28話 約束(ティナ)
「お世話になりました。クリスティナ様」
ハーレイ伯爵邸の門の前、黒塗りの馬車を背にして立っているローラさんが礼を言った。
「いいえ。わたしは楽しく過ごさせてもらったわ。寂しくなるわね」
残念に思いながら、今日限りで伯爵家の侍女を辞める彼女を見送るために、わたしは表に出ていた。
ローラさんと話をするのは楽しく、昔王太子の婚約者として社交界に出ていた時のことなど、為になる内容まで教えてくれるから、ずっといてほしいくらいだった。
だけど先週、ウェルダイン元公爵がウィルダムで密かに逮捕され、クロードルまで搬送されるということがあった。
その翌日には、クロードルが関税率の交渉をウィルダムに要請し、交渉役にリンデル侯爵を指名したものだから、ウィルダムの王城内ではかなりの波紋が広がっているらしい。権力の力関係が崩れて、混乱がどんどん大きくなっているようだ。
特にイングラル侯爵は自分の地位を崩すまいと、リンデル侯爵に寝返ろうとする貴族への圧力やら何やらに躍起になっていると聞いた。
そんなわけで、ローラさんはもう死んだふりをしなくてもいいだろうと判断されたんだけど、エミリア様が心配して、チェスロに帰すのを嫌がったのだ。
そしてエミリア様にお願いされれば断れないローラさんは、王宮で侍女として勤めることになった。
22年も経てば、現王の婚約者だった女性と同じ顔をしていても、他人の空似で済ませられるからというのもある。
「嬉しいお言葉ですね。でもまたすぐにお会いできます」
「そうね。明日にでも会うかもしれないわ」
それに五ヶ月後には、わたしも王宮に住んでいるはずだ。
「ええ、ではまた」
ローラさんはセーラとも別れの挨拶をしてから、お迎えの馬車に乗り込んだ。
立ち去る馬車を見送ってから、邸内に戻ろうとする。
しかし別方向から立派な馬車が、伯爵邸に向かって来た。
どこかで見たことがあると思っていたら、その馬車は門を通り過ぎるとすぐに停車した。
そして中からピンクのドレスを身に纏った金髪の少女が現れる。
「クリスティナ!」
エレンは突然やって来て、しかもなぜかわたしに怒っているらしい。
「どうしたのよ、エレン」
こちらに突進してくる彼女に、冷静に聞いてみる。
「どうしたじゃありませんわ。あなたのお兄様です!」
またお兄様ですか。
「わたくし男性と公園でデートしていましたのよ。それなのに!」
怒りが勝ってまともな説明ができていない。
「デートってもしかしてこの間話していた人? もうデートまでしてしまったの?」
いつの間にそこまで進展していたのだろう。
男性の基準が高いエレンにしては、地位もお金もあまりなく、代わりに顔がまあまあ整っている人だった。
彼女が言うには、とても魅力的な女性として扱ってくれるところがいいらしい。
しかしデートというのは早すぎないだろうか。
エレンはうっと言葉に詰まり、ついでに少し落ち着きを取り戻したようだ。
「そう、でもあなたのお兄様が急に話しかけてきたの」
デート中の女性に?
