終章
「これでホームルームを終わります。じゃあ、掃除当番は忘れずに担当の場所に行くように」
担任の先生が、教壇の荷物をまとめ、前の扉から教室を出ていく。放課後へと移った教室は、終末の金曜日であることもあり、ザワザワと騒がしい。私も1週間をやりきった達成感に浸りつつ、机の中の荷物をバックに詰めていく。今週、私の班の掃除は休み。つまり、速攻帰ってベットに飛び込めるという訳だ。
「あれ?もしかして今日は掃除無い感じ?」
ウキウキで身支度を進める私に声がかかる。
「うん、だから速攻帰宅」
「いいなぁ~、うちの班トイレ掃除でさ、マジで最悪」
私の隣の席に座るのは、最近仲良くなった中村さん。当番の掃除が相当応えたのか、天を仰いで嘆いている。
「確かトイレの監督って、生活指導の安松先生だよね?それはまじでご愁傷様…」
「ほんとにそれ!なんで安松なん?普通に女子トイレに入ってくるし、痴漢とかで訴えたろか!」
「流石にそれは先生が可愛そすぎ!」
「いやいや、それくらいが妥当だって~」
他愛もない会話をしていると教室担当の生徒たちが、ほうきを取り出して床を履き始めていた。そろそろ部外者は退散した方が良さそうだ。
「じゃあ、私はそろそろ帰るね。早くベットに飛び込みたいしね」
「りょーかい、私も早く行かないと安松に怒られちゃうし…じゃあ、また明日ね!」
走り去る中村さんに手を振り、見送ったあと私も教室を出る。
下駄箱までの廊下でも何人かの友人とすれ違う。皆せっかくの金曜日に掃除をさせられ、定時帰宅の私を恨めしそうな視線を向ける彼らに、軽い応援のコメントを残し、手を振り目的地へと向かう。
下駄箱前に着くと、1人の女子生徒が私のクラスの棚の前で待っていた。
「ごめん、待たせちゃったね!」
「…ううん、言うほど待ってないから大丈夫だよ」
綺麗に揃えられた前髪に、2つのお下げを肩に載せた儚げな雰囲気を纏う女の子、私の幼なじみである里香ちゃんが此方に微笑みを向ける。
「じゃあ、帰ろっか!」
「うん」
夕焼け特有の橙色に空を染め、沈んでいく太陽を眺めながら、校門を抜ける。 里香ちゃんとは幼なじみということもあり、家は比較的近くにあるため、小学生の頃から登下校のルートはほとんど同じ道を通る。そのため、昔は一緒に帰らない方が珍しいくらいだった。別々で行動するようになったのは高校生に上がるくらいだったと思う。
「唯ちゃんはテストの準備はしてる?」
「うーん、提出物はやったけど…対策とは全然かなぁ」
「へぇ、もう出すものは終わってるんだ。ちょっと意外かも」
「そう? 部活も入ってないし、時間は沢山あったからかも」
「じゃあ、私は怠惰すぎだね」
「いやいや!私がすることないだけだから!」
久しぶりに一緒に帰るようになって、会話は詰まり気まずくなると考えていたけれど、実際に会ってみればそんなことは起こらなかった。里香ちゃんは昔と同じように、私に接してくれて、冗談まで言ってくれる。本当に変わってたのは私だけだったんだと痛感した。
「今更にはなっちゃうんだけど」
「どうしたの?」
「唯ちゃんはどうしてまた私と帰ってくれるようになったの?高校受験期になってから全く関わってくれなくなったのに」
「あぁ、それに関しては本当にごめん。ちょっとあのころはナイーブになってて…」
「ううん、そのことはそこまでに気にしてないんだけど…どうして急に会いに来てくれたのかなって」
「そんなに対した理由じゃないよ?ナイーブな時期が終わって、前々から話しかけようとしてて、最近やっと機会があったってだけで」
