拾/竜神様が初めて食べる
【一】
夕方、オレの部屋は大抵にぎやかだ。
「わ、わしのぼすごどらが!」
「だから一匹だけ鍛えても――ってオレのゲンガー! いつの間にサーナイト育ててたんだ!?」
「ふ、ふ、ふ。甘いぞ琢磨坊。お気に入りととっておきは、別じゃ」
「まだまだ! オレにはバンギラスがいるぜ!」
「ゆけい! るかりお!」
「砂嵐を完封だと!?」
岩の体を持つ二足歩行の怪獣は、ドレッドヘアーの獣人が放った光弾の直撃を受け、戦闘不能に陥った。
ポケモン勝負の軍配は、神様に上がったのだった。
「くっそ、強えな」
机にDSを置く。神様の手駒は日々着実に強化されている。既に個々の長所短所を把握し活用しているのが恐ろしい。この調子なら遠からずポケモン同士による連携攻撃をやってのけるかもしれない。
「ふ、ふ、ふ。しかし面白いのう。実に奥が深い」
ベッドに腰掛けたまま、神様は言うとおり楽しげにDSの画面を眺めている。
「まあ、相性が十七通りどころじゃないし、特性なんてのもあるし。もう小学生向けじゃねえよな」
ブレザーを脱ぎ、ネクタイを緩め、外す。帰宅して早々にポケモン勝負を挑まれたので、身支度はこれからなのだ。
「姉さん、そろそろ――あ、ちょっと待った」
着替えるから席を外してもらえるか、という普段どおりの意思表示に立ち上がりかけた神様を、呼び止める。
「む?」
すとんとベッドに座り直した神様に手渡したのは、机に置いておいた、ビニール袋入りの黒い紙の小箱。
「これは……綺麗じゃな」
両手で受け取った神様の眼が、呟きと共にきらきらと輝く。
小さいながらも高級感ある厚紙で作られたシックな包装は、派手ではないが、宝石箱と言われても納得の存在感。入れ物である半透明なビニール袋も、レースを思わせる白い装飾が上品にあしらわれている。
「琢磨坊、これは何じゃ?」
見ただけで嬉しそうな反応に、ほっとした。値が張るものの、買ってきた甲斐はあったらしい。
「新月堂のガトーショコラ。オレが知ってる一番美味しいお菓子。お詫びの代わりに買ってきたから食べてくれ」
「お詫び?」
怪訝そうな顔の神様に、深々と頭を下げた。
「姉さんのおにぎり、残した。せっかく作ってくれたのにごめん」
そんなことか、と突然のオレの行動に目を丸くしていた神様の肩がすくめられる。
「わしが励めばよいだけのことじゃ。あれがぬしの弁当箱に紛れ込んだのは、朱鷺絵のはからいであって、わしの本意ではない。食べ物とも呼べぬ代物を食べてくれろとは言わぬよ」
「でも、もらった弁当は残さないのがオレの信条だったんだよ。食べるために作られて食べられないなんて、食べ物がかわいそうだろ」
言ったとたん、神様は口元に手をやり、うつむき加減に肩を震わせた。
「ふ、ふ、ふ……まるで球磨じゃな。生き物であろうとなかろうと、その心を惜しむとは。さすが孫だけのことはあるのう」
その言葉が、何とも言えず嬉しかった。
「姉さんも、おばあちゃんの口癖、覚えててくれたんだな」
特にそれと意識して真似たつもりはないが、おばあちゃんと過ごした日々を通して、その考え方自体を身に付ける形で継いでいてもおかしくはない。
「忘れはせぬよ。歴代の巫女たちは皆、よくしてくれた。他にも……うむ。見ていて飽きなかったのう」
誰を思い出しているのか、遠い眼は優しかった。
「……まあ、ともかく。姉さんに買ってきたから、食べてくれよ」
「うむ。ありがたくいただくぞ。よい食後のでざあとになりそうじゃ。ありがとうな」
DSは懐に、小箱を両手で胸元に持ち上げ、にっこりと微笑む神様。
「あ、ああ。味はオレが保証するよ」
神様はいつも感情表現が素直なので、間近で見ている側としては色々と照れくさい。
「そんじゃ、悪いんだけど――」
「おう、着替えじゃったな」
笑顔の神様は素直に部屋を後にした。
【二】
山奥深い闇の中、月明かりでようやく輪郭を浮かび上がらせているそこは、住む者も祀られる者もない、絶えた神域である。
