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やさしい角に、たんぽぽを。  作者: 賀東しょこら
可愛い弟
10/26

玖/竜神様にエプロン

【一】

「のう、朱鷺絵(ときえ)

「はい。何ですか神様」

「これで、何ができるのじゃ?」

 スーパーの買い物かごをのぞき込み、彼女は相変わらず興味津々だ。

「今日はシチューにしようかと」

「おお。あの舌触りのよい味付きの(かゆ)か。楽しみじゃのう」

 実態はともかく、確かにそのようなものだ。うまい表現だと思う。買い物かごだけでなく、売り場を移動するたびに周囲を見回してきらきらと輝く眼が微笑ましい。

 いつの間にか、神様が買い出しに付き合ってくれるのは当たり前になっていた。

 最初はこちらが遠慮していたものの、いざ連れて行くと、見るもの聞くもの、全てが新しく、楽しくて仕方ないのが、そばにいるだけで伝わってくる。ずっと山の中で暮らしていたという境遇の存在を家の中に閉じ込めておくほど酷なことはないのだ、と思い直し、今ではむしろ外出の時には必ず一声掛けるようにしている。

 それに、一月を共に過ごすうち、神という肩書きに関係なく、彼女がだんだんと娘のようにも思えてきている。

 息子の琢磨(たくま)がなぜか『姉さん』呼ばわりしているから、というのも少しはあるにせよ、それだけではない。

 知性や判断、落ち着いた物腰は外見相応の淑女と呼ぶにふさわしいものなのに、彼女は何にでも興味を持ち、知ったことへの反応が初々しく、そして思いがけないことに対して無知で危なっかしい。そんなアンバランスさに、一人の母親としてついつい保護欲をかき立てられてしまうのだ。

 人間であれば当たり前に感じている、悟っているであろうことが、彼女にはわからない。確かに彼女は人間ではないのだろう。だが決して、危険な存在ではない。彼女はごく普通に、食べ物を美味しいと感じ、楽しいことに笑みを浮かべる。そういう心は、きっと誰とも分かり合える。

「朱鷺絵。人参は、しちゅうの他には何に使えるのじゃ?」

 自動ドアを後に、目の前に持ち上げた買い物袋をしげしげと眺めながら、神様が訊いた。

「そうですね、豚汁とか、カレー、かしら」

「滋味あるものと辛いもの……全然味の違うものにもか。料理とは深いのう」

 腕組みをして、難しい顔で呟く神様。

「朱鷺絵は、よくもそのような大仕事を毎日こなせるな」

「ふふ」

 思わず笑みがもれた。もはや独自の研究を重ねる趣味の域にまで至っているので、よその家庭より力が入っている自負はある。が、持ち上げられるとやはりこそばゆい。

「もちろん、面倒だと思うこともあります。でも好きな人を自分が喜ばせてあげられるんですよ」

 始まりは、付き合い始めた頃の夫に手料理を振る舞ったことだった。彼は残さず食べてくれたが、食後眉一つ動かさず『まずかった』と言い放ったのだ。ショックは受けたが、飾り気のない実直さに惹かれた相手だったので、他意のないことを信じて別の機会に挑むと、また完食の上『まずかった』。練習を重ね、自分でもこれ以上はないだろう、というレベルで更に挑むと、おかわりを要求された。食後に見た笑みと、待ち望んでいた『美味しかった』の一字一句がしみこむように感じたものだ。

「……ふふ」

 あれは幸せだった。結果だけ考えればある種の策略にはまったような気もするが、納得ずくなので構わない。

「好きな人……錬磨(れんま)か?」

「ええ」

 後でわかったことだが、かつて振る舞った手料理は本当にまずかったらしい。その頃の自分は味見という手順を無視していたので当然と言えば当然の話だ。

 そして彼はというと、まずかったから『まずかった』と言い切った。それを食べきった理由は『君が作ってくれたから』。

 矛盾しているようでいて、どちらも彼の中では率直な本音だった。それまでも、相手の反応を考える前に思ったままを口に出す無神経な素直さに何度か驚かされ、耐性があったからよかったのだ。今更ながらよくもそれで関係に亀裂が入らなかったものだと思う。

