1話 夜会(レオン)
調子こいて連載にしてしまいました(汗)
更新遅れないようにがんばりますので、よろしければお付き合いくださいませ。
扉の奥から、ガヤガヤと話し声が聞こえる。
辺りはシャンデリアの輝きで明るく照らされて、陽が完全に沈んだ時間帯だというのに、遠くで控える衛兵の顔さえ見えた。
この部屋では誰ひとり言葉を発さず、動く者もほとんどいない。
しかし扉の向こうでは、大勢の人間が集まり、様々な感情を潜ませている。
普段とは全く違う歩幅で、ゆっくりと足を進めて、扉の前で立ち止まった。
何を話しているかまでは聞き取れないが、騒がしさが少し大きくなる。
右腕に添わされた手のひらが、緊張のためピクリと動いた。
隣に立っている婚約者を見下ろした。
「ティナ」
顔を上げた彼女の全身を、上から下までじっくりと観察する。
今日の彼女の出で立ちは、オレンジと薄いピンクをバランス良く配色した、胸があまり空いておらず、派手ではないものの、デザインの良さが人目を引くドレスを身に纏っている。
ブラウンの髪は側頭部で一括りにしてから、一部を流してカールをかけていた。
胸元には自分が贈ったペンダントがある。余計な装飾が一切省かれた小振りなものだか、反射する光の存在感が、上質なダイヤモンドだと知らしめていた。
全体的に派手ではないが、地味とは決して言えない。女性の装いについてはよくわからないが、これは間違いなくセンスがいいと言えるだろう。
改めて満足して頷いた。
「完璧だ」
驚きに目を見開いた婚約者クリスティナの顔が、みるみる赤くなっていった。
安心させるために言っただけだが、どうやら失敗だったらしい。目つきで非難された。
そんな顔をされて反省する男もいないと思うが。
しかし今はこれ以上からかっている場合ではない。
笑いをかみ殺して告げる。
「行くぞ」
何か言いたそうにしながらも、はいとだけ返事をして、彼女は前を向き、笑顔を作った。顔はまだ赤いままだったが。
扉の前で控えていた者に合図を送る。
彼は恭しく礼をしてから、取っ手を思い切り引いた。
視界に色が溢れ、ざわめきが何倍にも膨れ上がる。
扉の向こう側で控えていた者が、私たちの来場を大声で高らかに告げた。
「そつなくこなしているな」
背後から聞き慣れた声がした。
振り返るといつもの穏やかな笑顔のなかに、少し楽しげな表情がある。
どうやら前方に集中していたせいで、近くにいることに気づかなかったらしい。
女性の甲高い声と、突き刺さるような視線が磁石のように集まった。
そんな中にいても、涼しげな顔を崩さないこの兄は、本当に尊敬する。自分は顔をしかめないようにするにも一苦労だ。
とりわけ二人の王子が揃うことに、なぜか価値を見いだしている貴族令嬢、淑女たちは、自分たちの一挙一動に目を光らせているのだろう。
このせいで夜会などではあまり兄に近づかないようにしているのだが、それが却って二人が一緒にいるとこに、希少価値まで付けてしまっていた。とんでもない悪循環だ。
妻帯者と結婚間近の男に熱い視線を送っても意味がないだろうに。
もう面倒くさいので、視線は無視することにした。
「ティナのことですか?」
「もちろん。評判は右肩上がりだよ。レオン王子はこんな美人を隠していたのかってね。頭がいいのに出しゃばらないところが、諸侯たちには好印象らしい」
クリスティナは最近夜会デビューしたばかりだ。それまでは女性が集まる場にしか出れなかった彼女が、ようやく男性の目に触れるようになり、噂通りの美貌に、彼らは一様に驚いていた。
女性の噂というのは、話半分に聞いていなければ痛い目にあう。恐らく未来の第二王子妃におべっかを使って、そんな噂を流していると思っていたのだろう。
彼女の頭が優秀だというのは、すでに私が吹聴していたから、美人で賢く、気が強くもないというのなら、どんな文句があるんだというものだ。
「当然です」
自信たっぷりに答えると、兄は笑みを深くした。
「私としてはこんなひねくれ者の相手を、嫌がりもせずにしてくれるだけでありがたいけどね」
嫌味ではない。本気でありがたいと思っているのだろう。
「・・それについては同意します」
世間では理想の王子などと呼ばれているが、自分にとってそれは仕事用の顔にすぎない。実際は決して、女性に好まれるような性格はしていない。
身分が高いせいで、女性を尊重したり褒めたりしなくても何とも思われないが、考えがあってしないわけではなくて、単にしたくないだけだ。
子供の頃に馬鹿正直に、女性には優しくという教えを守って実践していたところ、かなり面倒くさい目に何度か遭ってしまった。それ以来、自分が褒める女性というのは、クリスティナ以外にいないのではないだろうか。
貴族女性というのは、自分を褒め称えてくれる紳士的な男を好むものだ。私とは真逆の存在である。
