番外編 エレンの葛藤1
最近友人の様子がおかしい。
急に挙動不審になったかと思えば、なぜかお兄様の様子を聞いてきたりする。
初めはお金目当ての下劣男から助けてもらったのに、ちゃんとお礼を言わなかったから、気にしているのかと思っていた。でも改めてお礼とお詫びをした後も、たびたび話題にするのだ。
それもちょっと顔を赤らめながら。可愛い顔をして。
「わたくしのこと礼儀知らずだとか仰っていなかった?」
とか言ったりする。
あのお兄様に礼儀知らずだと思わせられる人がいるなら見てみたい。
それにあなたもそんなことを気にするなら、どうしてあんな態度をとったのよ。
ともかくこれは、ある疑いをかけなくてはいけない事態だ。
そんな馬鹿なとか、あり得ないとか、わたしの脳が否定したがっているけれど、ここまでくれば確かめないわけにはいかない。
わたしはもじもじしている友人の顔をじっと見た。
ちなみにここは友人宅の庭園で、今は午後のお茶を楽しんでいる。
「ねえ、エレン」
「何よ」
彼女はわたしが凝視しているからか、ちょっと引いている。
「あなたお兄様のことが好きなの?」
ガッシャン!
エレンは手に持っていたカップを落としそうになった。
「な、何言ってるのよ! そんなわけないでしょう!」
真っ赤になって必死に否定している。わたしはほっとした。
「そうよね、そんなわけないわよね」
「えっ・・・そ、そうよ」
フフフフフと笑って、再び紅茶を楽しむ。
って、違うわ!
あり得ないという先入観が強すぎて、危うく言葉通りに受け止めてしまうところだった。
これはあれよ。いつものエレンの天の邪鬼が発動しているだけじゃないの。
ということは、もしかしてエレンって本当にお兄様のことが好きなわけ。あのお兄様のことが。
えぇー。嘘でしょう。
お兄様のことを好きになる貴族令嬢がいるだなんて到底思えない。平民の女の子ならまだあるかもしれないけど、エレンなんてお嬢様らしいお嬢様じゃないの。
悪い男から助けてもらったから惚れたのかしら。
ああ、でもよく考えたらそれって、恋愛小説なんかでよくあるパターンじゃないの。
その直後のエレンの様子が、恋に落ちた女の子の態度ではなかったような気がするけど。後になって自覚したとかかしら。
ともかくこれははっきりさせなきゃいけない。
「エレン、お願いだから、正直に話してちょうだい。お兄様のこと好きじゃないの?」
「・・・好きじゃないわよ」
「わかったわ。じゃあ今度から夜会のパートナーは別の人に頼みましょう」
「えっ! ちょっと、駄目よ!」
エレンは慌てて止めた。
簡単に引っかかってくれるわ。
「あら、何で駄目なのかしら」
両肘をついて、にこにこと微笑みながら意地悪に尋ねると、エレンは耳まで真っ赤になって顔を背けた。
「ちゃんと言いなさいよ。わたしに隠してどうするの」
からかいたい衝動をぐっと抑えて、優しく言ってみる。
「好きなわけじゃないわ・・・ただ、気になってしまうのよ、いつも」
「説得力がないわね。そんな可愛い顔して、好きじゃないなんて」
「なっ!?」
エレンは体中の血が顔に集まってしまったんじゃないかと思うくらいに真っ赤になった。
ほんと可愛いわ。自分では好きじゃないって、本気で思っているのかしら。認めたくないのかもしれないけど。相手がお兄様じゃあね。
「でもまあ、そういうことなら、まずはエレンが自分の気持ちを理解しなくちゃね」
エレンはわたしにやり込められることを怖れてか、黙って上目遣いで睨んでくる。
「時間の問題だと思うけれど。ちゃんと自覚したら、きっちり協力するから任せてちょうだい」
エレンの両手を握りしめて宣言する。
「・・・・・・なんでそんなに笑顔なのよ」
なぜか泣きそうな顔で言われる。
そりゃあ、協力できることが嬉しいからよ。もう、人の恋路がこんなにも楽しいものだったなんて知らなかったわ。
わたしはものすごくやる気に満ちていた。
「エレン、わたしには何でも話してね」
「だからなんでそんなに笑顔なのよ!」
