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やさしい角に、たんぽぽを。  作者: 賀東しょこら
可愛い弟
13/26

拾弐/竜神様は思い出す

【一】

 窓の外は、ほとんど見通しが利かない。元々悪天候で日が差さないことに加え、雨粒がひっきりなしに窓ガラスを叩いているからだ。

 昼休みも終わりに差し掛かっていたが、午後の授業を控えての浅いざわめきは昨晩から続いている雨音や強風に上書きされ、教室は騒々しく静まり返っている。

「何が男だ、チクショウ……」

 机に突っ伏したまま、呟いた。

 自分は何をやっているのだろう。昨日、神様を置いて先に帰り、神様が帰って来ても顔を合わせず、その夜や今朝の食事のときも目を合わせていない。もちろん言葉など交わしてもいない。

 相手にいらだちをぶつけて、相手の言い分を聞かず、自分の考えとの折り合いもつけず、自分から全て投げ出して逃げた。

 そう、逃げたのだ。これでは不快感にむずかる赤ん坊と変わらない。男として最低だ。

「すげえ格好悪い……」

 叩きつける雨音を聞けば聞くほど、気分が(すさ)んでくる。

 もっと降ればいい。こんなどうしようもない馬鹿は、雨に打たれてびしょ濡れになり、風邪でも引いて寝込めばいいのだ。帰りに傘などさすものか。

(みなもと)

