろうか。
「わたくしティナが羨ましいわ」
「え?」
「だってあなたは何でもできるもの。レオン様のためにたくさんの国の言葉を覚えて、外国の習慣や情勢も勉強して。ウィルダムのことなんて、わたくしが知らないことでも知っているわ。わたくしなんてこの国に嫁いで来た頃、クロードル語でさえ、流暢には話せなかったのに」
「・・十歳で英才教育を施されたら、誰だってそうなります。それにカチュア様は王太子妃としての仕事をちゃんと全うしていますわ」
「それにエミリア様にも大事にしていただいているわ。会話に親しみを感じるもの。わたくしには未だに遠慮なさっている時があるのに」
「カチュア様とエミリア様も十分仲がいいですわ。わたしは十歳でレオン様の婚約者になりましたから、子供のように思ってくださっているのですし、自国の貴族なのですから、遠慮など必要あるわけがございません」
わたしは必死に説明しているけど、聞こえているのかもわからない。
「エミリア様もすごい方よね。綺麗で頭がよくて、国中の女性の憧れだわ。慈善事業にも自ら提案などなさって実行しているし、民間の医療施設の改革まで進められて」
「・・・・・ええ、エミリア様はすごい方ですわ」
「それに比べてわたくしは本当に駄目よね」
「・・・・・・・」
「何にもできないもの。多額の援助金の代わりに嫁いで来たのに、代わりどころか役立たずだわ」
カチュア様はわたしが返事をしなくなったことに、気づいていない。
「こんな役立たずだから、エルウィン様もほったらかしに・・」
「うるさいです」
わたしはカチュア様の言葉を遮るという無作法をしたうえに、暴言を吐いた。
思ったよりも冷たい声が出ていた。
カチュア様がピシッと固まる。周りの侍女やメイドたちも固まっていた。
「違うと言っているでしょう。そんなにわたしの言うことが信じられませんか」
冷ややかな口調を保ちつつ、たたみかけるように言う。
「でも・・でも、ティナ」
この期に及んで、違うとは言わないカチュア様を見て、わたしはキラリと目を光らせた。
カチュア様の肩がびくっと震える。
「でしたら結構ですわ。そんなカチュア様はもうわたし知りません」
彼女に背を向けて、部屋を出るために一歩踏み出した。
「ま、待ってティナ、行かないで!」
右腕を両手でガシッと掴まれた。
かなり痛い。
「ごめんなさい。わたくしが悪かったわ。今日はどうしようもなく気分が塞いでしまっていたの。ねえ、謝るからそんなこと言わないで」
「・・カチュア様はご自分が悪かったとおっしゃるのね」
「ええ、わたくしが悪かったわ。お願いだから見捨てないで!」
彼女ははわたしを行かせまいと、必死にとりすがる。
「ではご自分から、エルウィン様にお話がしたいと、おっしゃってくださいますね」
「言うわ。自分から。約束するわ」
ぶんぶんと首を縦に振った。
それを見てようやくわたしは、厳しかった表情を和らげた。
「それなら、いいんです」
「ティナ・・・怒ってない?」
上目使いの涙目で、恐る恐る聞かれた。
「カチュア様が約束してくださったから、もういいんです。わたしも急に怒ったりして、ごめんなさい」
「ティナ・・・!」
涙声でわたしの名を呼んで、カチュア様はがばっと抱きついてきた。
「いいえ、わたくしが悪いの。ティナはずっとわたくしを慰めてくれていたのに、わたくし無視して、困らせるようなことばかり言って」
「わたしが怒ったのは、カチュア様が困ったことを言うからではありません。わたしの言うことを、少しも聞いてくれなかったからです」
「ティナ・・ごめんなさい」
ぎゅうっと抱きついてくる体を、優しく抱き返す。
穏やかになった空気に、周囲はほっとしていた。
カチュア様の侍女たちは、わたしがカチュア様に無礼なことを言っても、止めに入る者はおらず、男女の修羅場のような喧嘩をただ見ていた。
実はこんな風になるのは、今回が初めてではない。
ごくたまにではあるけれど、カチュア様が何を言っても聞き入れられず、どんどん暗い思考に落ちていくと、わたしがブチ切れてしまうことがあるのだ。
結果的にはカチュア様が持ち直すので、黙認されているらしい。
しかし帰りの馬車の中では、セーラに疑いの眼差しを向けられた。
「クリスティナ様、あれは本当に怒ってらしたんですか? それともわざとですか」
わたしはきっぱりと答えた。
「わざとよ」
セーラは呆れた顔をした。
何か言いかけて、口を閉ざす。どう注意すべきかわからないのだろう。
「なんとでも言ってよ。カチュア様があれ以上、落ち込まないことが大事だわ」
顔を外に向けながら、やさぐれた気持ちでわたしは言った。
ええ、狡いですよ。
たくさんの方々に読んでいただいているようで、とんでもなく嬉しいです。
ありがとうございます。
最後の一文、ご指摘いただきましたので、変えました。
こすい→狡い