13話 22年前(ティナ)
ローラさんは本来、男爵家の娘だったらしい。
男爵は下級貴族に当たるけれど、その中でもいろいろあって、事業に成功してお金持ちになったことから一目置かれるようになった人から、ギリギリ貴族と呼べる生活をしている人まで、ピンからキリまである。
ローラさんの家はそのキリの方で、かろうじて貴族ではあったものの、その頃は借金も作ってしまっていて、かなり危うい状態だったらしい。
そんな時にローラさんは王都でウェルダイン公爵に声をかけられたそうだ。
「初めは住み込みのメイドのような言い方をしていたんです」
ウェルダイン公爵の付き人に屋敷で急遽人手が必要になったので、働きに来ないかと言われたローラさんは、身元のしっかりした人物だったので、あっさり信用してしまったらしい。
何より家に借金があるローラさんにとって、貴族の娘が働ける、数少ない場所として、公爵家のメイドというのは、喉から手が出るほどにほしい働き口だった。
そうして公爵家の屋敷に赴いたローラさんは、彼女の仕事がメイドではないことを知らされる。
仕事内容はウェルダイン公爵令嬢コーデリアの身代わり。
公爵はローラさんが娘によく似た容姿をしていることに目を付けたのだ。
コーデリア嬢は病弱で、ほとんど屋敷の外に出たことがないので、瓜二つという程ではないローラさんでも身代わりが務まったらしい。
そしてなぜ身代わりが必要だったかというと、それまで先送りにしていた王太子との婚約を、それ以上は引き延ばせなくなったから。
本当はコーデリア嬢は王太子妃になるには問題があるくらい、体が弱かったけど、公爵はそれをひた隠しにして、仮の婚約者という立場を守ってきた。
そんな状況でローラさんは、コーデリア嬢として、王太子と会うことを強要されたらしい。
「もちろん、最初は断りました。王家を騙すなんて恐れ多いことですもの。いくら報酬がよくても、出来ないことだと言ったんです。でもそのときにはもう、わたしの実家のことが調べられていて、断ったら実家の借金はすぐに全額返済しなくてはいけなくなるって言われたんです。誰かがその家にはもう、返済能力がないという情報を流したら、もうお金を貸してくれる人はいなくなりますし、貸してくれていた人もすぐに返すように迫るでしょう。そうなればわたしの実家は、すべてを捨てて夜逃げしなくてはいけません。そしてわたしの両親は耐えきれなくなって、自殺してしまうんじゃないかと思ったんです」
ローラさんはやむなく身代わりを承諾した。
でもコーデリア嬢の体調はすぐに良くなるようなものではなく、王太子との婚約から結婚までの時間はそれほど長くはない。一時的に身代わりをしたところで、その後はどうするのだとローラさんが聞くと、公爵はそんなことは考えなくていいと、にべもなかったらしい。
ローラさんはまさか本当に王太子と結婚させられるとは思わなかったし、公爵もそういうつもりではないと感じたそうだ。
そして初めのうちは、ローラさんも両親のためにがんばっていた。
コーデリア嬢の体の弱さは有名だったので、普通の上流貴族の令嬢ができることをローラさんができなくても、大目に見てもらえたし、何よりウェルダイン公爵が自分の娘だと言って紹介して回るのだから、まさか偽物だなんて誰も思わない。
これなら上手くやり遂げられるかもしれないと、ローラさんが思ったのもつかの間、ウェルダイン公爵が不穏なことを言い出した。
「王太子の食事の時間はいつだとか、給仕をする人間の名前だとかを聞いてくるんです。何のことかわからずに、可能な範囲でわたしは答えてしまっていました。でも毒見はどうやって行っているのかと聞かれたときに、血の気が引きました」
いくらなんでもそんなことを聞かれては、王太子を毒殺しようとしているのだと気づく。
「わたしはそんなことわかるわけがないと言い続けましたが、公爵はしつこく調べろと命令してきました。もう恐ろしくなって、どうすればいいのかわからなくなりました」
