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二の巻

 米田藩主桐生政隆の嫡男長政に、藤川忠則の娘千代が輿入れすることが、間もなく両家で正式に取り決められた。

 婚礼の支度は着々と整えられ、姫君が峰山城を発つ日を明日に控えた前夜、それは闇から静かに迫っていた。


「双葉様、なにとぞお部屋へお戻りくださいませ」


 双葉の身の回りの世話をする梢が、足早に回廊を進む主人を必死で止める。

 聞く耳のない双葉は急に足を止めると、振り返り様に侍女のみぞおちに拳を打ちつけた。

 その衝撃をまともに受けた梢は、小さく呻いてその場に崩れた。


「ごめんなさい。あなたを巻き込んでしまって。でも私には到底従えないの」


 人目を盗んで侍女を蔵に運び込み、着ている着物を取り替えた。

 足音を忍ばせて蔵を出たときだった。

 月影から突如として何者かが飛びかかってきた。

 悲鳴を上げる間もなく、口を塞がれ、手足を縛られる。

 気がついた時には、何者かの肩に担がれて闇へと運ばれた。





 長政が花嫁を迎える日が訪れた。

 空は快晴が広がり心地よい風が吹いていた。

 桐生政隆の居城米田では、若君の花嫁の到着を今か今かと、下男下女までが浮き足立っていた。


「殿は千代殿にお会いしたことがあるのでございますか?」


 長政の母志乃が、点てた茶を政隆に差し出す。

 政隆は妻の質問に答えるよりも先に、茶碗を取り、作法に従ってそれを口に含んだ。


「いや、ない。会わせろといったところで、忠則殿が会わそうとしないのじゃ。あの忠則殿が、十六の歳までどこへも嫁がせなんだ。よほどのかわいがりようじゃ」


 志乃は微笑むと、次に点てた茶を長男の長政に差し出した。

 両親のやり取りをまるで他人事のように聞いていた長政は、無言のまま茶碗を受け取った。


「忠則様にすっかり気に入って頂いたようですね」


「千代殿を大事にするのじゃぞ」


 味に深みがあり、まろやかなはずの茶が、長政の舌で妙薬のような苦味となって広がる。

 隣の末席に座わる弟を見やると、十五歳になる信頼は、勝ち誇ったような顔をしている。


「なんとも羨ましい。それがしも素晴らしい姫をもらえるよう精進いたしまする」


 信頼にそんな気が更々ないことなど、長政は承知していた。

 弟も、兄に負けず劣らず女に興味がないのだ。

 そこへ、家臣が足早に茶室へと駆け込み、藤川忠則の娘千代が、城へ到着した旨を報告した。

 父母と共に長政は、花嫁を待つ為広間へと移動する。


 広間の両脇には既に家臣らが居並び、城主ならびに奥方と嫡子長政が上座へと移る。

そこへ花嫁が静々とやってきた。

 白い打ち掛け姿の花嫁が、俯き加減に政隆の前へ来て、慎ましやかに腰を下ろした。

 畳に三つ指を立てて頭を垂れる。


「桐生政隆じゃ。遠路よう参られた」


「峰山城より参りました藤川忠則が父、鈴にございます」


「なんと申した? 面を上げて答えよ」


 政隆が片眉を歪める。

 約束された花嫁とは別の名に、家臣らがざわめき不審の目を花嫁に向けた。

 ゆっくりと花嫁は面を上げ、政隆に視線を向けた。

 右目の下に黒子があり、整った顔には幼さが残っている。


「鈴にございます、桐生政隆様」


 物怖じすることなく毅然として微笑む姿は美しく、内面の輝きが光るようだった。

 政隆が思い出したように声を上げた。


「そなたは堀田成継に嫁いだ鈴姫か。確か、離縁して峰山城に戻っておったそうじゃが……、千代殿はいかがした?」


「こたびは姉の千代が急な病で倒れましたゆえ、父の忠則より命を受けわたくしがこちらへ参ったしだいにございます。政隆様への書状を預かってまいりました」


 勝気な瞳で述べた鈴姫は、懐から書状を取り出した。

 すぐに政隆の背後で控えていた家臣が鈴姫に近づき、姫君より預かった書状を壇上の主人へと届けた。





 知らされていた花嫁が当日になって入れ替わっていたことに、誰もが驚き動揺したが一時的なものだった。

 藤川家から花嫁が輿入れすることには変わりなく、午後にもなれば何事もなかったかのように慌しく予定通りに宴の準備が進められる。

 しかし、長政だけが違和感を拭えないでいた。

 浮かない顔をしている長政の元に、城下町へ出ていた幼馴染の佐脇義之が慌ててやってきた。

