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そして、目を開けると、視界は自室の天井だと気がつく。不思議な事にこれが夢だとはっきり分かる。
橘はおそらく学校にいるはず..というかいてくれなきゃ困る。俺は学校へ向かった。
学校に着くと、橘のいた教室へ向かう。ここへ来るまでに特に変わった様子は無かったが、校内に誰も居ないのが妙に気味が悪い。
教室に着くと、予想通り橘さんが教室にポツンと1人座っていた。
「橘、やっぱりここにいたんだ」
声をかけると、一瞬ビクッとしてから、まるで死人でも見る目で俺を見つめて。
「どうして真田くんが..? もしかして戻れなかったの?」
「戻れたよ。ちゃんと戻れたんだ」
「だったらどうしてここに..」
そう言った橘のキリッとした目つきが少し悲しげに見えた。きっと怒りを通り越して呆れているんだろう。橘は続けて言った。
「もしかして、夢に囚われていたかったの? あれは幻想なのに」
「違うよ。橘を助けに来たんだ」
言うと、教室に沈黙が流れる。少し経ってから橘さんが。
「無理だよ。私はもう手遅れだから」
「そんな事ないよ。夢喰いの術を解く方法が一つだけあるんだ」
橘は窓際で外を眺めながら。
「真田くんには申し訳ないけど、私は好きでここにいるの。だってここにいれば、ずっとお姉ちゃんと会えるんだから」
橘は俺と目を合わせる事なくそう言い放った。覚悟はしていたけど、はっきりと言われると少し苛立ちを覚える。俺は声を震わせながら。
「本気でそう思ってんの?」
「ごめん..せっかく助けに来てくれたのに..」
謝るだけの橘に、どうしても許せない俺は声を荒げて。
「どうして嘘つくんだ! 昔からそうだ! 橘は嘘をつく時、いつも俺から目を逸らす! 違うか!?」
感情的になってしまった事に気付いて、俺は声を小さくして。
「ごめん..勝手に来といて偉そうに..」
それまで目を逸らしていた橘が真っ直ぐ俺を見つめた。
「やっぱり真田くんは凄いね。なんでもお見通しなんだもん、昔から。でも、私の為に真田くんまで夢に囚われるのは嫌なの」
やっぱり、俺を巻き込みたくなくてあんな嘘をついたのか。でも、俺の心はもう決まっている。
「巻き込んだなんて思わないでほしい。俺が橘を助けたいと思ったからここに来たんだ。囚われるかもしれないって事もよく分かってる。でも、それでも俺はこの気持ちだけは絶対に変わらない」
橘を見つめるも、瞳が潤んでいる事に気付く。こういう時は気付かないふりをするのが正解なのだろうか。そんな事を思いながら、少し気まずくなって視線を逸らした。
「ありがとう..久々で..人の優しさに触れるのが..」
ずっと夢の中に囚われていたのだから無理も無いだろう。でも今は、橘に同情して一緒に悲しんでいる時間は無い。
俺は再び橘に視線を向けて。
「礼を言うのはこの夢から出てからだ。恐らく、現実にいる橘の身体的な状況を考えると、時間もそこまで無いから」
現実の肉体が何かしらの影響で死んでしまったら、当然ながら2度と目を覚ます事は出来ない。以前盗み聞きしてしまった医者の発言を鑑みると、残された時間も残り少ない。それに、俺も夢に囚われる前に夢喰いを見つけないといけない。早いところ橘のお姉さんを見つけ出さなければ。
「さっき、夢から出る方法が一つだけあるって言っていたけれど、私は何をすれば良いの?」
「うん。術を解くには、夢喰いを見つけ出して、触った状態で『夢喰い見つけた』と言うんだ」
「夢喰いを見つける..? どこかにいるの?」
橘は首を傾げながら、こちらを見つめる。想定内の反応だが、直視するとやっぱり美人だと感心してしまう。でも今はそんな余計な事を考えている場合じゃない。
「恐らく..というか、ほぼ確定で夢喰いの正体は橘のお姉さんだと思う。だから、橘のお姉さんの所へ向かう必要がある」
