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作者: 執行 太樹

春が嫌いな「真子」。

そんな真子は姉の恵子と共に、1年前に亡くなった厳格な父のお墓参りに来た。

父への思いを恵子に語った真子は、恵子の思いを知り、父に対する気持ちを振り返る……。




 春は、心地よい季節である。世間では、その春の訪れを、桜の花に見ることがよくある。だからなのか、桜の花を好み、また惜しむ者は多い。

 しかし、私は違った。私は、春が嫌いで、そして桜の花が憎かった。



「それで、真子まこ。喫茶店の方は、どうなのよ。うまくいってるの」

 運転席でハンドルを握っている姉の恵子けいこが言った。

「そこまでよ。いつもの常連さんしか来ないもん」

 助手席に座り、流れる景色に顔を向けたまま、真子はそう応えた。手には、白い菊と線香が入ったビニール袋を持っている。

「常連さんが来てくれるだけでも、良いじゃない。馴染み客は、大切にしなさい」

 運転席の窓から吹き込む風が、恵子の髪をなびかせていた。空は青々としており、遠くに綿雲が浮かんでいた。真子たちの乗っているレモンライム色の日産デイズが、桜並木の中を走っていた。時折、桜の花びらが車内に入ってくる。

 真子が喫茶店を経営して、およそ1年経った。ずっとやりたかったことであった。街外れにポツンとある、小さな喫茶店であった。店内では真子の好きなジャズを流している、いわゆるジャズ喫茶だ。初めのうちはある程度お客さんが来ていたが、最近の客入りはまばらであった。

 真子は、それでも楽しかった。独身のまま、先月で51歳になった真子にとっては、自分のしたいこと、というよりも、自分の時間が持てることが楽しかった。自分のペースで働ける環境が、嬉しかった。いわゆる「性に合っている」という言葉が、しっくりくる表現だった。

 2人の乗った車は、山側に向かって進んでいた。10分ほど国道を走っていると、少し高台になった場所に着いた。山の斜面が切り開かれた場所で、そこは墓地として使用されていた。

 真子と恵子は、車から降りた。2人は駐車場の隅の方にある、水汲み場へ向かった。水汲み場に着くと、ポリバケツと柄杓が数個ずつ置かれていた。恵子はそのポリバケツと柄杓を1つずつ手にとって、水道で丁寧に洗った。この作業は、お互いに決めたわけではなく、いつのまにか自然と恵子の役割になっていた。


 ちょうど昨年の春、父が亡くなった。肺炎によるものだった。母が心疾患で亡くなった、3年後のことだった。父の最期は、恵子と真子が看取った。

 父は、恵子と真子に厳しい人だった。少なくとも、真子はそのように感じていた。幼い頃から、ことあるごとに厳しくされてきた。ああしなさい、こうしなさい、あれはあするな、これはするなと、2人とも、好きなことを自由にさせてもらえなかった。

 真子が小学6年生の時、真子が友だちとそのまま公立の中学に進学するものだと思っていたところ、急に私立に受験することを父に告げられた。2つ上の恵子が私立に進学していたこともあり、ある程度予想はついていたものの、小学校の友だちと離れ離れになるのは、つらかった。高校に進学するときも、同じだった。

 高校生活も、父から色々と制限された。どの友だちと仲良くするかを選ばれた。いくつもの習い事に行かされた。塾にも通わされた。高校3年生になってから、真子が密かに抱いていた美容系の専門学校への進学も、父には言い出せなかった。安定した職に就くために、都心にある有名大学に進学するように言われていたからだ。真子が、いつか必ずこの家を出ようと思い始めたのは、ちょうどこの頃だった。

 真子にとって、自分の進路を決める春という季節が、いつしか嫌いになっていった。 


 2人は、お墓の前に着いた。花崗岩で作られた墓石には「佐伯」という名前が刻まれていた。

「ごめんね。お父さん、お母さん。少し来るのが遅くなっちゃった」

 恵子はそう言うと、水の入ったポリバケツを置いて、そっとお墓に手を合わせた。真子は、お墓には目もくれずに、手に持っていたビニール袋から、機械的に線香を取り出していた。