 人目を気にしながら、義之は長政に耳打ちする。

 長政は瞬時に顔色を変えた。


「どうする? 調べさせるか?」


「頼む」


 二人は頷きあうと、別々の方向へ向かった。

 長政が向かった先は、長頼の部屋だ。


「父上、婚礼の宴を今一度見合わをお願い致します」


 志乃の膝枕で寛いでいた政隆は、溜息をつくと起き上がった。


「珍しく頼みごとをしにきたかと思えば、やはりそういうことであったか」


「と、申されますと、千代姫のことを何かご存知なのですか」


「攫われた、とでも聞いたか?」


 鈴姫からの書状を長政は目にしていない。

 父より口頭で鈴姫が語ったことを二度聞くだけに留まっていた。

 忠則からの書状には、おそらく千代姫のことが詳細にしたためられていたのだろう。

 そのことに思い至たった長政は、質問に質問を返されたことで苛立ちを覚えるのだった。

 ぐっと感情を堪えて冷静に努める。

 長頼は再び横になって志乃の膝に頭を預けた。


「千代姫は諦めよ。そなたの妻には鈴姫を迎えるのじゃ」


 長政は父の冷淡な物言いに愕然とする。


「そんな簡単に……なにゆえでございますか? 忠則様の大切な姫君ではなかったのですか?」


「小野寺か、佐々木か、どこの手のものかは知らぬが、罠であることには相違あるまい。それが分かっていて、兵を割く余力は藤川にも当家にもないのじゃ」


「娘を政略の駒に出しておいて、攫われれば見捨てるのですか?」


「そなたは忠則殿を侮辱する気か? 一人の命と多くの家臣たちの命を計るまでもない。千代姫とて武家の娘であれば、自害の覚悟もあろう。そなたは黙って従えばよいのじゃ」


 長政は拳を畳みに打ち付けると歯噛みした。






「ここに千代姫がおるっちゅうに、婚礼を行っとるっちゅうのはどういうことじゃっ!」

 

 ふすまを破らんばかりの怒声を上げたのは、佐々木光秀の家臣福島敏郎だった。

 敏郎の家臣が烈火のごとく怒る主人を前に、すっかりうろたえている。

 部屋の柱に括りつけられている双葉は、疲れてうな垂れ、無言で彼らのやり取りを聞いていた。


「やはり取り違えたのではございませぬか?」

 

 敏郎が家臣の襟を怒りに任せて乱暴に掴む。


「そんなはずあるか。飯炊き女やった凛の方によう似ておるわ。忠則の家臣やった俺が言うんじゃ。間違いない」


「裏切り者の節操なし」


 ぼそりと双葉は吐き捨てた。

 日に焼けた顔を巡らせた敏朗が、彼女の頤を掴み、下卑た笑みを見せる。


「なんとでも言えや。どうせお前はここで長政と死ぬ運命じゃ」


 双葉はよもや海であった侍が長政であったとは知らない。

 彼女にとっては顔も知らぬ若君だった。


「正義感の強い若君っちゅう噂や、もしかすると、ひょっとするやもしれんやろ?」


 敏郎が手を離すと、双葉は馬鹿馬鹿しいというようにうなだれた。

 時間ばかりが過ぎていき、夜半になると敏郎や家臣らは、うとうとと船をこぎ始めた。


 手首を拘束していた縄を、双葉は既に解いている。

 漁村育ちで縄を遊び道具にしていた双葉には、縄抜けなど容易いことだ。

 後は足を忍ばせて逃げるだけ。


 誰にも見つからずに外へ出ると、上手い具合に外壁が崩れた隙間を見つけた。

 狭い隙間を苦労しながら抜けていると、夜のしじまに男の声が響く。

 福島敏郎の家臣たちが、騒然となって双葉を捜す声が聞こえてくる。

 双葉は慌ててつかえているお尻を引き抜く。

 その際にビリッと派手に着物が引き裂かれたが、そんなことに構っている暇はない。

 見つかれば殺される、そう思うと無我夢中で木々の生い茂る中を走り続けた。

 

「いたぞ、捕まえろ!」


 男の叫び声に気づいてた双葉は、来た道を引き返す。

 松明を持った男達が追いかけてくる。

 逃げ続ける双葉の足に木の根が引っかかり、前のめりに勢いよく転んだ。

 目の前をすっと暖色の薄明かりが照らす。

 万事休す。

 とっさに息を殺し、倒れたまま動きを止めた。

 熱の篭もった体からどっと汗が噴出し、額から汗が顎へと流れ落ちる。

 茂みの隙間からそっと覗けば、福島の家臣らと思しき男たちが、突如現れた数人の侍に次々と切られていく。


 小具足姿の騎乗の侍が仲間に声をかけた。


「どうやら千代姫は脱出されたようだな」


「ならば、まだその辺にいらっしゃるやも知れん」

 

