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みにくいヒトの子

作者: 小林 樹人

 みにくいヒトの子



 1


 私は、障害を持って生まれた。

 それを不幸だと思ったことはない。と、思える心が欲しかった。

 私は、不幸だ。


 では、どのような障害なのか。その説明は簡潔にして明白である。


 つまり私は、ブスなのだ。


 2


 冗談で言っているのではない。

 この世界において、ブスがどれほど息苦しいことか。そして生き苦しいことか。

 成就の可否は別として、世の女性の六割ほどが一度は立つ恋愛の舞台。そこに私の居場所はない。


 私の不幸その一。ブスであること。

 私の不幸その二。恋愛を諦めきれないこと。


 仕事ぶりを評価されようと、優しい性格だと褒められようと、なびく心はもはや欠けてしまった。


 女として、男に愛されたい。大切にされたい。

 そしてそれは、家族以外の男であってほしい。


 ただそれだけの、通常であればあえて言語化するまでもない自然な欲求は、遥か遠く。


 望み通り生きたいだけなのに、越えがたい壁がある。

 これを障害と呼ばず何と呼ぶのか。


「ブスは、劣っている」。

 明快至極なこの事実を、みんな「人間を外見で評価してはいけない」という道徳観をブレーキにして、口外せずにいるだけだ。 


 3


 あるいは、盲人の男なら偏見なく私と付き合えるかもしれない。

 しかしそれは「ブスである」という概念が認識されていないだけであって、依然として私はブスのままなのだ。


 我ながら我侭だと自覚してはいるが、私は、つまり、祝福される恋愛がしたい。見下されない恋愛がしたい。


 だから、私と彼の二人で完結するだけでは不満である。

 第三者から「お幸せに」「うらやましい」「おめでとう」と言われたい。

 そこに一片の卑下も侮蔑もあってはならない。


……そんな夢、叶うだろうか。前面から鼻孔の見える豚鼻と、顔の輪郭を六角形に形成する頬骨で。


 4


 整形は救いだ。人類の夢と希望がたっぷり詰まった、神の仕業だ。

 それにも関わらず、なぜ社会は整形に対してシビアなのか。

 整形前のブスと、整形後の美人と、どちらが魅力的か、世界中に問いかけたい。

「親からもらった顔を……」だなんて、親でもないのに言うな。ありのままの自分を受け容れてくれるのが親だけだと、惨めな気持ちになるんだ。


 よし。お金を貯めて、少しずつ整形していこう。


 5


「お前はホント、バッカだなぁ」

 吉村はタマネギの串揚げを頬張りながら、さも面倒臭そうな口調で言った。


 整形はしたいが、気になるのは今まで付き合いのあった友人たちとの関係。私の顔が変わっても、今まで通りでいてくれるだろうか。妙な溝ができたりはしないか。


 それだけが心配で、恥を偲んで相談したというのに、この男ときたら。

「あんたにとっては他人事でも、私にとっては真剣な悩みなの!」つい強い語調で言い返してしまう。

「だって心底どうでもいいもの、お前の顔なんて。結婚したら、そりゃあ祝うけど」

「あ、そう。ありがとう」祝ってくれるんだ。それは素直にありがたい。じゃなくて。


 吉村とは中学以来かれこれ十五年の付き合いになる。空気も読めず、言葉をオブラートに包むことを知らない。だからこそ、悩み相談の相手には最適なのだが。

「っていうか、今まで誰かと付き合ったことあるんだっけ?」

……それでもやっぱり、トゲのある言葉は胸に突き刺さる。こいつ、人の気にしていることをズケズケと。

「……いや、あんまり」

「あんまりってなんだよ。ゼロだろゼロ」

「……はい……恥ずかしながら」

「えっと、今いくつだっけ?」

「今年で齢二十九になりました……ああ何言ってんだ私。やだもう死にたい」

「死ぬことはないだろ。たかが男にモテないくらいで」

「死ぬほど辛いよ!!」


――そう、死ぬほど辛い。


 異性に求められないというのは、死ぬほど辛い。

 どうしてこんな体に生まれてしまったんだろう。あるいはどうしてこんな心に生まれてしまったんだろう。

 ブスじゃなければよかった。あるいは諦められればよかった。

