参/竜神様や改造人間
【一】
それを言ったとき、彼女はきょとんとした顔になった。
重ねて言ったとき、彼女は笑い――そして笑った。
黄金色に包まれながら初めて見る種類の笑顔が、とても綺麗だった。
だから。
すぐにそれを閉ざした寂しげな陰が、記憶に刺さり、今も残っている。
【二】
天井に違和感。
見慣れないと思ったら、おばあちゃんの家に泊まったのを忘れていた。
腹筋任せに上体を起こしてみて、妙な気分に襲われた。元々朝は未練なく起きられるが、それにしても頭がすっきりし過ぎているのだ。
夢を見た直後に目覚めると大抵こうなる。しかし今は内容を思い出せないのに何とも言えない後味の悪さだけがよどんでいた。
「朝っぱらからろくでもないな」
とはいえ、おばあちゃんを亡くした昨日の今日だ。底抜けに気分が晴れやかというわけにもいかない。
部屋の布団は三人分。父さんたちはまだ眠っていた。オレとしては随分遅くに布団へ潜り込んだつもりだったけど、こういうとき自分の睡眠習慣の健全っぷりを実感する。
昼前には葬儀屋がおばあちゃんを連れに来るそうなので、それを見送り次第ここを発ち、家へ戻ることになっている。その間の手持ち無沙汰だの沈む気持ちだのは、体を動かして解消することにしよう。
枕元の手荷物をあさって部活用のジャージに着替えると、ひとっ走りするために部屋を後にした。
【三】
「源琢磨は陸上部員である。彼を迎え入れた陸上部はレギュラーしかいないのに全国制覇を企む脳筋の弱小集団である。源琢磨は自分の健康と暇つぶしのため、今日も走るのだ!」
「変な要約するな!」
思わず真横を振り向き、併走する神様に叫んだ。
準備運動もそこそこに走り出し、木の根をよけたり段差を跳び越えたりと久々の山の中を楽しんでいると、いつの間にやら神様も隣を走っていた。世間話ついでに近況報告をしてみれば、飛び出したのが先のフレーズだ。
「大体それ仮面ライダーのフレーズだろ。そんな無駄知識どこで仕入れたんだ?」
「てれびじょんに決まっておろう。むしろぬしが生まれる前にわしが見たものを、ぬしがなぜ知っておる」
「世の中には再放送ってもんがあってだな……っつーことはリアルタイムで見てたんかい!」
「最初は妙な趣向のほらあ番組と思うたが、存外光るものを感じての」
実際、連作シリーズとなり、親子世代を巻き込む形で現在も人気を維持していることを考えると、なかなかの慧眼。ある意味すげえ。
「わしの好みは、鏡の世界のアレじゃな。どうもあの赤いのが他人とは思えなくてのう」
「平成ライダーまで網羅してんの!?」
「ぬしの好みはなんじゃ?」
「え、オレ?」
まさか神様と仮面ライダー談義を始めることになるとは思わなかった。歳がいくつか見当もつかないが、ひょっとすると世界初のオタクなんじゃないかこの女。
「オレは……」
割と真剣に悩む。ヒーローは好きな方だ。誰も彼も苛烈な生き様を駆け抜けた仮面ライダーを、これとは決めづらい。
「……ん? ヒーロー?」
ふと頭をかすめた考えに、首をかしげる。
そも、ヒーローとは。強きものであり、正しきものである。結果的に正しく見えるダークヒーローという例外もあるが、それとて人が願う、正義を体現する存在であることに変わりはない。
それは人に願われた存在だ。そう、この仮面ライダーオタクと同じように。
「そうだ――ネイガーだ!」
思わず足を止め、叫ぶ。この発想、彼女にはうってつけじゃないか!
