漆/竜神様のシルクハット
【一】
金が要る。
大金が、今すぐに。
パチンコや競馬で当てれば間違いなく入ってはくるが、それを待っている暇はない。下手をすれば今夜にでも借金取りに捕まり、内臓なり何なり命懸けの手段で借金を取り立てられてしまうのだ。
手段を選んでいる余裕はない。
そうだ、銀行、行こう。
マスクと軍手はもう着けてある。サングラスと上着と包丁はついさっきスーパーで買ってきた。俺も馬鹿じゃあない、使うのは全部、珍しくもない安物だから、用が済んですぐ捨てれば足はつきづらいはずだ。
一旦前を通り過ぎ、自動ドアのガラス越しに中にいる人数を確認する。平日の昼下がりということもあり、結構少ない。
まずは深呼吸。出だしでとちってなめられてはたまらない。
「よし――」
いくぞ。
サングラスをかけ、上着の懐に忍ばせた包丁の柄を握り、自動ドアの前に立つ。
「いらっしゃいま――」
さっそく歩み寄ってくる銀行員を捕まえ、包丁を突きつける。
「騒ぐな。どういう客かはわかるだろう」
引きつった顔で小刻みに頷く銀行員。カウンターの向こうや、他の客も事態を理解し、店内が一気に静まり返る。しかし、何やら電子音が止まない。
店内を見回すと――変なのがいた。
「ふ、ふ、ふ。わしのぼすごどらは百戦錬磨じゃぞ。……ん?」
変なのがこっちに気付いてDSを閉じた。
長い黒髪に赤く長い帽子をかぶった、白と赤の着物の女。状況がわかっていないのか、周囲を不思議そうに見回している。俺以外の全員が目で叫んでいた。空気読め! と。
「お前も動くな。ぶっ刺されたくなかったらな」
しばらくじっと俺を見つめていたそいつは、俺の言葉が届いたのかどうか不安になりかけた頃、閃いた、という風情で手のひらを拳で叩き、立ち上がった。
「ぬしは、銀行強盗か!」
「何だと思ってたんだテメエ!」
なめてんのかこいつは!
「つまり、悪い奴じゃな!」
「だからどうしたよ、正義の味方か、ええ!?」
捕まえていた銀行員を突き飛ばしざま歩み寄り、切りつけ――あれ手応えすげえ硬え? 包丁弾かれて飛んじまったんだけど?
あっけにとられる俺の腰を、女がぐいと抱え、持ち上げた。
「な、何しやがる!」
女の脇に抱えられ、腰を支点に畳まれるような体勢。俺の尻が前、上半身が後ろを向く。女の力は異様に強く、腕が全く外せない。
「お仕置きじゃ。後で駐在さんにもしぼってもらうことじゃな」
女の片手が空く気配。
「え?」
ばちいいいん!!
「ぎゃあああッ!?」
痛え! 何!? 何された!?
ばちいいいん!!
「ぎゃああああああッ!!」
痛え! 尻痛え! 尻ひっぱたかれてるのか俺!?
「な――なんなんだテメエ!?」
「ん? わしか。えーと……通りすがりの竜神じゃ。覚えておけ」
ばちいいいん!!
「ぎゃあああああああああッ!!」
頼む、おまわりさん。俺が悪かった。だから早く助けて……。
ばちいいいん!!
【二】
「源センパイ、タオルどうぞ!」
「ありがとう。悪いけどそこに置いといてくれるか。もうひとっ走りしてくる」
「あ、はい。わかりました……」
マネージャーの脇を抜けて、校門から外へ走り出す。放課後の街は茜色に染まり、沈みかけの残照がまぶしい。
「相変わらずクールだな、源」
聞き慣れた声が追ってきて、その主の気配が隣で併走を始めた。
「マネージャーの笑顔を一刀両断とか、マジ鬼じゃね?」
「鑑か」
鑑宗佐。オレと同じ、陸上部の中距離要員だ。振り向くまでもなく、いつもどおり日焼けした浅黒い顔に人懐っこい笑みを浮かべているんだろう。陽射しが熱いしまぶしいしであまりそちらを向きたくない。
「おばあちゃんだっけ。落ち込むのはわかるけど、もう一ヶ月経ってるはずだろ。悪い意味で本調子取り戻してないか」
「そんなこと言うんならお前がフォローしといてくれよ。女子好きだろ」
「うん、あの子かわいいしな」
横目で見ると案の定、満面の笑みで親指を立てるイケメン一匹。歯は白く、上がった口角がきらりと輝いている。
「今日モス行く約束は取り付けてある!」
「……さすが。女好きの鑑だな」
常日頃『異性交遊サイコー!』と公言してはばからないだけのことはある。いい意味で油断も隙もない。
「だがな源、オレが言いたいのはそこじゃない」
「ん?」
「お前さ、女子避けてるだろ」
「苦手なんだよ。悪いか」
「悪いな。かなり悪い。話がすべっちゃうパーティーの司会並みに悪い」
「価値基準わかんねーよ」
「苦手っつっても、源は女子と話せないわけじゃないしなあ……」
「まあな」
曲がりなりにもオレだって思春期の男だ。異性に興味がないわけじゃない。幼い頃の遊び相手が超のつく年上の女性だったこともあってか、話すこと自体も苦ではない。
「オレの心配してどうすんだよ。好きなように女子と遊べばいいだろ」
「わかってないなあ源。オレは大好きな異性交遊で抜け駆けするつもりはないぞ。だいたい、相手のいない男子の前だと、女子だって居心地悪くて男子と遊びづらいじゃないか」