「もう1年か……」

 お墓の方を向きながら、不意に恵子が話した。

「何がなの?」

「何って、お父さんが亡くなってからよ。あんた、覚えてないの?」

「ふーん」

 真子は、あえて興味のないような素振りで答えた。そんな真子の反応を聞いて、恵子の背中越しから、ため息をつく声が聞こえてきた。

「あんたねぇ。お父さんのこと、まだ怒ってるの?」

 恵子は、真子の方に向き直って聞いた。真子は、「だって」と応え、話を続けた。

「あの人、肺炎になって生活がままならなくなっても、最後まで施設には入らない、とか何とか言って。いい迷惑よ。面倒を看るお姉ちゃんの身にもなってほしいわ」

「ふーん。たまには帰ってきたらって何度も言ったのに、一向に帰ってこなかった誰かさんが言う言葉じゃないわね」

「それは……。私にだって、私の都合があるのよ」

「あっそれ、また出た。あんたは昔から、自分に都合の悪いときには、いつもそう言っていたわね」

「だって、本当にそうなんだから、仕方ないでしょ」

 恵子は、はいはい解りました、と真子の言い訳を聞き流しながら、すでに備えられていた献花を花立てから取り出した。そして、手際よくその花立てを水で洗っていた。真子は、そんな恵子を見て、ふくれっ面をした。

「でも私、思うのよ……」

 洗い終わった花立てを墓石の前の元ある場所へ戻し、恵子は話し始めた。

「お父さん、そうやって生前は施設に入らないなんて言ってたけど、本当は強がってたんだと思うよ」

 恵子の言葉は、意外だった。

「どうしてそう思うのよ」

「だって、昔っから何でも自分でしないと気が済まなかったあの人のことよ。身の回りの世話を、娘にされるなんて嫌じゃない。私だったら、さっさと施設に入って、若いお姉さんと会話する方が楽しいと思うわ」

 恵子は、水で濡らした布巾を絞り、墓石を拭き始めた。そんな恵子の後ろ姿に向かって、真子は話しかけた。

「じゃあ、何で自分の家に居ようと思ったわけ? さっぱり解らないわ」

 真子は、黙々と墓石を丁寧に拭いている。真子は続けた。

「あの人は、自分勝手なのよ。私たちに、散々自分の考えを押し付けて、私たちの思いを、少しも解ろうとしてくれなかったじゃない。施設に入らなかったのも、きっとあの人のわがままよ。誰かが面倒を見てくれると思ってたんだわ。お姉ちゃんの気持ちも知らないで」

 真子は、今まで父から受けた仕打ちを思い出し、少し気持ちが(たかぶ)ってしまった。しかし真子の言葉は、真子にとっての本心だった。

 恵子は10年前の43歳の頃に、夫を脳梗塞のうこうそくで亡くしていた。その後は再婚せず、3年前に肺炎をわずらった父の世話をしていたのだった。

 墓石を拭き終わった恵子は、そんな真子の話を聞いているのかいないのか、ただ黙って献花台に、持ってきていた白い菊を丁寧に供えた。

 お花を正面に向き直したあと、恵子は不意に話し出した。

「……私、最近思うのよ。お父さんが私たちに厳しくしたのって、結局は愛なんじゃないかなって」

 真子は、恵子の言葉に驚いた。恵子は、空になったポリバケツと柄杓を片付けている。

「ちょっと、何言ってるの。そんなはず無いじゃない。あんなの、ただのあの人の八つ当たりよ。自分のわがままを、娘に押し付けてるだけよ。大人気無いったりゃ、ありゃしない。お姉ちゃんは、間違っているわ」