「ねいがー? 何じゃそれは、新作か?」
さすがに全国展開していないローカルヒーローまでは知らなかったらしく、不思議そうな顔で歩み寄ってくる神様の両肩を、ついついがっしりとつかんだ。
「わ……」
「神様、空飛べるか?」
「ま、まあ……雲があればな」
「力、強いよな」
「熊を投げ飛ばしたことならあるな」
「よし! 決まりだ!」
「いい加減にせい! 説明せんか琢磨ぼ――」
「一緒に来ないか?」
食いつくような勢いで訊いていた。神様はぽかんと口を開けて、オレの顔を真顔で見つめ返した。
「人里に……降りろ、と言うのか?」
「ああ。神様は神様らしく、スーパーヒロインになればいいんだ」
「は?」
口が開きっぱなしで、さらに目が丸くなる。
「神様を知ってる人間が神様を左右できるって言うなら、たくさんの人間が神様を知って、いい神様だと思うようにすればいい。それなら誰かがちょっとやそっと神様を憎んだって、蹴散らしちまえるさ」
「琢磨……」
言われたことがのみこめたのか、神様は真顔になっていた。
「琢磨……ぬしは、なんという……」
「オレ、ずっと山の中で生活するのはたぶん無理だ。かといって神様のこと山の中にほっとくのもイヤだ。だから、うちに来ればいい。オレの言うこと、間違ってるか?」
「ふ……ふ、ふ」
指先で目をこすり、オレの手から抜けると、神様は肩を震わせながら目を逸らした。
「両親には、何と言うのだ?」
「あ……どうすっかな」
考えていなかった。さすがに神様をペット待遇で家に入れるわけにはいかない。仮に内緒で、ばれなかろうと、ドラえもん生活をさせるのは大変心苦しい。絵面だけ考えると、余りに似合わなさ過ぎて逆にかわいいけど。
「詰めが甘いのう、琢磨坊」
「でもなんとかする! ひとりぼっちとか冗談じゃない!」
「ふ、ふ、ふ。ぬしの口車に期待させてもらおうかの」
言うなり、くるりと背を向け神様は歩き出した。
「神様、呼んだら来てくれるよな」
「おう、構わんぞ」
「ちょっとくらいは話を合わせてくれよ! また後でな!」
手だけ挙げて応えてくれる神様の後ろ姿が木々の間に消えるのを見送り、元来た方向へ走り出した。
何かうまい言葉を考えなければ。そうとも、神様をこのまま山にひとりぼっちにさせておくものか。
【四】
「いいよ」
ぶふっ、と神様は思わず茶を噴いた。
「い、いいのか?」
発端は、琢磨が最初から自分を神様呼ばわりで呼び出し、事情をそのまま両親に説明し始めたこと。普通は実在しない存在の代表である「神」を話題にするのが正気の沙汰ではないことくらい、当の神様にも見当はつく。
隣に琢磨、座卓を挟んだ向かいに琢磨の両親、という構図もあいまって言葉にしがたい居心地の悪さに神様が湯呑みから何口目かの緑茶を口に含んだとき、琢磨が説明を終え、両親に結論である神様の居候の許可を求めた。
対する両親は顔を見合わせいくつか言葉を交わしたかと思うと、了承の言葉で応じたのだ。
琢磨のスタートダッシュが想定外なら、ゴールの方から駆け寄ってくるのも想定外。質疑応答を予想しての構えは完全な肩すかしとなってしまった。
目を丸くしている神様を真顔で見つめ、琢磨の父は、ですが一つだけ教えてください、と口を開いた。
「母は、笑って暮らしていましたか?」
「それは、間違いない。巻き込んでしまった形の琢磨に、事情を話そうか悩んではおったが、いつも穏やかな顔をしておった。ぬしらも足繁くここへ来てくれておったお陰であろう。わしからも礼を言う。事情も聞かされぬのに球磨を気遣い続けてくれて、ありがとうな」
それを聞き、琢磨の父の表情も穏やかな笑みに緩んだ。
「それを聞ければ十分です。母は優しい人間でしたが、流されたりだまされたりするほど弱くもありませんでした。その母が一生を懸けてあなたを守ろうとしたのなら、息子である私もあなたを信じます。それに――」
一旦言葉を切ると、穏やかな笑みは照れくさそうなものに変わった。
「私はあなたを見たことがあります。幼い頃のたった一度きりですが、そのときと変わらない姿でまたお目にかかっては、息子の正気を疑うどころではありませんよ」
「そうだったか……」
「父さんも神様知ってたのか」
「まあ、遠目にも綺麗な女だとは思ったよ。神様だとは知らなかったけどな」
しかし、一目見ただけの面影をそこまで覚えていられるものなのか?
考えることはみな同じだったらしく、三人分の視線が琢磨の父に集中した。
「いや、その……なんだ」
所在なさげに頭をかくと、彼は真顔になった。
「今おれには、かあさんがいる。それが全てだ――いてっ」
隣でうつむいた連れ合いから脇腹に肘打ちを受け、真顔が困ったような笑顔に変わる。
「よくわからぬが、じゃれおるのう」
呆れ顔で、続く肘打ちに甘んじる様を見守る神様。隣の琢磨も、その言葉が何を意味するのか分からず、また誰も教えてくれないので、困った顔で眉を寄せ、黙っていた。
「いてて、いてっ、こらかあさん!」
「帰ったら丸一日、メニューのリクエスト受け付けないから。……好物しか食べさせてあげない」
「楽しみにしてる。――ご存じかもしれませんが、私は錬磨といいます」
「朱鷺絵です」
「オレは」
「いやよく知っとる」
「みもふたもねえ!」
「わしは紗雫媛。源の竜神である。不束者じゃが、よしなに頼む」
こうして、源家には家族が増えることとなった。




