番外編 エレンの葛藤5
わたしはティリル伯爵邸の応接間でエレンを待っていた。
彼女は今、叔父と話し合い中だ。わたしがいきなり会いに行くわけにはいかないので、ひとまず二人で話をしている。
もしも説得に失敗した時には、わたしが出向くつもりで待機していた。
エレンの叔父様がどんな人なのかわからないので、上手くいくかどうか、予測がつかない。ティリル伯爵よりも真っ当な人であってほしいけれど。
悶々としながら待っていると、扉が開いてエレンが入ってきた。
「エレン、どうだった?」
わたしは立ち上がって、彼女に歩み寄った。
「領地には行かなくていいし、結婚も急いでする必要はないと言われたわ。お父様も説得してくださるって」
「そう、よかった」
ほっと息を吐いた。
そうなるだろうと予測していたし、もしならなくても脅してでも説得するつもりだったけど、結果を聞けば安堵する。
「では行きましょう」
わたしはエレンの手を取って歩き出した。
「行くってどこへ?」
「いいから、いいから」
エレンを引っ張ってずんずん進んで行き、エントランスも通り過ぎる。外へ出て馬車が来るのを待った。
「ねえ、どこへ行くのよ」
「そんなの、決まっているでしょう」
エレンはまだわからないのか、頭を悩ませている。それなら着くまで秘密にしておきましょう。
わたしは馬車に乗り込むと、話題を逸らすことにした。
ずっと気になっていたことがあるのよね。
「ねぇ、エレンっていつからお兄様のこと意識していたの?」
「え・・・」
ただの興味だけど知りたい。
気持ちを自覚したのが最近だとしても、好きになるきっかけはいつだったのかしら。
「それは・・・」
エレンは恥ずかしがってなかなか教えてくれない。
「いいじゃない。教えてよ、誰にも言わないから」
こういう話は女友達の特権なのよ。言うのを嫌がっているわけではなさそうだから、ぐいぐい押してみた。
「たぶん・・・初めて会ったときから」
「まあ・・・」
なんてこと。やるわね、お兄様。お兄様なのに。
初対面というと、ダンスをするのさえ嫌がっていたはずだけど、あれは逆に意識していたからかしら。
あれ、でもそれなら、あのことはどういうことよ。
「エレン、それならどうして他の人とデートなんかしていたの?」
ビクッと肩が揺れた。
疚しいことでもあるのか、すいっと顔を逸らされる。
「エレーン?」
これはちゃんと説明していただきたい。デートなんて簡単にするものではないのだから。
「・・・だって認めたくなかったんだもの」
言い訳をするように、ぼそぼそと呟く。
「あの方わたくしのことを、まるっきり女として見ていないのだもの。悔しくて認めたくなかったのよ」
お兄様のことを好きだと認めたくないから、他の人とデートしていたというの。
ああ、でもそういえば、魅力的な女性として見てくれるところがいいと言っていたわね。その相手のこと。
こういう男性が好きなんだと自分に言い聞かせていたのね。
「それで無理してデートをしてみれば最低男で、しかも偶然居合わせたお兄様に助けられたのね」
エレンはうっと呻いた。
そんなつもりはなかったけど、かなりのダメージを与えてしまったみたいだわ。
しかしなんというタイミングの良さ。
その直後のエレンの態度の理由がちょっとわかったわ。
「エレンって・・・かわいいわね」
「どういう意味よ?!」
そのままの意味よ。決しておバカでかわいいと言ったわけじゃあないわ。
馬車を降りると、エレンは顔を青ざめて回れ右をした。
しかしその目の前をガラガラと通り過ぎて、さっさと厩に向かう馬車。
エレンはキッとわたしを睨んだ。
「どうしてあなたの家に戻っているのよ!」
「そんなの決まっているでしょう」
あっさり答えれば、今度は顔を赤くして逃げ出そうとする。歩いてどこへ行くつもりよ。
「待ちなさい。もう問題はなくなったのだからいいでしょう。あれをうやむやにしてしまうのはよくないわ」
「いいわよ、うやむやにしてちょうだい!」
「本当にいいの? お兄様があなたを好きになってくれるのを、じっと待つつもり? 相手はあのお兄様よ」
エレンの背中がぴたっと止まった。
「お父様がお兄様の結婚相手を連れてくるほうが先かもしれないわね」
追い討ちをかけると、黙ってうなだれてしまった。言い過ぎたかしら。
でも言ってしまった言葉は取り消せないのだから、どうせなら行動するべきだと思う。
「何も結婚するしないの返事をもらってこいと言っているわけではないわ。意識してほしいと言うだけでいいじゃない」
エレンは動かない。
でも拒否はしていないから、あと一押しね。
「お兄様と結婚できたらいいと思っていたんでしょう。今がんばれば、それが実現するかもしれないのよ」
もうあと一歩で幸せが掴めるかもしれないのだから、がんばってほしい。
わたしはお兄様がエレンのことを拒絶するというのは、あまり想像がつかない。子供扱いはするけれど、それってつまりは可愛いと思っているからじゃないだろうか。