 自分が美味しい料理を振る舞ったとき彼が見せた笑顔も賛辞も、心からのものだった。そういった心地よいものと共に、自分自身にとっても美味しいものを食べることができたのが嬉しかったから、自分は料理を繰り返すようになり、そして今『源』姓を名乗っている。

「料理か……」

 呟きながら、神様は何やら考え込んでいる。

 陽射しは穏やかで、風もあまりない。のんびりと歩く家路が公園に差し掛かり、何気なく目を向けると、幼い子ども達が走り回り歓声を上げている。

 平和な、とても微笑ましい日常だ。

「――朱鷺絵」

「はい?」

「ふと思ったのじゃが、琢磨はどこから来たのじゃ?」

「うん……?」

 ちょっと、訊かれている内容がよく分からない。

「ぬしと錬磨は夫婦(めおと)じゃろう?」

 神様の視線を追ってみると、走り回る子ども達を見守る親がいる。その中には、赤ちゃんを抱いた若い夫婦の姿もあった。

「琢磨は小さな子じゃった。だのに今ではわしより少し大きい。逆に言えば、ややこだったこともあるのじゃろう? わしが知る限り、ややこを抱いているのは夫婦(めおと)ばかりじゃった」

「ああ……そういうことですか」

 ややこ、とは確か赤ちゃんの古風な呼び方だ。つまり神様は『赤ちゃんはどこから来るの?』と言いたいのだろう。

 改まって訊かれると、照れくさいものがある。だが、彼女は本当に知らないのだ。

「そうですね……子どもは、どこかから来るのではなくて、男の人の助けを得た女の人の体から産まれてきます。それ以外のことであっても、絶対にこの相手、と決めて助け合う男女が、夫婦ということですよ」

「人一人を世に送り出してしまうのか。すごいな、夫婦(めおと)は」

 じっと若い夫婦と、その間に抱かれている赤ちゃんを見つめる神様の顔に、慈しむようなうらやむような、柔らかい笑みが浮かぶ。その目が閉じたかと思うと、何かを思い返すような表情に、また別の微笑が広がる。

 しかし、再び開いた神様の眼には、どこか寂しげな色があった。

「うまく言えぬが、よいな――人は」

 最後の、小さく消え入りそうな呟きは、思い過ごすには切な過ぎた。

「お料理、してみますか?」

 驚いた顔で、神様が振り向く。

「わしがか?」

「ええ」

「よい、のか?」

「せっかく色々研究しましたからね。誰にも教えないのはもったいないと思っていたところです」

 しばらく、沈黙。神様は困ったような表情でこちらを見、目をそらし、と落ち着かなげに視線をさまよわせていたが、やがて真っ向からこちらを見つめ返した。

「……教えてくれ。朱鷺絵」

「はい、喜んで」

 彼女は、境遇が変わっているだけだ。そういうことに憧れを抱いたのなら、押し込めることはない。そして自分はそれを後押しする力になれる。可愛い『娘』のために惜しむようなことはないのだ。

 翌朝、彼女は息子の弁当のため料理に挑み――台所を焦がした。

 なので今日は、その失敗を踏まえた上で頑張ってもらった。



【二】

 昼休みを迎え、ふと考える。

 どっちで食べよう。普段どおり学食でもいいし、昨日開拓した屋上も悪くない。

 とりあえず足が向く方に、と立ち上がりカバンからつかみ出そうとした弁当箱が、重い。

「……なんだこれ」

 たぶん、キログラム単位。受け取ったときはすぐカバンに入れたので気にならなかったが、これは尋常ではない。

 何気なく包みのバンダナを解き、入っていたアルミホイル包みの三角形をつか――めなかった。それは、おにぎりという常識に対する力加減を遥かに裏切る大質量。

 落下した三角形は鈍い振動と共に頂点で床に接し、そのまま。倒れない。

「ちょ」

 刺さっている。

 床のくぼみから引き抜いたそれの、破れたアルミホイルの隙間からのぞく地肌は白く、海苔を巻かれている。全体を構成しているはずの米の粒は判別もつかず、表面は陶器じみたなめらかさ。爪の先が引っかかりもしない。