 事実、現在恋愛をしていない女は他にもいるわけだ。

 ただ、恋愛の輪郭も見えない生活は、死ぬほど辛い。


 そうした一連の私の葛藤など察しもせず、吉村は枝豆をつまむのに夢中になっている。

「ねえ、聞いてる?」

「あー聞いてる聞いてる。やべ、この枝豆の塩加減は神だな。食ってみ?」

「いらないよ! ……いや、いただきます」

「うむ」

 黙々と二人で枝豆を食べ続ける。人間は大量の枝豆を前にすると、驚くべき集中力を発揮するものだ。うん、確かに旨い。

 勝手に自分の中で、吉村より速く食べてやろうと決めた。次々に枝豆を口内へ弾き飛ばし、ザルヘ殻を積んでゆく。すると吉村もペースを上げてきた。


 やがて全ての枝豆を食べ終わると、意外なことに吉村の方から口を開いてきた。

「今、俺は割と幸せだったんだけど、お前はどうだった?」

 彼はたまに、突風のような言葉を投げかけてくる。今のように。

「うん、幸せと言えば幸せだったかな……」

「じゃあ、これ以外に何があれば満足するんだ?」

「え……そりゃ彼氏とイチャイチャしたいし」

「イチャイチャって何?」

「後ろからそっと両肩に手を回して抱いてもらったり、彼氏の二の腕のあたりを指先でクリクリしたり、膝枕したりされたり、唇に沿って舌を這わせてからキスしたり、あと当然セッ」

「そのへんで」

「ごめんなさい」

 ブレーキをかけてもらえてよかった。危うく、ブスがどうとか以前に人間の尊厳を失うほどの妄想を垂れ流すところだった。


「つまり、安心していたいわけか」

「え? うーん、うん、そうだね。突き詰めるとそんな感じかな」

「ふーん……あ、すいません、生ひとつ」

「ふたつ」

「あ、すいません、生ふたつで。あと枝豆もう一皿」

 先にお代わりを頼み、吉村はジョッキに残ったビールをぐいと飲み干した。


 ふぅ、と大きく一息ついてから話を続ける。

「俺じゃダメか」

「…………はい?」…………はい?

 唐突過ぎて、心で思った言葉と口に出た言葉がシンクロしてしまう。

 意味がわからない。いや、意味はわかるけど、多分私の理解している意味とは違うと思う。


 私はどもりそうに震える口を抑えつけ、聞き返した。

「それは、どういう意味で?」

「俺と付き合わないか、という意味で」

「……なんで?」

「俺はお前が好きなんだ」

「…………なんで?」

 私が口にした『なんで?』は『なんで好きなの?』ではなく『なんでそんな話をしているの?』が途切れたものだった。

 今度は本当に意味がわからない。

「あ、そうか! アレでしょ、友達としてとか人間としてとかそういう意味で」

「そういう意味だよ」

「……なんだ」

 期待して損した。はぁ。

「あのね、私がさっきから言ってたのは、恋愛としての話なの」

「これから恋愛に変えていけばいいじゃん」

「……ごもっとも」

 いちいち的確な主張が小憎らしい。考えてみれば、私は今まで一度も吉村に口で勝てたことがなかった。

「でもそれって憐れみみたいな感じでしょ。せっかくだけど」

「違う」

「え?」

「確かにまだ恋愛感情とは違うかもしれないけど。俺はお前が辛そうにしてるのを見るのが――」

「はい生ふたつに枝豆ひとつ、お待たせっしたー」

 良いところでお代わりのビールが来た。さすが居酒屋の看板メニュー。出てくるのが早い。

「え? 何? 『辛そうにしてるのを見るのが』何だって?」

「……忘れた」

「うそつき」

「うるさいな」

「わかったわかった。ホラ、乾杯しよう乾杯。ねっ、かんぱーい」

「…………乾杯」

 この男は昔から、自分のタイミングを崩されるとすぐふてくされるクセがある。

 さっき枝豆を食べていた頃は饒舌だったのに。

 その単純さがかわいいと言えばかわいいけれど。

「吉村、ありがとね」

「は? 何が」

「なんでもないですけども」

「なんだそれ、気持ち悪りぃ」

「……ふふ」


 私も人のことは言えない。単純なものだと思った。

 恋愛の輪郭が少し見えただけで、こんなにも気が楽になるなんて。


 そして私たちは、再び枝豆をつまむ。


 少しだけ。一皿目よりも、幸せだった。

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