結婚してくれる人がいないと思い込んでいるお兄様が、ほんの少しでも好意を持っている女の子に迫られて、心が動かないはずがない。絶対にここが勝負所なのよ。
エレンは何も言わないけれど、心の中で葛藤しているのがわかったから、わたしもこれ以上は口を出さなかった。
出迎えに来ていた使用人たちが不思議そうに見ている。
でもエレンが自分で決断を下さなければ意味がないから、わたしはいつまででも待つつもりだった。
「・・・クリスティナ」
「何?」
「一緒に来てくれる?」
とても不安そうな声で言う。
「もちろんよ」
安心させるように、落ち着いた口調で言う。
よかった。うやむやにしようとしないでくれて。
わたしは邪魔じゃないかとも思うけれど、エレンにとってはメイドに側にいられるよりかはいいのだろう。二人でお兄様の元へ向かった。
幸いお兄様はまだ在宅していた。
休みの日はよく外出しているので、運がいい。メイドに先程と同じ応接間に呼び出してもらった。
部屋に入ってきたお兄様は、少し急いで来たように見える。
「ティリル嬢、急に出て行ったから心配したよ。何かあったのか?」
ちょっと、何かあったのかって、何を言っているのよ。
探りを入れているわけではなくて、本気でそう思っている顔だわ、これは。
わたしは文句を言いたくなったけど、ぐっと我慢した。今は余計なことを言ってはいけない。二人で話をしなくちゃいけないのだから、空気のように存在感を消していよう。
エレンはこれから口にしようとしている言葉が恥ずかしいのか、沸騰するんじゃないかっていうくらいに顔が赤い。
「ティリル嬢?」
常にない様子に、お兄様が首を傾げた。
「あの!」
意を決したのか、エレンはやや大きな声を出す。
「ん?」
「先程言いましたこと、わたくし本気ですから!」
堂々と宣言した。
すごい。ちゃんと言ったわ。わたしは心の中で拍手を送った。お兄様に伝わっているかどうかが問題だけど。
「先程?」
やっぱり伝わっていなかった。
でもこれはエレンも想定していたみたい。
「あなたがその気のない女性と結婚するくらいでしたら、わたくしがしますと言ったことです」
はっきりと言い直した。ここまでちゃんと言えるなんて、がんばっているわね、エレン。
お兄様はああ、と納得した。なんかイラッとする。
「そりゃあ、俺は嬉しいけど、ティリル嬢はもっといい相手がいるだろ?」
同情されたとでも思っているのか、お兄様は苦笑した。
でもエレンは「嬉しい」という言葉に反応して、喜色を滲ませている。
「わたくしそんな人おりません。わたくしでは問題がありますの?」
「あるわけないだろ」
お兄様は即答した。
えっ、これは予想外だわ。もしかしてわたしが思っているよりもずっとエレンに好意を持っているのかしら。
それならこのまま一気に上手くいってしまうかもしれないじゃない。
わたしは期待を込めてお兄様を見た。
「でしたら・・・」
エレンもぱっと笑顔になる。
固唾を飲んで見守ると、お兄様は少し考えてから口を開いた。
「そうだな。ティリル嬢が大人になった後も、同じ様に思ってくれるなら、結婚しようか」
「・・・・・・え?」
エレンが笑顔のまま停止した。
にこやかに何を言っているのかしら、この人。
数時間前にエレンは十六歳で、結婚できる歳なのだと話したわよね。四ヶ月後に結婚するわたしと同い年だとも言ったわよね。
どうして親戚の小さい女の子が「大きくなったらお兄さまと結婚する」と宣言したかのような対応なの。どこまで子供扱いを引きずるの。
あああもう、すっごく腹が立ってきたわ。
乙女の勇気を振り絞った告白を何だと思っているのよ。誰かこの人をギッタギタにぶちのめしてほしいわ、今すぐ!
「・・・わかりましたわ」
わたしがお兄様にどう制裁を加えようかと考えているうちに、エレンは復活していた。なんだか今日一番冷静に見えるけれど、大丈夫かしら。
「そのお言葉きっちり覚えていてくださいましね! わたくし絶対に心変わりなんてしませんから、そのおつもりでいてください!」
意気高なご令嬢のように、高らかにエレンが言った。
不安がっていたり、恥ずかしがっていたりしていたのが嘘のようだ。
吹っ切れたというより、振り切れている。
「あ、ああ・・・」
お兄様が押されていた。
「わたくしすぐに大人になりますから、覚悟していてください!」
「ああ・・・」
勢いに唖然としながらも、お兄様は返事はしている。
これって結婚の約束をしたことになるのかしら。
判断に困るところだけど、それでも二人の関係が前進したことには変わりないわよね。
一抹の不安が残るけれど、今はこれで十分だわ。まだ時間はあるのだし、これからお兄様を本気にさせればいいのよ。エレンがこれだけやる気を出しているのだから、そんなに難しいことではないわ、たぶん。
なにはともあれ、このお兄様相手によくがんばったわよ、エレン。