24話 交渉(レオン)
窓から覗いた表通りには、多くの人々が行き交っていた。
旅人や商人らしき人がよく目につき、大きな荷馬車が何度も通り過ぎる。護衛が短剣を提げている姿もここでは珍しくない。
国境に面した街なのだから当然だ。毎日大量の人と商品が出入りしている。
だが数年前まではここまで賑やかではなかった。むしろ七年前には盗賊が多く出没し、荒れ果てていたのだ。
現在はウィルダムの盗賊たちは消え去り、代わりに商人たちがやって来るようになり、荒んだ空気は活気の溢れるものへ変貌した。
ウィルダムの人々がこの勢いを保ち続けたいと思うのも、自然のことだ。
そう納得したところで、私は部屋の中へ視線を戻した。
先ほど目的の人物がこの宿屋の門をくぐるのが見えたから、もうすぐ到着するだろう。
この部屋には私の護衛のロデリックと侍女が一人しかいない。
残りの護衛は控えの間で待機しており、そこから話し声が漏れ聞こえた。彼が来たようだ。
ノックの音に私が頷くと、ロデリックが扉を開けた。
壮年の背の高い男性が現れる。彼がリンデル侯爵か。
常に厳めしい顔をしていそうな男だった。気の弱い者なら、姿を見ただけで萎縮してしまいそうだ。
「来ていただいて感謝します、リンデル侯爵」
「あなたがレオン殿下か」
「ええ」
「こちらこそ連絡をいただいて感謝します」
丁寧な態度を保ちつつ、お互い下手には出ずに、さぐり合うような空気が流れる。
やりにくそうな人だ。さすが平和なクロードルとは違い、足の引っ張り合いが日常茶飯事の王城で長年過ごしてきただけはある。
「・・・帯剣はしていないのですか」
リンデル侯爵が私とロデリックを交互に見てから言った。二人とも武器は持っておらず、それがわかるように軽装になっている。
「話し合いの場にそんの無粋なものは必要ないでしょう。それにこちらには彼女がいるのですから、剣など持っていて信頼を失うような真似はしたくありません」
私は部屋にいる侍女を見た。リンデル侯爵の姪にあたる女性だ。
彼女が同じ部屋にいる状態で帯剣していれば、リンデル侯爵はかなり不利な立場になる。しかしこちらは脅したいわけではなくて、協力関係を築きたいだけなので、まずは信頼してもらわなくてはいけない。
それに侯爵側もこの部屋に入る前に武器類は外してもらっているし、入室は侯爵を含め二人としている。
彼の背後には従者だか護衛だかよくわからない男がいるが、この男がいざとなれば侯爵を守るのだろう。
はっきり言って相手が隠し武器を持っていたとしても、ロデリックと二人なら、ある程度はなんとかなると思っている。下手に近づきさえしなければいい。
第一印象としては、そこまでの警戒は必要なさそうだが、用心を怠るわけにはいかない。
「叔父様、お願いを聞いてくださってありがとうございます」
「イングラル侯爵がクロードルにまで魔の手を伸ばしていると聞けば、放っておくわけにもいかん。早速だがレオン殿下、クロードルは関税の引き下げを承認したということですかな」
「ええ、関税の引き下げはクロードル側から打診します。その際の交渉役として、あなたを指名します。上手く好条件を引き出させたかのように演出してくださいね」
「見返りは?」
「イングラル侯爵をさっさと失脚させてください」
リンデル侯爵はくっと笑った。
「なかなかに難しいことを言ってくださる」
その顔には疲れが色濃く出ていた。
「あなたは長年そうしようとしてきたでしょうからね。彼は王家もおびやかそうとしているのですか」
「ああ、徐々に王族の権威を削いでいっている。宰相になった暁には、事実上の最高権力者になろうとしているのだろう」
やはり思っていた以上にイングラル侯爵は悪辣な人物らしい。
「こちらとしても協力はします。自分の利権のためだけに他国の王家を脅そうとする人物に、宰相にはなってほしくないですからね」
彼が宰相になれば、両国間の関係は荒んだものになりそうだ。
しかしイングラル侯爵の周囲には彼の権力に群がる貴族も多い。力を持った貴族は、簡単には失脚させられない。かなり大きな犯罪の証拠でもない限り、徐々に力を削いでいくしかない。
「それともう一つ条件があるのですが」
「おや・・・それは多いのではないですかね。私が宰相になるのはそちらの希望でもあるのでしょう」
リンデル侯爵は急に余裕のある笑みを浮かべる。
食えないおっさんだ。
「では言い直します。お願いがあるのですが」
「お願い?」
何を言っているんだという顔だ。
「はい。ウェルダイン元公爵をこの街まで連行してきてください」
そもそもの元凶はこの元公爵にある。
さっさと身柄を確保してしまいたいのだ。
「それは・・・あまり簡単なことではありませんね」
簡単ではないが、難しくもないはずだ。
「でもあなたはやってくれるでしょう? あなたは優しい人だそうですから」
リンデル侯爵は眉間に皺を寄せた。厳めしい顔がもっと厳めしくなっている。
「誰がそんなことを言ったのです」
「義姉上ですよ」
侯爵の目が驚きに見開かれた。
「そういえば手紙を預かっていますよ」
私が言うと、黙って控えていた侍女が、手紙を差し出す。
侯爵は複雑そうな表情で、開いて中身を読んだ。
恐らくこの件に関して、できる限り協力してほしいという言葉が書かれているだろう。
読み終わった侯爵は、ハァーと息をついた。観念したという意思表示にも見える。
「カチュア王女は幸せに過ごされておられるか」
私は侍女に視線を寄越した。彼女のほうがよく知っているはずだ。
「王太子殿下に大切にされ、何でもお話になれるご友人がおできになりました」
侯爵は安心したように微笑した。
「それはよかった。イングラル侯爵のせいでウィルダムでは辛い思いをされていたからな」
事情はよく知らないが、彼は義姉上のことをとても気にかけていたらしい。
「わかりました。ウェルダイン元公爵のことは任せてください」
やはり優しい人なのか。
「ありがとうございます」
私は敬意を込めて礼を言った。
一時間ほど対談した後、リンデル侯爵は帰って行った。
「風格のある人だったな」
窓の外を眺めながら呟いた。
「よく言うな。涼しい顔してやりこめていたくせに」
さっきまで空気と化していたくせに、砕けた口調でロデリックが返す。
「まあ、今回は虎の威を借りただけだ。義姉上に礼を言っとかないとな」
正直あれほど効果があるとは思っていなかった。
「あれ、わかってて書いてもらったのか?」
「まさかそん・・・」
言いかけた言葉が、窓の外にあるものを見つけたことによって消失する。
私は窓を開けて、もっとよく見ようとした。
リンデル侯爵の馬車が宿の門を通り過ぎたすぐあとに、商人の護衛を生業としていそうな男たちが数人、同じ方向へ向かって行った。
間違いない。あの男たちは侯爵が宿に入ってきた時にも、ちょうどこの表通りにいた男たちだ。
嫌な予感がする。
「ロディー、侯爵を追いかけろ!」
叫んだすぐ後に、わたしは部屋をとび出して、剣を手に取った。