「くそ、食欲ねえ」

 昨日の夕飯も、今朝の朝食も、昼の弁当も。まともに喉を通らなかったので水やお茶で作業的に流し込んだ。意外と自分は繊細(せんさい)な作りだったらしい。

「おーい、源」

「……んだよ、人がどん底に沈んでるときに」

 顔を上げれば、親指を立てたイケメン一匹。

 鑑宗佐(かがみそうすけ)であった。人柄といい、まとっている陽性の空気といい、窓の外の暗い嵐そのままの今の気分には全くそぐわない。

「二番目に見たくねえ顔見ちまった」

「今日初めて口利いたと思ったら、第一声それか!? 過去最高に失礼だなお前!」

「今のオレの気分、お前にゃわかんねえよ、たぶん」

 この男なら、対人関係では男女を問わずどんなトラブルとも無縁なのだろう。琢磨からすればもはや(ねた)ましいくらいだった。

「なんだよ、せっかくひやかしに来たのにえらく沈んでるな」

「ひやかし?」

「昨日、女連れで歩いてたろ」

「見てたのか」

「マミ先輩とスパイク買いに行ってたんだ。そしたらお前見かけてな。声かけようと思ったら、隣にすごい綺麗なお姉さんがいたんでやめといた」

「さすが」

 用件そのものは珍しく色気がないが、それでも同行者にばっちり異性を選んでいるのが彼らしい。

「なんか世間慣れしてない感じだったけど、いい雰囲気だったな。やることはやってんじゃん。ほっとしたぜ源」

「いい雰囲気って、あのひとおばあちゃんの知り合いってだけで、別にそんな」

「そうなのか? まあ……そうか。言われてみれば親戚にも見えたな。源のことが好きで好きでたまらない感じだったし」

「そう見えたか」

 それはたぶん、言われて嬉しい種類の言葉だが、オレの気分はまるで晴れない。

 実際、神様はオレを一片たりと嫌っていないのだろう。鑑の言うようにとても気に入られているのだとは思う。

 しかしその好かれ方は、いや、その好かれ方の、ほんの一部分が、嫌だったのだ。

「……やっぱオレ最低だ」

 元々住んでいた場所から連れ出して、連れ出すときの約束を守れず、あげく向けられている好意にかみついた。

 子どものわがままそのままだ。意地を張っても、結局子どもではないか。

「なあ源」

 ぽん、と鑑はオレの肩に手を置き、顔をのぞき込んだ。その眼は、いつになく真面目な光を帯びている。

「なんだよ」

「ケンカしたんだろ。話してこいよ。何があったか知らないけど、行き違いがあったんなら、言いたいこと言って、言われること聴いて、お互い納得しないとすっきりしないぜ」

 もっともだと思った。なのに素直に頷けなかった。昨日の今日で、自分はちゃんと謝れるのか。相手には、ちゃんと聞いてもらえるのだろうか。

「でも――」

「話してこい」

 鑑の眼差しは、まっすぐに注がれている。いつものような軽さやいたずらっぽさはなかった。

「いいか、話さなきゃ仲直りなんかできないんだぜ? 相手が許してくれるのを待つ気か?」

 熱。反射的に、背中に熱が湧き上がる。

「できるかそんなこと。悪いのはオレなんだぞ」

 いつの間にか顔をゆがめていたオレに、鑑はにやりと笑いかけた。

「それが源だよ」

「そっか……そうだな」

 言われてみて、すっきりした。

 結局、源琢磨の選択肢はひとつしかないのだ。することは既に決めていて、ただためらっていただけだ。

「ガラにもなく考え込む暇あったら、思ったことやれよ。お前はだいたい間違ってないから」

「それ、ほめてんのか?」

「そこそこな」

「……ありがとな」

「気にすんな親友」

「うわ、なんか気持ち悪い」

「ひでえなおい。オレは男も好きなだけだ」

「それもっと気持ち悪いぞ」

「そうよ、もっと愛して琢磨クン!」

「気色悪いの通り越してむかつく! 何だその可愛いポーズ!」

「わははは!」

 やり取りの最中、始業を告げるチャイムが鳴り渡る。

 冗談を打ち切った鑑は景気付けにかオレの背中を平手で引っぱたくと、席に戻って親指を立て、にっと笑って見せた。

「ったく、イケメンめ」

 つくづく、いい奴だ。

 思いのほかすっきりした気分で、バッグの教科書を探った。

 別れ際の神様の声が、まだ耳に残っている。本当は気がかりで仕方なかったのだ。自分はいやな思いをしたからこそ神様に当たってしまったが、神様にはどんな思いをさせてしまったのだろう。どんな思いで、あんな声を。

 帰ったら、きちんと謝ろう。

 何気なく目を向けた窓の外では、いつの間にか雨がやみ始めていた。



【二】

 粒の粗かった生地が、抵抗をものともせず動き続けるゴムべらによってこね上げられ、均一になってゆく。ぎこちないながらも、その手つきは力強い。

「頼もしいわ」

 思わず朱鷺絵(ときえ)は呟いていた。

「そ、そうか?」

「そうです。材料を混ぜるとき、細かい手作業でこれだけの力があるなんて理想的。きっと美味しくできますよ」

 神様は照れくさそうに笑う。

「今度は、うまくいくかのう」

「ええ」

 そのためにレシピを選び、自分がついている。力を込め過ぎて失敗したのなら、力のいる手順を用意すればいいのだ。

 今まで失敗続きな分、完成させる喜びはより格別なはず。是が非でも、それを教えてあげたい。

 しかし、朱鷺絵はひとつ、引っかかりを感じていた。

 神様の表情はまだ硬く、陰がある。

 さっきまでのやりとりでも、心の整理はつかなかったのだろうか。

 まあ、無理もない。いざ顔を合わせるまで、仲違いした相手と話すのが不安なのは当然のことだ。

 それとも――何か別に気がかりがあるのかしら。



【三】

「やっちまった」

 床に荷物を放り出し、頭を抱えた。

 学校から帰ってきて、玄関から部屋へと直行してしまったのだ。

 靴を脱ぎ、神様に頭を下げに行こうとした矢先、当の神様と母さんの話し声が台所から聞こえてきた。甘い匂いがしていたので、何かを作っていたのだろう。ただでさえ気まずいのに、その場に母さんの目があることを考えると、台所へ向かうのがためらわれた。

