15話 理由(レオン)
クリスティナを送って行こうとしたところを、兄に呼び止められた。
「レオンもウィルダムについて、間諜とは別に調べているんだろう。何かわかったら、すぐに知らせてくれないか?」
「それは構いませんが・・・義姉上に何か話したのですか」
兄がここまで今回の件に積極的なのは、義姉を心配してのことだろう。ウィルダムの王族は関与していないとほぼ確定できたが、物事を気にしすぎる性質らしい義姉は、祖国の貴族がクロードルに対して不穏な動きをしていると知ったら、ひどく落ち込むのではないだろうか。
「まさか。話してないよ。まだ何も知らないから、事が大きくならないうちに片付けたいんだ」
兄はぶんぶんと首を振った。
私も早く片付けたいのは同じなので、もう一度わかりましたと答える。
ふと横を見ると、クリスティナが何か言いたそうな顔をしていた。会話に口を挟んでいいものか悩んでいたのだろう。
「どうかしたのか、ティナ」
話しかけると困ったような顔をした。
「はい、あの・・・エルウィン様、カチュア様と会話なさっていますか? 今回の件ではなくて、普通の会話ですけど」
兄はなぜか慌てだした。
「うん、カチュアにももっと話をしようと言われたよ。それでなるべく時間を作ろうとはしているんだけど、カチュアに知られる前に事件解決もしたいしね・・・」
つまりあまり実践できていないらしい。
クリスティナはますます困った顔をした。
「兄上、仕事量を減らすように言いましたでしょう。やっていないんですか」
「少しは減らしてもらっているよ」
少しはとはどれくらい少しだ。一度兄の補佐官と話をしなくてはいけない。
「もっと減らせるはずです。私にできることなら、こっちに仕事を回してもらって構いません」
「レオンは結婚準備で忙しいじゃないか」
「私は要領がいいので平気です」
兄はちょっとふてくされた。
どうせ要領よくないとかぶつぶつ言っている。
「でも今は式典とか慰労訪問とかが多いから無理だよ。ちゃんと仕事は減らしてもらう。だからクリスティナ、それまでカチュアのこと頼めるかな」
「かしこまりましたわ。お任せください。でも少しの間にしてくださいね」
クリスティナはちゃっかり兄に期限付きだと念を押した。
「ああ、ちゃんと急いで時間を作るよ。ありがとう」
ほっとした兄はにこやかに去っていった。
その背中を見て、私はため息を吐く。
「どうかしたのですか?」
「いや、未だに兄上は私が、ああいったことが大の苦手なんだと思っているんだな」
「ああいったこととは、式典とか慰労訪問とかですよね。苦手ではないのですか」
この仕事はなにも王太子でなくてはいけないわけではない。そういう種類のものもあるが、第二王子が代行しても問題ないものばかりだ。兄はそういう意味で無理だと言ったわけではない。
「苦手だな。でもそれなりにこなせるようにはなった」
私がそう言うと、クリスティナは口を押さえて俯いた。
「・・・なんだ?」
「・・・・っく。本当はやりたくないって、顔に大きく書いていますよ」
笑っていたらしい。
そんなに顔に出ていたのか。
それなりにこなせるようにはなったと思っていた。でも兄の目から見れば、まだまだだったということか。
子供の頃は人前に出るのが、泣きたいくらいに嫌だった。
必死で抵抗して、周りをほとほと困らせていたくらいだ。
王族の勤めだと説き伏せられても、五歳くらいの子供がそれで納得できるはずもない。私はひたすら逃げ回っていた。
実際に王族の仕事というのは、人前に出るということがほとんどなのだ。
大勢の人間に注目されながらも、泰然と構えている。それに尽きると言ってもいい。
私はその大勢の人間に見られるということが、怖くて仕方がなかった。
なぜ見られているのか、わけがわからなかったし、その視線が好意的なものであっても、やはりわけがわからなかった。とにかく得体が知れなくて怖かったのだ。
だが嫌だから出たくないというのは、わかままでしかなかった。
手間のかかる第二王子と周囲の攻防はしばらく続いたが、ある日兄が、私のそれがただのわがままではないと気づいた。
どちらかというと怖いもの知らずな子供だった私が、人前に出ることだけは本気で怖がっているのを見て、兄が言った。
「それならレオンはやらなくていいよ。僕が代わりに全部やってあげる」
実際に全てを肩代わりなどできるわけがなく、一家で出席しなくてはいけない式典などもあるのだが、それでもその言葉に救われたのは確かだった。
そして兄はちゃんと言ったこと実行しようとしてくれた。
その日から私が人前に出る回数が減っていったのだ。その分だけ兄の仕事が増えたのかはわからなかったが、本人は平然としていた。
生まれ持った性質の違いなのかもしれないが、自分がどうしてもできないとこを、あっさりとこなしている兄を心底尊敬した。
だが初めのうちは、ただほっとしていたのだか、そのうちこれがよくないことなのだと気づいてきた。
王族は国で一番豊かな暮らしをしている。国民は当然、その見返りを求めてくるものだ。
王子としての仕事をまともにしない私は、ただ税金を食い潰しているだけの存在だ。幼いうちにそれに気づけた私は、なんとか王子失格の烙印を押されずに済んだ。
要は国の役に立つ存在になればいい。私は第二王子だから、大人になれば、国をあまり離れられない兄に代わって、外交を担当することになるだろう。その時に優秀な働きをする。そして周囲に将来、有能な人間になると思わせる。
これなら文句は言われないだろう。
私は自分を厳しく鍛えることにした。
かなり厳しくやったが、これはそれほど苦にはならなかった。
式典に出て、大勢の人間の視線に晒されるくらいなら、頭が痛くなるくらい勉強に打ち込んだり、血反吐出すくらい体を鍛えているほうが楽だったからだ。
そうして大人になっていくにつれて、人前に出ることにも少しずつではあるが慣れてきた。
しかし苦手なものは苦手だ。
もうこの苦手意識は私の脊髄にまで染み込んでいるのではないかと思えてくる。
「レオン様?」
思考に没頭していた私を、クリスティナが不思議そうに呼びかけた。
「苦虫を噛み潰したような顔をしていますけど、どうかしたのですか?」
見慣れた翠色の瞳が視界に入ってくると、ふっと顔が緩む。
「ああ、やはり兄上の仕事を肩代わりするよりも、兄上の補佐官を締め上げるほうが先だなと考えていた」
神妙に告げると、クリスティナはもっともだと頷いた。
「賛成です」
レオンがハイスペックなのは自己中な理由からくる、努力の賜物でした。