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「なあ、橘さんっていつ戻ってくるんだろうな?」
「さあ、体調不良なんだろ?」
「真田、幼馴染なんだろ? 何か知ってるんじゃねえの?」
クラスメイトの橘 莉亜が1週間前から学校を休んでいる。先生は体調不良だと言っていたが、インフルエンザか何かだろうか? いよいよ本格的に夏が始まるというこの時期に珍しい気もするが、俺が気にする事でもないだろう。
高倉は幼馴染だと言うが、実際仲が良かったのは中2くらいまでで、あの事があってからきっぱり話さなくなった。別に仲が悪くなった訳でもないし、嫌いになった訳じゃない。
高倉は俺を見て何か汚物を見るかのような目でこちらに視線を向ける。
「真田って..冷てぇ奴だな..」
「んな事言ったって、仲良かったのは小さい頃だし、つか、そんなに心配なら高倉が会いに行ってみたら良いじゃん」
聞くと、高倉はそれまでの威勢とは裏腹に、ゆっくりと俺から視線を外して。
「いや..そこまでの関係性でもねえし」
俺だって心配してないと言ったら嘘になる。一応、小中高と同じだし、家だって知ってる。でも、あの事があってからは話しかけづらくなったというか、向こうも周りから距離を取るようになった。確かにあんな事が起きて、平然でいられる方がおかしいだろう。
「先生、橘さんの容体はどうなんですか?」
聞くくらいなら良いだろうと思い、俺は朝礼で教室に入ってきた担任に突拍子も無く質問を投げかけた。先生は一瞬驚いたような表情を見せると小さく笑って。
「真田くん、これ橘さんに持っていってくれる?」
「え?」
何を血迷ったのか、先生がいきなり何枚も重ねられたプリントの山を俺に手渡した。思ったより重く、俺はバランスを崩しかける。
「ここに住所が書いてあるから、橘さんに届けにいってあげてくれる?」
「どうして僕が?」
「君が初めてだから、橘さんの事を気にかけてくれたの。じゃあよろしくね?」
先生は小さくウインクすると、教壇に上がって号令をかけた。そんな重大な役目が俺でいいのか? というか、こういうのは友達に頼んだ方が良いだ...いや..橘が誰かと話してるところ見たことないかも...
放課後、俺は束ねられたプリントの山を抱えて小さな紙切れに書かれた住所を確認する。
山城総合病院といえば、この近くにある大きな病院だ。やっぱり橘の病気は重いのだろうか。
「すみません、橘莉亜さんの入院している部屋ってどこですかね?」
「お見舞いですね、えーと..橘さんは303号室になります」
美人な受付に対応され、俺は指定された病室へと向かう。まだ心の準備というか、いきなり俺が来て迷惑じゃないだろうか? そして病院の匂いはあまり好きじゃない。
そんなことを考えていると、303号室の前に辿り着く。しかしよく考えたら何を話そうか。思い出話に花を咲かせるほどの思い出も無いし。
いや、余計な事は考えなくても良い。とりあえずプリントを渡してすぐに帰ろう。
扉を開けて中に入ると、女の子が何やら複雑な機械を身体中に付けられた状態でベッドに寝ているのが見えた。おそらく橘だろう。それにしても素人の俺が見ても明らかに重病だと分かる。俺はそっと枕元の小さな机に、先生から貰った置き手紙を添えて、プリントを置いてその場をすぐに立ち去る事した。
すると、その時扉が開く。悪い事をしてないのに何故かビクッとしてしまった。
「貴方、真田くん?」
一目見て橘さんの母親だとすぐに分かった。昔から美人で有名だったし、何より橘にそっくりだ。橘をもう少し老けさせたら、まんま同じだと思っても良いだろう。
「お..お久しぶりです!学校のプリントを渡しに来まして!」
「わざわざありがとうね。昔よく莉亜と遊んでくれてたからよく覚えてるわ」
橘の母親は笑顔を見せながら言ったが、その笑顔はどこか悲しさも感じた。きっと心配で仕方ないのだろう。そんな姿を見ていたら、どこか他人事だった自分に少し違和感を覚えた。
「あの..橘さんの容体は..」
「それがね、私にも分からないの..突然目を覚まさなくなって..身体にはどこにも異常が無くて、お医者さんも全く原因が分からないって..」
「そうなんですね..」
「どう考えてもただ眠っているだけとしか考えられないって..ね..」
病気に関する知識が全く無いけど、そんな事があるのかと少し疑ってしまう。
「今は莉亜が目を覚ますまで、こうやってカテーテルを通して栄養を摂取するしか処置が出来ないの..ほんと..この子に何があったんだろうね..」
橘の母親はそう言って橘の顔を悲しげに見つめた。
俺はそんな様子を見て、何を言えば良いか言葉が見つからず、黙り込む事しか出来なかった。
「莉亜がよく真田君の事を話してくれたわ。改造したボールペンに丸めた消しカスを入れてピストルみたいに飛ばしてたとか、黒板消しを教室の扉の上に挟んで先生にイタズラして怒られてたとか」
そいえばそんなこともあったなと、俺は耳まで真っ赤になる。そんな俺を見て橘の母親は笑った。つられて俺も笑う。
それから軽い談笑をして、俺は小さくお辞儀をして病室を後にする。廊下を歩いていると、橘の母親の声で呼び止められた。
振り向くと、橘の母親がこちらに向かってくるのが分かる。
