拾参/竜神様に友達
【一】
実は神様、携帯電話を持っている。
空中を走り回る力持ちに少しでも添えるよう防水・耐衝撃タイプの頑丈なものが選ばれ、神様自身もその重量感を気に入っていた。ちなみに赤いメタリックな外装は神様の意向である。
固定電話があった時代の感覚を引きずっているのか、それは充電器にセットされたまま机の上に置きっぱなしになっていることが多かったが、最近はきちんと『携帯電話』になりつつあった。
神様が携帯電話の機能を把握し始め、楽しみ方を覚えたのだ。
そして今日も、オレの部屋はにぎやかだった。
『Standing by』
「ふ」
『Complete』
「ふ、ふ、ふ」
『Exceed Charge』
「ふふふふふふふふふ」
携帯電話から繰り返し効果音付きの合成音声を発させながら、ベッドに腰を下ろした神様はずっと楽しそうにはしゃいでいる。
休日の昼下がり。部活の練習も学校の課題もなく、オレ自身手持ち無沙汰に机でバイク雑誌を広げていただけなので迷惑ではなかったが、どうにも神様の笑顔が無駄にまぶしい。
「姉さん、いい加減落ち着けよ」
「しかしな、これはわくわくするぞ琢磨」
「わからなくもねえけどさ」
携帯電話をベルトのバックルに納めることで変身する仮面ライダーが存在し、その変身時の作動音はごく普通に携帯電話の着信音として手に入る。仮面ライダー好きの神様にしてみれば携帯電話は絶好のおもちゃに早変わりしたわけだ。
オレ自身、携帯電話を手に入れて間もない頃は着信音を散々繰り返し聞いておもちゃにしていたので、そのはしゃぎようは懐かしく微笑ましい。
とはいえ、何とも言えない妙な気分でもあった。そもそも神様自身が歩く非常識、仮面ライダーのようなものだからだ。
『Start up』
「ん?」
聞き慣れない合成音声が響いた。
神様は相変わらず浮き立った表情で目を閉じたまま効果音を聴いていて、ボタンを押している様子はない。
合成音声は続く。
『Start up』
『Start up』
『Start up』
『Start up』
「着信かよ! わくわくしてねえで出ろよ!」
「むう……ものの面白みを解さぬか琢磨よ」
「いや、知ってるし。どんだけ加速する気だ」
オレのぼやきをよそに、神様は携帯電話を耳に当てる。手に入れた頃は念入りに説明書を読みふけっていただけあって、操作には迷いがない。
「申し申し。どちら様かの? おお、ぬしか。ふ、ふ、そうじゃな。そういえば名前の表示を見忘れておった」
「知り合いか?」
「うむ――時間は問題ない。では、馳走になるとしようかのう」
オレの問いに頷き、電話先の相手に食事の打ち合わせか何かを了承すると、神様は携帯電話をたたんだ。
「出かけてくるぞ」
「あ、姉さん」
すくっと立ち上がり歩き出す神様を、反射的に呼び止める。
「む?」
「帰りは? 遅いか?」
神様は指先を顎に添えて束の間うつむくと、答えた。
「そうじゃな……まあ夕方にはなるじゃろう。案ずるな、夕飯には戻るぞ」
「そっか。じゃあ……次の休み、付き合ってくれよ。母さんにも言われてお金預かってたんだけど、服買いに行こう」
「服?」
「ずっと巫女さん姿ってのも、変に目立つだろ?」
神様が持っている服は、まだパジャマだけだ。もちろんオレのお下がりなんかじゃなくて、彼女専用。アイボリーの地に赤いリボンの柄があしらってあるもので、母さんに連れられて買ってきたとたん嬉しさを隠そうともせず着替えて部屋まで見せに来た。
ついでに下着も買ったらしいが、さすがにそのお披露目は全力で遠慮した。相変わらずの無防備っぷりを改めて思い知らされた夜だったっけ。綺麗なお姉さんの破壊力はシャレにならない。
「ふむ、服か……そうじゃな。寝間着はともかく、着替えなど考えたこともなかったぞ。楽しみにしておる」
思案顔から一転、楽しそうに笑う神様。
「オレで何とかなればいいんだけど……まあ、よろしくな」
「うむ。では、行ってくるぞ」
「ああ、気を付けて。行ってらっしゃい」
ぱたん、とドアが閉まる。角を隠すシルクハットを取りに行ったのだろう、隣の神様の部屋のドアが開閉し、足音が琢磨の部屋の前を通過していった。
