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やさしい角に、たんぽぽを。  作者: 賀東しょこら
可愛い子
5/26

肆/竜神様もパジャマ

裸、注意。

【一】

 長旅だった。

 行きが短く感じたのは、きっと目的地で大きな気がかりが待っていたからなのだ。

 すっかり暗くなっている空を見上げて一息つくと、オレは車に置きっぱなしだった自分の荷物を引っ張り出した。右腕は古びた木箱を脇に抱えてふさがっているので少し手間取る。

「あれ」

 運転席にはまだ父さんがいた。指で眉間(みけん)を押さえたまま座席にもたれているところを見ると、やはり運転し通しで疲れていたんだろう。

「父さん、何か持ってこうか?」

 姿勢は変わらなかったが、返事はあった。「いや、いい。それより神様の部屋の片付けは済んだか?」

「済んだよ」

「そうか、お疲れさん。おれもすぐ戻るから先に行ってていいぞ」

「わかった」

 言われるまま、玄関を抜け、階段を上ってすぐの自分の部屋へ。

 空けていたのは二、三日だけなのに、その間の出来事が濃かったせいか久しぶりに感じた。ついさっき隣の部屋から運び込んだ段ボール箱の山で眺めが変わっているのも部屋への違和感に拍車をかける。

 荷物を下ろし、抱えていた木箱は押入へ。とりあえずパジャマに着替える。

 風呂はまだだが、どのみちもう夜遅いので他の何に着替える必要もない。着の身着のままでお社へ向かったので、その間の服と言えば制服か部活用のジャージだけと窮屈で仕方なかったのだ。ようやく人心地ついて大の字に体を預けたベッドがやけに気持ちいい。

「やっべ、寝るかも」

「琢磨坊、開けるぞ」

 呟いた矢先、前触れなしに開いたドアの向こうから響く涼しげな声が目を覚まさせてくれる。

 もっとも、ドアは内開きで九十度までしか開かないようになっているので、壁沿いに配置されたベッドはちょうどドアの陰になり、来訪者の姿が見えない。

「開けたぞ、の間違いじゃないか、それ」

 腹筋任せに起き上がり、ベッドを離れて内開きのドアをのぞき込む。案の定、来訪者は長い黒髪に鹿の角を生やした巫女装束の美女だった。

「む、言われてみればそうじゃな。ふ、ふ、ふ」

 オレのツッコミに、神様が楽しげに笑う。お社を発ってから、彼女はずっと上機嫌だった。話を聞く限り山を離れたことは一度もなかったらしく、こうして開けた町に来るのは驚きの連続で楽しくて仕方ないんだろう。

「部屋、気に入ってもらえたか? 片付けたまんまの殺風景で悪いけど」

 源家は一戸建てで、二階には部屋が二つあり、オレの部屋は階段を上ってすぐ手前。奥にも同規模の部屋があるものの、あるだけの半ば物置と化していたので、ついさっきオレが片付け、最低限神様の私室としての体裁を整えたばかりだった。

 オレの部屋のドアがいきなり開いたのも、たぶん神様が隣の部屋から来たせいで歩数が少なく、足音もしなかったからだ。

「家の良し悪しは分からぬが、是非もない。これからは琢磨坊と毎日会えるのじゃからな」

 笑顔で歩み寄った神様の手が、オレの頭に伸び、収まりの悪い硬い黒髪をくしゃくしゃとなで回す。

 懐かしさと同時に、不思議な違和感があった。

 いつかはこの笑顔を見上げていた。遠いはずの記憶とまったく同じ美貌が、今は間近で視界に収まっている。ほんの少しだけだが、オレの身長は彼女を追い抜いているのだ。

 そして、今までどおり頭をなでられることに抵抗を感じている自分にも気付いた。同じことを本人が繰り返しているだけのはずなのに。

「毎日会えるって、なんか大げさだな」

 頭上で動き続ける手を意識しないようにしながら言葉を返す。手をはねのけるほど(いら)立ってはおらず、角を立てるつもりもない。

「毎年、夏と冬が楽しみじゃったぞ」

「そ……そうか」

 一度ならともかく、面と向かって『会いたかった』と何度も念を押されると、さすがに照れくさかった。

 最後にお社……おばあちゃんのところへ行ったのは、中学校に入って最初の夏休みだ。そのときは色々な都合が重なってすぐ戻ったので神様の顔は見られず、それから一気に先日の再会に至る。数年丸々、会えなかったのだ。

