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やさしい角に、たんぽぽを。  作者: 賀東しょこら
可愛い子
6/26

伍/竜神様とお留守番

【一】

 風呂上がりの脱衣場で、オレは首をかしげていた。

 昨晩脱ぎ捨てたはずのパジャマがないのだ。

 神様との噛み合わない問答にいたたまれず、裸のまま部屋へ戻ったので、昨晩は結局別のパジャマで寝た。朝になって風呂のために来て探し、学校の制服を着終えた今改めて探しても、やっぱりなかった。

 顔を上げ、脱衣場の引き戸の向こうへ声を張り上げる。

「母さん、今日洗濯した?」

「今日はしてないわよ。暮れたらお通夜だし、とりこんでる暇ないもの――どうかした?」

「いや、何でもない」

 居間からの声に答え、改めて首をかしげる。

 脱衣場にある洗濯機の中まで空となると、いよいよもってわからない。可能性はひとつ残っているのだが、そうなる理由もいまいち浮かばないのだ。

 悩んでも仕方ないので、とりあえず脱衣場を後に。さっきから漂っている味噌汁の匂いが腹の虫を騒がせて仕方ない。

 おばあちゃんを亡くして二日目になる。

 人里離れたところで亡くなったので、葬儀関係は今夜から始まることになっている。オレもそれに参加するので、制服はそのためのものだ。しばらくの間、学校を休むことになっている。

 少しだけ暗い気分になった。母さんは料理が上手だが、帰省するたびおばあちゃん自身が振る舞ってくれた味噌汁も美味しかった。何気ない朝の食卓におばあちゃんの姿が加わることは、もうない。

「どうしたの?」

 台所で冷蔵庫をのぞいていた母が、オレの顔を見るなり訊いた。よっぽど暗い顔をしていたんだろうか。

「おばあちゃんも味噌汁作ってくれたな、って思ってさ」

 ご飯をよそいながら、答える。

「……そうね。でも、お父さんの前でそれ言っちゃだめよ」

「分かってる」

 母さんから味噌汁の入ったお椀を受け取り、食卓につく。

 オレもおばあちゃん子という自覚はあるが、父さんはそのオレよりも祖母に近い。無理に思い出させてつらい思いをさせることもないだろう。

 今日のおかずは野菜炒めと焼いた豚肉だった。箸をとって手を合わせ、いただきますと言う前にふと思い出した。

「そういえば母さん、神様は?」

「見てないわよ。ひょっとしたらまだ――」

 ぱたん。とん、とん、とん。寝てるのかしら、と続きかけた言葉をさえぎるように、ドアの開閉音と階段を下りる足音が聞こえてきた。

「今起きたのかな」

「そうかもね」

 顔を見合わせる親子の前に現れた神様は、いつもの巫女装束ではなかった。

 思わず立ち上がる。

「あら?」

 目を丸くする母さんの脇をすり抜け。

「おはようございます、じゃったな――おお?」

 律儀にあいさつしてくれる神様の手をつかむなり階段を駆け上がってオレの部屋へ引っ張り込む。ドアが閉まるのを待つのももどかしく、振り返りざま問いをぶつけた。

「なんでオレのパジャマ着てんの神様!?」

 なぜかうつむいていた神様は、オレの声に驚いたのか、弾かれたように顔を上げた。

「す、すまぬ。夜中に渡しに行くのも忍びなかったので、そのまま借りたのじゃ。まさかぬしを怒らせるようなこととは思わなんだ」

 すまぬの、と呟き、しょんぼりした顔で再びうつむく。

「あ、いや……そうじゃなくて」

 一気に後ろめたくなってきた。強く言い過ぎたかも知れない。昨晩の余裕あふれる態度から、普通に答えてくれると思っていたのだが、借りること自体にはオレが思ったより引け目が大きかったらしい。