「ふぅん、そうなんだ……チキってたんだ」
「チキ!?…ち、チキってないわ!」
「えぇ…今の話でそれは無理があるよ?」
「否定は出来ないけど…」
「…ふふっ、でもまた一緒にいられるようになってよかった。まぁ誰かさんがチキってなかったら、もっと早く関係修復できたみたいだけど?」
「本当に悪かったから勘弁してぇ…」
「はいはい、わかったよ~」
「本当に分かってる?」
小悪魔のようにはにかむ里香ちゃんを見ていると、昔みたいな関係に戻れたことを感じる。本当に良かったと心から思う。
その後はテスト対策に関して話し、また勉強会をしようと約束をしたところで私の家に着いた。里香ちゃんを見送り、私は玄関に鍵を挿す。いつものように家には誰もおらず、私のただいまへの返答は無い。そんな閑静な空間も、華金を迎えた私にはノーダメージ。というより、ここ最近はそんなことを気にすることも無くなっていた。
靴を脱いで、リボンを緩めつつ、リビングへ向かう。カバンの中から弁当箱を取り出し、蓋等を外した状態でシンクに置いておく。次に隣にある冷蔵庫に移り、前日作り置きしたカレーを確認しつつお茶を取り出す。最近少しづつ暑くなって来ていたこともあり、このお茶が最高に美味しい。このまま部屋にダイブしたいが、先にお風呂を済ますことにする。リビングに置いてある寝間着を準備し、脱衣所へ向かう。制服を洗濯機に投げ入れ、お風呂へと入る。シャワーを頭から浴びると、お風呂の準備中の面倒ゆえの憂鬱は全て洗い流され、一日の疲れまでも流れていくように感じる。シャンプー、ボディソープ、リンスの順に使用し、シャワーのみで終わりのため、10分足らずでお風呂タイムは終わる。脱衣場に戻り、タオルで体を拭いて、寝巻きに袖を落とす。次にドライヤーで髪を乾かし、冷風を浴びせる。最後に洗濯機の隣の棚からスキンケア用品を準備する。正直に言うと、どれがどんな効果があるのかはよく分かっていない。母親がそうしているのだから良い効果はきっとあるのだろう。なので、黙って指示通りに顔に塗りたくり、鏡で塗りすぎてないかを確認して脱衣所を後にする。
リビングで放置されていたリュックを回収して、自室へと向かう。部屋の机の隣にリュックを置き、ベットへとダイブを決め込む。やることをやりきった体に、ふわふわのベットは禁忌に触れるほどの幸福感を感じさせた。
「あぁ、ダメだ…もう動きたくない」
思わず漏れた声の通り、私の体はもう言うことを聞かない。この後ご飯を食べる必要があるが、私の中の食欲は睡眠欲にKO負けしており、私の体の主導権を奪うことはできなかった。
結局私が動き出せたのは、母親が帰ってきた日が変わる頃だった。
土曜日の朝、休みの日も元気に鳴り響く目覚まし時計に、気持ちのこもった一撃をきめ、目を覚ます。カーテンを広げ、差し込む朝日に体が朝であることを認識する。意識がはっきりしてから、いつもの日課を行う。脱衣所の洗面台のコップで水を組み、ベットの隣に置いてある植木鉢に水をやる。植木鉢には白い綺麗な花が咲いている。中心に塊があり、その下に細長い花弁が広がっている。香りは濃厚で、私の部屋はすっかりこの花の香りに染められてしまった。私は花に詳しくないのでよく分からないが、月下美人?という花に似ているということしか分からなかった。しかし、開花時期がズレていることもあり、近縁種か何かと疑ったが、貰ったところが所なのでただの花ではないという結論になった。
つまり、これは記憶銀行で受け取った植木鉢である。
