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やさしい角に、たんぽぽを。  作者: 賀東しょこら
可愛い子
7/26

陸/竜神様は姉さん

【一】

 迷った。

 四方を見回しても、自分を遥かに見下ろす高さの木々がそびえているだけで、景色と呼べるような変化はさっぱりわからない。

 おばあちゃんのお社を囲む森は、思っていたよりずっと深かった。夏だからまだ夜にはなっていないけど、ずっと薄暗い。ちょっと冒険し過ぎたのかもしれない。

 心細い。でも、怖くなんかない。泣いてなんかない。体が震えているのも、鼻がぐすぐすいっているのも、少し寒いからだ。自分は男の子だ。大きくなったらヒーローになるんだから、迷子くらい平気だ。

 でも、帰れるだろうか。

 不安になったから、走り出すことにした。きっと今が勇気の必要なときだ。動かないと何もできない。黙って動かないヒーローなんていない。

 でもすぐ、つまずいて、転んだ。

「ふっ……ぐ……」

 痛い。やっぱり怖かった。我慢しきれずに口が開いて、泣き声が出てしまう。

 がさがさ、と近くの葉っぱが揺れた。

 突然のことに、痛いのも忘れて立ち上がる。童話で読んだ狼か何かだろうか。

「子どもはすぐ泣くものと思うておったが……強い子は生きづらいのじゃな」

 茂みから出てきたのは、赤と白の着物を着た女の人だった。長い髪が、とても綺麗だと思った。

琢磨(たくま)、じゃな?」

 名前を呼ばれて、驚いた。この女の人と会ったことはないのに、どうして知っているのだろう。

「おねえさん、だれ?」

「わしは(みなもと)の竜神よ。別に覚えずともよい。球磨(くま)――いや、おばあちゃんがあわてておったぞ。いらぬ心配をかけるでない」

「おばあちゃんをしってるの?」

「うむ。さあ()よ、おばあちゃんの(ところ)まで送ってやろうな」

 にっこり笑うと、女の人は背中を向けて歩き出す。

 嬉しくなった。帰れるのだ。

 嬉しさ任せに駆け寄って、女の人の手に両手でつかまる。ひんやりした冷たい手だと思ったとたん、つかまったその手がびくっと震え、ものすごい勢いで引っぱられた。

 女の人が、驚いたような顔で、手にぶら下がったままの自分を見下ろしている。

「ぬしは……わしが恐ろしくないのか?」

「こわくないよ。おねえちゃんすごいね、おとうさんみたいにちからもちなんだね」

「ま、まあな」

 ゆっくり、地面に下ろされる。

「ねえ、おねえちゃん」

「む?」

「もっとやって」

「もっと? こう、か?」

 ぐん、と持ち上げられ、振り回される。まるで空を飛ぶような勢いと、持ち上がりきった後にぶら下がる感覚が、何とも言えず楽しい。

「そう! もっと!」

「そうか、楽しいか。なら、もっとやってやろうな」

 女の人も笑顔になって、繰り返してくれる。その手につかまっているのはとても楽しく、ずっとはしゃいでいた。

「……のう、琢磨(ぼう)

 何度目かに自分を持ち上げながら、女の人が呼んだ。

「なに?」

「ぬしの手は、温かいな」

 自分がつかまっていただけのはずが、いつの間にか、女の人の方から自分の手をしっかりと握ってくれている。その手はもう冷たくない。

「ふつうだとおもうけど」

「生きた人は、心地よいのじゃな」

「むずかしいこといわれても、わかんない」

「ふ、ふ。そうじゃな。琢磨坊の手は、とても気持ちがよいぞ」

「へへ」

 よくわからないが、嬉しい。ほめられているのはわかった。

「少しばかり、遊び過ぎたかの」

 周りを見回して、女の人が言った。夕方が近いのか、昼間でも薄暗い森の中が暗く、見えづらくなってきている。

 また森の中を歩き出す。少し寒くなってきたが、つないだままの手が温かく、怖くはなかった。

「おねえちゃん」

「どうした、琢磨坊」

 見上げて呼ぶと、すぐに女の人と目が合った。

「どうして、じぶんのこと『わし』っていうの? なんか、おじいちゃんみたいだ」

「それはな、わしがとてもとても年寄りだからじゃ。琢磨坊のおばあちゃんよりもおねえさんで、もっとおばあちゃんなのじゃよ」

「おばあちゃんよりもおばあちゃんなの?」

「うむ」

「でも、きれいだよ。おねえちゃん、おばあちゃんより、おかあさんより、きれいだ」

「綺麗?」

 小さな声で言ったきり、女の人は黙った。怒らせてしまったのかと少し不安になったが、その顔に浮かんでいるのは、驚いたような、困ったような表情。たぶん、嫌がってはいない。