こんな風だから、兄からは女嫌いだと思われている。嫌いなのではなくて、面倒だと思っているだけなのだが。
「でもこれなら半年後の結婚式は、盛大にお祝いしてくれるだろうね」
壮年の侯爵とダンスを踊っているクリスティナを見ながら、兄が言った。
私もクリスティナも今はなるべく夜会に出席するようにして、結婚前の挨拶回りをしているのだ。
こうやって印象を良くしておけば、後々必ず役に立つし、祝い品も弾んでくれるというのは父の言だ。
「もちろん、してもらいますよ」
私も前方に視線を戻して言った。
クリスティナは僅かに顔が固くなりだしている。疲れたら助けを求めるように言ってあるが、彼女はギリギリまでがんばるだろう。
「そろそろ回収しに行ってきます」
「もういいのかい?」
「あのメンバーの中の三人と踊ったなら十分でしょう。少しは出し惜しみしないと」
印象をよくするのにダンスは有効だが、あまり安売りするのも逆効果だ。
というより長い間、爵位持ちの既婚者とはいえ、男の相手をさせ続けていると、自分がイライラしてくるから、連れ戻したいだけだが。
「ふうん。いってらっしゃい」
にこにこと微笑ましげに笑われた。
釈然としない。
やり返すつもりで口を開く。
「人のことばかり気にしていていいんですか? ティナに義姉上を取られているんでしょう」
「え?」
きょとんと首をかしげられた。
何のことかわからないという態度に、溜め息をつきそうになる。
この人はあまりにも王太子らしすぎて、常人の気持ちが推し量れないというところがある。
「義姉上の心の平穏は、ティナと話をすることで保たれているようですよ。もう少し妻との距離を縮める努力をしてみてはどうですか?」
周りに聞こえないように小声で説明すると、兄は目を見開いてショックを受けていた。
結婚準備で忙しいというのに、他国から嫁いで来た王女のアフターフォローを、なぜ夫ではなく義弟の婚約者がしなくてはいけないのか。
そう思っていたが、ここまで素直な反応をされるとやりにくい。
「距離があったのか・・・」
呆然と呟く。
優しいくせに鈍感なのが、この兄の性分だ。
しかしこれ以上、この話をここでするわけにもいかないので、動揺している兄に一言だけ声を掛けて、さっさと婚約者の元へと向かうことにした。
クリスティナが近くまで来た私に気づくと、緊張していた顔がふっと和らいだ。
私が近づいて安心する女性など、彼女くらいなものではないだろうか。
「失礼、そろそろ私の婚約者を返していただいてよろしいですか?」
侯爵とのダンスを終えたクリスティナを待ちかまえていた男に声をかける。彼は残念そうにしながらも、結婚間近の男女の邪魔をするのは無粋だと思ってくれたようだ。
「それでは次に会ったときには、私とのダンスを優先してくださいますか?」
女性の自尊心をくすぐるような仕草で、クリスティナに声をかける。さすが貴族の男だ。
「ええ、楽しみにしていますわ、メイザン伯爵」
おっとりとした笑顔で返すクリスティナに、早くもこの伯爵は陥落させられていた。
私は彼女を引き連れて、壁際のソファーがある場所まで行く。途中で給仕からリンゴ酒を受け取った。
クリスティナをソファーに座らせてグラスを渡すと、彼女は礼を言いながらも、不安そうな顔をした。
「わたし何かしてしまいましたか?」
思ったより早く迎えに来た私に、粗相でもしたのかと感じたらしい。
「いいや、全く問題ない。だが挨拶回りも大事だが、私たちの仲のよさを見せつけることも大事だからな」
クリスティナは若干恥ずかしそうにしながらも、なるほどと頷いた。完全に後付けの理由だが。
「兄上が褒めていたぞ」
「エルウィン様が、わたしをですか?」
「ああ、そつなくやっていると言っていた」
「まあ・・もっいないお言葉ですわ」
クリスティナは本人が目の前にいないのに、恐縮している。
その様子を不思議な気持ちで眺めながら、口を開いた。
「本当によくやっている」
「え?」
「優秀な婚約者で、私は鼻が高い」
翠色の瞳を見ながら、ニッと口角を上げて言う。
すると彼女は、花が綻ぶような満面の笑みを浮かべた。嬉しくてしょうがないと、顔に書いてある。
しかしここは夜会会場なので、人に見られるとまずいと思ったらしい。両手を頬にあてて、なんとか表情筋の活動を停止させようとしているが、あまりうまくはいっていない。
━━最近気づいたことがある。
私の婚約者が、とてつもなく可愛らしいということだ。
こんな反応を自分にだけしてくれる女性がいるなんて、男冥利に尽きるというものだ。
笑顔だけではなく、真っ赤になって恥ずかしがる顔もいい。その顔見たさに、近頃ではからかいすぎて、睨まれることまで多くなった。怖くはないが、あまりやりすぎると本気で怒るかもしれない。
しかしまだ大丈夫か。仲のよさを見せつけるとも言ったしな。