「友達……ってことかな」
いつの間に誰と知り合ったのかはわからないが、人付き合いはきっと神様のためになる。見聞が広まるし、神様は人に受け入れられて成り立つ存在なのだ。何より山奥で暮らしていた彼女に友達ができるのはオレにとっても嬉しい。
神様はよく笑う上に素直なので、誰とでもすぐに仲良くできるはずだ。
そういえば、と思考が脇道にそれる。
いま出かけていった先では誰に笑いかけるのだろう。オレ以外の、誰に。
「……何考えてんだオレ」
表情が渋くなるのが自分でも判った。
机に戻した目に、開いたままのバイク雑誌の紙面が飛び込む。投稿写真コーナーにあるのは、男女二人連れの写真や『彼女』という単語のちりばめられたコメント。
思わず、口角が歪む。
そういうことに興味がないわけではない。だが関わろうと思っていない。首を突っ込めると思っていない。
オレには資格がないからだ。
オレは、大事に思う相手を、大事にできない。実際、少し前にも、事情をわかっていなかったとはいえ、神様を悲しませてしまった。
だから、神様がオレを気に入ってくれていながらもそういう感情を持っていないらしいことに、男としては複雑ながらも少しだけ救われている。
紗雫媛の力になりたい。祖母に言われての使命感を差し引いても、その気持ちに嘘はないし、心からのものだ。彼女は、とうに大事なひとなのだから。
自分は弟でいい。相手を悲しませかねないのならそれでいい。必要もない、はずだ。
【二】
「今日、お時間空いてますか? この前の約束、守りたくて」
『うむ――時間は問題ない。では、馳走になるとしようかのう』
「ありがとうございます。それじゃ、駅に着いたらまたお電話ください。駅の近くで待ってますから」
橘川直は携帯電話をたたみながら顔を赤らめた。こっそり周囲を見回すが、駅の改札を斜めに見下ろす位置にある駅前ビル内のコーヒー店は元々待ち合わせ客の出入りが激しく、直に目を留める者はいない。
「普通に、そばにいるんだ……」
電話越しの会話に、一度だけ男の声が交じった。同じ陸上部の先輩、源琢磨の声だ。神様と初めて顔を合わせたとき既に、同居をにおわせる会話をしていたが、ここまで距離が近いとは。
何だかんだ言って、先輩もしっかり恋愛しているのではないだろうか。
「まあ……神様元気みたいだし」
とりあえず大丈夫かな、と直は思った。最後に直が見た神様は、泣きそうな顔をしていたからだ。
それは、少し前の休日のこと。
直は陸上部のためのサポーターやエアーサロンパスといった資材の買い出しのため街に出てきていた。
晴れの予報を裏切る急な嵐にあわてて家路を急いでいたのだが、選んだ道が悪かった。道沿いにビルの工事現場があり、クレーンから降ろされようとしていた鉄骨が風にあおられて崩れかかってきたのだ。
悲鳴を上げることはできなかった。
いつかのように服の背中をつかんで後ろへ引っ張られ、首が絞まっていたからだ。
立て続けの轟音から我に返ってみると、鉄骨は直を中心に放射状に倒れていた。倒れ込んでくるものが片っ端から力尽くではねのけられていたのである。人間業ではなかったが、雨粒に顔を叩かれながら見上げ、思わず『源センパイ?』と呟くと、直をかばう形で背を向けていた命の恩人は、驚いたように振り返った。
それが、以前屋上で顔を合わせた、シルクハットの神様だった。
沈んだ表情が気になったが、神様は言葉少なにびしょ濡れの直を案じるのみで、自分のことについては語ろうとしなかった。せめて何かお礼できないかと訊くと、彼女は力なく笑って『いつか、甘味を所望したいのう』と答え、携帯電話の連絡先交換に応じてくれた。
そうして今日、初めて電話してみて、直は相手の穏やかな声にほっとしたのだった。
「あのとき、何かあったのかな」
呟いた矢先、アップテンポなメロディーがバッグから聞こえてきた。取り出した携帯電話は、神様からの着信を示している。
「はい、橘川です!」
電話を耳に当てながら窓を見ると、案の定、改札を抜けた辺りに赤いシルクハットに巫女装束という人目を引く姿があった。