銀行で記憶を貸し出しした日に、家に帰り、言われた通り自室のベットに近いところに植木鉢を置いた。それから毎日水を与え初めて3日目、目を覚ますと突然白い花が開花していた。芽なども生えていないのに、急に開花したので驚いた。
さらに驚いたことに、開花以降、私は夢をよく見るようになった。初期はほぼ毎日見ていた。それは全てが全く知らない人してんの夢だった。周りの人も見覚えは無い。内容は、好きな人への告白・友人との死別・サークル等への参加などなどの瞬間が投影されたものだった。勿論全て、自分には記憶にない、そもそも有り得ないような状況ばかりだった。しかし、繰り返し夢を見る度に、それらが他人事のように感じなくなっていった。今では、銀行に貰った手帳で何を借りたのかを確認しないと、どれが自分でどれが他人のものなのかが曖昧なくらいには馴染んでいる。その代わりに夢をもう殆ど見なくなった。
部屋の棚から着替えを用意して、身につける。バックの中に植木鉢と手帳を持ってリビングへと向かう。母親はまだ寝ており、リビングは鳥の囀りが聞こえるのみだった。昨日の夜、母親に怒られた原因である弁当箱を洗い、カレーを温める。朝からカレーを食べるのは正直キツいが、これを消費しないと次の食事の材料が調達できなくなってまう。華金で浮かれていた自分に反省し、濃厚なカレーを喉に通す。
食事等の準備を終わらして、玄関に向かい、お気に入りの靴に足を通す。外に出ると、目的地に向かい歩き始める。休日の朝ということもあり、人通りは少なく、ランニングしているおじさんとすれ違う程度だった。橋を渡った辺りで、例の路地裏が見えてくる。前と違い、黒服が誰かを勧誘しているということもなく、少し安心した。一応誰かに見られるのも良くない気がし、すっと路地裏に侵入する。前回同様、周りは住宅に囲まれており、空もほとんど見えない。迷路のように入り組んだ通路をぬけ、公園へと抜けた。ここも前回同様、異常なほど静かな空間であり、公園には花壇の手入れをしている黒服の人がいるのみだった。
黒服さんに一礼し、正面にある建物に向かう。自動ドアを抜けると、聞き覚えのある男性の声が聞こえてきた。
「おや?これはこれは、朝早くからいらっしゃいませ!ご返却期限は今日からでしたが、最短できていただいたんですね」
「はい、遅れでもしたらどうなるか分かりませんから」
「はははっ!お客様に酷い真似は致しませんよ!」
「どうだが…」
いつものように胡散臭い営業スマイルを振りまく、店員さんに呼ばれるがまま、1番の席に座る。
「では貸出の返却でよろしかったですか?」
「はい、2ヶ月前に借りた分です」
そう言って私はカバンに入れていた植木鉢を取り出す。
「こちらをご返却していただくということで問題ありませんね?」
「どうぞ、お願いします」
店員さんに向けて植木鉢を渡し、店員さんがそれを受け取った瞬間、視界が少し霞んだような気がした。
「はい、では受け取らせて頂きますね」
「あ、はい」
「私はこれを閉まってまいりますので、少しお待ちください」
店員さんは奥の扉へ消えていくのを見送り、1人になったところで自分の状態に意識を向ける。今の所特に変わったところは無い。確かに今まであった他人の記憶は全く思い出せないが、2ヶ月前のくすんだ気持ちに戻るということは無かった。
自分が何者でもない……なんて考えも浮かばない。
人と関わるなんて無駄……とも思わない。
記憶は消えたが、それから受けた影響や変化は対象外なのかもしれない。ともあれ、最悪の展開は避けることが出来、安堵の息を漏らす。
この方法で私は理想の自分に近づけるかもしれない!