これだからこいつはイケメンなのだ。清潔感ある整った顔立ちでありつつ堂々と私利私欲を公言しているので嫌みがなく、同性の琢磨としても付き合いやすいし実際男女を問わず誰とも気安く話している。オレには真似のできない芸当だった。
「何か理由あるんだろ?」
「理由ねえ……」
理由なら自覚している。しかしわざわざ人に口外するようなことでもないだろう。
女性の笑顔が苦手なのだ。綺麗なものだとは思うが、自分が触れたらきっと壊れて台無しになる。だからそんな自分が女性と関わるなど論外だ。
とは言え、素っ気なく当たって自分から女性に笑顔を浮かべさせないというのも本末転倒な話ではある。
「オレも矛盾してるなあ」
「矛盾? まあ、自覚してるなら後は克服あるのみだな」
「軽く言うなよ」
「なーに、そのうちイヤでもムラムラしてくるって。オレたち思春期真っ盛り! 青春しようぜ!」
「アホかっ! 置いてくぞ!」
学校の周囲のランニングコースも終盤に近づき、スパートに入る。
「オッケ、じゃあ校門まで勝負な。負けた方がポカリ一本、ペットで――どうよ源」
「いいぜ、乗った!」
「よっしゃ、そうこなくちゃな!」
そろって全力疾走。
元々中距離走は、いくつか枠があるものの800から3000メートルという距離を高速で走り続ける競技種目だ。今までのランニングも練習の締めのクールダウンでしかなく、お互い体力には十二分に余裕があった。
茜色の空の下、校門に砂埃が舞い上がり――オレの財布はちょっとだけ軽くなった。
【三】
「ただいま」
玄関のドアを開けて早々、食欲をそそる匂いに出迎えられ、腹の虫が鳴いた。すぐにおいしくご飯をいただけるとなれば、やはり買い食いを我慢したのは間違っていなかったらしい。
「おかえり」
台所から、母さんの声だけが聞こえてきた。どうやら父さんはまだ帰ってきていないようだ。
「母さん、姉さんは?」
居間をのぞき込み、神様の所在を問う。
神様は料理ができないので、母さんが食事の支度に入ると構ってくれる相手がいなくなり、夕方は大抵オレが帰ってくるのを待ち構えているのだ。
おばあちゃんが亡くなってからもう一ヶ月が経つ。人里に降りてきて現代の生活にも慣れ始めた神様の最近の趣味はポケモン勝負で、琢磨との対戦で戦略を日々充実させていく神様は、ストーリーを追う、通り一遍のプレイしかしていないオレにはなかなか手強い相手になりつつある。
お出迎えがないとなると、どこかへ出掛けているのだろう。
「銀行に行ってるわ。ちょっと手続きをお願いしてあるの」
「そっか。じゃあ荷物置いてくる」
ジャージの類を洗濯機へ放り込んで階段を上り、部屋のドアを開けざまカバンとスポーツバッグを下ろし、ブレザーのネクタイを緩める。
「銀行におつかいか……慣れてきたもんだなあ」
神様には鹿のような長い角があるが、それは人の目に触れないようにしてあり、外出自体が騒ぎになるようなことは別に心配していない。気がかりと言えば、ごく普通にトラブルに巻き込まれること。危ない目には遭わずとも、一般常識がまだ「田舎のおばあちゃん」レベルなので、妙な物事に引っ掛かってはいないだろうか。
と、玄関のドアが開いて、閉まった。
「ただいま帰ったぞ」
案の定、神様だ。
「おかえりなさい」
「おかえり。なんか遅かったけど、どっか寄ってたのか?」
母さんの声に続き、階段を下りながら問う。
「おう、琢磨坊。帰っておったか。悪ガキを懲らしめておったら駐在さんにお茶をいただいてしまってな。ついつい話し込んでしまったわ。しかし最近のてくのろじいはすごいのう、今は駐在さんたちも仲間がどこにいるかすぐに分かるらしいぞ。じいぴいえすとかいうそうな」
満足げに目を輝かせながら、草履を脱いで上がってくる神様。その頭上には、フェルトでできたふわふわの赤いシルクハットがのっている。両親と共に悩んだ末、オレが選んだ“角隠し”だ。他にも候補はあったのだが、神様はこれがことさら気に入ったらしく、外出するときは必ずこれをかぶっている。
「テクノロジーか、そうだよな、昔はでかくて重かった電話が、今はナビ機能も込みで手のひらサイズだからな」
おばあちゃんの家にあった電話を思い出す。ダイヤルを回しては戻し、かける、という使い方、今となっては気付きもしない人間もいるんじゃないだろうか。
「さて、脱ぐのはちと難儀じゃが」
角が内側の縁に引っ掛からないよう背伸びしつつ腰を曲げるような不自然な体勢でシルクハットを脱ぎながら、神様。腰まであるさらさらの黒髪がしばらく揺れる。
「――ありがとうな、琢磨坊。ぬしのお陰でこうして気軽に散歩できるぞ。これは大変いいものじゃ」
シルクハットを胸元で持ち、にこにこ笑う神様に、ついつい顔が熱くなる。
「い、いや、べ別に、気にしないでくれよ。気に入ってくれたんならいいんだ、うん」
自分でも不自然なほどあからさまに顔をそらし、ぎくしゃくと脇を通り過ぎ居間に入る。思わず物陰で胸元を手で押さえ、自分に言い聞かせる。
落ち着け、源琢磨。これはただ感謝されてるだけだ。変なこと考えるな。
オレにはそんな資格、ないんだから。




