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「幸鷹! もう学校行く時間でしょ? 起きなさい!」
いつものように母親の叱責で叩き起こされると、俺は眠い目を擦ってゆっくり起き上がる。
結局何も起きなかったな。やっぱりただのハッタリか..少し残念ではあるが、概ね予想はしていた。
支度を終え、食事を取るためリビングへ向かうと、あろう事か、いきなり妹が俺の手を握った。
「おはよ! お兄ちゃん! 今日も一緒に学校行こ!」
待て待て。どういう事だ? いつもなら挨拶どころか目も合わせず学校へ行く妹がまるでアニメでよく見るブラコンの妹みたいになっている。俺は戸惑いながらも。
「優香と俺は学校が違うだろ?」
「途中まで行けるじゃん! だめ?」
これが俺の妹? 本当に何が起きてるんだ?
結局、途中まで妹と通学路を歩き、驚きを隠せないまま学校に着いた。しかし悪い気はしない。
しかしこれだけでは無かった。校門をくぐると、やたらと周りの女子から視線を感じる。もしかして俺なんかやらかしたのか?
挙動不審になりながらも、とりあえず下駄箱からスリッパを取りだしたその瞬間、まるで雪崩のように大量の手紙が流れ落ちてくる。
びっくりしながらも手紙を見てすぐに分かった。これはラブレターだ。ハートのシールが貼ってあるのですぐに分かる。他の人の下駄箱と間違えたんじゃないのか? アニメのイケメン主人公じゃあるまいし。
「真田くん! ちょっと..良いかな..?」
すると、校内でも可愛いと有名な一つ上の先輩の山下さんが頬を赤らめながら、指をもじもじとさせながら言った。これは鈍感な俺でも分かる、いわゆる告白ってやつだ。
朝からなんなんだこの展開は? まるで俺が夢見ていた学生生活じゃないか。もしかして、これは夢喰いのお陰なのか?
「ほ、放課後でも良いですかね?」
あまりに突然の事だったのでとりあえずこの件は放課後まで温めておくとして、一体何が起きているのか整理したい。教室に来るまでも何人かの女子が押しかけてきた。モテ期にも程があるだろ。
席に着くと、高倉がニヤニヤしながらこちらにやって来る。
「相変わらずっすね真田さん」
「茶化すなよ。俺にも訳分かんねえんだって」
相変わらず? 昨日までは冴えない男子高校生Aだったはず..いや、考えるのはやめだ。今この瞬間を楽しむ事にしよう。
担任が教室に入るやいなや、俺の名前を呼ぶ。昨日のテストの結果やっぱり悪かったのか...
「おはようございます..追試ですか?」
「何言ってるの? 毎回の如く満点だけど?」
「え?」
「え?って、また謙遜しちゃって〜、生徒会に推薦したくて声を掛けたんだけど」
嘘だ。自慢じゃないが俺がテストで高得点を取ったことなんて一度もない。頑張って精々平均点ってところだ。そんな俺が満点? しかも毎回の如く? ここまで来ると流石に怖くなってくる。
それから何やかんや授業をして、いよいよ朝から温めていた放課後がやって来た。俺は迷わず体育館裏へと向かった。
体育館裏に着くと、すでに山下さんが手を後ろに組んで照れくさそうに待っていた。まるで青春映画のワンシーンだ。さながら、もはや今の俺はラブコメの主人公。ああ、まるで夢みたいだ。
「遅れてすみません、今朝の話って?」
「実はね、ずっと前から真田くんの事が好きでした」
やはり告白。生まれて初めて言われた言葉に、俺は緩む口元を必死に隠し平然を装う。
「実は僕も、山下さんの事可愛いなって思ってました。一生懸命部活する姿も素敵です」
言うと、山下さんははにかんで笑った。なんだこの生物は..可愛すぎる。
だが、妙な違和感を感じる。俺みたいなのがこんな扱いをされる訳が無いのだ。これじゃあ俺はさながら校内でも有名なモテモテのイケメン主人公。もしかして、明日俺は雷にでも撃たれるのだろうか。とさえ思ってしまう。
しかし、これが夢喰いの力なんだろう。何度も頬をつねってみたけど痛みがあった。これは夢じゃないんだ。だったら楽しむしかないだろう。
結局山下さんと付き合う事になり、俺は初めて手を繋いで彼女と歩いた。彼女の手の温もりは今でも俺の手のひらに残っている。
「やっと俺の青春が始まった..!!」
帰宅し、俺はリビングで盛大に叫ぶ。今の俺はもはや無敵だ。何をしてもうまくいく!