何をしているの、お兄様。
「それは悪かったわ。お相手は誤解しなかったかしら」
「い、いえ、それは・・・」
いきなり歯切れが悪い。
「エレン? わたしが責任持って協力するから」
「いえ、いいわ!」
なぜかぶんぶんと音が出そうなくらい首を振る。
失礼な。わたしはお兄様と違って、仲を取り持つぐらいのことはできるわよ。
「でもあなたが本気でその人と付き合いたいと思っているのなら・・・」
「思っていないわよ! あんなお金目当てのいやらしい下劣男!」
我慢がならないという風にエレンが叫んだ。
え、ちょっと待って。
「いやらしいって・・・。何かされたの?」
「人の来なさそうな場所に無理やり連れ込まれそうになったわよ!」
「ちょっと、すごく危ないじゃないの!」
デートなんて気軽にしてはいけないって、誰か彼女に教えなかったのだろうか。とにかく無事でよかった。
あれ、でもそれって・・・。
「ねえ・・・もしかしてお兄様はエレンのこと助けただけじゃないの?」
エレンはぴたっと動きを止める。
わたしをちらっと見てから、スーッと顔を逸らした。
正直ですこと。
「エレン? まさかお兄様にも礼を言わずに、文句を言ったのかしら」
「だってあの方、ちゃんと家の人と一緒に外出しなさいって言ったのよ。誘拐されかけた子供じゃないのよ、わたくしは!」
またしても子供扱いが癪に障ったのね。
そしてお兄様のエレンに対する扱いが、妹以下になっているわ。
「それでも礼ぐらいちゃんと言いなさい。その下劣男と結婚するしかない状況になってもよかったの?」
「う・・・」
素直に謝ったり、お礼を言ったりすることがとても苦手なエレンは、またしても押し黙る。
しょうがない娘だ。まったく。
でも今日のところは見逃してあげよう。
「この話はまた今度しましょう。わたしはこれから王宮に行くから」
「今から? わたくし来たばっかりなのよ」
「約束していたわけではないでしょう。急に来るエレンが悪いんじゃないの」
「あなた王宮に行ってばっかりではないの」
そんな不満げに言われると、拗ねているようにしか見えない。
「わかったわ。明日はわたしから会いに行ってあげるから」
「そういう意味じゃないわよ!」
よく怒るなあ。
「じゃあ、次に会うのは夜会ね」
「・・・来るなとは言っていないわ」
ほんと素直じゃない。
王宮へ行くと、珍しくレオン様が散歩に行こうと言い出した。
大事な話があるのではなかったのだろうか。
疑問に思ったけど、断るなんてもったいないことはしない。わたしは機嫌よくレオン様について行った。
王宮は門から城までの距離が長く、そこが全て中央庭園になっている。
でもレオン様が向かったのは、あまり人が来ない、城の東側にある庭園だった。もちろんここにも色とりどりの花が咲き誇っている。
「初めて来ました、ここ。静かでいい場所ですね」
中央庭園と同じくらい綺麗なのに、人の気配がないからか、緑に囲まれているという感じがする。
「ああ、サボるにはちょうどいい場所だ」
「レオン様もサボることがあるんですか?」
「たまにな」
意外だ。割と不真面目な人だけど、仕事にはかなり真面目なんだと思っていた。
「私もサボることはある。だからティナ、お前もあまり気負いすぎるな」
「え?」
「勉強量を減らしていないだろう。最近は夜会や結婚式の準備だけでなく、義姉上やティリル嬢の相談に乗ったりしているし、おまけにこの間までの騒動もある。それなのに今までと同じ量の勉強を続けていれば、体を壊してしまう」
レオン様は気遣うようにわたしを見ていた。
心配させてしまっただろうか。でも体を壊すというのは大袈裟だ。
「確かに気負っていたかもしれません。レオン様の妻になるのだから、ちゃんと認めてもらえる人間にならないとって思っていました。でも、自分のできる範囲でしていますよ。それこそ体を壊して夜会を欠席なんてできませんから」
思いつめているわけじゃない。ちょっと気負っていただけ。
でもレオン様は納得いかないという顔をしている。
「ティナ、私はお前を誇りに思っている。今までやってきたことだけでも十分なんだ。初めは私が強制的にやらせていたはずなのに、私の想像以上にお前はがんばりすぎている。行く先々で自慢したいくらいだ。だけどそれでは不公平だろう。私ばかりいい思いをしすぎている」
レオン様がよくわからないことを言い出した。