 そう言った男の声に、双葉は聞き覚えがあった。

 動揺した拍子に、踏んでいた木の枝が乾いた音を立てて折れる。

 男たちの鋭い視線が注がれる。

 双葉は慌ててその場から逃げた。

 侍が馬から下りて追いかけてくる。

 既につかれきっている双葉は、あっさり腕をつかまれ羽交い絞めにされた。


「放してっ」


 息を切らして弱々しい声を上げると、男は慌てて解放した。


「女か」


「どうした、義之」


 やはり聞き覚えがある。

 その男が双葉の方へ近づく。

 義之と呼ばれた侍が、娘だ、と答えると、その男が双葉を見やる。

 意思の強さを表すようにはっきりとした眉と鋭い瞳、男らしい精悍な顔つき。

 

「女、こんなところで何をしている?」


 双葉の耳に義之の質問はまるで入ってはいなかった。


「あなた、もしかして峰山の白砂の浜で……」


 そこまで言いかけて、男が慌てて遮る。


「言うな。……そなたにまた会うとはな」


 男がやれやれと疲れたような顔をしているようだったが、殺されるかも知れないと逃げ回っていた双葉にはまさに地獄に仏。

 薄闇に立ち尽くす男の胸に、彼女は勢いよく抱きついた。




 数刻前。

 千代姫が攫われたと知った長政は、父の政隆に言い含められてもなお納得することはできなかった。

 僅かな供を連れて、暮れる夕日を背に、米田城を抜け出したのだった。

 義之が集めた情報を元に、佐々木光秀の家臣福島敏郎の守る砦を目指した。

 砦近くに行ったときには、既に千代姫の逃走で辺りは混乱していた。

 周囲を調べているところで、長政は双葉と再会したのだった。


「助けて、追われているの」


 震えて訴える双葉の様子に、長政はただならぬものを感じた。

 すぐさま、双葉を連れて家臣たちと馬でその場を離れたのだった。

 頃合を見計らい、長政は馬を止めた。

 己の胸にしがみついている双葉に声をかける。


「一体何があった?」


 双葉が長政の胸から体を離したが、答えようとはしない。


「千代姫のことを何か知らんか?」


 双葉は顔を伏せたままだ。 


「逃げたと聞いたが、知らんか?」


「それを聞いてどうするの?」


「ここは敵地だ。お助けせねばならん」


「助けて、それでどうするの?」


 埒も明かぬやり取りに長政は苛立ちを覚えるが、顔を上げた双葉は真剣そのものだ。

 その瞳は、何かに怯えているようにも見えた。

 長政はそっと手を伸ばすと、安心させるように双葉の両肩を掴んだ。


「米田城へお連れする。俺は桐生政隆の嫡男長政。千代姫の許嫁だ」


 恐る恐る双葉が面を上げる。

 空がしらみ、松明がなくとも互いの顔がはっきりと見える明るさになっていた。

 ひどく怯えた顔は、浜であったときの彼女とはまるで別人に思えるほど精彩に欠けていた。


「こんなところへいるぐらいだ。そなたは何か知っているのだろ? 俺を信じて、姫君の居場所を教えてくれぬか? この借りは必ず返すゆえ」

 

 長政の手を解くと、双葉は逃げるように馬から下りる。その場で跪いた。


「ご無礼お許しくださいませ。千代姫様はもとより峰山城におられます。福島敏郎が、わたくしと千代姫さまを間違えて連れてきたのです」


「それは妙だな。千代殿がおられるなら、鈴姫が米田へ参られる必要はあるまい」


「千代姫様は縁談をひどく厭われておられましたから、騒動にまぎれて、どこかにお隠れになってしまわれたのやもしれませぬ。ともかく、ここへ連れてこられたのはわたくし一人にございます。ですから、長政様は、どうぞご領地へお戻りくださいませ」


 話を聞いていた佐脇義之は、馬から下りると膝を折った。


「申し訳ございません。それがしがが余計なことをお耳に入れてしまったばかりに、このようなことに」


 長政はホッとしたように、溜息と共に肩の力を抜いた。


「もうよい。姫が息災であるならなによりだ。さあ、戻るぞ、義之。……お前も来い、双葉」


 馬から下りて双葉に手を差し伸べる。

 彼女は驚いたような顔をして、まじまじと長政を見つめた。


「恩にきる。お前には海での借りもあるしな、新しい着物の一つや二つ、俺が揃えてやろう」


 双葉はひどい姿をしていた。

 顔は薄汚れ、髪は鳥の巣のように乱れて砂や葉がついている。

 その上着物はワカメのように引き裂かれていた。

 なのに、双葉は首を横に振った。


「あの場から逃がして下さいました。それだけで充分にございます。わたくしのことは心配ご無用。一人で峰山へ戻れます」


「無茶を申すな。こんな敵地に女子のお前を一人で置いていけるわけがなかろう。一緒に来い」


 不安げに瞳を揺らす双葉を、長政は馬の背に乗せてその後ろに跨った。



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