「どうかしました?」
「ごめんね、これを早川先生に渡して欲しくて」
「分かりました」
「ついででごめんなさいね」
橘の母親は大きめの封筒を俺に手渡すと、再び病室に戻っていく。そんな後ろ姿を数秒見て、俺は咄嗟に。
「あの! 橘さんなら、きっと大丈夫だと思います..」
言うと、橘の母親は小さく笑って会釈をした。
帰り道、俺は考え事をしていた。というのも、どうして妙に橘が気になってしまうのか。それはきっと恋心とかじゃなくて、中2の時に彼女の姉が交通事故で亡くなって以来、まるで感情の無いロボットみたいに彼女から笑顔が無くなった。そんな彼女の顔が今でも頭から離れなくて、それで気になるのかもしれない。
自分にも妹がいるから何となく分かる。もし身内に同じ事が起きたら、俺もきっと正気ではいられない。
その時、考え事をしていた俺は、道端に落ちていたでかい石に気付かず躓いてしまった。転んだ勢いで渡された封筒から無数の書類が飛び出す。
「やっべえ..大事なやつなのに...」
その時、一枚だけ明らかに書類では無い、ただノートの1ページを切り取ったような紙切れが入っている事に気付く。しかもその紙切れには鉛筆で文字が書かれている。
「夢喰いを呼び出す方法..?」
達筆というか、綺麗な文字の中に意味不明な言葉が書いてある事に気付き、俺は思わず目を止める。
しかしこれは大切な書類、きっと部外者が見ちゃいけないものだ。
俺はすぐにその紙切れごと書類を封筒に戻した。
夕暮れどき、自宅に着いた俺は橘の母親に手渡された封筒をじっと眺めていた。
理由は一つ、あの紙切れに書いてあった事が気になるからだ。男なら鬼門を開く方法や異世界に行く方法を試したいと思った事が一度はあるはずだ。それに近い感情がどうしても、あの封筒を開けようと俺を誘惑してくる。
「お兄ちゃん何してんの?」
仁王立ちで封筒を見つめる俺を見て、妹の優香が冷たい視線で言った。俺は優香に視線を移して。
「優香は異世界に行く方法を試したいと思った事あるか?」
「は? どうした? 頭大丈夫?」
「いやほら、エレベーターに乗ってまず5階に行ってどうのこうのってやつあるじゃん?」
「知らないし気持ち悪いし..どうせまたくだらない都市伝説みたいなもんでしょ?」
反抗期真っ只中の、妹の人切りナイフのような鋭い言葉は兄貴の俺にはしっかりと突き刺さる。
「兄に向かって気持ち悪いとはなんだ? もっと兄ちゃんを敬いなさい」
親父のモノマネをして言うと、優香はため息をついて自室へ戻っていく。
俺は再び封筒に視線を移す。
よく考えてみれば、果たしてあの紙切れは先生に渡す必要があるのか? 明らかにノートの切れ端だったし、伝言にしては幼稚というか、まるで年頃の学生が試したいと言わんばかりに書き残したようにしか...
いや、待てよ。まさかこれは橘さんが書いた?
そう考えれば妙に納得出来る。というかそう思うことでこれから封筒を開ける自分を正当化出来る。最悪バレた時は知らないの一点張りでなんとか切り抜けるしかない。
覚悟を決めた俺は封筒の中から例の紙切れを取り出した。
「夢喰いに会う方法...その1..」
そう、この言葉だ。夢喰いってなんだ? 妖怪? コックリさん的な? 俺はすぐにスマホを取り出して調べて見る事にした。
しかし、いくら漁っても夢喰いに関する情報は乗ってない。違う言葉で何度調べても1番上に出てくるのは占い相談の広告だけだ。悔しいがとりあえず紙切れに書かれた文字を読んでみよう。
紙切れにはこう書かれていた。
夢喰いに会う方法
下記は必ず寝る前に行う事。
その1、鏡の前でおやすみと3回唱える。声に出して行うこと。
その2、1分以内に自分の寝床に戻る。この時、他人の寝床ではダメ。
その3、手のひらに夢喰いとペンで書く。
その4、息を30秒止める。
その5、夢喰いと書いてある方の掌で口を覆い、1秒息を吸って一気に息を吐く
その6、眠る。この時、心の中で『おやすみなさい、夢喰い様』と唱える事。
読み終えてみたが、意外とやる事が多い事に驚く。でも確かにこういうのって無駄に複雑になっているイメージだ。
しかしこれを見て試さないという選択肢はもはや俺には無かった。早速今日の夜にでもやってみるか。
それからひとしきり夕食や風呂を終え、いよいよ布団に入るというタイミングで例のメモを取り出す。
まずは鏡の前でおやすみと3回唱えるんだよな?
俺は歯磨きを終え早速おやすみと唱える。こんな所を家族に見られたらおそらく俺は病院送りになるだろうとヒヤヒヤしながらも、無事に唱え終わった。
次はそのまま1分以内に自分のベッドに戻る。洗面所から俺の部屋は近いのでこれは楽勝だ。
一応測ってみたが、ベットに戻るまでにかかった時間は12秒。余裕だな。
そして掌に夢喰いと書く。『くい』は『食い』じゃ無い方の字であることをよく確認しないと。
書き終えたら30秒息を止める。これが意外と長くてしんどい。
30秒後、思いっきり呼吸したい気持ちを堪えて、1秒息を吸って一気に吐き出した。
そして最後に心の中でおやすみなさい、夢喰い様と唱え終え、俺は目を瞑る。
今のところ変わった様子は無い。夢喰いが現れたりでもするのかと思ったがそういう訳でもなさそうだ。
そして、結局眠くなってきた俺はそのまま深い眠りへ入っていく。