なんていう考えが現実味を増していき、自然と笑みがこぼれる。
「やった…!やった!!これで私も…!」
「おやおや?随分嬉しそうですが…」
「あぁ、すみません。でも、私変われてるって分かったら舞い上がっちゃって!」
「なるほど、変われたですか。それは良かったですね」
「はい!ありがとうございました!」
湧き上がる嬉しさを抑えつつ、店員さんから手帳を受け取る。
「ご要望の記憶の回収は済みましたが…他に何かご要望はございますか?」
「それなんですけど…また借りてもいいですか?」
「はい、問題ありませんよ。どのような記憶をお求めですか?」
「別日に友達とカラオケに行きたくて…その経験の記憶と買ってありますか?」
「なるほど…では、こちらの種類がオススメですね」
最初に借りた時と同様のファイルを開き、学生向きの範囲を開いて、いくつかの記憶を勧めてくる。
「歌やスポーツ、勉強等の王道のものから、ペン回し等の一芸のようなものまで色々揃ってますよ。こういった要望は多いですから、種類も豊富にご用意してあります」
「おぉ…」
予想以上に潤沢な記憶たちに少し驚いたが、落ち着いてくると興奮が湧いてくる。歌はもちろん、他の記憶も借りれば、もっと友人ができ、遊びにも行ける。これは是非とも借りたい。
「じゃあ…この人の記憶と、この人…それからこの人もお願いします」
「はい、歌ウマ高校生に、バスケ部のエース、生徒会副会長と…なかなかのメンバーを選びましたね」
「この際ですから、欲に従うことにしました」
「こちらとしても多く借りていただくのは有難いですから、すぐにご準備致しますね」
奥に駆けていく店員さんを見送り、今回借りた記憶について思いを巡らす。今回の記憶の返却で、自分自身の変化はリセットされないことは分かった。ならば記憶を借りている間に、体に染みつけてしまえば、返したとしても私は変わらず、理想の私になれる。これを繰り返せば、私はもっと…!もっと、上に行ける!変われる!!二度と昔のような、生きた屍のような生き方には戻らない、絶対に…
「お待たせしました!こちらが今回の記憶になりますので、前回と同様寝床の近くに置き、毎日朝に水を与えるようにしてください」
店員さんから前回と同じ、植木鉢を受け取る。見た目は似ているが、前回より一回り小さいようだ。借りた記憶によって変わるのだろうか。
「はい、ありがとうございます!」
「いえいえ、お客様は大切なパートナーですから。しかし、すみません。本当でしたら、もっとゆっくり記憶の説明等をして、最適な記憶を決めて差し上げたかったのですが…」
「何かあるんですか?」
「はい、ここをご利用になりたいという方が外で見つかったらしく、この後対応させていただくことになっております」
「へぇ、この銀行人気なんですねぇ」
「いえいえ、細々とやらしてもらってますよ。では、お見送りさせていただきます!」
店員さんに先導され、出口へと向かう。朝早くに来たため、太陽はまだ上がりきっておらず、光は周囲の建物に阻まれ、公園は陰におおわれていた。店員さんに一礼し、路地裏に入り、この後来るという人に会うのも気まずいので、早足で自宅へと向かった。
「唯ちゃん!おはよ~」
「あ、きたきた。じゃあ、学校行こっか」
「うん」
「はぁ、月曜日ってさ…なんでこんなに憂鬱なの?」
「週明けなんてそんなもんだよ、誰でもね」
「只でさえ寝不足なんだから、勘弁してよぉ」
「寝不足?また夜まで遊んでたの?この不良め」
「不良とは失礼な!ちゃんとその日までには帰ってるし」
「カラオケ?」
「ううん、カラオケは前言ったから、スポッチャでバスケしてきた」
「へぇ、いいね。体バキバキになりそうだけど」
「本当にそれで…もう筋肉痛がやばい」
