占い
知らない事実、謎、または来たる未来を占う事は、どこの地域時代にもわりとよく聞く話です。中世イングランドでも例外では無く、複雑で「学問」を通してする方法、または民間の間で広く信じられるものと、様々なパターンがあります。
「クリスタロマンシー」所謂占い師のテンプレである水晶占いですが、中世イングランドにも登場します。1467年、ヨークシャーのウォンウェルに住んでいた魔術師ウィリアム・バイグが、このような水晶を所有していることを告白し、曰く、水晶占いで盗品の行方を占って生計を立てていたそうです。
「パンの挿し木」は14世紀ロンドンでも使われていた手法らしく、泥棒を見つける為に使われる占いの一つだとされていました。木の釘がパンの上部に刺され、そのパンの側面に4本のナイフが刺した後、犯人候補の名前のリストが唱えられ、盗人の名前が言われた時にパンが回転する…という理論によるものです。
1382年に「カニング・フォルク」の一人であるロバート・ベレウォルドが、セント・ミルドレッド・ポウルトリーの家から飲み物のボウルを盗んだとして、ヨハンナ・ウォルシーという女性を告発しました。しかし、裁判で明らかになったのは、ベレウォルドがこの占い形式を使ってオゥルシーが犯人だと主張した、という事でした。ベレウォルドは根拠のない有害な主張をしたとして、罰せられました。
また、件の聖イシドールスが挙げる「魔法」の種類の一つに「四大元素の基づいた占い」があります(ジオマンシー、ハイドロマンシー、アエロマンシー、パイロマンシー)。この中でもジオマンシー(土占い)はイスラム教に連なる、という印象が強かった時代ですが、リチャード二世は特にこれに興味を持ち、ジオマンシーについての本を書かせたりしています。この書物の中に、土占いの正当性、様々な図式、そして土占いで聞ける質問の例が幾つか書かれています。例をあげると、「質問者は金持ちになれるのか」、「妊娠は安定するのか」、「結婚を受け入れるべきか」、「街の籠城は成功するのか」、等です。
また、夢を解釈する夢占いというものもあります。その昔、ローマの将軍スキピオは夢を通して宇宙の構造を理解し、地球とその周りにある九つの天球を見たとマクロビウスによる『スキピオの夢についての注釈』(五世紀)に書かれており、中世イングランドにも影響を与えています。旧約聖書のダニエルもまた、自分や他人の夢を元に、神からの予言を受けました。それを元に、「ダニエルの夢解釈書(Somniale Danielis)」(五世紀)が作られ、中世における夢占いによく使われる様になります。アルファベット順に、「見た物」と「未来」の関連性がまとめられていました。例を挙げると:
長いひげを持つ男性、長い髪の女 → 力の証
実をつけた木 → 大成
クモの巣 → 良い知らせ
泣いた人物 → 大きな喜び
狩り → 良い知らせ
子羊を受け取る → 仕事での安心感
争う鳥たち → 怒り
一羽の鳥 → 大きな害
暗闇 → 大病
軟膏を作る → 怒りと病
曇りや嵐の空 → あなたは必要とされるでしょう
蛇に襲われる → 敵があなたを打ち負かすでしょう
獣に襲われる → 敵があなたを悩ませるでしょう
地震 → 負のメッセージ
警告としての夢は、毎度おなじみチョーサーの『尼院侍僧の話』(14世紀)でも重要なテーマです。この物語では、雄鶏のシャンティクリアが己が恐ろしい生物に追われ、食べられる夢を見ます。彼はこの不吉な夢を恐れ、無視するべきでは無いと考えますが、シャンティクリアの妻は彼が夢如きにビクビクする事を責めます。彼女は夢は体液のバランスの乱れによって引き起こされ、下剤を服用すれば悪夢は治ると主張します。しかし、シャンティクリアの夢は狐によって鶏舎から攫われる、という形で実現します。
次は手相術です。手相術、または手相占いは、人の手のひらの線を読み解いてその性格や運命を知ることで、今でも占いの一つとして使う人はいます。
12世紀の書物からも、図付きで手相と未来の関連性について説明しています。曰く、手のひらの線とその「丘」の両方が重要でした。丘は古典的な七惑星(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)と関連付けられるそうです。
アルベルトゥス・マグヌスやアリストテレスによって書かれたと主張されている手相術の書物には、人の特徴を身体的な外見から解釈するものも含まれていました。三章で書く予定のスコットランドの学者、マイケル・スコット(1235年頃没)は、未来の子供の属性を決定する要因は両親の気質、彼らの種の質、および惑星の位置だと主張する「顔相学の書」を執筆しました。
ジョン・オブ・サリスバリーは、1157年、北ウェールズへの軍事遠征に出る前に手相占い師に相談したと、後のカンタベリー大主教であり聖人となるトマス・ベケットを非難しました。16世紀頃にカトリック教会が徐々に占いの類を非難するようになりますが、これらの占いに関する書物は中世時代を通してかなり書かれました。
さて、占いについて書かれた書物だけではなく、本そのものが占いに使われる場合もあります。本占い、ビビリオマンシーです。ランダムでページを開き、その中に書かれていた内容で占いを行う場合です。聖なる、もしくは魔法に連なる書物には秘密の力があると信じられる場合があり、また、時には別世界への梯になると考える人もいました。この手法の占いに使われる書物には、聖書がよく選ばれていましたが、古代ローマのウェルギリウスの作品を使う事も多かったそうです。
ウェルギリウスは死後かなり経ってから、魔術師で予言者として評されるようになったと言われています。曰く、キルストが来る事を予言したから、だそうです。また、ティルバリーのジェルヴァース(1322年没)によって記された伝説によると、ウェルギリウスの「魔法の書」はナポリで彼と共に埋葬されましたが、この魔法の所は12世紀にイングランド人によって掘り出され、持って帰えられたそうです。しかし、ナポリの現地民はウェルギリウスの骨を持って帰られる事だけは拒否し、何故ならウェルギリウス骨には町を守る魔法の力があるから、だそうです。ジェルヴァースは自分も自らウェルギリウスの魔法を幾つか試してみた、と主張しています。
最後は「生死の球」としても知られる「ピタゴラスの球」または「アプレイウスの球」は、医学的診断に使用された占いの形式についてです。これは約200冊の中世の写本に登場し、文字を読み書きし、基本的な数学の知識があれば、誰でも解釈できるようになっていました。
患者の名前の文字によって数値が割り当てられ、これらは球の外側のリングに示されます。これらを月の日と患者が病気になった曜日の数と合算し、その合計を29または30で割った後、占いの結果が球上で見つかります。球にある中央のラインよりも上にある場合、患者は生き残ることになり、ラインよりも下にある場合、死亡することが予言されたそうです。
この装置は、中世でも人気のあった占い方である名前占い×占星学の組み合わせに特化した装置でした。
現代でも残る多くの占いの手法に解説。信じる人も、必ずしも信じない人にとっても、ちょっと面白い話ですよね。