それから数日が経ち、俺は青春を謳歌していた。休日は山下さんとデートに行ったし、放課後はみんなとカラオケで熱唱したり、河川敷で野球だってした。とにかく、最高の学生生活が始まっていた。
そしてある放課後、俺は忘れ物をして教室に戻っていた。今日は午前授業だったし、生徒はどの教室にも居ない。
しかし、自分のクラスに1人の女子生徒が座っている事に気付いた。幽霊じゃないよな?
「あ..あの..居残りとかですか?」
恐る恐る声を掛けてみると、その後ろ姿に見覚えがある事に気付いた。でも、もし俺の思っている人ならありえない。彼女は病室に居るはずじゃ...
「君も夢喰いを呼んでしまったんだね..」
「もしかして..橘? 退院したの?」
驚く事に、教室で座っていたのは橘だった。治ったのだろうか?
「あれ、橘が書いたんでしょ?」
言うと、橘は小さくため息をついて。
「ごめんね。あのメモは捨てるべきだった」
「え..? どういう意味?」
聞くと、橘がこちらを振り向いた。長い黒髪を靡かせ、チラリと見えたキリッとした目つきに、思わずドキっとした。ちゃんと顔を見てたのは中2の終わりくらいまでだったけど、橘ってこんなに美人だったのか。思わず数秒見惚れていた俺に、橘が。
「今なら引き返せる。早く気づいたほうが良いよ」
「引き返せるって? 何言ってんの?」
橘は小さく頷く。でもそんな事言ったら橘だって同じはず...
「橘も呼んだんでしょ?」
「呼んだよ。だからここに居る」
橘の言っている事がイマイチ理解出来ない。ただ、淡々と俺の質問に答えるだけなのがさらに分からなくさせてくる。
「私はもう手遅れだから..真田くんならまだ間に合う」
「手遅れって..さっきから言ってる事がイマイチ分からないんだけど、どういう意味なの?」
聞くと、橘は数秒黙ってから、再び淡々と話を始めた。
「私ね、姉を失ってから気が参っちゃって、そんな時に偶然夢喰いを呼び出す方法を知ったの」
「うん..」
「夢喰いを呼び出すと、自分の願望を夢で見る事が出来る。そしてそれが現実になる..」
俺の予想とほぼ同じ。俺の願望が青春を謳歌したいであった事はとりあえず今は置いておいて、実際に俺は夢で見た通り、青春を謳歌している。
しかし、橘は続けてこう言った。
「と思っていた..でもそんなのはただの伝説」
「..嘘だ..だって俺は実際に..」
そんなはずはない。だって俺は今実際に現実を生きている。夢じゃないって事もちゃんと確認した。
確認した..? 冷静に考えてみれば、夢かどうかを正確に判別する方法はあるのか? この状況を夢じゃないと証明する事は出来るのだろうか? 考えるほど、俺は疑問と不安が大きくなってきた。しかし橘は拍車をかけるように言葉を続ける。
「夢喰いはね、呼んだ人間の夢を食い物にして、その人を永遠の夢の中に閉じ込めるの。夢に囚われ続けた人間は、もう2度と夢から目を覚ます事はない」
橘の言葉に、俺は頭の中が真っ白になる。それはもはや確信だった。冷静になれば、こんなに話が上手くいくはずが無い。つい楽しくて浮かれてしまっていて気づかなかっただけで、これは全て夢の中なんだ。
「そんな...俺、あんまり楽しくて全く疑わなかった..」
言うと、橘はこちらを見つめて小さく笑みを浮かべ。
「大丈夫、真田くんは助かるよ」
「え..?」
「もう来ちゃダメだよ?」
「待って!!」
叫ぶと、俺は自宅の寝室に居た。夢だと気付くと、額を流れる汗が静かに引いていく。
「俺..ずっと夢の中にいたんだ...」
呟くと、母親がいつものようにノックもせず部屋に入ってくる。
「幸鷹! いい加減起きな...あれ? めずらし」
「お..おはよう..」
物珍しいそうに俺を見る母を横目に、俺はリビングに向かう。
「ご飯出来てるからちゃちゃっと食べちゃいなさい」
食事を始めると、準備を終えた妹が俺を見るなり冷めた視線で。
「冷蔵庫のプリン、私のだから触らないで」
「おう..」
やっぱりこれが現実。妹の冷たさで気付かされるのは悲しい限りだが、これで正真正銘俺は夢から目を覚ましたんだろう。
登校中、俺は考え事をしていた。それは橘が俺を助けてくれた事だ。理由は分からないけど、橘に言われなければ俺はおそらくあのままだった。
そして橘はもう....