「まぁ、唯ちゃん、運動部とか入ったことないし、体力ゼロだもんねぇ」
「それは里香ちゃんもでしょ~」
私がジト目で睨むと、里香ちゃんは腰に手をあてて、ドヤ顔をこちらに向ける。
「私はバイトしてるから~」
「あぁ、たしかにそうだった…」
「無職の人とは違うんだよ~」
「学生だから無力じゃないもん!っていうか、最近バイトしすぎじゃない? 休みの日、全く遊べてないじゃん!」
「あぁ、それは…頑張らないといけない事情があって…」
「そうなの?だとしても、ここ数ヶ月ずっと入れ続けてるのはヤバいって!」
「はぁ…まぁ、楽できるならしたいんだけどねぇ…」
溜息をつき、項垂れる里香ちゃんは態度に反して、結構疲れているのが伝わる。どんなバイトをしているかは全然教えてくれないが、結構な肉体労働なのかもしれない。
「無理はしないでね?」
「うん、これで私が壊れたらなんの意味もないしね」
「そうそう!」
「私が居なくなると、唯ちゃん勉強しなくなっちゃうしね」
「うっ…それは本当にすみません」
「ふふっ、ちょっと前は立場逆だったのにね…」
「確かに、私も頑張らないとなぁ」
他愛のない雑談が続き、周りを見ると、登校中の同じ制服の生徒が増えてきていた。学校が正面に見えてきて、憂鬱な月曜授業の始まりを感じる。
「じゃあ、今日も頑張りますかぁ」
「うん。後今日もバイトあるから先に帰るね」
「はーい、りょうかい」
下駄箱に入り、それぞれの目的地へと向かい、私たちは別れた。
記憶を借りるようになって、半年が経とうとしている。借りた記憶の量自体は大したことはないが、私は生まれ変わることが出来た。人と関わることが楽しいと思えるようになり、友人が沢山できた。里香ちゃんとも復縁できたし、歌やスポーツも上達した(勉強だけはどうしてもダメだったけど…)。今では殆ど毎週、休みの人は誰かと一緒にいると思う。此方が誘うことが多いが、クラスメイトのほとんど全員と1度は関わっている。最近では料理の記憶も借りて、練習を繰り返している。
昔の私が見たら驚いて卒倒するレベルで、昔ではありえない状況になってしまった。前で進む授業の板書を眺めつつ、そんなことを考えていた。
正直今でも十分楽しいが、出来ることならもっと欲しいものがないこともない。
恋愛だってしてみたいし、生徒会に入るのも悪くないかもしれない。勉強は……うん、そこそこでいいかな。
とにかく、記憶銀行を利用すれば何にだってなれる。今日は、前回借りたものの返却日。そうだ、店員さんに次に借りる記憶のおすすめを聞いてみよう。きっと、あの人ならいい記憶を見繕ってくれるに違いない。また、成長した自分の姿と未来を想像し、笑みがこぼれる。
キーンコーンカーンコーン…
「じゃあ、ホームルームはこれで終わります。掃除当番はしっかりやるように」
「はぁ…やっと終わった…月曜日は他の日の倍くらい長い気がする……はよ帰ろ」
憂鬱の週明けを乗り切り、掃除当番のない私はそそくさと教室を後にする。今週は良く帰る友人が当番なので、1人で帰らなくてはならない。
「里香ちゃんがいればなぁ」
そんなことを考えながら下駄箱に向かうと、そこには私のクラスの下駄箱で待つお下げの女の子がいた。
「里香ちゃん?」
「あ、来た。唯ちゃん、一緒に帰ろ~」
「バイトあるんじゃなかったの?」
「バイトからメールがあって、今日はなしになったんだ」
「あ、そうだったんだ。よかったぁ、今日1人だったから寂しかったんだよね」
「ならよかった…帰ろっか」
「うん!」
まさかの里香ちゃんとの下校にテンションが上がりつつ、下駄箱で下靴に履き替える。暮れかけている太陽に赤く照らされる空の下、2人で校門を抜けて、家へと向かう。
