モルゲンロートの花束
いつの日か、夢を見た。
あの子と誰かが仲睦ましく歩いて、僕がそれを眺めている。
そんな夢。
はたから見れば仲の良いカップルだろう。
だけれど、それを僕は「嫌だ」としか考えられなかった。いや、考えたくなかった。
夢から覚め、すぐにあの子とのLINEを確認した。
安心したかったのかもしれない。僕の意思には関係なく、あの子とのデートを誘う趣旨のメッセージを書き込む指は、送信ボタンを押していた。
数分後、着信が来た。あの子だ。あの子の文面から伝わる元気さは、眠気さえも吹き飛ばすような朝焼けの光のようにも感じ取れた。
「土曜日、19時に氷花神社祭で」あの子はデートだとは気づいていないようだ。そんな約束を交わしつつ、学校へ向かった。が、6時間もある授業はどれも耳を通り過ぎて行くばかりだった。
頭の中は「何を着ていくんだろう」や「一緒に打ち上げ花火を見たい」という気持ちで埋め尽くされていただろう。
氷花神社祭。毎年8月第2週の土曜日から日曜日まで氷花神社にて開催される。昔、この町を守った英霊を供養するための祭りらしく、提灯に、願いの漢字2文字を書くことで、それが叶うんだとか。
あっという間に金曜日は過ぎ、土曜日になった。この日のために着物を借りた。15700円した。
全てはあの子、いや悠花とのデートのために。財布には何万円も詰め込んだ。
着物はアイロンをかけ、シワを完璧になくした。髪の毛はいつも行っている床屋に行き、セットしてもらった。いつも担当している美容師さんは学生時代モテモテだったらしい。その話が嘘か真かは置いて、飛びきりのセットをしてもらった。氷花神社行きのバスに乗り窓側の席に座る。窓に映る空に、悠花の顔を浮かべながらバスに揺られること20分。氷花神社に着いた。結局、19時に、と約束したのに18時半に着いてしまった。悠花がまだ来ている訳はない。そう思っていた。悠花と一緒に食べようと約束していたから、お腹は空かせておかないとと考えていると、一つの屋台が目に入った。
「りんご飴」と看板を掲げる屋台だ。
ここのりんご飴はとにかく甘い。普通のりんご飴より格段に甘い。悠花は甘党だからここのりんご飴はすごく気にいるであろう。
りんご飴を買い、屋台の後ろに下がった。
この景色は中々いいものだと思った。
祭りの賑やかな雰囲気から外れて、落ち着いているが、それでいて、楽しい雰囲気が満ちている。
そこで、ある提灯の文字が目に止まった。
「恋愛」そう書かれた提灯を見た瞬間、悠花のことをずっと考えていた。
そこで気がついた。「恋愛」の提灯の下にも、りんご飴を食べている女性がいる。こちらには気づいていない。
その時、後ろから、バンッと威勢のいい音がなった。咄嗟に振り向いた。その女性も振り向いた。おもちゃの銃が壊れて2つに分かれていた。子供の使い方が悪かったらしい。
視線を前に戻すと、その女性が俺を見ている。何かを言いながら近づいてきた。
まさか、と思い彼女の顔を見た。悠花だった。
「いつからいたのー!?」と興奮気味で聞く彼女が、可愛い過ぎてしょうがなかった。
今、初めて気づいた。俺は悠花が好きという事を。天真爛漫な性格から繰り出される無邪気な言動が、悠花のことを好きになっていた要因の一つであろう。
そんな発見に惑う暇もなく、「私ね、楽しみ過ぎて18時に来たんだよ!」と衝撃的な事を言う彼女に、驚きつつも「ごめんね、30分も待たせて」と謝った瞬間に「いいよ!一緒に行こう?」と悠花が言い始めていた。彼女は自分が思っていた以上に似合う淡い水色の浴衣を着て、花の形をした髪飾りをつけていた。その姿はまるで今、この瞬間に、花火が上がったとしても、目を離さない、そんな美しさに見惚れていた。
18時42分、6個入りたこ焼きを買った。
2人で3つずつ、半分こ。
18時58分、射的をした。
クマのぬいぐるみと、じゃが◯こを取った。
クマのぬいぐるみを渡したら、すごく喜んでくれた。
19時7分、焼きそばを2パック買った。
女子なのにこんなに食べていいのか?と聞いたが返答は「ももとかムチムチの方が男子っていいんでしょ?」と返ってきた。
「えっ」 急な言葉に心が縮んだ。悠花が男子にウケを取ろうとしていると思ったからだ。
「うーん、けど食べ過ぎて太っちゃったら困るよ?」慌ててそう聞いた。
「そっかぁ」と悠花は嬉しそうだけど、少し悲しいような表情をしていた。
19時22分、19時半に花火大会があると聞いて、慌てて氷花神社本殿に登る。
19時30分、氷花花火大会・開始。