「ぼく、へんなこといった?」

「い、いや……ありがとうな、琢磨坊。嬉しいぞ」

 女の人は静かに笑うと、頭をなでてくれた。とても優しい手だと思った。

 それからしばらく歩き続け、木々を抜けるとおばあちゃんのお社に出た。

「心配をかけたのじゃから、ちゃんとおばあちゃんにごめんなさいを言うのじゃぞ」

「うん。おねえちゃん、いっしょにきてくれてありがとう」

「うむ。よい子じゃな」

 また、頭をなでてもらえた。

「ではな。もう森に来るでないぞ」

 ずっとつないだままだった手を、少しだけ寂しそうな顔で放すと、女の人は森へ戻っていった。

 その後、自分はおかあさんやおとうさん、おばあちゃんにじっくりと怒られた。



【二】

 さら、さら、と、柔らかい感触が動いている。少し冷たいが、それが逆に心地よい。

 ぼんやりと目を開けて、自分を見下ろす優しい眼差しに納得する。

 頭をなでられているのだ。

「おねえちゃん……」

 いつものように呼ぶと、微笑が返ってきた。自分も笑いながら、やっぱり優しい手だ、と思った。

「起きたか、琢磨坊」

「うん――ん?」

 掛けられた声に応え、違和感に気付く。

 声がはっきりと、頭の外から聞こえた。そしてなぜか――自分の声が低い。

 それは本来、考えるまでもない疑問。

 なぜなら源琢磨は高校生。遊んでいる最中にうたた寝してしまうような子どもではない。ベッドサイドに腰掛けている美人とも、つい最近再会したばかり。そばにいて当たり前という感覚は過去のものだ。

 さて。つい今しがたの自分の言動、何かがおかしかったような。

「ぅわ!」

 一気に目が覚め跳ね起きていた。ついでに頭に血が上る。

 幼い頃の夢を見て、寝起きに見た顔は夢と全く変わらない。だからといって童心に返るなど、寝ぼけ過ぎだ。恥さらし以外の何でもない。

「恥ずかしすぎるだろオレ……」

 見下ろしてみて、自分が制服を着たままだということに気付いた。昨晩部屋から神様を追い出したきり眠ってしまっていたのだろうか。

「何か……変わったのう」

 背後から声がする。

「こんなことまで恥ずかしいのか?」

「いや、頼むから分かってくれよ」

 半ばあぐらのような体勢で振り返り、どこか沈んだ表情の神様に言葉を続ける。

「昔とは違うんだって。オレだって一応男なんだから、神様みたいな綺麗な(ひと)が近すぎると落ち着かねえんだよ」

「……琢磨坊は、わしを綺麗だと思うか?」

「ああ。神様は綺麗だよ。ってか、別に念押しするようなことじゃねえだろ」

 琢磨坊『は』という言い方が何を意味するのか、よく解らなかったが、神様が美人なのは事実だ。口に出したところで恥ずかしくも何ともない。

「そうか……今もそうなら、よい」

 神様の顔に柔らかな笑みが浮かぶのがひどく照れくさく、まともに顔を見られない。例によってオレは目を逸らしていた。

「そ、それよりだな……」

「うむ、それよりはまず朝のあいさつじゃな」

 す、と神様はオレに向き直る。

「へ?」

「おはようございます」

「あ、ああ。おはようございます――じゃなくて。なんで部屋にいてくれちまうのさ」

 ついつい律儀にあいさつを返し、問う。まさかずっと寝顔を見られていたのだろうか。

「朝になっても起きてくる様子がなかったからのう。ああ、声は掛けたぞ? 入ってみれば可愛い寝顔だったので、つい、起こすのが勿体なくなってな」

「……子ども扱いするなよ」

 何とも言えない穏やかな微笑に、馬鹿にした気配は一片もない。反射的な不満以上のものを口に出す気はそがれてしまう。神様は姿といい言動といい、どうにもまぶしすぎて目の毒だ。