学校を出て、数分間里香ちゃんは何も喋らなかった。いつもなら、微笑みながら私の話に相槌を打ってくれるのだが…今日の里香ちゃんはそんな雰囲気ではなかった。前を向いているが、何も見ていないような…まるで半年前の私のような、そんなに顔をしている気がした。
「唯ちゃんは変わったよね」
「え…突然どうしたの?」
「私に一緒に帰ろって言ってくれたあの日から…正確にはもう少し前から唯ちゃんは生まれ変わったみたいだった。人とはよく喋るようになったし、話し方も昔と全然違う」
「急に何?確かに変わったかもしれないけど…それがどうかしたの?」
「そっか、唯ちゃんにとっては今の方が理想なんだもんね」
里香ちゃんは寂しそうに、でも少し嬉しそうにこちらに微笑みを向ける。
「私は昔の唯ちゃんが好きだった。変に考えすぎちゃって、少しひねくれてて、歌が下手で、私意外と話すとアワアワしてた唯ちゃんが好きだったんだよ?」
「いやいや、確かに昔はそうだったけど、今の方が絶対成長してるし、話しやすいでしょ?」
「そうだね、うん、そうなんだと思う。だから、私は全てを無かったことにできなかった。私の方がチキってたみたいだね、ははっ…」
「うん?里香ちゃんは何の話を…」
「どうせすぐにわかるよ、じゃあ私こっちだから…」
「え?いつもはこっちから帰ってたじゃん」
「黙ってたけど私の家はこっちの方が近いんだよ、だから昔は集合場所この交差点だったんだよ」
「え」
「じゃあ、バイバイ」
私は何も言えず、里香ちゃんの背中を見送ることしか出来なかった。何故今になって、あんなことを言ったんだろうか。昔の私が好き?嬉しいとは思うが、今の私の方が絶対に良いはず…
色々納得のいかないまま、私は自宅にたどり着いた。
玄関の鍵穴に鍵を通し、中に入る。リュックをリビングに置いて、弁当箱をシンクに置き、いつも通りお風呂に向かおうとする。
ピーンポーン…ピーンポーン…
インターホンの音が部屋に鳴り響く。こんな時間に訪問者とは珍しい。営業とかかな?と思いつつ、カメラを確認すると、そこには見知った顔があった。
「店員さん?」
すぐに玄関へ向かい扉を開ける。
「あ、お客様!すみません、突然」
「いえ、びっくりはしましたけど…」
「重要な要件かつ、急を要するものですので、こちらから会いに参りました。お客様の個人的な要件ですので、中でお話させていただいてもよろしいですか?
「いいですよ、どうぞ」
扉を大きく開き、自宅の中へと誘導する。
「失礼致します」
「リビングでいいですか?」
「あ、できることでしたら、お渡しした植木鉢のある部屋ですと話が早いのですが…」
「私のは部屋ですね、こっちです」
リビングの向かいにある自室を開き、部屋を見渡す。見られて困るものがないことを確認し、中に店員さんを入れる。
店員さんは植木鉢を見つけると、そちらの方に早足で向かう。
「これで間違いありませんね…」
記憶銀行のものであることを確認した後に、それは手荷物バックの中にしまわれた。
「あ、記憶の回収に来たんですか? それなら今日、この後行く予定だったんですけど」
「そうだったんですか!でしたら記憶の回収に向かうこともありませんでしたね」
「いやぁ、すみません、わざわざ…」
「いえいえ、こちらの判断ですのでお気になさらず」
直接訪れたので何事かと思ったが、ただの回収で一安心。
「じゃあ、これで_」
「はい、残りも回収させていただきますね!」
「…は?残り?」
この人は何を言ってるんだ? 私が借りた記憶は今回収したはず。あれ以外に私が借りた記憶は無いはずだ。
「もう回収したじゃないですか?」
「いえいえ、何を仰るんですかw 今のは私どもの商品ですから、私が言っているのはあなたの記憶の話ですよ?」
「え、は? 何を言っているのか…」