 神様の顔をまともに見られず、視線がさまよう。

「びっくりしたんだ。怒ってない。えーと……神様、オレが着てたものをそのまま着て平気なのか?」

 訊いたとたん、神様は不思議そうに顔を上げた。

「なぜじゃ?」

「なぜって……」

 肉親ならまだしも、他人の服を着るのは、色々と抵抗がある。着ていた相手を意識せずにはいられない。少なくともオレはそうだ。

 下着も同然のパジャマが、よりにもよって脱ぎたての状態で、美しい異性の手に渡り、着られている。

 それは衝撃だ。思春期真っ盛りの男としては自分が臭くないかとか、汚くないかとか、多少なりと後ろめたさを抱えているというのに、そこへ真っ向から踏み込まれるのは恥ずかしいことこの上ない。だからこそこうして神様を引っ張ってきて動揺任せに声を荒らげてしまった。

 不思議そうな神様の顔が、驚きの色を帯びた。

「もしや、持ち主以外が着ると災いか何かが起こるのか?」

「え。いや、そんなことない、けど」

 まさか。

「大体神様、なんでオレのパジャマ着たんだ?」

「む。それはな、ぱじゃまを着てみたかったのじゃが、朱鷺絵(ときえ)はわしより小柄でな。わしより少し大きい今の琢磨(たくま)坊の服なら、わしも着られると思うたのじゃ。実際、ほれ、この通り」

 着ているパジャマの両肩をつまんで上下させ、肩幅の違いで余っている布地を示す神様。すぐ目前、持ち上げられた布の内側で、圧迫されている確かな質感の何かがふるんふるんと揺れる。

「ぶっ!!」

 反射的にオレは平手で顔の上半分をふさいでいた。勢いのあまり、ばちんと音がした。

 はっきりわかった。

 神様は分かっていない。自覚がないのだ。自分が女性、それも極めつけの美人だということに。だから異性であるはずのオレとの間にも壁を感じていないのだろう。

 そうでもなければ昨晩といい今といい、こんなに無防備なわけがない。考えに他意がなさ過ぎる。からかっているなら、他にも思わせぶりな言動で何か匂わせていそうなものだ。

「琢磨坊、大丈夫か? 痛そうな音だったぞ」

「……大丈夫。とりあえず神様」

「む?」

「オレの服着るのはやめてくれ。オレが恥ずかしい」

「そうか。よく解らぬが、分かった。驚かせてすまぬな。ただ、ぱじゃまは心地よかったぞ。勝手に借りてしもうたが、ありがとうな」

「いいよ。……着替えてきなよ。オレ下行ってるから」

 色々な意味で、一気に疲れたような気がする。

「うむ。ああ――そうじゃ琢磨坊」

「ん?」

 顔から放した手をドアノブにかけたまま振り向いて、思わず二度見し後ずさる。

 神様が微笑んでいる。なぜかはわからないが、とても嬉しそうに。

 まぶしくて正視できない。

「また、わしの手を握ってくれたな。嬉しかったぞ」

 どき、と胸が高鳴る。頭に血が上っていくのが分かった。

 どうしよう、この(ひと)可愛い。

 こんな笑顔、自分が向けられていいのか、と反射的に湧き上がる罪悪感。のけぞり気味の思考が、ふと戸惑いになった。

 何かおかしい。

 手を握った。それは確かだ。とっさのことで、肩はつかみ続けていられないし、襟首をつかむのも乱暴すぎる。だから当然といえば当然の成り行きだった。これといって他意もない。