一つ目の花火が空で割れ、身体に響く轟音が鳴り始めた。悠花が少し身を縮める。
「すごっ…」花火に魅入られている横顔に、
言いたい言葉が喉に引っ掛かって出てこない。
今言うべきだ、と思っているのに、心音がうるさくて、声が出てこない。
赤、白、金の火花達が空を次々と塗り替えていく様に、俺も悠花も見惚れていた。
「ねぇ」不意に悠花が話しかけてきた。
「悠斗ってさ」名前を呼ばれたことに心が躍るものの、何かが心に引っ掛かっている。
「私がもし、誰かと付き合ったら………どうする?」一瞬、花火の音が消えた。
いや、正確には消えてなんかいない。花火の音はまだ耐えず続いていた。ただ、頭が突然の出来事に反応できていなかった。
「どう……って」 自分の声が不自然に乾いて聞こえた。
悠花は笑った。いつもの太陽の様に明るいはずの笑顔。だけど、何か作り笑顔のように見えた。
「流石に冗談だよ」
そう言ってから、彼女は空を見上げた。
「私ね、提灯に願い事書いたんだ」
嫌な予感がした。
「『恋愛』って」
胸の奥が、ぎゅっと縮む。夢が現実を蝕む様に夢で見た光景が、頭の中に重なった。
「叶うといいなあ」
その言い方は、軽いのに、必死だった。
俺は思い出していた。屋台で言っていた言葉。「ムチムチの方が男子っていいんでしょ?」あの時感じた、引っかかり。
悠花は、誰かに選ばれる為に笑っている。
悠花は、可愛い、と言われる為に笑っている。
それを自分は好きだと言っていたのか、と。
悠花を否定したくない。悠花を否定してしまえば悠花を信じていた自分が崩れてしまう。
花火がひと段落した今、悠花に思いを伝えられる気がする。
「悠花」 悠花がこちらを驚いたように見た。
「俺は……」 喉が痛い。
「俺は、悠花が好きだと思う。でもそれは、誰かに好かれるための悠花じゃない」
悠花の表情が固まる。
「ここにいる、今の悠花が、好きなんだ」
しばらく、何も言わなかった。次の花火が上がり、二人の影が地面に揺れた。
「……それってさ」
悠花の声が、少し震えていた。
「告白、なの?」
俺は、首を横に振った。
「違う」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「今、付き合おうとは言えない」
悠花の目が大きく見開かれる。
「なに、それ」
怒っているのか、泣きそうなのか、分からない表情をした悠花に申し訳なくも、ここで自分を偽ってしまえば、悠花を傷つけることになる。
「私のこと、からかってたの?」 「違う」
否定するのが、こんなにも苦しいとは思わなかった。
「俺は、悠花の不安を埋める役になりたくない。それで一緒にいても…きっと、どこかで壊れる」
悠花は唇を噛んだ。一瞬、泣きそうな顔をして、それから、ぷいとそっぽを向いた。
「……最低」
そう言って、浴衣の袖で目元を隠す。
「こんな祭りの日に言うこと?」
返す言葉が、見つからなかった。
花火が終わり、拍手と歓声が広がる。周囲は笑顔なのに、俺たちの間だけ、静かだった。
「もう帰る」悠花は目頭に涙を浮かべながら言い放った。
「送る」と言いかけ、やめた。このままでも悠花の不幸になるだけだと思ったからだ。
「……気をつけて」
悠花は振り返らなかった。
人混みに消えていく後ろ姿を見ながら、胸の奥が、じわじわと痛んだ。これでいい訳がない。正しかったのかどうかも分からない。
ただ、自分はどうすればよかったのだろうか。
自分を偽り、悠花の気持ちを受け止めていれば幸せであれたが、いつかは互いの関係も壊れてしまう。だからと言って悠花を否定してしまえば悠花を傷つけ、愛してる人を否定することになってしまう。そんな結果がこの様だ。もう
悠花には、どんな言葉をかけても心を開いてはくれないだろう。
俺は食べた焼きそばのパックを片手に膝から崩れ、ただ泣くしか出来なかった。
そんな葛藤に苛まれていたのも束の間、祭りが終わり、提灯の灯りが一つずつ消されていく。「恋愛」と書かれていた提灯も、いつの間にか外されていた。
結局、眠ることも帰ることも出来ず朝が来た。
モルゲンロート。明日が昨日を塗り替えてゆく。明日に向かえない自分を残して。
朝が始まる色。
夜が終わる色。
叶わなかった思い、悠花を傷つけた情けなさ、どうすることも出来なかった自分への苛立ち。心の中で感情達が花束みたく束ねられて、心に棘を刺し続けていた。
この痛みが消えることはない。
だけど、この色を見ていると、終わりじゃない気がした。
滞っていた足も、一歩前に進めそうな気がした。