状況を理解できない私に、店員さんはやれやれという風に首を振り、説明を始める。
「何を勘違いされているのか分かりませんが、私どものサービスは、お客様のお借りになった分の記憶を返却していただくものになると初めにお伝えしたはずですか?」
「だから!それは今!」
「ですから、私が私がお貸しした記憶の分、お客様の記憶を返却してくださいと言ってるんですよ」
「え、私の記憶?じゃあ、今まで返した分は…」
「ただの商品の回収で、返済は一切されてませんね?」
店員さんはベットの横の他に置かれた手帳を手に取る。
「今までの4回分の記憶の総量は勿論、延滞分も含めると20年分は返して頂かないといけませんねぇ」
「20年!?私今、高校生よ!?そんなの無理に決まって」
「だから?」
店員さんは酷く冷えきった声に私は黙らさせられる。
「勘違いしてたから無し話でしょう、ねぇ?まさかと思いますが、貸したものだけ返すだけで無限に借りれる、そんな美味い話があると本気で考えてたんですか?w」
「ぁ…あぁ」
「これでもまだ回収は遅い方ですけどね…里香さんの提供がなければ、2回目の段階でとっくに限度超えですし」
「里香ちゃん?」
「はい、里香さんが私の銀行に無償で記憶を提供していたんですよ。それを頂いた分貴方の返却が免除される契約を交わしてたんですよ。ご存知なかったんですか?本当にどうしようもない人ですね」
「な、なんでそんな事を…」
「はぁ…そんなことも分からないとは、虫唾が走る愚か者ですね。貴方を助けるため以外に何があるって言うんですか?」
「………」
「里香さんは貴方が1人で馬鹿なことを考えている間も、健気に貴方のことを考えてたそうです。どうすれば、また昔みたいな関係に戻れるか、気をかけていたみたいですね。そんな時に貴方の突然の変化に違和感を持って、私ども記憶銀行をみつけ、貴方の状況を知った。そこで自分が色んな記憶を用意するから、その分返済を見逃して欲しいなんていう、里香さんには何の得もない契約を頼み込まれ、私は承諾し、この数ヶ月の間約束を欠かすことなく、しっかり提供してくださいましたよ」
「里香ちゃん……」
「里香さんだけでしたね、貴方を唯としてみていたのは」
「違う、私は友達が沢山いて…毎週皆で遊んで…」
「借り物だらけの貴方と友人?なかなか都合のいい解釈ですね」
「…………」
結局私は何も分かれてなんていなかった。私の根っこはずっと昔のまま。みんなが仲良くしてくれたのは、私が借りた記憶の人達に過ぎなかった。そんな中で、唯一私を見てくれた人にも気づかないで。
「まぁ、別に私としてはどんな背景があろうが興味はないんですけどね」
手帳をゴミ箱に投げ捨て、店員さんは私に1歩づつ近づいてくる。今までのような営業スマイルなど微塵もない、その辺の石ころを見るような目で私を見ていた。
「い、いや…まだ私はしたいことがあるの!」
「そうですか?なら私もしたいことをしますね」
ニヤニヤ笑う店員さんから逃げるために扉を開き、玄関への廊下へ向かおうとする。しかし、そこには
「きゃぁぁぁ!!!?!だ、誰!?」
全身黒服の男達が立っていた。身長は2m以上はあり、夕日に照らされた顔はニタニタと歯をむき出しにして笑っている。
「いや!いやいやいや!!いやいや!!!」
「静かにしてくださいねぇ」
「ムゥっ!」
恐怖と焦りにパニックなる私の顔を店員さんの手が鷲掴みにする。人とは思えない力に骨がミシミシと鳴る。
「あぁ、許して…許してください…」
「んん?いいですよ?」
「お願い…許してください…」
「あらあら、壊れるのは早いですよ? 私の銀行に来てからにしてくださいねぇ」
手の隙間から見える店員さんは逆光で真っ黒で、人とは違うななにかに見えた。そこからの私の記憶は何も無い。