 火照った顔をそらし、机の上の時計を見ると、確かにもう朝というより昼に近い。思いのほか『学校が休み』という意識でリラックスしてしまっていたらしい。

 昼、と思った途端、腹の虫が鳴く。

「あ――神様、朝メシは?」

「まだじゃ」

「だよな。起きなくて悪かった。すぐ用意するから」

「うむ……すまぬが、頼む」

 神様の声を背に、部屋を後にした。

 オレに料理はできないが、それでも作り置きを暖め直すことはできる。そう時間をかけることもなく、居間の食卓は一面に湯気を上げていた。

 いただきます、とそろって手を合わせ、忙しく箸を繰る。神様も思いのほか空腹だったらしい。

 一通り落ち着いたところで、ふと神様が口を開いた。

「のう、琢磨坊」

「ん?」

「なぜ球磨(くま)の呼び方でわしを呼ぶのじゃ?」

「おばあちゃんの呼び方?」

 おばあちゃんは神様を『神様』と呼んでいて、オレ自身もそう呼んでいる。そのことだろうか。

「さっきは今までのように『おねえちゃん』と呼んでくれたではないか」

 心臓が、嫌な意味で高鳴った。寝ぼけて童心に返った際に口走ったのは『うん』だけではなかったらしい。単なる無邪気な返事よりもよほど恥さらしだが、少なくとも無関係な誰かをそう呼ばなかっただけまだましだったのかもしれない。

「いや、それは事故というか……小さいときの呼び方だろ、それ」

「それが琢磨坊の呼び方じゃろう。ぬしは球磨ではないぞ」

「そりゃあ、そうだけど……。おねえちゃん呼ばわりしろってことか?」

「それが一番しっくりくるがのう」

「いやいやいや無理それ無理恥ずかしい」

「球磨を『おばあちゃん』と呼び続けておったのにか?」

「そ、それとこれとは話が別だろ」

 言っちゃ難だが、オレはおばあちゃんが大好きだった。それと同じような呼び方となると、神様も大好きだ、ということになる。

 神様のことは決して嫌いじゃないが、肉親ならともかく、無邪気な子どもではない今、美しい異性相手にそういう呼び方は、色々と意識しすぎて落ち着かない。

「ぬしは、球磨の代理ではなかろう」

 神様は話を引っ込めるつもりがないらしい。そして、これを拒みきれる強く整然とした理屈もオレの中にはない。残る障害は、オレの羞恥心(しゅうちしん)だけ。

 しばらく悩んだ末、結論は口に出した。

「――姉さん」

「む?」

「姉さん、で勘弁してくれ。おねえちゃんはちょっと……今は恥ずかしすぎる」

「琢磨坊は本当に恥ずかしがり屋さんじゃな。まあ、それでよかろう」

 身を切る思いの折衷(せっちゅう)案は、思いのほか簡単に了承された。

「のう、琢磨坊」

「ん?」

 なぜか目を閉じていた神様が、かく、とずっこける。

「違うじゃろう。よいか、もう一度呼ぶぞ――琢磨坊」

「え、だから、何?」

 何がなんだか分かっていないオレに、神様はうっすら苦笑いを浮かべた。

「ぬしは……鈍いのう。ぬしをさっきから呼んでおるのは、誰じゃ?」

「あ――」

 そこまで言われて、ようやく分かった。しかし、改めて機会を作られると妙に落ち着かない。

「その……なんだよ、姉さん」

 言ったとたん、神様の表情がほころぶ。

「ふ、ふ、ふ。呼んでみただけじゃ。琢磨坊は本当に可愛いのう」

「だから、子ども扱いするなよ」

 不満の語気は強くない。

 面と向かって子ども扱いされるのは、気に入らない。しかし相手を身近な目上として姉呼ばわりすることに、オレ自身しっくりとなじむものを感じたのも事実だった。

 寝ぼけて良かったのか悪かったのか、ちょっと分からなかった。



琢磨、実は局所的に素直クール。

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