18話 疑惑(レオン)
「なるほどな」
クリスティナの話を聞き終えた私は、ため息を吐きつつ、脱力してしまう。
あのことが、そんな噂話になってしまうのか。
こちらの様子をじっと伺っているクリスティナに、私は苦笑を漏らした。
「その騎士に守られていた女性が母上のサロンにいたとき、私も同じ場所にいたんだよ」
クリスティナはほっとして、強ばっていた表情を緩めた。
「では全くの別件なのですね」
「ああ、彼女はローラさんの娘だ。先に王都に着いたから、事情を聞いていただけだ」
「そうなのですね。それならエミリア様が噂をはっきりと否定してくださったら、すぐに収まります」
「そうなんだが・・・あのことが原因で噂が流れたのだとしたら、何か不自然だな。悪意を感じる」
王宮には下働きだろうと、身元のしっかりとした、品行方正と判断された人間しか雇われない。
噂話など一切しない人間というわけではない。それくらいはするだろう。だが、王家に害を及ぼすかもしれない噂となれば別だ。
クロードルでは国王にも側室が認められておらず、公認の妾というものも三代前から存在していないので、事実上は認められていない。つまり、隠し子というのはそれだけで一大スキャンダルになるのだ。
これが世間に知られれば、悪感情を持つ国民のほうが圧倒的に多いだろう。跡取りがいないならまだしも、王子が二人もいるのだから。
「わたしも何かおかしいと思います。故意に流された噂でしょうか」
「出所を探る必要があるな。でもその前に、火消しをしなければ。母上がどうするつもりでいるのか聞きに行こう」
母のことだからすでに対応策は練っているだろうが、協力してさっさと収束させるべきだ。
どうするつもりなのかと聞いた私に、母はポカンととした顔を向けた。
滅多に見ない表情だ。これはもしや。
「もしかして噂をご存知なかったのですか?」
「・・・知らないわ。そんな噂が流れていたの?」
どういうことだろう。義姉に比べれば、母のほうが圧倒的にこういう情報に敏感なはずだ。
「誰かが母上の耳に入らないようにしていたのでしょうか」
内容が内容なだけに。
「それはないわ。わたくしはメイドにそんな生温い教育はしていなくてよ。知っていたのなら話すはずよ、ねえ」
母が背後に控えている侍女マリーを見ると、彼女はもちろんだと答えた。あまり表情は動かしていないが、噂を知らなかったことを悔しがっているように見える。
「カチュア様のメイドの話では、一番初めにその話を聞いたのは、昨日の午前中だそうです。まだそれほど広まっていないからでしょうか」
クリスティナが首を傾げつつ言った。
「それなら義姉上の近くで噂が発生したということになるな」
「・・・ちょっと待って」
いつの間にか母は右手を頬に充てて、真剣に考え事をしていた。
「どうしたんです?」
「ローラのご息女がここに来たから、その噂が流れたのよね」
「そうとも限りませんが、今のところ噂の根拠はそれだと言われていますね」
母は眉尻を上げて、かなり難しい顔を作っている。何か心当たりでもあるのだろうか。
「・・・・・いるかもしれないわ。隠し子」
「「「は?」」」
わたしとクリスティナとマリーの声が重なった。
何言ってるんだ、この人。
この場にいる全員の、開いた口が塞がらない状態だった。
「そうよ、あり得るわ。彼女の年齢は聞かなかったけど、見た目はだいだいそれくらいだったし」
「ちょっと待ってください!」
一人で暴走しかけている母に、大声で待ったをかける。
しかし次に何を言えばいいのかわからなくなった。完全に混乱している。
とにかく落ち着けと自分に念じて、口を開く。
「母上は父上が浮気をしたと言うのですね」
「あら、違うわよ」
どういうことだ。
これ以上、混乱させないでほしい。
「結婚も婚約もしていない頃なら、浮気にはならないでしょう」
そりゃあ、婚約もしていないならな。
だんだんと脳が考えることを放棄してきて、頭の中でだけ適当な相槌を打つ。
「ローラの娘は、あの人が結婚前に作った子供かもしれないわ」
「「「はい?」」」
母は人差し指をびしっと立てて、真面目な顔をしている。
冗談ではないらしい。
「では隠し子は、噂の女性が連れていた子供ではなくて、その女性だということですか?」
クリスティナがなんとか理解しようと、頭を悩ませつつ問う。
「そうよ! エルウィンと同じぐらいの歳だったもの」
22年前の騒動の後、当時の国王が病気だったために、父は公爵令嬢と婚約破棄してから、すぐに母と結婚している。そして結婚後、間もなく母は兄を妊娠したはず。
その兄と同じくらいの年齢だから、ローラの娘が父の隠し子だというのか。
「それならローラさんが父上の子供を産んだということになりますよ」
「そうよ。ローラだからあり得るんじゃない」
母は何を言っているんだという顔をする。
あんたが何を言っているんだ。
確かに結婚を目前にした男女なら、そういうこともあり得なくはない。この国では基本的に、貴族の女性は結婚まで純潔を守るものだが、正式に婚約を交わし、結婚を間近に控えているのなら、そういう関係になっても、かろうじて世間体は守られるのだ。
しかしだからといって、ローラと父が子供を作っているわけがないだろう。
当時の詳しい状況など知るよしもないのだが、いくら何でもそれはない。
「ローラさんが父上の子供を産んでいたのなら、母上に対してあのような態度をとれるわけがないでしょう」
どれだけ厚顔無恥なんだ、という話になる。
「あら・・・。言われてみればそうね。ローラはそんな人じゃあないわ」
ようやくそのことに思い至ったのか、母は肩すかしを食らったような顔をしている。
まず初めに気づいてほしい。王家の血を引く子供を産んでおいて、黙っている人でもないだろうし、ローラは父と本当に結婚するとは思っていなかったのだ。そんな関係になってはいけないと理解していただろう。
この人の考えていることは、未だにわからない。頭がいいのか、世間知らずなのか。
「でもこういうことはちゃんと確認をとったほうがいいわよね。大事なことだもの」
ほっとした空気が流れた瞬間、母が性懲りもなくとんでもないことを言った。
「万が一ってこともあるわ。ねえ、ティナちゃん、ローラを連れて来てくれるかしら」
「えっ、えっ」
放心していたクリスティナが、急に話を振られて動揺している。
「待ってください。何度もローラさんを王宮に連れて来るのは危険です」
せっかく死んだふりをしてもらっているのに、意味がなくなる。
「そうね。じぁあわたくしがティナちゃんの家に行ってもいいかしら」
「ええっ?!」
クリスティナが悲鳴を上げた。
いくら息子の婚約者とはいえ、王妃が臣下の家に気軽に行っていいわけがない。
普段なら母もそんなことは言わない。完全に暴走してしまっている。
「よくないですよ。お忍びでとかも言わないでください」
「あら、ちゃんとバレないようにするわよ。侍女の恰好とかすればいいじゃない」
クリスティナの顔色が青くなってきた。
駄目だ。
この人はこうなったら答えを聞くまで止まらない。
私は諦めた。母を説得できる人間はいない。
「ローラさんに会う必要はありません」
私はきっぱりと言った。反論しようとする母を遮って、言葉を重ねる。
「もう一人に聞けばいいんです」
そのほうがまだ問題はない。同じ王宮にいるのだから。
私は母に向かって頼んだ。
「父上を呼んでください」