 そして結局、余計に気まずくなった。

「何してんだオレ……」

 顔も見せずに部屋へ引っ込んだ自分は、二人にどう思われただろう。

 どうしようもなく格好悪い。鑑の応援を受けておいて、何というざまだ。

 拳を握り。

「――ああッ!」

 怒り任せに横っ面へ叩き込む。

 くらくらしたが、目は覚めた。自分が悪いのに、気まずいだの何だのと、何をくだらない。何様だ。

 かぶりを振ってめまいを追い出し、ドアノブに手――は届かなかった。ドアそのものが琢磨の手をかすめ猛烈な勢いで開いたのだ。

 風圧で飛んできた長い黒髪が、驚きで硬直しているオレの顔をなでる。

「姉……さん」

 神様は入ってきたきり黙ってうつむいていた。手は膝の辺りで拳になって震え、噛み締められた唇は血の気を失って白く、やはり震えている。

 やっぱり、まだ怒ってるのか、と思った。

「約束……してくれ……」

 絞り出すような声だった。

「え?」

「頼む……嵐を願ったことを……誰にも、言わぬ、と」

 苦しげに胸元をつかみ、背中を丸くこわばらせながら、神様はかすれた願いを吐き出した。

「嵐を願った……!?」

 ぎょっとした。自己嫌悪のあまり、雨がもっと降ればいい、自分など雨に打たれてどうにかなればいい、とは思ったが。

「どうしてそんな――」

「わしが叶えたからじゃ!」

 顔を上げた神様は、泣いていた。

「わしは願いを拒めぬ。そしてわしは災いなのだ。何を願われようと、わしの叶え方は災いを起こすか、鎮めるか、どちらかしかない」

 言われてみれば、不自然な嵐だった。向こう一週間は晴れの予報で、実際に快晴が続いていた。それを神様の力がねじ曲げて嵐が起きていたとすれば。

「姉さん……」

 オレのせいなのか。

 ただの自己嫌悪が、町を巻き込み、死人さえ出かねないことを神様にさせていたということなのか。

「姉さん、オレは――」

「違う……違うぞ、琢磨」

 神様は力なくかぶりを振った。

「自分を責めてくれるな。詫びもいらぬ。ぬしは大事になる前に願いをとりやめてくれた。わしはただ……怖いのだ」

 言いながら、神様は震える腕で自分を抱いた。

「かつてわしは、何度か源の村を滅ぼしかけた。じゃがわしが悪神と怨まれることはなく、現にそう成り果ててもおらぬ。なぜならその(たび)、わしに災いを願った者が怨まれ、憎まれ、責めの総てを負い――殺されてきたからだ」

 再びうつむけられた顔から雫がぽろぽろとこぼれ、彼女の足元で弾ける。

「わしは怖い。琢磨と、二度と会えなくなるのが怖い。この際、わしを嫌いでも構わぬ。じゃから――」

「約束する」

 着ていたブレザーを神様の肩に掛けながら。はっと顔を上げる神様の眼を見て、もう一度言う。

「約束する。誰にも言わないよ」

 迷うようなことではないのだ。今回こそ自分のせいで行き違いができてしまったが、元より源琢磨は彼女――紗雫媛(さなひめ)の味方であろうと決めている。その相手が泣きながら乞うことを、はねつける道理などない。

「琢磨……」

 神様は、ほっとしたように小さく頷き、微笑んだ。

「オレは姉さんを嫌いだなんて思ったことはないよ。ただ、ちゃんと見てほしかっただけだ。その……背だって追いついたんだし、さ」

 思わず顔を手で覆い、天井を仰ぐ。言っていて、恥ずかしくなってきた。空いた手でポケットを探り、ハンカチを差し出す。

「使ってくれよ」

「お、おう。すまぬな」

 ぐすぐすという鼻声と共にハンカチが琢磨の手を離れ、やがて透明感を取り戻した声が感慨深げに続いた。

「わしと並びたいか。ほんに琢磨は、もう、後ろを歩いておった子どもではないのじゃな」

 顔を戻してみて、神様と目が合う。神様は照れくさそうに笑っていた。

「最初に、そう思ってほしいって言えればよかったんだろうけど、できなかった。オレ、結局はまだガキなのかもしれない。姉さんを泣かすつもりなんてなかったんだ。昨日は本当にごめん。オレが悪かった」