 そして思い出す。

 会いたいと思ってくれていたのなら、確かめたいことがあった。

「なあ、神様」

「なんじゃ?」

 こくん、と小動物じみた機敏さで、神様は首をかしげる。微笑みはずっとそこにある。

「あ、いや――やっぱなんでもない」

 急に訊くのが怖くなった。忘れていても、覚えていても、もしかするとこの笑顔が曇ってしまうかもしれない。

 本来、女性の笑顔は苦手なのだ。綺麗なものだとは思うが、自分がそれを壊してしまわないか、と反射的に罪悪感を持ってしまい、つい目を逸らしてしまう。

「なんじゃ、煮えきらぬのう。まあよい」

 そんな言葉と共に、頭から手が離れた。

「つい先程、湯浴(ゆあ)みの支度ができたと朱鷺絵(ときえ)に呼ばれておったわ。忘れるところじゃった。また後でな、琢磨坊」

「あ、ああ」

 神様が身を(ひるがえ)した拍子に、つややかな黒髪がさらりとほどけて廊下を照らす明かりにきらめいた。階段を下りていく後ろ姿を、思わずぼうっと見送ってしまう。何の変哲もない電球の光が、恐ろしく上等なものに感じられた。

 綺麗だ、と改めて思った。

 ため息と共に自分でもくしゃくしゃと髪をかき乱すと、ベッドに戻った。今度はうつぶせだ。何とも言えないもやもやが胸につかえている。

 うつぶせという姿勢だったからか、あるいは感情に誰へ向けるトゲもなかったからか。

 ぬるい眠気は思いのほかあっさりと意識にしみ込んできた。

 浮き、沈み。ふわふわした状態でも、不思議と自分の名を呼ぶ声はよく通った。

 顔を上げ、待ってみる。

「聞こえてるの琢磨、早くお風呂入りなさい」

 母さんの声だ。少し抑え目なのは、そろそろ日付が変わる時間帯を考えてのことだろう。やっぱり名を呼ばれたのは聞き間違いじゃなかったらしい。

「今行く」

 声量を抑え気味に応え、階段を下りながら、ふと考えた。

 神様は、いつ風呂を出たのだろう。

 部屋の前を通過する足音は聞こえなかったが、単にオレが気付かなかっただけで、もう部屋で休んでいるのかもしれない。今日はテンションを上げ通しだったので、力尽きるときはあっという間だろう。

 何はともあれ、眠かった。

 脱衣場にたどり着くなりパジャマを下着ごと脱ぎ捨てた。赤や白の何かが置かれていたような気はしたが、脱ぎ捨てたパジャマに隠れてもう見えない。確認するのも面倒だった。

 風呂場の引き戸を開けて、閉める。

 オレはまだ脱衣場にいる。

「な……」

 目が覚めた。これ以上ないほどすっきりと。しかし妙な汗が背中を伝ってやまない。心臓も未だかつてないほど跳ね回っていた。

「誰かと思えば、琢磨坊か?」

 低女声(アルト)に続き、水音。すりガラスの向こうで黒色と肌色が動く。

「たたた、立つなーッ!!」

 叫びむなしく、ひたひたと湿った足音が近づき、引き戸は内側から開けられた。

 無言で硬直しているオレの目の前で、一糸まとわぬ姿の神様が小首を傾げる。背筋が伸び、確かな存在感を誇るでもなく胸を張っているその立ち姿は堂々としていて、ある種の風格すら漂わせている。恥じらいと呼ばれる類の感情は、そこには存在を許されていないようだった。

 白くて、綺麗。それは確かだ。

「どうした、琢磨坊。湯浴みに来たのじゃろう、入らぬのか? それとももしや……」

 ふわ、と神様の表情が咲く。

「背中を流しに来てくれたのか? 嬉しいのう、ほんに琢磨坊はよい子じゃのう」

 満面の笑みで一人頷く神様。

「い……いや」

「む?」

 オレの返答にきょとんとした顔の神様の肩口に手を置き、神様を百八十度反転させて風呂場へ押し戻すなり後ろ手に引き戸を閉め直した。そのまま背中を押し付け以降の開閉を阻む。

「琢磨坊? どうしたのじゃ?」

 不思議で仕方ないという響きの声を背に、叫ぶ。

「誤解だから! 事故だから! つーか何で怒らねえの神様!?」

「琢磨坊は、わしを思って来てくれたのではないのか? それはよいことじゃろう?」

「だからそれ誤解だって! オレ神様がいるって気付かずに風呂入ったの! 神様の裸見ちまったの! オレも野郎の裸見せちまったの! オレ悪いことしたから! ホントごめんなさい!!」

「裸は軽々しくさらすものでないのは知っておるが……琢磨坊となら見せ合っても構わぬぞ? 夏にはよく一緒に水浴びをしたではないか」

「オレもうそういう歳じゃないから! とにかくゴメン! おやすみ!」

 言うだけ言って、手近なバスタオルをつかみ、素っ裸で脱衣場を飛び出した。パジャマを拾い上げる隙も惜しかったのだ。



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