そこに、懐中電灯の光があった。
「なかった」
声と共に引き戸が開き、出てきた人物の頭が、直後鈍い音を伴って前のめりに揺れる。
「痛い」
顔を上げた短い銀髪の女は、呟きながら目前の、拳を握っている男を見上げた。男は女と違って長い黒髪を後ろで一本に束ねている。
「躊躇なく戸を壊して家捜しに及ぶな」
ため息交じりに言い聞かせる男の視線の先には、ごっそりとえぐられなくなっている引き戸の錠前部分。いかなる破壊によるものか、錠前は部品も残さず失われている。
「大体、俺達ならあるかないかくらい外からでも判るだろう」
「言いたいことはわかった。でも、常識は時間が経てば変わる」
頭を両手で押さえながらの女の反論に、男はがっくりとうなだれた。
「それはわかっているとは言わない……もうやだこの超時空引きこもり一族」
「とりあえず、探す」
「はあ……そうだな」
男が改めて顔を上げる。
「竜神様――要するに歩く嵐のようなものか。悪用されてもされなくても、碌なことにしかならなさそうだ。早く見つかればいいが」
呟く男に続いて、女も引き戸を閉め直し歩き出す。
その表札には『源』の一字が刻まれていた。
【三】
劇的だった。
「おお、おおおお……!」
輝く眼は虚空を見る。フォークをぎゅっと握りしめ、空いた手は頬に。半開きの黒っぽい唇は微笑みの形に固定されて感嘆の音を垂れ流し続ける。
「――美味しい! 美味しいぞ、琢磨坊!!」
神様は全力で喜んでいた。オレが買ってきたガトーショコラは見事に口に合ったらしい。
「やっべ、すっげー嬉しいかも」
ここまで喜んでもらえると、値が張るものだとか店まで遠いとか、そんなことは吹き飛んで余る。
「琢磨も結構マメなのね」
母さんも三人前の緑茶を淹れながらくすくすと笑う。父さんは今日仕事が長引いているらしく、まだ帰ってきていない。
「別にそうでもないさ。自分が食べて美味しかったから覚えてただけだし」
甘党と言うほどではないが、オレ自身甘いものは嫌いじゃない。女子への贈り物に、と友人の鑑に荷物持ちとして付き合わされたのが、町の片隅にあるチョコレート専門店『新月堂』だった。手間賃としておごられたガトーショコラを食べたときには、絶句したものだ。
一般的なオレンジ以外にも何かあるのではないかと思える絶妙な甘酸っぱさ。濃厚なのになめらかなチョコレートの口どけ。料理には詳しくないオレでも確信した。これは逸品だ、と。
「神様、お茶をどうぞ。ガトーショコラには意外とお抹茶が合うらしいんですけど、うちにはなくて。緑茶でごめんなさいね」
「なに、構わぬよ。こんな美味しいものをいただきながら更に高望みなど、とてもとても」
神様の表情は緩んでいて、もはや笑みというレベルを超え締まりがなくなっている。相当の衝撃だったのだろう。
「がとうしょこら……がとうしょこら! しかと覚えたぞ!」
フォークを両手でつかみ、左右に振りながら、神様は未だにはしゃいでいる。
「……どんだけ気に入ったんだ」
提供した側としては、そのはしゃぎっぷりが嬉しくも照れくさい。
「そう言うがな琢磨坊、これは美味しいぞ。洋菓子の味は濃いと聞いてはおったが、まさかこれほどとはの。よい。実によい」
「その、なんだ。落ち着け姉さん。口も拭け。また今度買ってくるから」
ぴた、と神様の動きが停止した。どことなくホラーじみた反応に思わず体をこわばらせながら見守るオレを、神様は無表情のまま、ゆうっくりと向き直った。
「是非」
にへえ、とチョコレートの未だ残る口が裂けんばかりに締まりのない、しかし幸せそうな笑みがこぼれる。
「是非、じゃ。琢磨坊」
「ああ、約束だ」
頷きながら、思った。
いい加減『坊』って呼び方、どうにかならねえのかな。
ストレートな感情表現を好ましく思いながらも、いつからかオレの中にはわだかまりが少しずつ積み重なっていた。神様の無邪気な姿から、自分が一方的に子ども扱いされる格の違いは感じられないのだ。