ローラさんは王太子殺害の片棒を担ぐ恐ろしさと、両親との板挟みになって、常に顔色が悪くなり、挙動もおかしくなりだした。
周りの人間は病弱な彼女の体調が悪くなったのだと思い、そのことを気遣ってばかりだったけれど、一人だけ、体のせいではないと気づいた人物がいた。
それがエミリア様だ。
「あれは明らかに気分が優れないのではなくて、何かを恐れている態度だったわよ」
侯爵家の令嬢だったエミリア様は、身分と年齢が近い者として、夜会などで時々ローラさんと話をしていたらしい。
「本当に、天の助けだと思いました。エミリア様はわたしに、困っていることがあるなら相談に乗る、誰にも言わないし、出来うる限り手を貸すからと仰ってくださいました」
そうして八方塞がりで、誰にも相談できなかったローラさんは、エミリア様に洗いざらい話したのだ。
でもそのとき、話したからといって、エミリア様がどうにかしてくれるだなんて、思ってはいなかったらしい。
いくら侯爵という身分の高い人の娘であっても、彼女自身に権力があったわけではないし、打開策を見いだしてくれるとも思っていなかった。ローラさんはただ、誰でもいいから話を聞いてほしかったそうだ。
王太子殺害に協力するつもりは、ローラさんにはなかった。公爵の考えが甘すぎると思うのだけど、普通の善良な人間が、殺人の協力を、それも王太子の殺害に、いくら両親を盾に捕られているとしても、できるはずがない。
ローラさんは自分と両親の命を危険に晒しても、公爵の命令には断固拒否するという結論に達していた。
でもその前に、公爵の考えを誰かに伝えていなくてはいけない。その相手に、エミリア様がなってくれると思って話したそうだ。
そうして事情を知ったエミリア様の、その後の行動力はすごかったらしい。
まず王太子にも、すべてを内密に話した。
そうしてローラさんには公爵に協力するふりをして、自ら毒を盛る役目を買って出るように言った。これには借金をすべて肩代わりして、報酬を上乗せすることを条件に出せば、公爵はすぐに乗るだろうという、エミリア様の言葉通り、あっさりと公爵は毒を差し出した。
後はローラさんが上手く演技をすればいい。
父が特別に取り寄せたワインだと言って、王太子に差し入れをして、ローラさんが手ずからグラスに注ぎ、ワインを手渡す。でも念のためだと言って、ローラさんは先に口をつけた。
そしてメイドたちが見守る中、ローラさんは喉を押さえて苦しみだした。
もちろん毒は入っておらず、別のものとすり替えられている。
苦しんでいる演技なのだけど、これで公爵が王太子を殺害しようとしたという事実が出来上がった。
すぐに公爵邸に兵が差し向けられる。
でもそこにはもう、公爵はいなかった。
早すぎる逃亡は、エミリア様がローラさんの両親を心配して、事件を起こすよりも少し前に保護するように、王太子に強く願い出ていたことに起因するらしい。
もしもの時のために、すぐにローラさんの両親を人質にできるように、彼らを見張らせていた人物から、そのことを聞いて、自分の立場を理解した公爵は、さっさと逃げ出したのだった。
更に悪いことには、ローラさんが飲んだ後にすり替えていたはずの毒入りのワインが、いつの間にかなくなっていた。
王宮内に公爵の間者がいたらしい。
証拠の品がなくなってしまい、公爵を断罪できなくなってしまった。
毒を飲んだのが病弱なコーデリア嬢であり、更にそんな彼女でも死には至っていないという事実が、これも証拠としては弱く、公爵のしたことはうやむやにされ、22年間の国外逃亡をゆるす事態となる。
エミリア様はかなり悔しがっていた。
もっと念入りに計画すればよかったと言っているけれど、二十歳にもなっていない侯爵令嬢が、公爵の陰謀から女性を一人救ったのだから、それだけですごい。
だってこれ、エミリア様が全て考えたって言うんだから。大事に育てられた、まだ十代の侯爵令嬢がである。
やっぱりすごい人だ、エミリア様って。
「だから父上は母上に弱いんだな」
ぼそっとレオン様が呟く。
それは聞かなかったことにした。