55.硝煙
「私は……何も悪く……!」
再度、彼女の両手が広げられる。
自分を守るかのように、手のひらをこちらに押し寄せる形だ。
けれど、その手のひらからは魔力が生成されていた。
どす黒い、魔族の魔力だ。
「生憎と僕はあくまで案内役。戦闘能力は皆無だ」
「分かってる。俺が、俺一人でやらなきゃいけないんだろ」
ぐっと拳を握り、息を整える。
相手はイリエさんだ。
彼女は村長さんの娘で、人間で。
今は魔族だ。
つまりは、俺たちの敵なんだ。
今も現に俺たちに攻撃しようとしている。
敵、なんだ。
「嘘だと言ってくれよ……!」
俺は唇を噛みしめながら床を蹴り飛ばす。
加速し、イリエさんの方へと駆ける。
「やめ……て!」
「っ!!」
両方の手のひらから放たれた魔法弾を、咄嗟の判断で蹴り飛ばす。
どうにか消滅させることに成功したが、微かに足がじんじんと痛んだ。
かなりの威力だ。
もしも背後にいるアルマに当たってしまったら、多分死ぬ。
生命の危機というものが目下に存在するとなると、肌がじりじりする。
生きている心地がしなかった。
それも、相手が相手だからだ。
「クソっ!!」
俺は声を上げて、イリエさんを攻撃できる範囲内に入り込む。
呼吸を整え、拳を押し込んだ。
「なっ――」
しかし、俺の拳を空を切る。
放った一撃の先には、誰もいなかった。
突然出来事に動揺しながらも、体は自然に動いていた。
アルマの方にである。
「僕は気にするな! 死ぬ気でどうにかする!」
「馬鹿言え!!」
この状況だと、間違いなく狙うならアルマだ。
そして、アルマは戦闘能力がない。
彼を人質に取られでもしたら詰みである。
彼女が……イリエさんがするとは思いたくないが。
「違う!! こっちに来るな!!」
「今更何言ってんだ――」
アルマへと手を伸ばそうとした瞬間のことだった。
背中をえぐられるような一撃が俺に加わる。
もちろん回避なんてすることができず、思い切り壁へと弾き飛ばされた。
吐き気がする。
痛みは微かだが、体が悲鳴を上げている。
確かに耐久力は人外レベルだが、中身は人間だ。
こんなにも縦横無尽に振り回されたら、気分だって悪くなる。
「は……はぁ……」
なんだこれ。
彼女……普通の魔族か?
幹部クラス……いや、それ以上に強いかもしれない。
彼女の何がそこまでの力を生み出しているんだ。
「わ、私は……誰……? 私は……イリエ、村長の娘……」
クソ!
どうなってんだよ!
俺はどうにか立ち上がり、相手を見据える。
物理攻撃はダメだ。
もっと速度の出る一撃じゃないと、多分全部避けられる。
魔法……いや、俺の持つ魔法じゃ不可能だ。
エリサたちを頼れたら幾分かマシだったのだろうが、現状は不可能。
彼女たちは気絶している。
「はぁ……どうする」
俺は息を整える。
イリエさんが再度、攻撃を放とうとしていた。
どうする。
どうするんだ。
――カタッ。
「ん?」
足下に何かが転がった。
猟銃である。
確かここの村長さんが大切にしていたであろうものだったか。
この家に多く飾られていたものの一部だろう。
「……ワンチャンに賭けるか!」
俺は咄嗟に猟銃を拾い、中に弾丸が入っているか確認する。
正直、飾っていたのだから入っていないと読んでいた。
「一発だけ……あった……!」
ガチャリとスライドしてみると、確かに一発だけ装填されていた。
俺はふうと息を吐き、銃を構える。
相手は魔族だ。
多分、これくらいの弾丸じゃあ死にはしないだろう。
「はぁ……はぁ……」
照準が震えた。
やはり、人間に銃を向けているという感覚が抜けない。
息が荒くなるのが分かる。
整えたはずなのに、胸が早鐘を打つ。
ダメだ。
これ……撃てない。
「カイルくん! 撃て!」
「……アルマ」
どこかに隠れていたのだろう。
壁に寄りかかりながら、アルマが叫んでくる。
「いいから! 撃つんだ!」
「で、でもさ……」
「撃つんだ! この中では一番の年長であり、いい歳したオッサンなんだ! 覚悟決めろ!」
オッサン……。
はは、オッサンだ。
この中では一番歳を食っている。
この中で一番の年長者だ。
そんな俺が覚悟できてないでどうする。
格好が付かないだろう。
覚悟決めろ、俺。
「イリエさん!! 止まってくれ!!」
声を張り上げながら、指を引いた。
刹那、バコンと反動が肩にかかる。
硝煙の香りが鼻孔をくすぐり、息ができずにむせかけた。
咳き込みながら正面を見る。
「それ……村長の」
銃弾が当たったのかは分からない。
ただ、俺の目の前にイリエさんの姿があった。
正直、死んだかと思った。
けれど、様子が違った。
彼女は悲しげな表情で銃に触れて、涙を流していた。
「そうだ……思い出した。私は魔族だ。人間じゃない……イリエじゃない……魔族なんだ……」
俺の目を見て、
「村長を、この村の人達を殺した魔族なんだ……」
今の彼女には、もう敵意は感じられない。
俺は静かに銃口を下ろし、アルマに視線を送った。
「お疲れ様、カイルくん。君はすごいよ」
「一番の年長者、だからな。それで……俺はどうしたらいいんだ」
「敵意のない魔族は貴重だ。……色々と聞こう」
「……分かった」
俺は差し出されたアルマの手を握り立ち上がった。
そして、目の前にいるイリエさん――魔族を見据えた。