そんな風に友情を育んでいると、ティリル家のメイドが申し訳なさそうに話しかけてきた。
エレンがあからさまにホッとする。
「お話中に失礼致します。お嬢様、旦那様がお呼びですわ」
「お父様が?」
さっきまでの可愛らしさがどこかへ行って、エレンは微かに嫌悪感すら滲ませて、顔を歪めた。
相変わらず仲が悪いようだ。ティリル伯爵の自業自得だけど。
「では、わたしはこれで失礼するわ」
「ええ、ごめんなさい、クリスティナ」
見送りを断って、わたしはティリル伯爵邸を出た。
さて、帰ったらお兄様に探りを入れないとね。
仕事から帰ってきたお兄様を捕まえて、すぐさま居間に引きずっていく。
「ティナ? どうしたんだ、オイ」
お兄様は自分が何か仕出かしたとでも思っているのか、焦ってわたしを宥めようとしている。怒っているわけじゃないんだけど。
「ちょっとお話があるだけです」
無理やりソファーに座らせて、正面に腰を下ろす。困惑しているお兄様にどうやって切り出すべきかしら。
まずは好きな人がいるかどうか確認したい。いる気が全くしないけど、決めつけるわけにはいかないし。
でももうちょっとさり気なく話したい。
「ねえ、お兄様って結婚のことどう考えているの?」
無難な話題から持っていこう。
「そりゃあ、思い切り祝福するつもりでいるぞ」
「・・・わたしの結婚の話じゃないわ」
今更お兄様が結婚に反対しているかもしれないなんて心配はしていないわよ。どうしてそっちに考えが行くの。
この人いつか自分が結婚しなくちゃいけないってわかっているのかしら。
「そうじゃなくて、お兄様の結婚のことよ。いつしたいとか、どんな相手がいいとか、考えたことないの?」
「あぁー、・・・ねぇな」
でしょうね。
「そのうち父上が誰か探してくるんじゃないか?」
自分で探す気ないわ、この人。
貴族の結婚というのは、親があてがう以外は、基本的に夜会に出向いて自ら探すものだ。ダンスなどに誘って親密になっていき、最終的には男性がプロポーズをする。
お兄様には難易度が高すぎるけど、ここまで投げやりでいいわけがない。
「ちゃんと探してください。お兄様の奥様なんて、貴族の女性にはとても大変なんだから、親に決められて嫁いできた人が可哀想です」
「・・・お前は俺にだけは容赦ねぇな」
それはあなたが幼少の頃のわたしに容赦なかったからです。
「でも進んで俺と結婚してくれる令嬢なんているか?」
「探してもないのに、何言ってるんですか」
はっきり言って、お兄様の地位とお金目当ての女性なら大勢いるし、外見に騙されて本性を知らずに憧れている女性も多い。
でもそういう人と結婚しても、幸せな生活は送れないだろう。
わたしはこれでも一応、お兄様のことは嫌いじゃないから、本性を知っても結婚していいと思ってくれる女性と、一緒になってほしい。
「無理だ。そんなに夜会に出たくない。ティナ、代わりに探してきてくれ」
「どうしてわたしが・・・」
拒否しようとして、わたしは口を閉ざした。
ある可能性が頭に浮かんでしまった。
「ねえ、もし・・・もしですけどね、わたしが結婚をおすすめする女性がいるとしてですね」
「ああ」
「その人もお兄様との結婚を嫌がっていないとしたら、とうします?」
お兄様は願ってもないという顔をする。
「そりゃあ、結婚するな」
「・・・・・・・・・」
即答された。
わたしは一体、どうするべきかしら。
もしかしたら今すぐにでも話が纏まるかもしれないこの事態。
いやいや、でもそれはないでしょう。さすがにないわ。
そう、だいたいわたしはエレンに幸せになってもらうために、一緒に結婚相手を探していたのよ。
この場合、お兄様にエレンを好きになってもらって、それから結婚するのが、エレンにとって一番の幸せになるはず。
彼女はまだ十六歳だから、焦る必要はないわ。お兄様だってしばらく結婚なんてしそうにないし。
まずはエレンに気持ちを自覚させて、それからお兄様にエレンのことを意識させる。
まずはそこからにしよう。