 頭を下げると、神様もばつが悪そうに目を伏せた。

「いや……わしも、子ども扱いして悪かったな」

「……わかってくれてたのか」

「まあ、その、朱鷺絵に相談してな。わしも物知らずじゃった。すまぬ。わしはただ、琢磨のそばにいたかっただけなのじゃ」

 言葉だけ聞いていると、まるで恋心の告白のようだが、たぶん神様は言葉どおりに思っているだけで、まだ他意はないのだろう。それが少しだけ残念で、少しだけ安心だった。

「そっか……じゃあ」

 神様に、開いた右手を差し伸べる。

「握手。オレ、姉さんと仲直りしたい」

「うむ……」

 ためらいがちに伸びる神様の手を捕まえ、握る。

「あっ……」

 なぜか逃げるように引っ込もうとする手を、放さない。せっかく応じてくれたのだ、この期に及んで遠慮されては意味がない。

 神様の手を捕まえたまま、思わず呟きがもれる。

「綺麗な手だな」

「そ、そうか?」

「ああ」

 少し冷たいが、しっとりとしていて、肌のきめが恐ろしいほど細かく、傷どころかしみの一つもない。触れていさえすればその冷たさもまるで染まるようにオレの体温になじむのだ。いつかと同じで、その手はもう温かい。

「触ってること自体が申し訳なくなってくる」

「別にずっとでも構わぬぞ。わしは琢磨の手が好きじゃからな」

「そう言われると恥ずかしいんだけど」

「す、すまぬ」

「まあ……ともかく。またよろしくな、姉さん」

「お、おう。またよろしく頼むぞ、琢磨」

 神様の表情からこわばりが薄れ、その手にぎゅ、と力がこもる。

「あ、オレのこと『琢磨』って――いてててて!」

 ようやくまともに呼んでもらえている、という嬉しさが、割と台無しだった。やはり神様は力持ちなのだ。

「む、つい加減が。じゃがしばらく放さぬぞ」

「いや放せよ、痛いし」

 とたん、神様の眉が下がる。

「琢磨……わしが嫌いか?」

「それはない」

 即答して、あれ? と思った。

 この響きには覚えがある。

「姉さん」

「む?」

 即答が気に入ったのか既に眉を上げている神様に、問う。

「オレが行こうとしたとき、ひょっとして、わしを嫌いになったか、みたいなこと言ったか?」

 一瞬きょとんとしてから、神様は頷いた。

「言ったぞ。うまく言葉では言えぬが、ぬしに嫌われるのは、何か……嫌なのじゃ」

 微かに暗くなった神様の表情を見て、思わず言葉に詰まった。

 まるで構ってほしくてじいっと眼で訴えている迷子の仔犬のよう。鹿の角の代わりに、たれた耳が見えるような気がする。

「う?」

 頭に置かれた手を、神様は不思議そうに見上げたが、その手が頭をなで始めると、黙って目を細めた。

「――あ」

「うぅ」

 小さくも不満げな声をもらしながらオレの手を見上げる神様。彼女の頭をなでていた手は早々と動きを止めてしまっていたからだ。

「どうした、琢磨」

「な、何でもない」

 手を引っ込め、自分を見つめる神様から視線を逸らした。耳の先が熱い。

 頭をなでられて幸せそうに微笑む神様に、見とれてしまった。

「その、イヤで放したわけじゃないからな」

 思わず伸ばしてしまった手で、結果的には何とも言えない幸せな気分になったものの、我に返ってみると自分の大胆さが恥ずかしい。

 これでは、まるで――。

「ふむ……まあ、よい」

 オレを見つめていた神様は、少し残念そうに追及を打ち切ると、思い出したように言葉を続けた。

「下へ行くか。実は朱鷺絵(ときえ)とくっきいを焼いておってな」

 歩き出す。もちろん、オレの手をつかみ、引いたまま。

「今度こそ、うまくいっておるはずじゃ」

「――姉さん」

「む?」

「オレの手、放す気ないわけね?」

「愚問じゃな」

「……家の中だけだからな」

 階段を下りて。

「仲直りできたのね。よかったわ」

 居間で母さんに微笑ましく見守られ。

 食べたクッキーは、確かに美味しかった。



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