言うと、橘は目を見開いて、口を手で覆いながら。
「そんな..」
「驚くよね..でも、橘の夢に関係する人物が夢喰いである可能性が高いんだ。前に、ここで会った時言ってただろ? お姉さんに会いたくて夢喰いを呼んだって」
「うん...」
橘は小さな声で俯く。橘の様子が気になった俺は。
「どうかしたの?」
「いつもお姉ちゃんを助けに行くんだけど、辿り着けないの..」
「辿り着けない..? 遠いの?」
「ううん、距離はそこまで遠くない、歩いても行ける。でも、おかしな事が起きて邪魔されるの..そしてお姉ちゃんが事故に遭った時間になると、またここで目を覚ます」
これが山本さんが言っていた、どんな手を使ってでも阻止をしてくるって事なのか? という事は、やはり夢喰いの正体は橘のお姉さんと見て間違いないだろう。どうやらお姉さんが事故に遭う事で、夢がリセットされるようだ。
「夢喰いは人間に触れられる事を最も嫌うそうなんだ。だからお姉さんの所へ行こうとすると邪魔をしてくるんだと思う」
「て事は、やっぱりお姉ちゃんが夢喰い..」
「うん」
橘は両手で頭を抱えた。無理もないだろう、突然お姉さんが夢喰いだなんて言われても、話が飲み込めないはずだ。
「急にこんな事言われても頭が追いつかないよね。でも、夢喰いって奴はそういう神霊なんだ」
「大丈夫。私、もう諦めたくないから」
「橘...」
橘の精神力はまだまだ折れていない。少しホッとしていると、橘が突然立ち上がって、自分の頬を思いっきりビンタした。予想外の行動に様子を伺う。
「た..橘..? 平気か?」
「これくらいしないと。逃げそうだから」
橘の意思も固まったところで、俺たちは教室を出た。
「ところで、お姉さんはどこにいるの?」
「山城駅前の交差点。そこでお姉ちゃんは事故に遭うの」
そうか。橘が見ている夢は、お姉さんが事故に遭う当日。でもどうしてわざわざ事故当日の夢なんか見るのだろうか。
「橘の願望って、お姉さんに会うことだったよね?」
「そうだけど、本当は少し違うの」
橘は、制服のポケットから何かを取り出した。
「このペンダントをどうしても渡したくて、お姉ちゃんを追いかけたの。そしたら、目の前でお姉ちゃんが、信号無視してきた車に轢かれたんだ」
橘はガラス玉にカラフルな装飾が施されたペンダントを俺に見せてくれた。
「せっかく張り切って作ったけど、結局渡せなかった。それに、私がもっと早くお姉ちゃんに追いついて居たら、事故を防げたかもしれなかった...」
「だから、この夢を..」
自分が姉を救えなかったという自責が、橘を事故当日の夢の中に閉じ込めたという事か。確かに目の前でそんな事があったら、俺も自分を責め続けると思う。そう思うと、橘の行き場のない悔しさが痛いほど伝わってきた。
かける言葉が見つからなくて、俺は黙って歩き続けるしかなかった。すると、橘が口を開く。
「優香ちゃんは元気? 来年高校生だったよね?」
「よく覚えてるね、元気だよ。相変わらず俺の事は嫌いだけどな」
苦笑いしながら答えると、橘も小さく笑って。
「きっとツンデレなだけよ。嫌いは好きの裏返しって言うでしょ?」
「そうなのかな、まともに目も合わせてくれないぞ?」
橘とこんな会話をするのはいつぶりだろうか。やっぱり美人は笑っている顔が1番だとつくづく感じた。
「つーかさ、黒板消しを扉に挟もうって提案したの橘だったろ? 俺が好きでやった訳じゃないかんな」
「いつの話? そうだったっけ?」
互いに笑いながら他愛も無い話をしていると、俺は妙な異変に気がつく。
「なあ、この道ってこんなに上り坂だったっけ?」
「言われてみればそうかも」
この道は現実でもよく通る道だし、少し勾配があるのは知ってるが、こんなに急だったか? というか、さっきよりも急になっているような....