 それでもこれは、おにぎりの材料で、おにぎりの製法で、おにぎりとして完成したに違いない。人間業ではないが、源家には人間離れした家族がいるのだから。

「……全力で握ったんだろうな」

 昨日とはまた別の、デニム地に毛筆タッチで『ぶっちぎるぜ』と書いてあるエプロンを着けて台所に立っていた神様の姿が思い出される。

 おにぎりなら、焦げたり、味付けを間違ったり、食べ物として壊滅的な不都合が起きる心配は薄い。昨日の台所黒焦げ事件を踏まえての選択だったのだろう。

 だが、まさかこんな盲点があったとは。

 全力で物事に打ち込んでくれるのは、作ってもらえた側としてうれしい。しかし、文字通りの全力行動は大体空回る。さすがにこういう結果はレアケースかもしれないが。

 作ってくれた本人にはかわいそうだが、これは無理だ。三秒ルールを適用したとしても、そもそも人類が噛み砕けるような代物ではない。

 捨てるのも忍びなく、超圧縮おにぎりをカバンにしまい直して、一緒に入っていた小ぶりのおにぎり二つを手に教室を後にした。たぶんこれは母さんが添えてくれたんだろう。

 学食へ。

 手のひらに収まるおにぎり二つだけで運動部員の空腹は満たせない。昼休みのチャイム直後からのラッシュに出遅れたのは痛いが、まだ注文は間に合うはずだ。

 そして案の定、人ごみの収まり始めたカウンターできつねうどんを確保することができた。

 問題はこれからだ。うどんがのびる前に、埋まりに埋まった学食内で空席を探さなくてはならない。

 おもむろに歩き出す視界の隅で何かが激しく動いているような気がして、目を向けると、下級生の女子がこちらを向いて立ち上がり、手を振っている。その向かいは空席だが、スポーツドリンクのペットボトルが置いてある。誰かが来る予定なのだろう。

 後ろを振り返ってみても、誰もいない。下級生は相変わらずこっちを見て手を振り続けている。

「……ひょっとして、オレ?」

 よく見るとその下級生、マネージャーだ。

「み、源センパイ、もっと早く気付いてくださいっ!」

 歩み寄るなり、マネージャーこと橘川直(きっかわすなお)は顔を真っ赤にして小声で語気を強めた。

「恥ずかしいじゃないですかっ」

「いや、呼べよ。お前オレの名前知ってるんだから」

 思い思いの会話でざわつく周囲を見回すと、橘川は視線を落とし、両手の指先を突き合わせながら呟いた。

「学食で叫ぶとか、もっと恥ずかしいじゃないですか……」

「今のオーバーアクションも相当だと思うぞ。で、何か用か」

「え?」

 ぽかん、と口が開く。

「連れがいるんだろ、邪魔はしねえよ。オレもうどんがのびるから空いた席さっさと探したいんだ。用があるんなら早くしてくれ」

 橘川の視線が、オレと、向かいの空席とを往復する。

「え、えと、その、そこ……連れじゃなくて」

「誰」

「源センパイの、席……の、つもり、だったんですけど。邪魔でした?」

「なんでオレ」

「そ、それは、その」

「まあいいや」

 よくわからない言葉の詰まりっぷりへの配慮よりも、今はうどんだ。食べ物は大事にしなければ。

「うどんが台無しになる。座っていいんだな?」

「は、はい!」

「わかった。ありがとう――いただきます」

 なぜかぱあっと表情を輝かせる橘川の前でさっそく手を合わせると、割り箸を割り、うどんをいただくことにした。

 ちょっとくたびれて柔らかい麺も、概ね許容範囲。学食の値段設定は高校生の懐に優しいので、高望みは図々しいくらいだろう。

 下手に安っぽい肉にこだわるよりも、つゆの吸いのいい油揚げの方が、歯応えがあっていい。オレにとって学食での定番メニューはきつねうどんだった。ちなみにきしめんという類似メニューもあるのだが、麺が平たいだけなので食べ応えを感じられず、最初に一回試したきり注文したことがない。母さんが手がけた絶妙な茹で加減のきしめんは格別だったが、たぶん素材からして別物だろう。