それから学校に着いたが、特に変わり映えのしないいつも通りの日常が始まった。下駄箱にラブレターが入っている事もなかったし、憧れの先輩とは目すら合わなかった。テストの点数もそこそこだったし。でも何故か、そんな日常にホッとしている自分がいた。
それでも諦められなくて、俺は教室に入ると、高倉の両肩を掴んで。
「なあ、俺ってモテる?」
高倉は数秒口をぽかんと開けてから、俺の頬をつねる。
「真田さーん? 夢でも見てるんですかぁ?」
「だよな..」
頬を摘まれながら上手く喋れないながらにも答えると、高倉はけたけたと笑いながら自席に戻っていく。やっぱりあれは夢だったんだ。
放課後、俺はとある場所へ向かっていた。行ったところで何かがある訳でもないけど、頭の中のモヤモヤが俺を突き動かしていた。
「失礼します..」
病室に入ると、この前と変わらず橘は眠っていた。今日は花とフルーツバスケットが置いてあるが、誰かお見舞いに来たのだろうか?
俺は橘にゆっくりと近づくと小声で。
「ごめん、確認させてほしい」
言って、橘の手のひらを広げた。
「やっぱり..」
手のひらにはネームペンで夢喰いと書かれている。間違いなく夢で見た彼女は囚われたままの橘だと確信した。幼馴染のよしみなのか、単なる気まぐれなのかは分からないけど、確かに橘は俺の前に現れて、俺を夢から目覚めさせてくれた。
だけど、俺は橘の事を半ば他人事みたいにそこまで心配してはいなかった浅はかな人間だ。
そう思う度に、堪らなく自分が嫌になった。
「橘。ありがとう..」
小さく呟くと、彼女の母親の綾子さんが病室に入ってきた。小さく会釈すると、優しく笑いかけて。
「真田くん..また来てくれたのね。ありがとう」
「こんにちわ..あの..橘さんの事なんですけど..」
夢喰いの話をしようと話し始めたとき、綾子さんが俺の言葉を遮るように。
「あら? その花と果物..またあの人が来たのかしら..」
「あの人..ですか?」
綾子さんの言葉が妙に引っかかる。お見舞いを持ってくるくらいの関係値の人に、あの人なんて言葉使うだろうか?
「前も来てたのだけれど、私もよく知らない人で..ただ莉亜の知人ですって..歳は莉亜よりかなり上に見えたけど..」
「そうなんですね..」
「それと、決まっていつも莉亜に謝るのよ..」
なんか少し気持ちが悪いというか、不気味だと思いながらも言葉にはしなかった。
それから、綾子さんに別れを告げ病室を出ようとしたタイミングで白衣を着た人とすれ違った。おそらく先生だろうか。何やら深刻そうな顔をしている。
俺は軽くお辞儀をして部屋を出た。
すると、病室から聞こえてきた声に足が止まった。
「莉亜さんの事ですが、眠り続けてからもうすぐ10日が経ちます。莉亜さんの身体的影響を考えると、眠り続けるのもそう長くは続きません。我々も原因解明と対処に努めておりますが、力が足りず申し訳ありません..」
壁越しから聞こえる先生の言葉と、女性のすすり泣く声に、俺はただその場で立ちすくむ。
あれはただの偶然だったのかもしれない..でも、もしかしたら最後の力を振り絞って俺を助けてくれたんじゃないかと思うと、歯痒い気持ちが溢れ出して止まらなかった。




