逃走
毎晩眠れないくせに、窓から見えもしない月にサヨナラを告げて目を瞑る。
それは僕が自分は特別な存在だと錯覚するのと同時に、有象無象の一人でしかないと再確認できる僕だけの儀式であった。
幼いころ、多分五歳ごろからであろうか。私は皆の主人公には成りえないと既に自覚していた。
自我というものもあったりはしたのだろうが「自分の好きなものは?」と聞かれても答えられなかったと記憶している。
小学校に上がりそれなりに友人と呼べるものもできたが、はたして友情などあったのであろうか。
皆からはぐれまいと考えたうえでの行動であった。
「ドッジボールが好きなんだよね」と母と話したことがあった。
嘘だ。
力がないのでボールを投げることもできなければ、取りに行くこともできない。
強いて出来ることといえば鼠が如く逃げ回ることだけだった。
皆と居て確かに楽しいと感じることもあるが、終わってみれば言葉に出来そうにない虚空が心に広がるだけであった。
中学に上がってもその心持はあまり変わらなかった。
皆で何かするという遊びが失われ、金と性欲を遊びに組み込む年ごろの人間との相性は最悪と言っても差し支えなかった。
皆の雰囲気に合わせ最低限話せる異性を話題にでも挙げなければきっと僕は孤独な学生生活を送っていただろう。
勘違いしてほしくないのは僕は別に皆の雰囲気が嫌というわけではなかった(当時は嫌いだったかもしれないが今では嫌悪感を抱いていない)。
私は自分自身が抱く性欲の存在を認めたくなかっただけなのだ。
皆のように本能に忠実に動くわけでもなく、自分自身のあこがれでもある理性的な人間にもなり切れず、その間をゆらゆらと揺蕩う自分自身が嫌いだった。
それを自覚せず、欲で物事を見る皆を軽蔑し、そんな皆とは違う自分を高尚なものと思い悦に入ってただけのくだらない人間なのだ。
そのような人間だからこそ私は心通う友人ができず、人の気持ちを慮ることが出来ないのであろう。
他者を軽蔑する癖に一人になるのが嫌で仮面をかぶって接する。
このような人間をだれが愛すというのか。
高校でもその気持ちは変わらない。
一丁前に好きでもない異性を誘い、遊んだりもしたが私は性欲でしかこの異性を語れないだろう。
自分自身が軽蔑している皆に僕自身も入っているのだ。
だからこそ僕はその異性と離れ、また一人になった。
皆に心を開くことがないので皆も僕に心を開かない。
孤独が嫌なはずなのにいつの間にか孤独になっている。
だからこそ僕はあのような儀式をするのかもしれない。
この矛盾と僕はこの先も共生し続けるであろう。
きっと僕の心の臓が止まるであろう、その時まで。




