117.二つの鍵
この世界よりも高度な文明な上に魔物も存在しない世界……か。
「……興味はある」
もしも存在するならば、少し見てみたい気もする。ただあまり想像ができないのも確かだ。高度な文明と言われても、俺の知識ではどのようなものかは分からない。けれど魔物がいないのは……平和でいいなと思う。魔物は実際に何度も人の命を奪っているし、冒険者が対処しないと生活するのだって難しい地域もある。
「そう言うと思っていたよ。カイルならきっと興味を示してくれると思っていた」
ナイオスはさながら少年のように、未知の世界に羨望しているような表情を湛える。
「世界は一つじゃないんだ。僕たちが住んでいる世界が全てじゃあ決してない。言うなれば裏の世界。そこに桃源郷があると僕は予想している」
桃源郷……か。響きは良いし、どこか憧れすらも抱いてしまう。けれど……しかしあくまで机上の空論であり、その世界が存在するとは俺も決して思っていない。だけど気になりはする。
「僕は……そこに向かいたい。こことは違う世界が見てみたいんだ」
どこか遠くを見るナイオスを見て、エリサたちが呟く。
「ふーん……よく分からないや。私は興味ないかな」
「こらエリサ! でも……わたしもよく分からないです……少し飛躍しすぎているといいますか……」
まあ、彼女たちの言っていることも分かる。俺も決して理解しているわけではないし、興味はあるが信じてはいない。本音を言えば少し胡散臭い部分もあるし、オカルト的だ。
「……ちなみに、そこに向かう方法ってのはあるのか?」
聞いて良いものか悩んだが、気になることは確かなので聞いてみることにした。
「あるよ。僕は知っている。知っているからこそ、憧れているんだ」
彼は首からぶら下げている鍵を手に取り、こちらに見せてくる。これが何か関係があるのだろうか……見た限りはただの古めかしい鍵に見えるが……。
「異世界に向かうには二つの鍵が必要なんだ。『空虚の鍵』と『真理の鍵』。それで……僕が持っているのはその片割れの空虚の鍵だよ」
「空虚の鍵……」
まさか異世界に向かうために必要な物の一つを持っているとは思わなくて、少し呆けてしまう。どう見たって普通の鍵にしか見えないが……これが鍵……なのか。
「これは貰い物でね。僕の大切な友人から貰ったんだ」
「友人か……ということは、真理の鍵はその友人が持っていたりするのか?」
「ああ、僕の友人が持っているはずだよ。なんせ、異世界の存在や鍵は彼が考えたものだからね」
『はず』という言い方に一瞬疑問を抱いてしまうが、ともあれその友人が考えたものなのか。つまり、異世界について何か書物に書いていたり言い伝えがあるわけではないということになるが、ナイオスの友人は一体何者なのだろう。
「僕は必ず、もう一つの鍵を手に入れて異世界へ向かう。君も……カイルも一緒に行かないか?」
「……ええと」
興味があるのは確かだ。だけれど、異世界に向かってみたいとは考えていなかった。あくまで幻想譚であり、実際に存在するわけがないのだ。だから……反応に困ってしまう。
「ふふ。まあ、最初はそういうものだ。人は未知の物を受け入れるのに時間がかかる。またいつか君の答えを聞かせてくれ」
そう言って、ナイオスはパンと手を叩く。
「この話はひとまず置いておこうか。僕、カイルに聞きたいことが山ほどあるんだ。特にヴォルガンを倒すまでの英雄譚がすごく気になっていてね」
「パーティの続きってことか。確かパーティではダークハートに邪魔されちゃったもんな」
「そういうこと。僕の知的好奇心がヴォルガンのことについて知りたがっているんだ」
まあ、魔族側にとってもヴォルガンについては気になる話題だろう。なんたって実質魔族を裏切ったような存在なのだ。彼がどのように考え、どのように行動していたのか。気にならないわけがない。
「と言っても……あまり話せるようなことはないが。俺が分かる範囲になってしまうけれど、それでもよければ」
「構わないよ。少しでも解消できれば僕は満足さ」
ナイオスはくすりと笑って、机に手を置く。
「それじゃあまず……ヴォルガンはどういう人物だったんだい? 彼がどうしてあんなことをしたのか知りたいな」
「どういう人物……か」
いざ答えるってなるとどこか緊張してしまうな。彼のことはよく理解しているつもりだが、言語化というものは意外と難しいものである。
「彼は……自分の目標に真っ直ぐな奴だよ。確かにあいつは取り返しのつかないことをしてしまったが、もし……別の考えを持っていればとてつもない人物になっていたかもしれない」
「へぇ……カイルはヴォルガンを悪人だと突き放さないんだね」
「悪人ではあるよ。あいつは悪い行いをした。だけれど、心が完全に悪に染まっているわけではなかった」
「彼は魔王殺しを企み、命の選別――大量虐殺を行おうとしていたんだよ?」
「……それは間違いのない事実だ。あいつを擁護するつもりなんてない。だけど……なんていうか。俺は悪人だって突き放すことができなかったんだ」
自分でも、なんて形容したら良いのか分からない。おかしなことを言っている自覚だってある。けれど……俺はあいつを突き放すことができないんだ。
「パクパク……カイルとヴォルガンは約束したんだよね! この世界の主人公になれって!」
「なのです! だからカイルは突き放すことができないんじゃないですか? パクパク」
クッキーを頬張りながら、二人がそんなことを言う。
「主人公……? 君はヴォルガンとそんな約束をしたのかい?」
ナイオスは目を薄めて考えるような素振りを見せながら、俺に聞いてきた。
「ああ。あいつは物語に出てくるような主人公になりたかったらしくてな。死ぬ前に……遺志を継いでくれって頼まれたんだ」
言葉にしてみて、改めてこんな約束をしてしまったからヴォルガンを突き放すことができないんだなと理解する。馬鹿げた話だと思われるかもしれないけれど、俺は約束したんだ。
「彼がそんなことを……なるほどね。カイルとヴォルガンは犬猿の仲ではなく、友人に近いのかもしれないね」
「……そうかもな。俺は案外、あいつのことが嫌いじゃないのかもしれない」
ヴォルガンとの関係を友人と表現していいのかは分からない。そんなことを言ってしまうと、各地から批難されてしまうだろうから決して口には出せないけれど。