『着いたぞ。まねえじゃあ殿はいずこに?』
「あ、わたしが行きます! 少しだけ待ってくださいっ」
『そうか。では待たせてもらおうかの』
電話をしまって精算を済ませ、神様の待つ改札まで走る。
すぐに神様が視界に入り、神様も気付いたのか片手を挙げてくれる。
マネージャーといっても、色々道具を運んだり部室と校舎を行き来したりと動き回っているので、そうそう動きは鈍くないつもりだ。
なのに。
「わ」
神様を目前に、つまずいた。自然、神様の胸に飛び込む形になり、驚いた様子ながら神様も直を抱き止めてくれる。感触はふわりと柔らかく、衝撃はあまりない。
「大丈夫か、まねえじゃあ殿」
「は、はい! 大丈夫で、す……」
声を受けて上がった直の顔が赤らむ。自分を受け止めた感触の正体に気付いたのだ。とっさに後方へ衝撃を逃がす身のこなし以前に、神様の体が。
「どうした、まねえじゃあ殿」
「神様……スタイルいいんですね」
神様の腕から解放された直は自分の胸板をなでて、少し泣きたくなった。中身がささやかなので、下着をつけていること自体が申し訳ないような気さえしてくる。
「すたいる?」
神様は直の視線を追うと、両手で自分の胸を寄せた。
「そうか、やはり胸が大きいのはよいことなのか」
「え? やはりって……」
何か思い出してるの? まさか、源センパイと……?
直の頭が瞬時に沸騰した。顔の赤さなど言うまでもない。
「あわわわわわ! と、とりあえず行きましょう!」
神様の手を引き直は走り出す。路上でするには赤裸々過ぎる話題だ。
小走りで、しばらく。
直が神様を伴ってやってきたのは、屋根や壁が暖色で統一され、花壇に色とりどりの花が植えられた、小さくも可愛らしい洋風の作りの店だった。その三日月形の看板を目に留め、神様が目を丸くする。
「新月堂、とな?」
「ひょっとして、ご存知です?」
「ここかは知らぬが、覚えのある名でな」
「ここのチョコレートケーキ、美味しいんですよ。基本テイクアウトだけなんですけど、食べていける喫茶コーナーも一応あるんです」
「ほう……そのようなところに案内してもらえるとは。ありがたいのう」
直がドアを押し開けると、ドアの裏についていたベルが鳴るか鳴らないかのタイミングで声が飛んできた。
「へい、らっしゃい!」
カウンターでは、厨房用の白い服を着た青年が、さわやかな笑みを浮かべていた。赤いスカーフは首に巻いているがコック帽をかぶっておらず、逆立ち気味の黒髪が印象的だ。
「こんにちはっ! 喫茶コーナー空いてますか?」
「おう! 空いてるぜ! 遠慮なく注文してくれ!」
「はい!」
ハイテンションなやりとりを経て直はカウンターに歩み寄り、神様を振り返った。
「個人的なおすすめはガトーショコラですけど、どうですか?」
「そうじゃな……まねえじゃあ殿には悪いが、がとうしょこらではなく、このちょこれいとすぽんじを所望するぞ」
「わかりました。じゃあそれを二つと、飲み物は――抹茶ラテなんてどうでしょう?」
「む……よくわからぬので任せるぞ」
「はい。――抹茶ラテも二つでお願いします」
「注文ありがとな! 後で席まで持ってくぜ!」
「お願いします!」
店の奥はカウンターとは違って抑え気味の柔らかな照明になっており、壁や調度品の落ち着いた色調、柔らかな椅子ともあいまってくつろげる雰囲気の空間が演出されていた。
腰を下ろした椅子の柔らかさに一瞬驚いた顔をしつつ、神様は開口一番呟く。
「なんというか……威勢のいい店主じゃのう」
「初めて話したときはわたしも驚いちゃいましたけどね。それに、普段は厨房にいるんですけど、奥さんもすっごい綺麗なんですよ」
「夫婦で店か。なるほど、助け合っておるのじゃな」
しみじみとした呟きに、直は首をかしげた。まるで遠い国のことのような言い方だ。
「神様、源センパイと付き合ってるんじゃないんですか?」
「おう、琢磨のことは小さい頃から知っておるぞ。それなりに長い付き合いじゃな」
「え?」
何かおかしい。
「ところで、付き合いが夫婦とどうつながるのじゃ?」
「え、え?」
会話が噛み合っている気がしない。