誇りとか自慢とか言い過ぎだし、それに不公平ってなんだろう。
「だからティナもたまには我が儘くらい言ってくれ。私にできることなら、何でも叶えるから」
「何を言っているんですか。わたしはレオン様と結婚できるだけで、十分いい思いをしているんです。不公平なわけないですよ!」
びっくりした。本当に何を言い出すんだろう。
「でも私はティナに我が儘を言ってほしい。考えてみれば、一度も言われていない気がする」
そうかもしれない。だって婚約者とはいっても、レオン様は王子だし。
「あまり遠慮や我慢をされると不安になる」
「不安ってどうしてですか」
「私は将来、絶対に隠し子がいなかったという理由でティナに残念がられたくはないからな」
レオン様は真剣な目で言った。
それって、あれだろうか。陛下に隠し子がいないとわかった時の、エミリア様の反応のことだろうか。
あんな反応を絶対にされたくないと。だからこんなことを言い出したということですか。
え、ちょっと待ってください。もう無理です。
「ふっ・・・あはははははは!」
わたしは堪えきれずに大笑いしてしまった。
だって的外れすぎる、そんなの。
レオン様が隠し子を作るわけがないし、わたしがいないことを残念がるわけがない。
わたしはこれまで態度でいろいろ示してきたつもりだけど、わからなかっただろうか。
「ふふっ・・・わたしはレオン様のこと大好きですよ」
必死に笑いを収めて言うと、レオン様はばつが悪そうにした。
「笑うな。好意を向けられてはいるのはわかっていたが、嫉妬されたことはなかっただろう」
そんなのするわけがない。
「だってレオン様、わたし以外の女性に優しくしないじゃないですか。あからさまにわたしを特別扱いしてくれているのに、嫉妬なんてするわけがないです。・・・でも、そうですね。レオン様がわたし以外の女性に優しくしたら、嫉妬しますよ」
わたしの答えにレオン様は満足そうな顔をした。
こんなことで満足しないでください。
「じゃあ、レオン様。我が儘を一つ言ってもいいですか」
レオン様は機嫌よく頷く。
「ああ、何でも言え」
「レオン様の口から結婚しようって言ってほしいです」
虚を突かれたような顔だった。
全く思いつかなかったらしい。男の人だからそういうものか。
「あ、跪いたりとかはなしです。一言いってもらえればいいので」
プロポーズをしてもらいたいわけじゃない。王家から要請があったから結婚するのではなくて、レオン様が結婚しようと言ってくれたからするのだと思いたいだけだ。
「では、クリスティナ・ハーレイ」
今更なのでお互いにちょっと笑ってしまう。
「私と結婚してほしい」
「・・・はい」
庭園で散歩しながら、ただ言われただけだけど、これってなかなか感動してしまう。
すごく嬉しい。嬉しすぎる。
「ティナ、左手を出してくれ」
「あ、はい」
いきなり言われたので、手の平を上にして出すと、手首を掴んでくるっと反転された。
そして薬指に何かを嵌められる。
わたしはその何かをじっと見た。
指輪だ。翠の宝石がきらきら輝いている。そして左手の薬指。
どう見ても婚約指輪。
「結婚指輪もあるからな。同じ指に嵌めなくてはいけないから、シンプルなものにしている。それは母上にも相談せずに、私一人で決めたものだから、センスが悪くても我慢してくれ」
わたしは返事もできずに、指輪を凝視していた。
レオン様らしい、とてもシンプルなデザイン。でも宝石の色が不思議なくらい、わたしの瞳の色とよく似ていた。
嬉しいという言葉では足りなくて、気がつくとボロボロ涙を流していた。
「ティナ?!」
レオン様が焦っている。何か言わなくては。
「・・・ありがとうございます」
ようやくそれだけ言うと、ただ感動して泣いているのだとわかってくれたみたいだ。
もうこれは一生ものの宝物だ。死ぬまで大事にしよう。
「わたしものすごく幸せ者です」
指輪から目が離せないまま呟いた。
「・・・大袈裟だ。それに、それは結婚してから言ってくれ。ずっと言わせるように努力はする」
「ふふ、ではわたしもレオン様を幸せにできるように努力します」
ずっと二人でいることが幸せであったらいい。
「約束です」
これにて本編終了です。
読んでくださってありがとうございます。
心より感謝いたします。
この後は番外編をゆっくりめに更新していく予定です。