「橘、やっぱりこの道..」
ようやくこの異変に気が付いたが、徐々に道が傾いている。その証拠に、路肩に停まっていた自動車がゆっくりと後ろに下がり始めた。橘もそれに気付き、慌て始める。
「真田君! やっぱりこの道、どんどん傾いてる!」
「こんなのってアリかよ!!」
おそらく夢喰いの仕業だろう。にしてもこんな無茶苦茶な事...なんて言ったところで、相手は夢を操れる。何でも出来ると思った方が良さそうだ。
「昨日は強風でまともに歩けなかった。毎日邪魔の仕方が変わるのよ」
「厄介な奴だな。このままじゃ、滑り台みたいに滑っていくぞ!」
勾配はどんどんキツくなる。いよいよ自動車や街路樹も騒音を立てて転がり始める。俺は下がってくる自動車にぶつかりそうだった橘の手を強く引くと、体スレスレに自動車が滑り落ちていく。
「ありがとう..」
「とにかく、前には進めないから違う道を探そう。ここから滑り落ちるんだ」
前に進めない以上、戻るしかないが、アスファルトの上を滑り落ちるのは流石に覚悟がいる。
「考えてる暇は無さそうだね。せーのっ!」
「ちょ..おい待て! そんないきなり!」
橘はそのままズルズルと音を立てながら地面を滑り落ちていく。まともに滑ったらお尻がとんでもない事になるんじゃ。
橘についていくように滑り落ちていくと、お尻や背中に小石が時より食い込み、痛みを感じる。
下まで辿り着くと、俺と橘はすぐに横道に入る。滑っていただけなのに、息切れが止まらない。
「何とか無事だったね」
「橘..少しは躊躇しろよ..」
「迷ってたら車の下敷きになると思って」
「それはそうだけど..」
自分に情けなさを感じながらも、気持ちを切り替える。
それから、俺たちはルートを変えて、違う道からお姉さんの場所へ向かった。
「こっちの道は大丈夫そうだね」
「もうあれは勘弁だな」
「真田君、肘、怪我してる。ちょっと見せて」
橘に言われて、右肘を確認すると、軽度だが擦りむいている事に気付く。恐怖で痛みすら感じなかった。橘は俺の腕を掴むと、自分の体に寄せた。何とは言わないが、右腕に柔らかい感触を感じて、咄嗟に腕を引っ込める。
「た..大した事ないよ! 擦りむいただけだし..!」
すると、橘がムスッとしてもう一度俺の腕を掴んだ。
「ダメよ。ちゃんと手当しないとばい菌が入るよ?」
「う..うん..」
橘の迫力に押されて、俺は橘に右腕を託した。再び柔らかい感触を感じながら、俺は無意識に胸元に視線を向けた。
「痛っ!」
「今、変な事考えてたでしょ?」
橘が俺の視線に気付いて、ハンカチで傷口を強めに拭いた。
「へ..変な事..? 例えばどんな事..?」
「私に分かるわけないでしょ、はい! 手当て終わったよ」
そう言った橘の顔が少し赤くなっている事に気付いて、つられて俺も赤くなる。そんな自分を誤魔化すように、貼ってくれた絆創膏を見つめて。
「あ..ありがとう!」
「うん、先を急ごう」
裏路地を抜けると、大通りに出る。遠回りにはなったが、少しずつお姉さんところへ近づいている。
「ところで、お姉さんが事故に遭うのは何時?」
「午後5時、ちょうど駅前の時計台の鐘が鳴ったから覚えてる」
「今は15時..あと2時間か」
本来なら30分もあれば目的地に辿り着くはずだが、おそらく奴はまた何かを仕掛けてくるはずだ。用心して進まないと。
しかし、しばらく歩いたが、特に変わった様子は無い。まさかさっきのでもう終わりなのか? どちらにせよチャンスだ。
「橘、走ろう。何も起きない今のうちに」
「うん、走りには自信があるから」
そいえば、橘は陸上部だった。なら安心だろう。俺と橘は、人っこ1人いない閑静な大通りを走り始めた。
久々に走ったからか、思ったより体にしんどさを感じる。こんな事なら、毎朝ランニングの一つでもしておくべきだったと後悔した。
すると、突然橘が立ち止まる。俺も気付いて足を止める。
「どうした?」
「おかしな音が聞こえない? 水が湧き出してくるみたいな」
橘に言われ耳を澄ますと、微かにぶくぶくと、まるで水が沸騰しているかのような音が、地面から聞こえている事に気付く。
しかもその音は地面を伝って、振動を繰り返しながらどんどん大きくなっていく。
「橘、嫌な予感しかしないぞ?」
「今度は何が起きるの?」
俺たちは、困惑してただその場で立ち尽くす。
するとその時、近くにあったマンホールの蓋が激しい水圧ととも、空中に舞い上がった。
まるで噴水のように水が噴き上がり、空中に舞ったマンホールの蓋がこちら目掛けて飛んでくる。
まずい、この速さじゃ避けきれない。