 結果、喜ばれた。

 手が触れて嬉しいというのは、異性を意識した女の人の心理じゃないんだろうか。女性としての自覚がないのに、この矛盾は何だろう。

「すぐ着替えるぞ。また後でな」

「あ、ああ。先に下行ってる」

 そろって部屋を後にし、神様は隣の部屋へ。オレはそのままふらふら階段を下りる。

 わかったつもりになれた途端、わからなくなった。

 神様は一体、何を考えているのだろう。



【二】

「留守番、頼めるか?」

 日が暮れ始め、通夜祭を控えた早めの夕食。食卓での父さんの言葉に、オレは頷いた。

「わかった」

 当の理由は、隣でにこにこしながら箸を動かしている。母さんの料理は口に合ったらしい。

「すまないな」

「いいよ、オレ自身はちゃんと顔合わせてお別れできたし――ごちそうさま」

「わしのことなら気にせずともよいぞ」

 食事を一区切りさせてお茶をすすりながら、神様が口を開いた。話の内容が自分に関わるものであることに、食事をしながらも気付いていたらしい。

球磨(くま)(とむら)いなのじゃろう? 琢磨坊も行けばよかろう。留守番ならわしが務めるぞ。自分が異形(いぎょう)なのも世事(せじ)(うと)いのも分かっておるからな」

 かりかりと爪の先で角をかきながら、オレや父さん母さんを見回す。ありがたいとは思うけど、オレはそれに口を挟んだ。

「そうもいかないだろ。神様は人間生活初心者なんだから」

 何よりも、オレはおばあちゃんから言いつけられている。神様を護れ、と。だからオレ自身、大前提として神様の味方であろうと決めている。一人にさせて不測の事態に巻き込むわけにはいかない。

