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22話 逃げた王女(ティナ)

カチュア様は今にも泣きそうだった。

ぐっと引き結んでいた口をゆっくりと開く。

「あの娘は・・・ウィルダムに帰さなくてはいけないわね」

あの娘というのは、噂を広めたメイドのことだろう。

「最終的にはそうなるでしょうね」

「・・・そうね」

カチュア様はまた俯いてしまった。小声で何かを呟いたけど、聞こえなかった。

「何ですか?」

「・・・わたくしもウィルダムに帰ったほうがいいのかしら」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。

頭がそれを理解すると、すっと血の気が引く。

今までの、自分を卑下する言葉と、これは明らかに違う。

極限まで思い詰めてしまったのだろうか。だとしたらいつの間に、そんな風になってしまったのか。

わたしは内心の焦りをひた隠しにして、穏やかな声を意識して出した。

「こんなことで帰られてしまっては困りますよ。カチュア様はクロードルにいていただかないと」

しかしカチュア様は顔を隠すように、ますます俯いた。

どうしよう泣いているかもしれない。

「でもわたくしは役に立たないどころか、迷惑までかけてしまったわ。あの娘はもう何年もわたくしの側にいた娘なのに、王宮で働くということがどういうことなのかも理解させていなかった」

確かに何の考えもなしにあんなことをしていたのなら、王宮で働く資格などない。でも彼女は敢えてやったのだ。イングラル侯爵の分家の娘なら、侯爵の命令を無視できない理由があったかもしれない。でもそれをカチュア様には説明できない。

「これから気をつければいいんですよ。あんな噂、ほとんどの人が信じていなかったではないですか。大したことじゃないんです」

何でもないことだというように軽く言う。

でもカチュア様は黙ったままだった。聞いていないわけではないだろう。落ち込み方がやはりいつもと違う。

わたしは意を決して、あまり聞きたくないことを口にした。

「カチュア様は・・・ウィルダムに帰りたいのですか?」

がばっと顔が上がった。

驚きに目を見開いた顔が、横にふるふると揺れる。

「そんなわけないわ!」

力いっぱい否定されて、ほっとした。

帰りたいから、あんなことを言ったわけではないのだ。

しかしカチュア様の瞳からボロボロと涙が零れたのを見てぎょっとした。

また余計なことを言ってしまっただろうか。

「ティナ・・・わたくしウィルダムに帰りたくないの」

「え? ええ、帰らないでくださいな」

さっきからそう言っているはずなのに。

「ここは皆が優しくて、居心地がいいわ。でも優しくされればされるほど、不安になってしまうの。わたくしが王太子妃として役に立てなければ、そのうちウィルダムに帰されてしまうんじゃないかって。どんどん不安になってしまうの。・・・帰りたくないのよ」

カチュア様は何度も帰りたくないと口にする。

そんなことがあるはずもないのに、本気で怖がっているのだ。

わたしは立ち上がって、カチュア様の前まで行くと、腰を落とした。

「帰しません。誰もカチュア様に帰ってほしいなんて思っていません」

縋るような目を見つめる。

この人の不安定さはクロードルの人間がもたらしたものではない。

「ウィルダムはそんなにも居心地がよくなかったですか?」

カチュア様は涙を零しながら、迷いつつも頷いた。

「わたくし・・・逃げた王女って言われていたの。売られた王女、逃げた王女って」

わたしは眉をひそめた。

援助金の代わりに嫁ぐことを揶揄されたのだろうか。

でもそれなら売られた王女はともかく、逃げたとは何のことだろう。

「売られたって言われるのはよかったの。わたくしだって王女だもの。国民のためになるのなら、どこにだって嫁ぐ覚悟はあったわ。それで飢え死にしそうな人たちが救われるなら構わないって思っていたの」

王女らしい覚悟だ。

七年前のウィルダムの災害はひどく、売られたなどという下世話な問題ではなかったのに。

「でも逃げたって言われたら、どうすればいいのかわからなかったわ。ウィルダム国内は酷い状態のままなのに、一人だけ豊かな国に逃げるのかって、目の前で言われるの。でもじゃあ、どうすればいいの? わたくしがクロードルに嫁がなければ、援助金は貰えないかもしれないのに、嫁ぐことが悪いことみたいに言われたら、どうすればいいのよ」

カチュア様は段々と、感情が高ぶっていた。

「でもそれを言う人たちも貴族なのよ。平民に比べたら、よほどいい暮らしをしているわ。それにその人たちが代わりに何かをやってくれるわけでもないのよ。ただ現状を嘆いているだけ。自分たちよりも酷い立場の者のことなんて考えもしないわ。そしてわたくしが豊かな国へ行くことが気に入らないの。何もしないくせに、わたくしを責めるの」

聞いているうちにわたしは腹が立ってきた。

当時カチュア様はまだ十二か十三歳くらいだったはずた。そんな子供に身勝手な非難をぶつけていたのだろうか、ウィルダムの貴族たちは。カチュア様のおかげで国が救われると思ってもいいくらいなのに。ウィルダムにエルウィン様と歳の近い王女がいなければ、交渉はもっと難航したはずだ。

膝の上でぎゅっと丸められているカチュア様の手を握った。

「ウィルダム人の誰にも、カチュア様を責める権利はありません」

わたしは本人が十分に理解していることを、それでも口にした。

彼女は悪意に晒されたことに、耐えられなかったわけではないだろう。

「カチュア様はあまりにも理不尽なことを言われ続けたことが、我慢できなかったんですね」

カチュア様の目からは涙が流れ続けていて赤くなっている。

「・・・そうよ。わたくしウィルダムの王城が嫌い。あそこには帰りたくないの。逃げたって言われようが、嫌なの。ここは皆が優しいわ。ティナもエルウィン様も優しい。だから余計に不安になるの。いつか追い出されたらどうしようって」

「誰が追い出すっていうんです」

「そうだよ。だれも追い出したりしない」



急に後ろから声が飛んできた。

び、びっくりした。

振り返ると背後にエルウィン様が立っている。いつからいたのだろう。

エルウィン様が近づいて来るので、わたしは立ち上がって脇へ避けた。入れ代わるようにカチュア様の前で屈み込む。

「カチュアの居場所はここだろう。ここにいてもらわないと困るよ」

「エルウィン様・・・」

二人はじっと見つめ合った。エルウィン様の真摯な表情に、カチュア様はまた泣きそうになっている。

なんていいタイミングで来てくださるんだろう。

わたしはそっと後ろへ下がっていった。

どう考えてもお邪魔だ、これは。

わたしがいくら帰さないと言ったところで、それは友人としての言葉でしかない。

王太子であり夫であるエルウィン様の言葉とは重みが違う。エルウィン様がしっかりカチュア様に言い聞かせてくださらないと。

メイドたちの元まで行くと、しばらく二人きりにして差し上げるように言っておいた。

わたしは城の中に戻ることにする。

なんだかエルウィン様にいいところを取られたような気もするけど、二人の仲がより良くなったほうがいいに決まっている。

「取られてしまったのですか?」

いつの間にか斜め後ろに立っていたセーラが言った。

「どうしてそう思うの?」

彼女は会話を聞いていないはずだ。

「そういう顔をなさっているので」

押し黙るしかない。

ああ、なんだかレオン様に会いたくなってきた。

報告がてら訪ねてみようか。





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