「あの、神様……源センパイとはどういう関係なんですか?」
「関係? 関係か……」
ふむ、と神様は腕を組み、考え込んだ。
「琢磨はわしを姉と呼んでくれておる。わしは琢磨のそばにいるのが好きじゃ。一つ屋根の下で暮らしておることを考えれば……姉弟という形になるのかのう」
「え、えっと、神様は源センパイのこと、好きなんですね?」
「うむ。好きじゃ」
「うっ!?」
どきり、跳ねんばかりの勢いで直の胸が高鳴った。とてもいい笑顔の即答に、うっかり見とれてしまったのだ。
なら、と直は思う。
以前見た泣きそうな顔も、先輩がらみなのだろうか。
「じゃあ――」
「失礼します。チョコレートスポンジと抹茶ラテ、お持ちしました」
とても小柄な銀髪の少女が、お盆を手にしずしずとやってきた。どことなく店長の奥さんに似ているので、妹か何かだろうと直は思った。洗練された所作も含め、とてつもない美少女である。
「あ、ありがとうございます」
直ににっこりと笑い返すと、少女はケーキの皿とグラスを置き、一礼して去っていった。
「……まねえじゃあ殿、何を言いかけておったのじゃ?」
「あ、そのですね。この前助けていただいたとき、神様は悲しそうな顔してましたから、もしよかったら理由を訊きたいな、って。今は平気みたいですし」
「おお、思えば見苦しいところを見せてしまったのじゃな」
神様は照れくさそうに笑った。
「あのときは、一緒に出掛けておった琢磨を怒らせてしまってな。なぜ怒ったのか、そのときはわからなんだものじゃから、途方に暮れておったのよ」
「やっぱり!?」
結局、先輩がらみだった。
「そうじゃ、ちょうどよい」
何かを思い出していたのか、神様は視線を空中から直へと戻した。
「ひとつ、知恵を貸して欲しいのじゃが」
「え? わたしでよければ。何ですか?」
「どういうとき、男は女に触れたくなるのじゃ?」
「えっと……」
直が質問の意図をつかみかねているのを悟ってか、神様は口を開きかけて、途中で恥ずかしそうに軽くうつむいた。
「その、な。少し前、琢磨がわしの頭をなでてくれたのだ。とても心地よかったのじゃが、琢磨はすぐにそれをやめてしまった。また、してもらえぬかと思うてな」
直はあっけにとられた。この女、無自覚にのろけているのだろうか。
「えっと……そういう関係なら、頼めばいいんじゃないんでしょうか?」
「いや、それができればよいのじゃが」
途端、神様は困り顔になった。
「ぬしも知っての通り、わしは普通の生き物ではない。言葉は悪いが呪われているようなものでな、人に『何かしてくれ』と強いたり頼んだりはできぬのだ。ちょっと心地よいことのためだけにあの苦しみを何度も味わうのは、な」
ばつが悪そうに神様は視線をさまよわせ、抹茶ラテのグラスから伸びるストローを口に含んだ。
「――む、美味しい!」
「あの、神様。ひとつ、訊いていいですか?」
直は何とも言えないむずむずした感覚に襲われていた。距離感が微妙すぎるのだ。
神様が先輩を好きなのはだいたい判った。しかしどういう種類の『好き』なのかがさっぱり見えてこない。LIKEなのかLOVEなのか。まあ、LUSTということはあるまい。
「うむ。何なりと。自分が普通でないのは承知しておるからな、何を説明すればよいのじゃ?」
この臆面のなさ。まるで年上のお兄さんに懐くあまり『大きくなったらお嫁さんになってあげる!』と胸を張って言い放つ、ませた女の子だ。
「その……えーい!」
頭を左右に振り回し、追い払ったためらいが戻ってくる前に訊く。
「センパイとキスとか、しました?」
たぶん、これを訊けばはっきりする。恋か否か――恐らくは決定的な一線。
そして答えは、声が発される前に判った。神様がきょとんとした顔で直を見つめていたからだ。
「きすとは何だ?」
「こ、恋じゃないっ!?」
どうやら清い関係すぎたらしい。
「神様、ごめんなさい。わたしじゃ力になれないかもしれません」
「そうか……残念じゃな」
女二人、テーブルを挟んだままうなだれる。解らないものは、頭をひねっても解らなかった。
神様はがとうしょこらの約束を覚えているのでした。