「……ふう」

 うどんをたいらげ、油揚げもなし。おにぎりを口に放り込む。

 人心地ついて、視線を戻す。またリスのごとく両手でパンを抱えていた橘川が、目が合った瞬間びく! と背筋を伸ばす。何なんだろう、この小動物。

「オレ、お前と約束した覚えないけど。あ、そうそう。これ返すぞ」

 目の前に置いてあったペットボトルを目前に置く。が、橘川は受け取ろうとしない。

「いえっ、それも、源センパイのです。飲んでください」

 つい、と手のひらで押し戻され、ペットボトルはオレのお盆のそばへ。

「え、冗談。後輩にたかるとか格好悪いだろ」

 とん、と置かれるペットボトルは再び橘川の目前。

「いえ、たかるとか、おごるとかじゃなくて……その、お礼ですから」

「お礼?」

 テーブル上のペットボトルを押し合う手をとりあえず止め、首をかしげる。その隙に橘川がペットボトルをオレの手元まで押し込んだ。

「前、センパイにもらいましたよ――部室で片付けのときに助けてくれて、ありがとうございました。それ、同じのです」

 沈黙。

「そんなことあったっけ? (かがみ)におごらせた回数とおごらされた回数なら――」

 言いかけて、眉が寄った。

「あいつの方が勝ち星多いじゃねーか。オレ、トータルでマイナスかよ」

 ぷっ、と橘川が噴き出す。

「源センパイも、鑑センパイ好きなんですね」

 言われて、思わず首をかしげた。

「なんだ『も』って」

「この前、鑑センパイにモス誘ってもらいました。そのとき、鑑センパイ言ってたんです。あいついい奴だから、悪気はないから、って」

「そりゃあ、オレあいつ嫌いじゃないけど。そこまでフォローいらねえぞ。オレ女子には嫌われ者でいいわ」

 最後のおにぎりをほおばる。

「嫌われ者って……センパイ、なんで、女子苦手なんですか?」

 少し、うんざりした。おにぎりを飲み下しての一息が、そのままあからさまにイヤそうなため息に化ける。

「なに、お前も? 何でもかんでも恋愛ネタとか勘弁してくれ、面倒くさい」

「あ――ごめんなさい!」

 跳ねるように立ち上がる橘川が、テーブルにぶつからないか心配なくらいの速さでまっしぐらに頭を下げる。

「まあ、席はありがとな。助かった」

 それと、と立ち上がりざま、押し付けられたペットボトルを改めて橘川の前に置いた。

「覚えてないから受け取れない。自分で飲め」

「え――源センパイ!」

 声は背中に。手だけ挙げて応え、学食を後にする。

 空腹は満たされたが、胸の中には罪悪感がわだかまっていた。

 せっかく神様が作ってくれたおにぎりを、食べずに残したからだ。本来オレは、出された食べ物を絶対に残さないし、残すつもりもない。

 おばあちゃんはよく『作られたのにその役目を果たせない物は可哀想だ』と言っていて、オレもそう思っている。作られたのに食べてもらえない食べ物は可哀想だ。のびてしまう麺類のように、食べ頃を過ぎて台無しになる食べ物は更に可哀想だ。たぶん父さんもそう考えているんだろう、源家の食卓で残り物が出たことはない。

 神様には悪いことをしたと思う。帰ったら謝ろう。



 少年は、美人に面と向かって「綺麗だよ」と言い放った。

 その父は、まずい料理を作った恋人に面と向かって「まずかった」と言い放った。

 臆面のなさは血筋でしたとさ。

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