 真子は、興奮していた。私はお父さんを許さない、という言葉が口をつきそうになった。しかし、真子はその言葉を呑み込んだ。なぜか、その言葉は口にしたくなかった。

 恵子は真子の方に向き直った。そして、少し息の上がった真子の気持ちを読み取るように見つめ、妹をなだめるように優しく話し始めた。

「もう、いいんじゃない。お父さんが何を思ってたかなんて、今さら知ることはできないんだから」

 真子は、恵子の穏やかな顔を見て、何も応えられなかった。そんな真子の様子を尻目に、恵子は空を見上げて言った。

「私たちも、もう50を過ぎて、いい歳なんだから。……もう、過去のことは忘れましょう。ほら、残りの人生を楽しまないと」

 恵子は、清々しい表情をしていた。

 真子には、恵子の言葉が胸に響いていた。

 なぜ、そんな風に思えるのか。なぜ、そんな風に受け止められるのか。

「何で……。何でお姉ちゃんは、あんなに苦労したのに、あんなに嫌な思いをしたのに、お父さんを許せるの?」

 真子は、恵子に尋ねた。

「……なんでだろうね」

 恵子は、少し微笑みながら、うつむいた。少しの間、2人は沈黙した。春風が、2人を包み込むように流れた。

 しばらくして、恵子は話し出した。

「私、思うの。相手が何を考えてるかなんて、本当の事は分からない。結局、自分がどう捉えるかなんだろうなってね」

 恵子は、つぶやくように言った。真子は、黙っていた。

「お父さんもお母さんも天国に行っちゃった今、残された私たちは、あの頃の思い出を、自分にとって意味のあるものにしたいじゃない」

 恵子は顔を上げ、そして真子の方をまっすぐ見つめ、言った。

「あなたの人生よ。あなたのしたいように生きなさい」

 恵子は笑っていた。そして、ゆっくりとお墓の方に向き直り、しゃがみこんで手を合わせた。

「お父さん、お母さん。また来ますね」

 真子は、恵子越しにお墓を見つめながら、ただ立ち尽くしていた。線香の煙が、ゆっくりと空に吸い込まれていった。

「……私、まだやっぱりあの人のことを、許すことはできないと思う……」

 真子は、そう(つぶや)いた。

「今は、それで良いのよ……」

 恵子は振り向かずに、そう言った。

 どこからか風に舞った桜の花びらが、お墓の水受けにゆらゆらと浮かんでいた。

 

「あんた、まだ時間はあるの」

 墓地の駐車場を出て、少し車を走らせてから、恵子は真子に声をかけた。

「えっ、大丈夫だけど」

「じゃあ、ちょっと付き合いなさい。寄りたい所があるの」

 そう言うと、恵子は来た道とは違う方向に車を走らせた。

 窓からの景色を眺めて、真子は何となく恵子の向かっている場所に気付いた。しかし真子は、その行き先を恵子に確認しなかった。

 数分後、車は小さな公園に着いた。真子が幼い頃に、よく家族で訪れた公園だった。

 恵子は、小さな駐車場に車を止めた。2人は車から降り、公園の中に入った。

「ほら、やっぱり。ちょうど満開ね。来て良かった」

「そうね。昔、ここでよく遊んだわよね」

 公園には、いくつもの桜の木があった。親子連れや子ども、学生たちが、桜の木の下でそれぞれ(いこ)いの時間を過ごしていた。

 公園の真ん中に、1本の大きな桜の木があった。2人は、その木の方に向かった。

「ここの桜の木、まだあったのね」

 その大きな桜の木を見上げると、見事に満開だった。色んな鳥たちが、桜の花と(たわむ)れていた。

「ほら、あんた。そこに立ちなさい」

 恵子が言った。

「何よ、急に」

「記念写真、撮るから」

「えっ、何の記念なのよ」

「親子の確執が″少し″解消された記念よ」

「何よ、それ。別にいいわよ、写真なんて」

「ほら、良いから良いから。お姉ちゃんの言う事を聞きなさい」

 恵子は、嫌がる真子を無理やり大きな桜の木の幹に寄り添うように立たせた。

 その時、少し強い風が吹いた。桜の木の枝が一斉に揺れ、桜の花びらが空いっぱいに舞った。

「わぁ、桜吹雪ね」

 桜の花びらは、真子と恵子を包みこんだ。2人は、その中で共に笑った。

 来週には、この公園の桜の花も、全て散ってしまうだろう。今日、ここに来られて良かった。真子は、そう思った。

「じゃあ撮るよ。はい、笑ってー」

「ちょっと。そんな大声で、恥ずかしいじゃない。子どもじゃないんだから」

「別に、いいじゃない。”笑う門には福来る”よ」

 そう言うと、恵子は手に持っていたスマートフォンを覗き込んだ。真子は、風でなびいた髪をそっと整えて、両手を体の前に添えた。

「いくわよ。はい、チーズ」



 私は、春が嫌いだった。そして、桜の花が憎かった。

 でも、今日の春風は心地よく、どこか懐かしかった。見上げた桜の花は、とても綺麗だった。








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