私は先日、クリスティナに多大な誤解を与えていたことを反省している。彼女が嘘を吹き込まれたせいではあるが、そんな状況を把握できていなかったことが腹立たしい。
今後このようなことにならないためには、彼女の頭の良さばかり褒めていてはいけない。からかいたいからというのもあるが。
「もともと批判のなかった貴族はかなり好印象を持ってくれているようだが、婚約に対して文句を言っていた貴族も、ほとんどが手のひらを返しているぞ。自分の娘の方がいいはずだなんて、こんな美人を前にして言えるはずもないからな。お前は身分がそれほど高くないことなんて、問題にならない女性になったよ」
クリスティナは今度は嬉しそうにしながらも、赤くなりだした。
「ありがとうございます。レオン様のおかげです」
「お前の努力の賜物だろう。だが自分の女性を見る目の良さも賞賛したくなるな」
「・・レオン様!」
からかうために言ったのだと気づいたのだろう。咎める口調だが、予想通り更に赤くなっている。
これ以上はやめておいた方がよさそうだ。
しかしにやける顔が抑えきれず、結局睨まれた。
目を潤ませるのはやめてほしい。かなり困る。
「ティナ、悪かった。そんな顔はしないでくれ」
両手を上げて降参のポーズをとる。
「レオン様が、今後このように大勢の人の前で、からかったりなさらないと約束していただけるなら、睨むのをやめます」
クリスティナは最近遠慮もなくなってきた。実にいいことだ。
どうやら多くの人目があることが、一番嫌だったらしい。
「わかった。夜会ではもうからかわない」
きっぱり言うと、彼女の方が返事に詰まった。
大勢の人の前でと自ら言ったものの、それ以外では遠慮なくからかうと言外に告げている私の態度に、しまったと思っているのだろう。
だが、からかうこと自体は、どう脅したところで止めるつもりはないので、諦めたほうがいい。
「・・ええ、お願いしますわ」
仕方なしに引き下がった彼女は、やや拗ねている。
しかし私に話をさせるのをやめさせるためか、早々に話題を変えた。
「そういえばエルウィン様は近頃いかがお過ごしですか? 忙しくしていらっしゃるのですか」
「兄は常に忙しいな。だが文句も言わずに公務をこなしているせいで仕事を増やされているだけで、時間を空けようとすれば出来るはずだ」
何を気にしての質問かわかったので、次に訊かれるであろうことを先回りして答えてやる。
「そうなのですね。エルウィン様はどうしてカチュア様と過ごす時間を作ってくださらないのでしょう」
まるで自分が邪険にされているかのように、沈んだ声で疑問を口にする。
思ったよりも義姉は深刻に受け止めているのかもしれない。
「わかっていないだけだ。兄上は常識がないからな。仕事量が人より多いこともわかっていないし、世間の夫婦がどれくらいの時間を一緒に過ごしているかも知らないから、義姉上がそのことを気にしているなんて、全くわからない」
「そうなのですか・・!」
二人してあれこれ悩んでいたのだろう。実にくだらない理由に、呆気にとられている。
「あの人にこっちの気持ちを察してもらおうとするのはやめた方がいいと義姉上に伝えるべきだな。気は使えるが、そもそも常識がない」
こき下ろしてしるように聞こえるが、私はこれでも本気で兄を尊敬している。ただあの人とつき合うには、あの人の人となりを把握しておかなくてはいけないというだけだ。
「えーと・・それとなく伝えておきますわ」
「すまないな、兄夫婦の面倒事まで押し付けて。私が義姉上に近づくのはあまりよくないからな」
「いいえ、カチュア様とは友達ですもの。相談に乗るのは当然です」
その友達になるように仕向けたのも、私なんだがな。
とはいえ義理の姉妹になる二人の仲がいいのは、喜ばしいことだ。
クリスティナは国王一家全員に気に入られているが、とりわけ女性陣には大人気だ。王妃に至っては、婚約当初から娘のような扱いをしている。気の毒なことだ。
「そろそろもう一曲踊って、退出するか」
「はい」
王族は夜会の終盤までは居残らないものだから、頃合だろう。
クリスティナの手を取った私は、ふと思い出した。
「そういえばティナ、年配の男は問題ないが、若い男や未婚者とはあまり踊らない方がいい。足が疲れたとでも言って、適当に断っておけ」
「え? 上位爵位を持っている方でもですか?」
「ああ、何も起こらないだろうが、無闇に惚れさせてしまうのも、相手が可哀想だからな」
一瞬何を言われたかわからなかったらしいクリスティナは、怒ったように口を尖らせた。治まっていたはずの顔の赤みが、戻ってきている。
「夜会ではからかわないと約束していただきましたわ」
「からかっていない。美人とダンスを踊りながら微笑まれたら、男は大抵惚れる」
「レオン様!」
また睨まれた。からかってないんだが。