「ふむ……。言われるくらいなら、そうなのじゃろうな。実際に不慣れなわしが我を張るわけにもゆくまい。ならばわしからも頼む。しばらくよろしくな、琢磨坊」

「ああ、こっちこそ。何もないとは思うけどな」

「うむ。それと――朱鷺絵(ときえ)。まだおかわりはできるか?」

「ふふ、食べてくれるのは嬉しいんですけど、私たちは丸一日帰れませんから。食べきってしまうと明日以降の分が残りませんよ?」

「む……それは、困るの」

 渋い顔でしばし沈黙すると、神様は琢磨の母に向かって突き出していた茶碗を置いて手を合わせ、ごちそうさまと呟いた。

 とっくに食事を済ませていた母さんが、オレと神様の食器を手早く片付け、洗い始める。手慣れたもので、食卓はわずか数分で食事前の状態に片付いた。

 準備そのものは済んでいたので、それから間もなく、父さんたちは喪服姿で玄関に並んでいた。

「それじゃ琢磨。行ってくるわね」

「しばらく頼むぞ」

「ああ、行ってらっしゃい」

「村の者によろしくな」

 黒い後ろ姿がドアの向こうに消える。外出の予定もないのでそのままドアに鍵をかけると、オレは神様を振り返った。

「神様、これからどうする?」

「琢磨坊はどうするのじゃ?」

「オレ?」

 問いをそのまま返されるとは思わず、腕組みをして首をかしげた。

「課題とかないしなあ……」

 やることはないが、自分が落ち着くのは、当然自分の部屋だ。しかし家の中に二人しかいないのに、相手を放置して部屋にこもるのは寂しい気がする。

「琢磨坊の部屋に入ってもよいか?」

「へ? 別にいいけど」

「そうか」

 にっと笑う神様。

 何の用があるのか知らないが、ジュースでも持って行こうか。まだサイダーは残ってたよな、と考えながらサンダルを脱いで玄関に上がる。

 神様はなぜかまだ動かず、オレを見ている。じっと見つめられているので、オレも見返す。

「部屋、行かないのか?」

「来ぬのか?」

「え、オレに用? 部屋にじゃなくて?」

 神様は頷いた。

久方(ひさかた)ぶりに琢磨坊と遊べると思うたのじゃ。()は明けておらぬし、気が進まぬならよいが」

「ああ、オレならいいよ」

 オレの後をついて神様も階段へ歩き出す。

「遊びねえ……何かあったかな」

「お手玉やおはじきはないのか?」

「この家にはないな。確かにおばあちゃんと神様から教えてもらったけど。……シロツメクサもないからな」

 どうでもいい釘を刺しながら思った。何で男のオレが花輪編みとかやってたんだっけ。おばあちゃんっ子の功罪ここにあり、ってやつだ、たぶん。

 たどり着いたドアを開け、机から引き出した椅子に腰を下ろす。

「神様はベッド座りなよ。悪いけど他に椅子なくてさ」

 うむ、と答えはしたものの、神様は立ったまま不思議そうに部屋を見回している。

「絵本がないのう……」

「絵本?」

「よく膝の上で読み聞かせてやったじゃろう」

「ちょ……」

 反射的に顔が熱くなった。言われてみればそれらしき記憶はある。

「いつの話してんだよ」

「そうじゃな、琢磨坊もいつの間にか大きくなったのう。前はこう、懐に収まるくらいじゃったのに」

 こう、と言いながら目の前の空間を抱えるように腕を組む神様。その眼はとても穏やかで優しい。

「そ、そうだな」

 照れくさくなり、思わず目を逸らしていた。頭が上がらないというのは、たぶんこういうことを言うんだろう。神様の前で格好がつく気がまるでしない。

 そういえば、このひとをどう思えばいいのだろう。

 外見が外見だが、おばあちゃんのようなものだろうか。母さん扱いは、ないな。それとも……お姉さん?

 一人の女性、ということはない。それはオレが思ってはならないことだ。

「姉さん……かな」

 呟く視界の片隅で、何やらごそごそと音がする。見ると神様が四つんばいになり、ベッドの足下を探っていた。

 一瞬、全身が凍りついた気がした。

「か、神様……!?」

「何やら足に触った気がしてな。この下だけ妙に散らかっておるのう。片付けはきちんとせねば朱鷺絵(ときえ)が困るではないか」

 言いながら、神様は何かを探り当て、身を起こした。その手には――肌色の割合が高めの写真雑誌が数冊。

「ぅわああああ!!」

 絶叫。自分の喉からこんな絶望に満ちた叫びが出るとは、思ったこともなかった。

「む? 境内によく捨ててあった類に似ておるな――」

 言葉の最中でその本を引ったくられて、神様はオレをきょとんと振り返った。

「どうした、琢磨坊」

「神様、これの中身、見たか!?」

「見たぞ。なんじゃ、やはり裸が好きなのではないか」

「……!!」

 口だけが忙しく開閉して、言葉が出ない。頭の中で色々なものが渦巻きすぎて、言葉として意味をなさないのだ。

「もしや……」

 神様もようやく、はっとした顔になった。

「散らかしておったのではなく、隠しておったのか? それは恥ずかしいものなのか?」

「――そうだよ! 感想とかいらねえし! わざわざ全部集めてくれるなよ!!」

「なんと……すまぬ。すまぬな、琢磨坊。物知らずじゃった。誰にも内緒にするから堪忍してくれ」

「ああ……そうしてくれるとうれしい」

 雑誌を机の引き出しに放り込み、がっくりとうなだれた。

 神様はちゃんと内緒にしてくれるだろう。どういう種類の感情かを把握しているかは怪しいものの、恥ずかしいものだということは理解してくれているようだから。

 しかし、中身を見られているのが致命的だった。反応の薄さからあっさり忘れてくれるのを祈るしかない。被写体について神様に追求されたとき、ごまかしきれるほど話術に自信がない。追及されたが最後、きっと冷たい眼で軽蔑される。

 うなだれたまま、口を開く。

「神様」

「うむ」

「悪いけど、しばらく独りにしてくれるか」

「わかった。すまぬな」

 気配が遠ざかり、ドアの閉じる音がした。頭を抱え、独り呟く。

「長い黒髪で和装の美人って……なんでそんなとこだけ覚えてるのオレ?」

 再会するまで、神様の面影は輪郭程度にまで薄れていた。日常生活との接点がなく、思い出す機会がなかったからだ。

 なのに、オレの女性の好みは神様に似ていた。原点であろう本人に、隠し通してしかるべき分野からそれを暴かれてみると、罪悪感が凄まじい。

 簡単には立ち直れる気がしなかった。



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